第368話 叡智の首飾り
《天環魔導機神アストラ・レガリア》の胸部にある核が砕けた。
巨体から力が抜け、石造りの床へ膝をつく。
二本の腕が力なく垂れ下がり、最後に頭部が前へ傾いた。
鈍い音を響かせながら、巨大な魔導機神が完全に動きを止める。
それとほぼ同時に、レオンもその場へ倒れた。
「レン!」
アストリッドは魔法剣を手放し、レオンへ駆け寄った。
左脇腹の服は破れ、血に濡れている。折れた石槍は、すでにレオン自身が引き抜いていた。
外へ流れ出す血は止まっている。倒れる前に、レオンが回復魔法を使ったためだ。
だが、顔色は青白く、呼吸も浅い。
「レン、聞こえるか!」
肩を叩いても反応はない。
アストリッドは傷口の周囲へ手を当てた。皮膚は塞がっている。しかし、石槍は身体の奥深くまで達していた。表面だけを治しても、傷ついた内臓までは元に戻らない。
このままでは、内部で血が出続ける。
アストリッドは腰の革袋を開いた。
中から取り出したのは、一本の小さな瓶だった。透明な瓶の中には、濃い青色の液体が満たされている。
ハイポーション。
通常の回復薬をはるかに上回る治癒力を持つ、希少な薬だった。
魔導国家では、S級冒険者であっても簡単には手に入れられない。製造されているのは王国北部、ノルディア領で、生産量の多くは教国と王国が買い取っている。
魔導国家へ流れてくる物は少なく、正規の取引で入手しようとすれば、一般的な魔法具を何個も購入できるほどの金が必要になる。
アストリッドが持つ一本も、一年半ほど前に両親から送られてきた物だった。
冒険者として活動する娘を心配し、伝手を使って手に入れたのだという。
『致命傷を負った時のために持っておけ』
手紙には、そう書かれていた。
これまで幾つもの危険な依頼を受けてきたが、一度も使わなかった。
自分の命を救うために残していた、最後の一本。
だが、アストリッドは迷わず瓶の封を開けた。
「今、助ける」
レオンの身体を抱き起こし、壁へ背を預けさせる。瓶の口を唇へ当て、少しずつ傾けた。
しかし、意識のないレオンは薬を飲み込まない。青い液体が口の端から流れ落ちた。
「くそっ……」
このままでは、貴重な薬をこぼしてしまう。
アストリッドは一瞬だけ迷った。だが、今は方法を選んでいる場合ではない。
瓶に残っていたハイポーションを自分の口へ含む。レオンの顎へ手を添え、その唇へ自分の唇を重ねた。
少しずつ薬を流し込み、喉が動いたことを確かめる。
一度では足りない。
二度。
三度。
瓶が空になるまで、同じことを繰り返した。
全てを飲ませ終えると、アストリッドはレオンの身体を支えたまま、左脇腹へ手を伸ばした。
淡い光が傷口を包む。
レオンの身体が光に覆われ、腕や顔にある小さな傷が内側から塞がっていく。流れ出していた血も、やがて止まった。
浅かった呼吸が、少しずつ穏やかになる。
アストリッドはレオンの胸へ耳を当てた。
心臓は動いている。
先ほどまで乱れていた鼓動も、次第に一定の速さへ戻っていった。
「よかった……」
安堵の声が漏れる。
アストリッドは床へ座り込んだまま、レオンが目を覚ますのを待った。
どれほどの時間が過ぎただろう。
レオンの指先が僅かに動いた。
「……アストリッド」
掠れた声が聞こえる。
「レン!」
レオンはゆっくりと目を開いた。
最初に目へ入ったのは、自分の身体を支えているアストリッドだった。その向こうには、動きを止めたアストラ・レガリアが倒れている。
「倒したのか」
「ああ。お前が核を砕いた」
「そうか」
レオンは左脇腹へ手を当てた。
服は破れ、血に濡れている。だが、傷は塞がっていた。身体の奥に残っていた痛みも、ほとんど消えている。
傍らには、空になった小瓶が落ちていた。
見覚えのある形だった。
レオンは瓶を拾い上げ、内側に残った青い液体を確かめる。
ノルディアで製造しているハイポーションだ。
エミルと協力し、何度も実験を重ねて完成させた薬。まさか、自分が作った薬に助けられるとは思わなかった。
「これを使ったのか?」
「ああ」
「大切な物だったんじゃないのか?」
「薬は使うためにある。お前が死ねば、残しておいた意味もない」
アストリッドはそう答えると、レオンの額を指で弾いた。
「それより、二度とあんな真似をするな」
「なんのことだ?」
「私を突き飛ばし、自分が代わりに貫かれたことだ」
「あのままでは、アストリッドが死んでいた」
「だからといって、お前が代わりに死んでいい理由にはならない」
「ほかに方法がなかった」
「少しくらい迷え」
「迷っていたら間に合わなかった」
アストリッドは言葉に詰まる。
レオンの判断がなければ、自分が石槍に貫かれていた。その事実は理解している。だからこそ、強く責め続けることもできなかった。
「……次からは、二人とも助かる方法を選べ」
「ああ。出来る限り、そうする」
「出来る限りでは困るんだがな」
アストリッドは息を吐き、レオンの隣へ腰を下ろした。
ハイポーションによって傷は治ったが、失った血と体力までは完全に戻っていない。二人はその場で休むことにした。
最上階に魔物が現れる気配はない。
アストラ・レガリアが倒れた場所の奥では、床に刻まれた巨大な魔法陣が淡い光を放っていた。地上へ戻るための転移陣だ。
「そういえば」
アストリッドが口を開く。
「攻略したら、本当の名前を教えるという約束だったな」
レオンは僅かに視線を逸らした。
「覚えていたのか」
「忘れるわけがないだろう」
「今、聞くのか?」
アストリッドは少し考え、首を横へ振った。
「地上へ戻ってからでいい。今は休め」
「ああ」
レオンは壁へ背を預け、目を閉じた。
一時間ほど休むと、身体を動かせる程度には体力が戻った。
レオンは立ち上がり、脇腹の状態を確かめる。剣を振るうには不安が残るが、歩くことに問題はない。
「帰る前に、探したい物がある」
「《叡智の首飾り》だったか?」
「ああ」
二人は最上階を見回した。
中央には倒れたアストラ・レガリア。奥には地上へ戻る転移陣。だが、それ以外に目立つ物はない。首飾りが収められた宝箱も、台座も見当たらなかった。
「本当にここにあるのか?」
「あるはずだ」
原作では、カインとエリシアがアストラリオンを攻略した後、《叡智の首飾り》を手に入れている。
ただし、ゲーム画面に映っていたのは、首飾りを見つけた後の場面だけだった。どこに隠されていたのかまでは分からない。
レオンはアイテムバッグから《魔脈の片眼鏡》を取り出し、左目へ装着した。
視界が切り替わる。
床を走る魔力。転移陣へ集まる魔力。アストラ・レガリアの残骸に残る僅かな魔力。その全てが、色のついた光として見えた。
レオンは部屋の周囲へ視線を巡らせる。
右側の壁。左側の壁。入口付近。
どこにも不自然な流れはない。
だが、最奥の壁を見た時、僅かな違和感を覚えた。
床を流れていた魔力が、壁の手前で二つに分かれている。一方は転移陣へ。もう一方は、何もないはずの壁の中へ流れ込んでいた。
「奥の壁だ」
レオンが歩き出す。
アストリッドも後へ続いた。
壁には、大きな円形の模様が彫られている。装飾の一部にしか見えない。
レオンが片眼鏡越しに調べると、模様の中央だけに魔力が集まっていた。そこへ手を当て、魔力を流す。
低い音が響いた。
壁に縦の亀裂が走り、左右へゆっくりと開いていく。その奥には、小さな部屋が隠されていた。
「こんな場所があるのか」
アストリッドが感心したように呟く。
部屋の中央には、白い石で作られた台座がある。その上に、一つの首飾りが置かれていた。
細い銀色の鎖。中央には透明な魔石が嵌め込まれている。魔石の内部では、幾つもの小さな魔法陣が重なるように浮かんでいた。
レオンが首飾りを手に取る。
《叡智の首飾り》
魔法の威力を最大五倍まで高める魔法具だ。
ただし、増幅させた分だけ消費する魔力も増える。五倍の威力で魔法を放てば、通常の五倍の魔力を失う。
使い方を誤れば、たった一度の魔法で意識を失うこともある。だが、膨大な魔力を持つ者が使えば、その力は絶大だった。
原作では、クラリスが闇へ堕ちた後、この首飾りを身につけていた。ただでさえ強力な全属性魔法を五倍まで高め、エリシア達を追い詰める。
レオンは首飾りを見つめた後、アイテムバッグへ収めた。
これで、原作に登場した三つの魔法具を全て手に入れた。
隠し部屋の壁際には、紫色の光を帯びた魔鉱石も露出している。
レオンは必要な量だけ採取し、別の袋へ入れた。カイルから頼まれていた、最上階の魔鉱石だ。
アルカナ。グランヴァン。セルヴァリア。そしてアストラリオン。
四つのダンジョンで採取した魔鉱石を比較すれば、魔脈について新たに分かることがあるかもしれない。
「目的の物は見つかったか?」
「ああ」
「なら、地上へ戻ろう。今のお前をこれ以上歩かせたくない」
「もう傷は治っている」
「先ほどまで死にかけていた人間の言葉を、素直に信じられると思うか?」
レオンは反論しなかった。
二人は隠し部屋を出て、転移陣の中央へ立つ。
淡い光が足元から立ち上がった。
次の瞬間、二人の姿は最上階から消えた。
視界が白く染まり、足元の感触が変わる。
レオンが目を開けると、アストラリオンの入口にある転移広場へ戻っていた。
待機していた職員達が、一斉に二人へ視線を向ける。
「転移地点を確認!」
一人の職員が、光の消えた魔法陣へ駆け寄った。床に刻まれた表示を確認し、その場で目を見開く。
「最上階……二十五階層からの帰還です!」
広場が静まり返った。次いで、騒めきが広がっていく。
「二十五階層?」
「最上階まで到達したのか?」
「二人だけで?」
職員の一人が、慌てた様子でレオン達へ近づく。
「アストリッドさん、レンさん。最上階の守護者は……」
「倒した」
アストリッドが答えた。
「《天環魔導機神アストラ・レガリア》の討伐を確認できる素材も持ち帰っている。ただし、レンが負傷している。詳しい報告と素材の確認は明日にしてくれ」
職員は血に染まったレオンの服を見て、すぐに頷いた。
「承知しました。治療院へ連絡を――」
「傷は塞がっている」
レオンが答える。
「今日は休めば問題ない」
職員は心配そうな表情を浮かべたが、アストリッドも頷いたため、それ以上は止めなかった。
「今回の攻略については、すぐに協会本部へ報告いたします」
「ああ」
「それと、魔導王陛下にも報告が届くことになります」
レオンの表情が僅かに固まる。
攻略不可能だと思われていたS級ダンジョン。それを僅か二人で攻略した。
原作でも、カインとエリシアがアストラリオンを攻略した後、魔導王から勲章を授けられる場面があった。
今回はカインもエリシアもいない。それでも、同じことが起きる可能性は高い。
魔導王から勲章を授けられるとなれば、公の場へ出なければならない。冒険者レンではなく、レオン・ノルディアであることを隠し続けるのは難しくなる。
それに、王国で確かめなければならないこともある。
クラリスが奴隷として値踏みされていた理由。闇の競売。王国貴族と奴隷商人のつながり。
原作より早く何かが動き始めているのであれば、魔導国家に残り続けるわけにはいかなかった。
レオンとアストリッドは、入口の近くにある宿へ戻った。
互いに自室へ入り、身体を休める。
アストリッドは血の付いた服を脱ぎ、身体を拭いてから新しい服へ着替えた。寝台へ腰を下ろし、大きく息を吐く。
ダンジョンへ入ってから、何日も気を張り続けていた。
ようやく全てが終わった。
そう思った瞬間、アストリッドの脳裏に最上階での出来事が蘇る。
意識を失ったレオン。口からこぼれたハイポーション。
そして、自分の唇をレオンの唇へ重ねた瞬間。
「……」
アストリッドの身体が固まった。
あの時は、レオンを助けることしか考えていなかった。薬を飲ませる方法が、ほかになかっただけだ。
治療。あれは治療だ。それ以上の意味などない。
「……治療だ」
誰に聞かせるでもなく呟く。
だが、そう言い聞かせたことで、かえって唇に残っていた感触を思い出してしまう。
考えてみれば、男と口づけを交わしたのは初めてだった。
それも、一度ではない。薬を全て飲ませるまで、何度も唇を重ねた。
「っ……」
アストリッドの顔が一気に熱くなる。両手で顔を覆い、そのまま寝台へ倒れ込んだ。
「違う。あれは口づけではない。薬を飲ませただけだ」
誰も聞いていないのに、必死で言い訳を続ける。
暫くして、扉を叩く音が聞こえた。
アストリッドは勢いよく身体を起こした。
「誰だ?」
「俺だ」
レオンの声だった。
アストリッドは再び自分の顔が熱くなるのを感じた。何度か深呼吸を繰り返し、表情を整えてから扉を開ける。
「どうした?」
「渡したい物がある」
レオンは右手をアイテムバッグへ入れた。取り出したのは、青色の液体が入った小瓶だった。
「アストリッド。これを受け取れ」
差し出された物を見て、アストリッドが目を見開く。
「……ハイポーション?」
「使った分だ」
「待て」
アストリッドは瓶を受け取り、光へ透かした。瓶の形、薬の色、封に刻まれた印。どれも、自分がレオンへ使った物と同じだった。
ノルディアで作られたハイポーションだ。
「何故お前がこれを持っている?」
「王国から持ってきた」
レオンは当然のように答えた。
「危険なダンジョンへ入るなら、回復薬は必要だろ?」
「これは、簡単に用意できる薬ではないぞ」
「そうなのか?」
レオンは本当に知らないようだった。
ノルディアでは、自分が必要な分を確保することに苦労したことはない。魔導国家で、どれほど高値で取引されているのかも知らなかった。
「俺はまだ何本か持っている。遠慮する必要はない」
「まだ持っているのか……」
アストリッドは手の中の瓶を見つめた。
両親が多くの金と伝手を使い、ようやく手に入れた一本。それと同じ物を、レオンは何本も持っている。
偶然で片づけるには、不自然だった。
「それと、伝えておくことがある」
レオンが続ける。
「何だ?」
「協会への報告を終えたら、すぐに王国へ戻る」
アストリッドが顔を上げた。
「随分と急だな」
「王国で確かめなければならないことが出来た」
「魔導王陛下から褒賞を与えられる可能性もあるぞ」
「その前に帰る」
「褒賞が欲しくないのか?」
「目立つためにダンジョンを攻略したわけではない」
レオンの目的は、最初から《叡智の首飾り》だった。名誉も勲章も求めていない。
むしろ正体を隠しているレオンにとって、公の場へ呼び出されることは避けたい事態だった。
「出発は明日の報告が終わってから決める。アストリッドには世話になったから、先に伝えておこうと思った」
「……そうか」
「ハイポーションのことも、本当に助かった」
その言葉を聞いた瞬間、アストリッドは再び最上階での出来事を思い出した。
「どうした?」
「何でもない!」
思わず大きな声が出た。
レオンが不思議そうに首を傾げる。
「顔が赤いぞ。熱でもあるのか?」
「ない。何もないから、もう休め」
「ああ……分かった」
レオンは納得していない様子だったが、それ以上は尋ねなかった。
「それじゃあ、また明日」
「ああ。また明日」
レオンが自分の部屋へ戻っていく。
アストリッドは廊下から、その背中を見送った。
王国から持ってきた、ノルディア製のハイポーション。
腰には、帝国一の鍛冶師ガレオンが鍛えた剣。刀身へ刻まれている魔法陣は、魔導国家一の魔法具職人アルマのものだった。
ガレオンとアルマ。二人の最高峰の職人が携わった剣を、ただの若い冒険者が所有できるとは思えない。
その剣は、帝国の剣よりも僅かに太い。だが、王国の剣と比べれば短い。
王国式と帝国式。どちらの剣術にも対応できるよう、二つの特徴を併せ持つ形だった。
実際、レオンの剣術にも両国の技が混ざっている。
氷属性。王族に匹敵するほどの膨大な魔力。魔法陣も詠唱も必要としない無詠唱魔術。回復魔法。冒険者とは思えない立ち居振る舞い。
そして、ノルディア製のハイポーション。
アストリッドは閉じられた扉を見つめた。
レンという名前が偽名であることは、本人も認めている。
王国出身だという話まで、本当なのだろうか。あるいは、それだけは事実なのか。
「レン……」
アストリッドは手の中にあるハイポーションを握り締める。
「お前は、本当は何者なんだ?」
その問いに答える者はいなかった。




