第359話 生きている森
《還命樹海セルヴァリア》の門を通り抜けた瞬間、背後から重い音が響いた。
レオンが振り返る。
巨大な石造りの門は既に閉じていた。
中央に埋め込まれた魔石からも、先ほどまでの光が消えている。
外へ戻るには、入口の魔石へ再び回復魔法を流す必要があるのか。
それとも、最奥にある転移魔法陣を使うしかないのか。
協会の資料にも、途中で脱出する方法までは記されていなかった。
「進むしかないか」
レオンは前方へ視線を戻した。
そこには、入口からは想像出来ないほど広大な森が広がっていた。
頭上を覆う巨大な木々。
幹の太さは、レオンが両腕を広げても到底届かない。
葉の隙間から淡い光が差し込み、地面には背の低い草や色鮮やかな花が生えている。
空があるように見える。
だが、ここはダンジョンの内部だ。
遥か上に見える青空も、本物とは限らない。
湿った土の匂い。
葉が風に揺れる音。
遠くから聞こえる鳥の鳴き声。
何も知らずに入れば、普通の森だと思ったかもしれない。
だが、レオンは腰の剣から手を離さなかった。
《還命樹海セルヴァリア》
十五の区画で構成されたA級ダンジョン。
階段を下りて進むグランヴァンとは異なり、区画ごとの境界は森の中に存在する。
木々が動き、道が変わる。
同じ場所を進んでいるつもりでも、気づけば元の場所へ戻される。
協会の資料には、そう記されていた。
原作でも、セルヴァリアの道は一定ではなかった。
ゲーム画面では、一定時間が経過する度に進める道が変化する仕組みだった。
だが、実際にどのような形で道が変わるのかまでは分からない。
レオンはアイテムバッグから協会で写した地図を取り出した。
地図に記されているのは、過去に冒険者達が確認した道だけだ。
それぞれの記録で道の形が異なり、正しい地図と呼べるものではない。
それでも、各区画に存在する目印は共通していた。
第一の区画にある、二本の白い巨木。
第二の区画を流れる赤い川。
第三の区画に咲く、巨大な青い花。
それらを一つずつ確認しながら進む必要がある。
レオンは地図を戻し、右目へ《魔脈の片眼鏡》を装着した。
周囲の景色が僅かに変わる。
木の幹。
地面を覆う草。
土の下へ伸びる根。
森に存在するあらゆるものへ、淡い魔力が流れていた。
魔力の流れは地面の奥から伸び、樹木を通って枝葉へ送られている。
森全体が、一つの巨大な生物のようにつながっていた。
「これが、セルヴァリアの魔脈か」
グランヴァンで見た魔力とは違う。
あちらでは岩や魔鉱石の中を、太い魔力が流れていた。
この森では、魔脈から伸びた魔力が木々や草花へ分け与えられている。
レオンは近くの木へ手を触れた。
僅かに樹皮が動いたような気がして、すぐに手を離す。
その瞬間だった。
足元の土が盛り上がる。
レオンは後ろへ跳んだ。
地面から何本もの根が飛び出し、先ほどまで立っていた場所へ突き刺さった。
一本一本が、人の腕ほどの太さを持っている。
根は獲物を探すように地面を這い、レオンへ向かって伸びてきた。
レオンは剣を抜く。
迫ってきた根を切り払う。
地面へ落ちた根が、まるで蛇のように動いた。
さらに切断された場所から、新しい芽が伸び始める。
「再生しているのか」
二本。
三本。
切り落とす度に、残った根の先から新たな根が伸びる。
剣だけで全てを切っていては、きりがない。
レオンは地面へ右手を向けた。
根の表面が白く凍りつく。
氷は根を伝い、その先にある木の幹まで一気に広がった。
完全に凍りついた根が動きを止める。
レオンが剣で軽く叩くと、根は音を立てて砕け散った。
凍った断面から、新しい芽が伸びることはなかった。
「凍らせれば、再生は止められる」
魔力の流れも途切れている。
片眼鏡で確認すると、木から根へ流れていた魔力が、凍結した場所で止まっていた。
この森にいる魔物も、同じように再生する可能性がある。
倒したと思っても、油断は出来ない。
レオンは周囲を警戒しながら進んだ。
第一の区画は、比較的歩きやすい道が続いている。
地面から伸びる根に注意すれば、大きな問題はなかった。
しばらく進むと、前方に二本の白い巨木が見えてきた。
協会の資料に記されていた目印だ。
二本の巨木の間には、人が三人並んで通れるほどの隙間がある。
その先には、さらに深い森が続いていた。
「ここを抜ければ、第二の区画か」
レオンが巨木へ近づいた時、左側の茂みが揺れた。
剣を構える。
姿を現したのは、狼型の魔物だった。
身体は樹皮のような硬い皮膚に覆われ、背中から何本もの細い枝が伸びている。
一体ではない。
右側の茂み。
木の陰。
背後。
次々と同じ魔物が姿を現す。
数は八体。
《再生樹狼リジェネ・ウルフ》
セルヴァリアの浅い区画に生息する魔物だ。
一体が低く唸る。
それを合図に、左右から二体が飛びかかってきた。
レオンは身体を横へずらし、最初の一体を躱す。
二体目の爪を剣で受け流し、その首を斬り落とした。
頭部が地面へ転がる。
胴体もその場へ倒れた。
だが、切断された首の断面から細い根が伸び始めた。
頭部と胴体の両方から根が伸び、互いを探すように地面を這う。
レオンはすぐに氷柱を放った。
氷柱が頭部を地面へ縫い止め、そのまま全体を凍らせる。
頭部から伸びていた根が動きを止めた。
残された胴体からも、新しい頭が作られようとしている。
レオンは胴体も凍らせた。
やはり再生は止まった。
「首を落としただけでは死なないのか」
残りのリジェネ・ウルフが一斉に飛びかかってくる。
レオンは地面を蹴った。
最初の一体の爪を躱し、その胴体を斜めに切り裂く。
続けて後方から迫った一体へ氷柱を放つ。
氷柱が前脚を貫き、身体ごと地面へ固定した。
動きを止めた個体を、足元から凍らせる。
ほかの個体も剣で傷つけるだけでは倒せない。
切り裂かれた場所から根や枝が伸び、傷を塞いでいく。
レオンは片眼鏡越しに魔物達を見た。
全身へ流れる魔力。
それとは別に、地面からも細い魔力が伸びている。
リジェネ・ウルフの足元から生えた根が、土の中へ入り込んでいた。
森から魔力を受け取り、身体を再生させている。
レオンは剣を地面へ突き刺した。
周囲の土が一瞬で凍りつく。
地中へ潜っていた根も凍り、森からリジェネ・ウルフへ流れていた魔力が途切れた。
直後、傷ついた個体の動きが鈍る。
再生も止まっていた。
レオンは一気に踏み込む。
剣が一体の胴体を切り裂く。
返す刃で、隣にいた個体の首を落とす。
離れた位置にいる二体へ氷柱を放ち、身体を貫いた。
森からの魔力を断たれたリジェネ・ウルフは、もう傷を塞ぐことが出来ない。
残った二体が背を向けた。
逃げるつもりらしい。
だが、二体が向かったのは森の奥ではなかった。
レオンを挟むように左右へ分かれ、茂みへ姿を消す。
片眼鏡には、茂みの向こうを進む魔力が見えていた。
片方が正面へ回り込む。
もう片方は背後から狙っている。
「逃げたふりか」
レオンは振り返らなかった。
背後の茂みが揺れた瞬間、地面から氷壁を作る。
飛び出したリジェネ・ウルフが氷壁へ激突した。
同時に正面から現れた個体へ剣を振るう。
胴体を切り裂き、傷口を凍らせる。
背後の一体も氷壁と共に凍らせた。
周囲から魔物の気配が消える。
レオンはすぐに剣を収めず、片眼鏡で森を確認した。
地面の下には無数の魔力が流れている。
木々の中にも、小さな魔力が幾つも存在する。
その全てが魔物なのか、ただの植物なのかまでは判別出来ない。
カイルであれば、魔力の動きからさらに詳しく分かったかもしれない。
だが今のレオンには、この片眼鏡がある。
魔力感知が苦手でも、目で見れば流れを追うことは出来る。
しばらく待っても、ほかの魔物が近づく様子はなかった。
レオンは凍らせたリジェネ・ウルフの一体へ近づいた。
協会へ提出するため、枝のように伸びた牙と、樹皮に覆われた爪を切り取る。
素材を袋へ入れ、それから周囲に誰もいないことを確認した。
アイテムバッグを開き、素材の入った袋を中へ収める。
続いて水筒を取り出し、少しだけ水を飲んだ。
カイルが一緒にいれば、こうしてアイテムバッグを使うことも出来なかった。
セルヴァリアでは食料も水も多く必要になる。
背負い袋だけで全てを持ち運べば、戦闘の邪魔にもなる。
一人で来たことは、結果として正しかった。
レオンは水筒を戻し、二本の白い巨木の間を通り抜けた。
第二の区画へ入った瞬間、空気が変わる。
先ほどまで聞こえていた鳥の鳴き声が消えた。
代わりに、甘い花の香りが漂ってくる。
片眼鏡越しに見ると、空気中へ薄い魔力が広がっていた。
レオンはすぐに口元を布で覆った。
胸元に下げた《清浄の護符ピュリファイ・チャーム》が淡く光る。
護符に蓄えられた魔力が減り始めた。
毒。
麻痺。
眠り。
幻覚。
そのいずれかが、空気の中へ混じっている。
レオンは甘い香りが流れてくる方向を確認した。
少し離れた場所に、淡い紫色の花が咲いている。
人の頭ほどもある大きな花。
周囲には同じ花が幾つも並んでいた。
《幻香花ミラージュ・ブルーム》
花粉を吸い込んだ者へ幻を見せる魔物。
原作にも登場した。
ゲームでは、状態異常を防ぐ装備がなければ進行方向が分からなくなり、同じ場所を何度も歩かされる。
「カイルの護符がなければ、危なかったな」
完全に防げるわけではない。
長く花粉の中へいれば、護符に蓄えられた魔力が尽きる。
レオンは花へ向かって氷を伸ばした。
ミラージュ・ブルームの根元が凍りつく。
花弁が閉じ、空気中へ広がっていた魔力が少しずつ薄れていった。
周囲に咲く花も同じように凍らせていく。
全ての花が閉じると、甘い香りも消えた。
レオンは口元の布を外す。
護符へ残っている魔力を確認すると、まだ半分以上あった。
今のうちに補充しておいた方がいい。
レオンは護符を掌へ載せ、ゆっくりと魔力を流した。
一度に大量の魔力を注げば、内部の魔法陣が壊れる。
カイルから言われた通り、少しずつ流す。
護符の光が戻るまで、予想以上に時間がかかった。
その間も、レオンは片眼鏡で周囲を警戒し続けた。
魔物が近づく様子はない。
だが、地面の下を流れる魔力が動いている。
先ほどまで右へ流れていた魔力が、少しずつ左へ向きを変えていた。
レオンは補充を終え、顔を上げる。
目の前にあったはずの道が消えていた。
左右から木々が動き、幹と枝が道を塞いでいる。
代わりに、先ほどまで木が並んでいた場所へ新しい道が出来ていた。
音もなく。
レオンが護符へ魔力を流している短い間に、森の形そのものが変わっていた。
「これが、道が変わるという意味か」
原作の地図では、一定時間が経過すると通れる道が切り替わっていた。
ゲームでは、画面上の仕掛けに過ぎなかった。
だが、現実のセルヴァリアでは違う。
木々が自ら動き、侵入者の進路を変えている。
レオンは新たに現れた道へ片眼鏡を向けた。
地面の下を流れる魔力は、その奥へ続いている。
協会の地図には存在しない道だった。
この先が第三の区画へ続いている保証はない。
それでも立ち止まっていれば、再び森の形が変わる。
レオンは剣の柄へ手を置き、新しく現れた道へ足を踏み入れた。
その背後で木々が静かに動き、来た道を完全に塞いだ。




