第360話 森に還る命
新しく現れた道を、レオンは慎重に進んでいた。
頭上では木々の枝が重なり、淡い光を遮っている。
周囲は先ほどまでよりも暗い。
背後を振り返っても、通ってきた道は既にない。
太い幹と絡み合った蔓が隙間なく並び、森の奥へ戻ることを拒んでいた。
レオンは幹へ剣を振るった。
刃が樹皮へ深く食い込む。
だが、引き抜いた直後から傷口が塞がり始めた。
周囲の枝も伸び、切り裂いた場所を覆っていく。
氷魔法で破壊することは出来る。
それでも、行く先も分からないまま森を壊して進めば、余計に道を見失う可能性がある。
「戻ることは考えない方がいいな」
レオンは前方へ向き直った。
《魔脈の片眼鏡》を通して見ると、地面の下を流れる魔力が一つの方向へ集まっている。
セルヴァリアの中心。
恐らく、最深部へ続く流れだ。
木々が道を変えても、魔力の流れまでは隠せない。
レオンは片眼鏡に映る魔力を頼りに進んだ。
しばらくすると、前方から水の流れる音が聞こえてきた。
木々の間を抜けた先に、赤い川が流れている。
水そのものが赤いわけではない。
川底に生える赤い苔によって、川全体が血のような色に見えていた。
第二の区画にある目印だ。
レオンは川岸へ近づいた。
流れは緩やかだが、底までは見えない。
片眼鏡を向けると、水中にも幾つもの魔力が動いていた。
魚に似た小さな反応。
川底を這う細長い反応。
そして、ほとんど動かない巨大な反応が一つ。
レオンは川から距離を取った。
協会の資料には、この川へ入った冒険者が何人も行方不明になったと記されている。
原作でも、水の中へ入れば魔物との戦闘が発生した。
わざわざ危険な場所へ足を踏み入れる必要はない。
レオンは川へ向けて右手を伸ばした。
水面が凍りつく。
氷は向こう岸まで伸び、一時的な橋を作った。
川底にいた魔力が一斉に動く。
巨大な何かが氷の橋へ向かって浮上してきた。
直後、氷の下から大きな口が突き出した。
何本もの牙が氷へ食い込む。
巨大な鰐に似た魔物。
背中には水草や赤い苔が生えている。
《沼潜鰐マーシュ・クロコダイル》。
魔物は氷を噛み砕こうと何度も顎を動かした。
レオンは氷の厚さを増す。
巨大な牙が氷へ食い込んでも、橋は壊れない。
「相手をする必要はない」
レオンは氷の橋を走り、対岸へ渡った。
背後でマーシュ・クロコダイルが水面から顔を出す。
だが、陸まで追ってくることはなかった。
魔物を倒すことが目的ではない。
必要のない戦闘を避けられるなら、その方がいい。
レオンが対岸へ渡り終えた直後、氷の橋を消す。
支えを失ったマーシュ・クロコダイルが水中へ落ち、大きな水飛沫を上げた。
川を越えてからも、森は何度も形を変えた。
真っ直ぐ続いていた道が閉じる。
何もなかった場所へ新しい道が現れる。
同じ形の木が並び、自分がどこを歩いているのか分からなくなる。
レオンは地図を使うことを諦めていた。
片眼鏡に映る魔力の流れ。
太陽のように見える光の位置。
通った場所へ残した小さな氷。
それらを使い、自分の進んだ方向だけを確かめていく。
だが、森は氷の目印すら利用した。
前方に、自分が作ったはずの氷が見える。
レオンは足を止めた。
「同じ場所へ戻されたのか?」
近づいて確認する。
木の根元に、小さな氷が残っている。
形も、込められた魔力量も同じだった。
間違いなく自分が作ったものだ。
だが、周囲の景色には見覚えがない。
レオンは氷の周辺を片眼鏡で確認した。
氷が付いている木の根から、細い魔力が地面へ伸びている。
その先を追うと、少し離れた場所に同じ魔力を持つ切断面があった。
「木ごと動かしたのか」
森は道だけを変えたのではない。
レオンが目印をつけた木を根元から移動させ、別の場所へ置いていた。
これでは、普通の目印は役に立たない。
レオンは木から氷を消した。
代わりに片眼鏡を使い、地面の奥にある魔力の太い流れを探す。
細い魔力は幾つも枝分かれしている。
だが、その全ては少しずつ中心へ集まっていた。
森の木々が動いても、地下深くにある魔脈までは動かない。
レオンは最も太い流れと同じ方向へ進むことにした。
どれほど歩いたのか。
頭上から差し込む光が弱くなり始めた。
本物の太陽ではなくても、セルヴァリアには昼と夜があるらしい。
レオンは休める場所を探した。
森の中で完全に安全な場所などない。
それでも、魔力の反応が少ない場所を選ぶことは出来る。
少し進むと、幹の内側が空洞になった大木が見つかった。
入口は狭い。
中は人が横になれるほど広かった。
レオンは周囲へ薄い氷を張り、何かが近づけば割れるようにする。
大木の中へ入り、アイテムバッグからパンと焼いた肉を取り出した。
火を使えば魔物を呼び寄せる可能性がある。
冷めたままの肉をパンに挟み、少しずつ食べた。
カイルの研究室へ持っていく物と、ほとんど変わらない。
「今頃は、また食事を忘れていそうだな」
一人で呟いてから、水を飲む。
食事を終えると、《清浄の護符ピュリファイ・チャーム》へ魔力を補充した。
幻香花の花粉を防いだことで、内部の魔力が減っている。
毒や麻痺を完全に無効化出来るわけではない。
最深部まで持たせるには、休める時に補充する必要がある。
レオンは大木の入口へ氷の壁を作った。
空気が通る程度の細い隙間だけを残す。
そのまま剣を抱えるようにして目を閉じた。
完全に眠るつもりはない。
僅かな音でも起きられるよう、浅く休む。
どれほど時間が経ったのか。
薄い氷が割れる音で、レオンは目を開けた。
すぐに剣を抜く。
大木の外から、何かが氷壁を叩いていた。
一度。
二度。
三度。
強い攻撃ではない。
助けを求めるような、弱い音だった。
「誰かいるのか?」
返事はない。
レオンは片眼鏡を装着し、氷壁の向こうを確認した。
人の形をした魔力が二つ。
その背後に、植物に似た魔力が重なっている。
レオンは氷壁の一部を透明に変えた。
外に立っていたのは、二人の冒険者だった。
一人は革鎧を身につけた男。
もう一人は、杖を持った女。
どちらも服が破れ、全身が泥に汚れている。
男が再び氷壁を叩いた。
「たす……けて……」
掠れた声だった。
レオンはすぐに壁を消さなかった。
二人の首から、蔓のようなものが伸びている。
背中には大きな赤い花が咲いていた。
目は開いている。
だが、焦点が合っていない。
片眼鏡に映る魔力も不自然だった。
人間の体内を流れている魔力より、背中に咲く花の方が強い。
「生きているのか?」
レオンの問いに、男の口が動く。
「たすけて……」
同じ言葉を繰り返すだけだった。
女も杖を持ち上げる。
その動きは遅く、人形を無理に動かしているように見えた。
杖の先にある魔法陣が光る。
レオンは横へ跳んだ。
直後、大木の内部へ炎が放たれた。
レオンは氷壁を作り、炎を防ぐ。
外にいた男が短剣を抜いた。
先ほどまでの弱々しい動きが消え、一気に氷壁へ斬りかかる。
「操られているのか」
二人の背中に咲いているのは、《操骸花パラサイト・フラワー》。
動物や人間の身体へ根を伸ばし、自由を奪う魔物だ。
原作にも登場した。
だが、ゲームでは魔物に寄生している姿しか見たことがない。
冒険者を操る描写はなかった。
レオンは氷壁を厚くし、二人の攻撃を防いだ。
助けられるのなら、殺すつもりはない。
背中の花だけを取り除けば、意識を取り戻す可能性がある。
片眼鏡で、花から伸びる魔力を追う。
蔓は背中から体内へ入り、全身へ広がっていた。
心臓。
腕。
脚。
そして頭部。
花の根は、身体の隅々まで入り込んでいる。
レオンは男の顔を見た。
肌に血の気がない。
胸も動いていなかった。
女も同じだ。
呼吸をしていない。
身体の中には魔力が流れている。
だが、それは二人の魔力ではない。
背中の花が流している魔力だった。
「もう、死んでいるのか」
男と女は既に命を失っている。
パラサイト・フラワーが根を通して魔力を送り、遺体を動かしているだけだった。
男が再び氷壁へ短剣を振り下ろす。
レオンは壁の一部を消した。
同時に男の足元を凍らせる。
続けて女の杖を氷で覆い、魔法陣を使えなくした。
二人の動きが止まる。
だが、背中の花から伸びた蔓が地面へ潜り込んだ。
森の魔力が花へ流れ込む。
男の足を覆っていた氷へ亀裂が入る。
レオンは二人ではなく、地面へ剣を突き立てた。
周囲一帯が凍りつく。
土の中へ伸びていた根も凍り、森から花へ流れていた魔力が途切れた。
二人の動きが鈍る。
レオンは背後へ回り込み、赤い花だけを斬り落とした。
花が地面へ落ちる。
それでも、身体の中に残った根が動いていた。
男の腕が不自然に曲がり、短剣をレオンへ向ける。
レオンは腕を掴み、その場へ倒した。
女の身体も氷で拘束する。
そのまま体内へ残る根を全て凍らせた。
二人の動きが完全に止まった。
森に、静けさが戻る。
レオンは氷を消し、男の首元へ指を当てた。
やはり脈はない。
身体も既に冷たかった。
助けることは出来ない。
レオンは二人の首から冒険者証を外した。
文字は汚れていたが、名前と階級は読み取れる。
二人ともA級冒険者だった。
いつセルヴァリアへ入ったのかは分からない。
協会の記録を確認すれば、家族や仲間が見つかるかもしれない。
レオンは二人の目を閉じさせた。
「持ち帰れるのは、これだけだ」
冒険者証を布へ包み、アイテムバッグへ収める。
遺体をそのまま入れることには抵抗があった。
二人を並べて横たえ、周囲を厚い氷で覆う。
少なくとも、別の魔物に利用されることはない。
氷がいつまで残るかは分からない。
それでも、何もしないよりはよかった。
少しでも長く、溶けないように思いを込めた。
レオンは休憩を切り上げ、森の奥へ進んだ。
区画を進むほど、魔物の数は増えていった。
蔓を鞭のように振るう花。
幹へ擬態し、近づいた獲物へ枝を突き刺す魔物。
傷つくと地面へ根を伸ばし、森から魔力を吸い上げる獣。
どの魔物にも共通していることがあった。
森から魔力を受け取っている間は、傷を負っても再生する。
だが、地面へ伸ばした根を凍らせれば、再生は止まる。
魔物そのものへ強力な攻撃を放つ必要はない。
森とのつながりを断てばいい。
その仕組みが分かってから、戦闘は楽になった。
レオンは地面を凍らせ、魔物への魔力供給を止める。
動きが鈍ったところを剣で倒す。
魔力の消費も抑えられる。
原作では、セルヴァリアの魔物には炎属性の魔法が有効だった。
炎で身体と根を同時に焼き、再生出来なくするためだ。
レオンは炎属性を持っていない。
だが氷でも、魔力の流れを止めることは出来る。
ゲームで使えなかった方法が、現実では通用する。
反対に、ゲームにはなかった危険も存在する。
どちらか一方の知識だけを信じるべきではない。
さらに幾つかの区画を越えた時、森が途切れた。
目の前には、広い湿地が広がっている。
泥の中から枯れた木が何本も伸びていた。
遠くには、巨大な青い花が咲いている。
第三の区画にあると記されていた目印だ。
しかし、ここまでに通った区画の数を考えれば、既に第三の区画ではない。
「目印まで移動させるのか」
森が木々を移動させるのであれば、巨大な花を別の区画へ運ぶことも不可能ではない。
協会の資料をそのまま信じれば、現在地を誤る。
レオンは片眼鏡へ意識を集中させた。
青い花の下。
湿地の奥深く。
そこから、これまでとは比較にならないほど大きな魔力が近づいてくる。
泥の表面が盛り上がった。
大量の泥と水を押し退け、巨大な腕が現れる。
続いて頭。
肩。
胴体。
泥の中から立ち上がったのは、巨大な猿型の魔物だった。
全身を厚い樹皮が覆っている。
背中からは一本の大木が生え、枝には無数の葉がついていた。
《樹甲大猿フォレスト・ギガント》。
魔物が両腕を地面へ叩きつける。
衝撃で湿地の泥が跳ね上がった。
レオンは横へ跳び、飛んできた泥を避ける。
フォレスト・ギガントが腕を振るう。
人間の胴体ほどもある太い腕。
受け止めれば、剣ごと吹き飛ばされる。
レオンは未来予知魔眼を使った。
右目に、数秒先の光景が映る。
右から振るわれる腕。
それを避けた先へ、左腕が叩きつけられる。
レオンは未来で見た場所とは反対へ走った。
巨大な拳が地面へ沈む。
その腕へ剣を振り下ろした。
厚い樹皮が裂ける。
だが、傷口から枝が伸び、すぐに塞がっていく。
フォレスト・ギガントの足元から無数の根が泥の中へ伸びていた。
森から流れ込む魔力も、これまでの魔物とは比較にならない。
「まずは、根を止める」
レオンは湿地へ手を向けた。
泥の表面が凍り始める。
氷はフォレスト・ギガントの足元まで広がり、泥の中にある根を凍らせた。
だが、全てではない。
魔物の背中に生えた大木からも、枝が周囲の木へ伸びている。
枝と枝が絡まり、そこからも魔力を受け取っていた。
フォレスト・ギガントが咆哮する。
氷に覆われた足を強引に持ち上げた。
分厚い氷が砕け散る。
レオンへ向かって突進してくる。
巨体とは思えない速さだった。
レオンは未来視で進路を読み、直前で横へ跳んだ。
フォレスト・ギガントが背後の木へ激突する。
大木が根元から折れた。
その間に、レオンは魔物の背後へ回る。
背中の大木へ向けて氷柱を放つ。
一本。
二本。
三本。
氷柱が周囲の木とつながっていた枝を貫き、そのまま凍らせる。
フォレスト・ギガントが腕を振り回した。
レオンは距離を取り、さらに氷を広げる。
周囲から伸びていた枝が全て凍りつく。
森から魔物へ流れていた魔力が途切れた。
それでも、フォレスト・ギガントの身体には大量の魔力が残っている。
完全に動きを止めるまで待つことは出来ない。
レオンは剣へ魔力を流した。
フォレスト・ギガントが振り返る。
巨大な腕が振り下ろされる。
未来視で軌道を読み、紙一重で躱す。
腕が地面へ沈んだ瞬間、レオンはその上へ飛び乗った。
腕から肩へ。
肩から背中へ駆け上がる。
フォレスト・ギガントが身体を揺らす。
振り落とされる前に、レオンは背中の大木へ剣を振り下ろした。
大量の魔力を流した刃が、大木を根元から切断する。
青い液体が噴き出した。
フォレスト・ギガントが絶叫する。
背中から切り落とされた大木の下に、緑色の石が埋まっていた。
片眼鏡を通さなくても分かるほど、強い魔力を放っている。
魔物の核。
森から受け取った魔力を蓄え、全身へ送り込む部分だった。
レオンは剣を突き立てた。
核へ亀裂が走る。
もう一度、剣へ魔力を流す。
緑色の石が砕け散った。
フォレスト・ギガントの身体から力が抜ける。
レオンは背中から飛び降りた。
直後、巨体が湿地へ倒れ込む。
大量の泥と水が周囲へ飛び散った。
レオンは氷壁を作り、泥を防いだ。
倒れたフォレスト・ギガントは動かない。
傷ついた樹皮も再生しなかった。
核を失ったことで、身体へ魔力を送れなくなったらしい。
「森とのつながりを断っても、体内に魔力が残っていれば動ける」
レオンは砕けた核を見る。
「完全に倒すには、最後に核を壊す必要があるのか」
最深部のボスも、同じ仕組みを持っている可能性が高い。
森から魔力を吸い上げる根。
体内へ魔力を送り込む核。
その両方を止めなければ、何度でも再生する。
レオンはフォレスト・ギガントから素材を切り取った。
樹皮に覆われた爪。
背中に生えていた大木の一部。
砕けずに残った核の欠片。
素材をアイテムバッグへ収める。
その後、湿地の端に露出していた岩を見つけた。
岩の中には、淡い緑色の鉱石が混じっている。
片眼鏡を向けると、地下を流れる魔脈とつながっていた。
レオンは採取用の道具を取り出す。
魔鉱石を岩や土ごと切り出し、カイルから預かった箱へ収めた。
「この辺りの物も、持ち帰っておくか」
最下層の魔鉱石とは別に、途中の区画で採れた物も比較に使える。
箱をアイテムバッグへ戻し、レオンは周囲を確認した。
フォレスト・ギガントが倒れたことで、湿地の奥に道が現れている。
木々が左右へ動き、石造りの階段を露出させていた。
階段の先には、巨大な蔓で覆われた門がある。
門の中央には、十四枚の葉を持つ紋章が刻まれていた。
そのうち十三枚が淡く光っている。
レオンが近づくと、残る一枚も光を放った。
十五の区画。
そのうち十四を越えた者だけが、最後の区画へ入ることを許される。
蔓がゆっくりと動き、門の中央が開いていく。
その奥から流れてきた魔力に、レオンは足を止めた。
片眼鏡の視界が、緑色の光で埋め尽くされる。
これまでに遭遇した魔物とは、魔力量が違い過ぎる。
森全体を流れていた魔力が、門の奥へ集まっていた。
《還命樹海セルヴァリア》の最深部。
そこに、この森の中心がいる。
レオンは剣を握り直した。
門の向こうから、地面を揺らす低い音が響いた。




