第365話 十五階の壁
魔導王から許可を得た翌朝。
レオンは《天環魔導塔アストラリオン》へ向かった。
ミストレアの北東に建つ巨大な塔。
遠くからでも雲を貫く姿を見ることが出来る。
塔の周囲には高い山も建物もない。
平原の中央に、一本の黒い柱が立っているように見えた。
近づくにつれ、その異様な大きさが分かる。
外壁は黒い石で作られている。
継ぎ目は見当たらず、塔そのものを巨大な一つの岩から削り出したようだった。
外壁には銀色の線が幾重にも走っている。
線は塔を囲む巨大な魔法陣の一部であり、地上から遥か上まで続いていた。
塔の周囲には強い魔力が満ちている。
本来なら魔力感知の苦手なレオンでも、肌が僅かに痺れるほどだった。
入口の前には、冒険者協会と魔導王家が共同で管理する施設が建っていた。
レオンが中へ入ると、職員へS級の冒険者証と魔導王の許可状を差し出す。
「確認いたします」
職員は最初に冒険者証を調べ、次に許可状へ埋め込まれた魔石へ魔力を流した。
王家の紋章が淡い光を放つ。
偽造された物ではないことが確認されると、職員は許可状をレオンへ返した。
「確かに、魔導王レグルス陛下から発行された許可状です」
「ああ」
「同行者の登録を行います。お名前をお願いします」
「同行者はいない」
職員の手が止まる。
「お一人で入られるのですか?」
「ああ」
「許可状には、レンさん個人へ入場を許可すると記されています。規則上、問題はありませんが……」
職員はレオンの顔と、S級の冒険者証を見比べる。
「アストラリオンには、一人で対応することが難しい魔物が存在します」
「危険だと判断したら戻る」
「必ず守ってください」
職員は念を押すと、入口の横にある記録簿へレオンの名前を書き加えた。
「塔には、五階ごとに転移碑があります」
「資料で読んだ」
「各階層の守護者を倒し、転移碑へ魔力を登録すれば、次回からその階層まで移動出来ます。地上へ戻ることも可能です」
一階から入る度に、全ての階層を攻略し直す必要はない。
五階。
十階。
十五階。
二十階。
それぞれに置かれた転移碑が、攻略の到達地点になる。
ただし、転移碑を利用するには、その階層の守護者を倒さなければならない。
「内部で長期間戻れなくなった場合、捜索隊は出るのか?」
「入場から十日を過ぎた時点で、冒険者協会へ報告します。ただし、捜索隊が出されるとは限りません」
「分かっている」
S級ダンジョンへ入る者は、自分の命へ責任を持たなければならない。
危険な場所だと分かった上で入るのだから、必ず助けが来るとは限らない。
レオンは塔の入口へ向かった。
黒い扉の中央に許可状を当てる。
王家の紋章が光ると、外壁を走る銀色の線へ光が広がった。
重い音と共に、黒い扉が左右へ開く。
レオンは一人で塔へ入った。
扉が閉じる。
外の光と音が完全に遮断された。
一階の内部は、外から見た塔よりも遥かに広かった。
黒い床。
高い天井。
等間隔に並ぶ石柱。
窓はないが、壁へ埋め込まれた魔石が室内を照らしている。
レオンは懐から《魔脈の片眼鏡》を取り出した。
右目には未来予知魔眼がある。
そのため、片眼鏡を左目へ装着する。
室内へ流れる魔力が、淡い光の筋となって見えた。
壁。
床。
石柱。
全てに魔力が通っている。
塔全体が一つの巨大な魔法具のようだった。
レオンは腰の剣を抜く。
一階から四階までを支配していたのは、風属性だった。
目に見えない風の刃。
空中から襲う鳥型の魔物。
風を纏い、矢のような速さで突進する狼型の魔物。
魔力の流れが見えなければ、攻撃がどこから来るのか判断することも難しい。
だが、《魔脈の片眼鏡》を通せば、風が集まる場所を確認出来る。
さらに未来予知魔眼を使えば、攻撃が放たれる前に進路を知ることが出来た。
レオンは風の刃を避け、魔物だけを剣と氷柱で倒しながら進んだ。
五階の守護者は、四枚の翼を持つ巨大な鳥だった。
《嵐翼鳥ストーム・ガルーダ》
翼を羽ばたかせる度に、室内へ竜巻が生まれる。
レオンは氷の壁で風を分断し、地面から伸ばした氷の鎖で翼を拘束した。
動きを止めたところへ距離を詰め、魔力を流した剣で首を斬り落とす。
守護者が倒れると、部屋の奥にあった転移碑が光った。
レオンが手を触れ、魔力を登録する。
これで次からは、五階まで直接移動出来る。
六階から九階は、火属性の階層だった。
床の割れ目から炎が噴き出す。
燃え続ける獣。
炎を纏った人型の魔物。
氷魔法を使うレオンにとって、相性の悪い場所ではない。
炎が放たれるより早く冷気で消し、魔物の身体を凍らせていく。
十階の守護者は、炎を纏う巨大な獅子だった。
《炎獄獅子フレア・レオル》
口から放たれた炎が、十階全体を覆う。
レオンは自分の前へ巨大な氷壁を作った。
炎と氷が衝突し、白い蒸気が部屋を埋め尽くす。
視界が失われても、未来予知魔眼があれば攻撃の位置は分かる。
蒸気の中を駆け抜け、足元へ滑り込む。
腹部から巨大な氷柱を突き上げると、《炎獄獅子フレア・レオル》の身体が宙へ浮いた。
そのまま心臓へ剣を突き刺す。
十階の転移碑にも、レオンの魔力が登録された。
十一階へ上がった瞬間、空気が変わった。
それまでの階層とは比較にならないほど、身体が重い。
床と壁は茶色い岩で作られていた。
魔力を帯びた土が、侵入者の身体を地面へ引きつけている。
十一階からは土属性の階層だった。
岩で作られた人形。
地面の中を移動する大蛇。
踏み込んだ者の足を飲み込む泥。
倒したはずの岩人形も、床から土を集めて身体を再生する。
氷柱を当てても、表面が砕けるだけだった。
剣で核を破壊すれば倒せる。
だが、それまでの魔物より明らかに時間がかかった。
レオンは一体ずつ核の位置を見極めながら進んだ。
十四階を越え、十五階へ続く扉の前に辿り着く。
魔力も体力も残っている。
食料と水も十分にあった。
レオンは扉を開けた。
広い円形の部屋だった。
床も壁も天井も、黒に近い岩で作られている。
部屋の中央には、巨大な岩の塊が置かれていた。
レオンが中へ入ると、入口の扉が閉じる。
同時に、部屋の中央にある岩が動き始めた。
岩同士が擦れ合う音が響く。
太い両腕。
短い首。
人の何倍もの大きさを持つ胴体。
床から土と鉱石を吸い上げ、巨大な人型へ変わっていく。
《金剛岩巨兵アダマント・ゴーレム》
十五階の守護者だった。
ゴーレムが右腕を振り上げる。
レオンの右目に、拳が叩きつけられる未来が映った。
横へ跳ぶ。
直後、巨大な拳が床へ激突した。
轟音と共に岩が砕け、破片が周囲へ飛び散る。
レオンはゴーレムの背後へ回り、剣へ魔力を流した。
金剛岩で作られた脚へ斬りつける。
刃は表面を削った。
だが、斬り落とすことは出来ない。
傷ついた場所へ床から土が集まり、すぐに塞がれていく。
レオンは距離を取り、無数の氷柱を作った。
一斉に放つ。
氷柱が胸部と頭部へ直撃した。
激しい音と共に氷が砕け散る。
ゴーレムの身体には、僅かな傷しか残っていなかった。
ならば、一点へ攻撃を集中させる。
レオンは地面へ手をついた。
ゴーレムの足元から巨大な氷柱を突き上げる。
巨体が僅かに浮いた。
しかし、氷柱の方が先に耐え切れなくなった。
亀裂が走り、砕け散る。
《金剛岩巨兵アダマント・ゴーレム》が着地する。
床が大きく揺れた。
その身体は、周囲の土と魔力を吸い上げることで硬さを増している。
傷つけても、床と接している限り再生する。
レオンはゴーレムの足元を凍らせた。
床と身体の間へ分厚い氷を作り、土を吸い上げる流れを遮断する。
《魔脈の片眼鏡》を通して見えていた魔力の光が弱まった。
効果はある。
レオンは再び距離を詰めた。
剣へ大量の魔力を流し、右脚へ斬りつける。
先ほどより深く刃が入った。
それでも、脚を切断するまでには至らない。
ゴーレムが身体を捻り、左腕を振るう。
未来を見ていたレオンは剣を引き抜き、後方へ跳んだ。
拳が氷の床を砕く。
ゴーレムの足が、本来の床へ触れた。
途切れていた魔力が再び流れ込み、右脚の傷が塞がっていく。
「面倒だな」
レオンは小さく呟いた。
動きは遅い。
攻撃も未来予知魔眼があれば避けられる。
だが、倒すための決定打がない。
身体全体を凍らせても、表面を氷が覆うだけだった。
関節へ氷を入り込ませれば動きを止められる。
しかし、ゴーレムが力を込めると内側から砕かれる。
剣へ流す魔力を増やせば、さらに深く斬ることは出来る。
それでも一撃で核へ届かなければ、傷はすぐに塞がった。
戦いは一時間以上続いた。
レオンの魔力は尽きない。
だが、身体の疲労までは消えなかった。
集中力も少しずつ落ちていく。
未来予知魔眼を使い続けた右目には、鋭い痛みが走っていた。
このまま戦い続けても、結果は変わらない。
レオンはゴーレムの攻撃を避け、部屋の入口近くにある帰還用の魔石へ手を触れた。
魔力を流す。
身体を白い光が包む。
次の瞬間、レオンは塔の入口へ戻っていた。
初めての挑戦で、到達したのは十五階。
だが、守護者を倒すことは出来なかった。
その三日後。
レオンは再びアストラリオンへ入った。
十階の転移碑から攻略を再開し、十五階へ向かう。
二度目は、ゴーレムの両脚を完全に氷で覆った。
動けなくなったところへ、胸部だけを狙って攻撃を集中させる。
だが、氷の内側を土が通り、破損した身体を再生した。
三度目は、ゴーレムを床から切り離すため、部屋全体へ分厚い氷を張った。
一時的に魔力の供給を遮断することには成功した。
しかし、ゴーレムは両腕で氷を叩き割り、再び床へ接触した。
四度目は、これまで以上の魔力を剣へ流した。
右腕を半ばまで斬り裂いた。
それでも切断には至らず、刃を引き抜いた直後から傷が塞がった。
レオンは四度、十五階から撤退した。
その度に戦い方を変えた。
だが、《金剛岩巨兵アダマント・ゴーレム》を倒す方法は見つからなかった。
五度目の挑戦を行う日の朝。
レオンがアストラリオンの入口へ向かうと、管理施設の前にカイルが立っていた。
足元には何もない。
ダンジョンへ入るための装備も身につけていなかった。
「どうしてここにいる?」
「また入るって聞いたから」
「誰に?」
「入口の職員に聞いたんだよ」
カイルはレオンの顔を見る。
以前の戦いで受けた傷は、回復魔法で既に塞がっている。
だが、右目の周囲には疲労が残っていた。
「四回も十五階で戻ってきたんでしょ?」
「ああ」
「今日も同じ相手と戦うの?」
「倒す方法を一つ思いついた」
「上手くいかなかったら?」
「また戻る」
「戻れなかったら?」
レオンは答えなかった。
未来を見ることが出来る。
魔力も尽きない。
それでも、絶対に死なないわけではない。
一度判断を間違えれば、ゴーレムの拳に潰される。
「僕も――」
カイルが言いかける。
だが、その先は続かなかった。
カイルが本来持っている四つの属性。
その中には、火属性も風属性も含まれている。
カイルが力を隠さずに戦えば、十五階の守護者を倒せる可能性はある。
だが、四属性を使える者は、レイン魔導国家第二王子カインしかいない。
レオンの前で使えば、自ら正体を明かすことになる。
カイルは、自分が同行するべきか迷っているようだった。
レオンも、カイルへ同行を求めなかった。
実力を隠した状態のカイルを、S級ダンジョンへ連れて行くことは出来ない。
無理に秘密を明かさせるつもりもなかった。
「必要ない」
レオンが言う。
「だが、魔鉱石は必ず持ち帰る」
「そういう心配だけをしてるんじゃないよ」
カイルが何かを言おうとした時だった。
「お前は、死にに行きたいのか?」
背後から女性の声が聞こえた。
レオンが振り返る。
青い髪。
黄色い瞳。
腰には魔法陣が刻まれた長剣。
S級パーティー《蒼天の戦乙女》のリーダー、アストリッドだった。
今日は仲間を連れていない。
一人で入口へ来たらしい。
「どうしてここにいる?」
レオンが尋ねる。
「協会本部で、お前が何度もアストラリオンへ入っていると聞いた」
「それで見に来たのか?」
「ああ。何度失敗しても一人で入り続ける馬鹿がいるとな」
アストリッドはレオンの装備へ視線を向ける。
「最初は、何か自棄になる理由でもあるのかと思った」
「自棄にはなっていない」
「なら、何をしている?」
「攻略だ」
「本気で最上階を目指しているのか?」
「ああ」
レオンは迷わず答えた。
アストリッドはしばらく黙っていた。
「何階まで進んだ?」
「十五階だ」
「十五階……」
アストリッドの目が僅かに見開かれる。
これまでアストラリオンへ挑戦したパーティーの多くは、十階へ到達する前に撤退している。
十五階へ辿り着いた記録は、決して多くない。
ましてや、レオンは一人だった。
「十五階の守護者を倒せない」
「どのような魔物だ?」
「土属性のゴーレムだ。周囲の土と魔力を吸い上げ、身体を硬化させている。傷つけてもすぐに再生する」
「氷では止められないのか?」
「一時的には止められる。だが、倒すまでには至らない」
アストリッドが僅かに考える。
「火で熱すればいい」
「俺も考えた」
岩や金属は、急激な温度変化に弱い。
火で十分に熱した後、レオンの氷魔法で一気に冷やす。
それを繰り返せば、硬い身体へ亀裂を入れられる可能性がある。
だが、レオンは火属性の魔法を使えない。
「風があれば、火力も高められる」
アストリッドが続ける。
「ゴーレムが纏う土や砂も吹き飛ばせる。再生を止めることは出来なくても、遅らせることは出来るはずだ」
アストリッドは、火属性と風属性の二つを持っている。
十五階の守護者を倒すために必要な属性だった。
「レン」
「何だ?」
「私も同行していいか?」
レオンはすぐに答えなかった。
アストリッドの実力は知っている。
《蒼天の戦乙女》を率いるS級冒険者。
火と風の魔法を扱う魔法剣士。
足手まといになることはない。
何より、アストリッドはリーヴァ村でレオンが無詠唱魔術を使うところを見ている。
彼女の前なら、無理に魔法を隠す必要もない。
それでも、レオンには確かめることがあった。
「目的は何だ?」
アストリッドは僅かに笑う。
「レンと相か――」
「断る」
「最後まで聞け」
アストリッドの笑顔が引きつる。
「少し傷つくぞ」
「相方になるつもりはない」
「だから、最後まで聞けと言っている」
アストリッドは呆れたように息を吐く。
「確かに、以前はお前と相方になれれば面白いと思っていた」
「なら断る」
「今の目的はそれではない」
アストリッドは、雲を突き抜ける塔を見上げる。
「誰も攻略していないS級ダンジョンを、攻略出来るかもしれない」
黄色い瞳が、再びレオンへ向けられる。
「お前は一人で十五階へ到達した。私が加われば、そこを越えられる可能性がある」
「それだけか?」
「冒険者が、誰も成し遂げていないことへ挑戦する。それだけでは足りないか?」
アストリッドの言葉に迷いはなかった。
自分の力が、どこまで通用するのか。
誰も辿り着いていない場所に、何があるのか。
それを自分の目で確かめたい。
冒険者として、純粋な理由だった。
「許可はあるのか?」
「以前、《蒼天の戦乙女》で十階まで入ったことがある。協会本部からの許可は今も有効だ」
「十五階には?」
「到達出来なかった」
アストリッドは素直に認めた。
「だが、あの時より私達は強くなった。それに今回は、お前がいる」
カイルがレオンの隣から口を開く。
「一緒に行った方がいいよ」
レオンがカイルを見る。
「十五階の魔物には、レンが使えない属性が必要なんでしょ?」
「ああ」
「なら、アストリッドさんと行くべきだよ」
カイルの表情には、僅かな悔しさが浮かんでいた。
自分が同行出来ないことを残念に思っている。
それでも、レオンの命を優先した。
レオンは改めてアストリッドを見る。
実力は十分。
必要な属性も持っている。
無詠唱魔術を隠す必要もない。
断る理由はなかった。
「分かった」
レオンが答える。
「同行を頼む」
アストリッドの表情が僅かに和らいだ。
「ああ。任せてくれ」
「ただし、相方にはならない」
「まだ言うのか?」
「大事なことだ」
「心配するな。今日のところは、攻略仲間で我慢しておく」
「今日のところは?」
「細かいことを気にするな」
アストリッドは楽しそうに笑った。
一人では越えられなかった十五階。
火属性と風属性を扱うアストリッド。
氷魔法と回復魔法を扱うレオン。
二人なら、《金剛岩巨兵アダマント・ゴーレム》を倒せる可能性がある。
レオンは再び、アストラリオンを見上げた。
五度目の挑戦。
だが、今度は一人ではない。
誰も最上階へ辿り着いたことのないS級ダンジョンへ、レオンとアストリッドの二人で挑むことになった。




