第356話 奴隷になる前の価値
翌朝。
レオンはミストレアの南門前にある広場へ向かった。
早朝にもかかわらず、広場には何台もの荷馬車が並んでいる。
王国へ向かう商隊。
魔導国家南部で採れた薬草を運ぶ商人。
地方の町へ魔法具を届ける荷馬車。
御者や商人達が声を掛け合い、出発の準備を進めていた。
レオンが護衛する商隊は、四台の荷馬車で構成されている。
積み荷は魔法具、薬草、保存食。
目的地は、ミストレアから南に五日ほど進んだ場所にある交易都市だった。
「貴方が、今回の護衛を引き受けてくださったレンさんですか?」
声を掛けてきたのは、四十代ほどの男性だった。
茶色い髪を後ろへ撫でつけ、紺色の上着を身につけている。
腰には小さな革袋と、商人協会の登録証が下げられていた。
「ああ」
「私は今回の商隊を取りまとめているハーゼンと申します。よろしくお願いいたします」
「レンだ。こちらこそよろしく頼む」
ハーゼンは差し出された冒険者証を確認する。
そこに記されたB級の文字を見た後、レオンの顔へ視線を戻した。
「随分とお若いのですね」
「よく言われる」
「失礼ですが、商隊の護衛経験は?」
「ない。今回が初めてだ」
レオンが正直に答えると、ハーゼンの表情に僅かな不安が浮かんだ。
だが、冒険者証へ書かれた名前を見直し、何かに気づいたように目を見開く。
「レン……もしや、《氷壁》と呼ばれている方ですか?」
「その二つ名で呼ぶ者もいる」
「A級ダンジョンを単独で攻略し、リーヴァ村でも盗賊団を討伐されたと伺っています」
噂が広まるのが早い。
リーヴァ村から戻って、まだ数日しか過ぎていない。
それでも、既に商人の耳へ入っているらしい。
「戦う力については、心配していません」
ハーゼンが言う。
「ですが、今回は魔獣の討伐ではなく護衛です。危険があった場合は、魔獣を倒すことよりも人と荷物を守ることを優先してください」
「ああ。分かっている」
「逃げる魔獣を無理に追う必要もありません。荷馬車から離れた隙に、別の魔獣が襲ってくる可能性もありますから」
ギースからも同じような話を聞いている。
依頼の目的は敵を倒すことではない。
商人と積み荷を、目的地まで無事に送り届けることだ。
「依頼内容に従う」
レオンが答えると、ハーゼンは安心したように頷いた。
「それでは、よろしくお願いいたします」
四台の荷馬車が、ミストレアを出発する。
先頭の荷馬車にはハーゼン。
二台目と三台目には、魔法具と薬草。
最後尾の荷馬車には保存食が積まれている。
レオンは借りた馬に乗り、商隊の周囲を警戒しながら進んだ。
ミストレアを離れるにつれ、道を行き交う人の数は少なくなっていく。
街道自体は整備されているが、左右には広い草原や森が広がっている。
魔獣が姿を現しても、不思議ではない場所だった。
一日目は何も起こらなかった。
夕方には街道沿いの宿場町へ到着し、商隊はそこで一夜を過ごした。
二日目も、大きな問題はなかった。
だが三日目の昼。
商隊が背の高い草に囲まれた街道を進んでいると、レオンは草むらが不自然に揺れることに気づいた。
馬が落ち着かない様子で鼻を鳴らす。
「止まれ」
レオンが右手を上げる。
先頭を走る荷馬車が速度を落とし、後ろの三台も続いて止まった。
「何かありましたか?」
ハーゼンが御者台から尋ねる。
「草むらに何かいる」
レオンは馬から降り、腰の剣へ手を掛けた。
次の瞬間、街道の両側から魔獣が飛び出してきた。
緑色の毛を持つ狼型の魔獣。
《グラスウルフ》
体毛が草原の色と似ているため、身を伏せれば見つけることが難しい。
数は十二体。
左右から商隊を挟むように現れた。
馬達が怯え、荷馬車が大きく揺れる。
「馬を落ち着かせろ!」
ハーゼンが御者達へ指示を出す。
レオンは荷馬車と魔獣の間へ立った。
指輪に魔力を注ぎ、指輪が光る。
街道の左右から氷が伸びた。
レオンが作ったのは、グラスウルフを攻撃するための氷柱ではない。
荷馬車へ近づけないための壁だった。
二枚の氷壁が街道の両側を塞ぎ、商隊を守る。
飛びかかった一体が氷壁へ身体をぶつけた。
続いて別の個体が壁を回り込み、先頭の馬へ襲いかかろうとする。
レオンは剣を抜いた。
一歩で距離を詰め、横薙ぎに振るう。
グラスウルフが地面へ倒れる。
反対側から回り込んだ二体へ、細い氷柱を放つ。
一本目は前脚。
二本目は胴体へ突き刺さった。
仲間が倒されたことで、残りのグラスウルフが足を止める。
レオンが視線を向けると、数体が草原の奥へ逃げ始めた。
「追わなくてよろしいのですか?」
ハーゼンが尋ねる。
「必要ない」
「しかし、再び襲ってくるかもしれません」
「俺の依頼は、グラスウルフの討伐ではない」
レオンは周囲を警戒したまま答える。
「商隊の護衛だ。荷馬車から離れる必要はない」
逃げる魔獣を全て倒すことは出来る。
だが、その間に別の群れが現れれば、商人達を危険へ晒すことになる。
必要なのは、倒した数ではない。
目的地まで無事に届けることだ。
レオンが追ってこないと分かると、残っていたグラスウルフも草原の奥へ姿を消した。
しばらく待っても、戻ってくる様子はない。
「先へ進める」
レオンが氷壁を消す。
商人達は周囲を確認した後、再び荷馬車を動かし始めた。
「噂を聞いた時は、魔獣を見つけたら全て倒す方なのかと思っていました」
ハーゼンが言う。
「必要なら倒す」
「必要でなければ?」
「追わない」
「それなら、安心して背中を預けられます」
レオンには、その言葉の意味が少しだけ分かるようになっていた。
強さだけでは信用されない。
自分の力を、何のために使うのか。
それを間違えないことも、冒険者には必要だった。
四日目の午後。
空を厚い雲が覆い始めた。
間もなく雨が降り出し、乾いていた街道が泥へ変わっていく。
商隊は速度を落とし、慎重に進んでいた。
街道の先には、小さな川へ架けられた木造の橋が見える。
橋を渡り始めた時だった。
二台目の荷馬車から、木材の砕ける音が響いた。
「止めろ!」
御者が声を上げる。
右側の車輪が傾き、荷馬車が大きく揺れた。
積まれていた木箱が一つ、荷台から落ちかける。
レオンは馬から飛び降りた。
荷馬車の下へ右手を向ける。
地面から伸びた氷が車体を支え、傾いていた荷馬車を元の位置へ押し戻した。
「車輪を確認しろ」
御者と商人達が荷馬車へ集まる。
車輪そのものではなく、車輪と車体をつなぐ車軸の一部が折れていた。
予備の部品はある。
だが、交換には時間がかかる。
雨によって視界も悪くなり始めていた。
「街道の途中で止まり続けるのは危険です」
ハーゼンが周囲を見回す。
「血の匂いはありませんが、先ほどのグラスウルフとは別の魔獣が近づく可能性もあります」
「修理には、どれくらいかかる?」
「一時間ほどです」
レオンは橋の先まで歩き、周囲を確認した。
森の中から魔獣が現れた場合、逃げる場所は少ない。
橋の上では、荷馬車を動かすことも難しい。
レオンは街道の両側へ手を向けた。
地面から氷が伸びる。
一枚。
二枚。
三枚。
荷馬車を取り囲むように、次々と氷壁が作られていく。
最後に橋の後方も塞ぎ、修理中の商隊を四方から守る。
壁には外の様子を確認するための細い隙間を残した。
「これなら、魔獣が近づいてもすぐに分かる」
商人達は、自分達を囲む氷壁を見上げた。
人の背丈を遥かに超える壁。
雨に濡れながらも溶ける様子はない。
「これが、《氷壁》ですか」
ハーゼンが呟く。
「必要なら、もっと高く出来る」
「いえ、十分です」
ハーゼンは小さく笑った。
「噂では、どれほど優れた女性やパーティーに誘われても、全て断るから《氷壁》と呼ばれていると聞きました」
「間違ってはいない」
「ですが、本当は違う意味なのかもしれませんね」
「違う意味?」
「貴方の氷は、こうして人を守るための壁になる」
ハーゼンは、修理を進める仲間達へ視線を向ける。
「護衛される側からすれば、これほど心強い壁はありません」
レオンは氷壁へ目を向けた。
最初に二つ名がついた理由は、アストリッドや女性冒険者達からの誘いを断ったからだ。
それを聞いた時は、好きに呼べばいいと思っていた。
だが、人を守る壁という意味なら、悪くないように思えた。
一時間ほどで車軸の交換が終わった。
その間、魔獣が姿を現すことはなかった。
レオンは氷壁を消し、商隊は橋を渡り切った。
雨は夜まで続いた。
一行は街道沿いにある野営地へ入り、そこで夜を過ごすことになった。
積み荷へ防水用の布を掛け、荷馬車を円形に並べる。
中央へ焚き火を作り、交代で見張りを行う。
夕食を終えた後、レオンは焚き火の前に座るハーゼンへ近づいた。
「少し聞きたいことがある」
「私に分かることであれば」
ハーゼンが隣の丸太を示す。
レオンはそこへ腰を下ろした。
焚き火の周囲には何人かの商人がいるが、皆少し離れた場所で休んでいる。
会話を聞かれる心配は少ない。
「ハーゼンは、王国でも商売をしたことがあるのか?」
「何度かあります。王都までは行ったことがありませんが、国境に近い町で魔法具を売ったことはあります」
「王国の奴隷制度についても知っているか?」
ハーゼンが僅かに眉を動かした。
「詳しいとは言えませんが、商人として必要な程度には」
「王国では、まだ罪を犯していない人間の奴隷としての価値が、事前に調べられることはあるのか?」
ハーゼンはすぐに答えなかった。
レオンの質問の意図を考えるように、焚き火へ視線を向ける。
「魔導国家であれば、珍しいことではありません」
「王国の話を聞いている」
「二つの国では、奴隷制度が大きく異なるためです」
ハーゼンは声を落として説明を始めた。
魔導国家では、犯罪奴隷以外の奴隷も認められている。
借金を返せなくなった者。
契約に違反し、違約金を支払えなかった者。
自らの意思で身を売った者。
保護者や家族によって売られる者。
理由は様々だった。
売却されることが決まっていれば、奴隷として登録される前に、その人物の価値が調べられることもある。
「ですが、王国で認められているのは犯罪奴隷だけです」
ハーゼンが続ける。
「裁判を受け、犯罪奴隷として登録されていない者は、正規の市場では売買出来ません」
「年齢や容姿、属性、身分から、奴隷になった場合の価格が予測されていたとしてもか?」
ハーゼンの表情が変わった。
先ほどまでの説明とは違う。
慎重に言葉を選ぶように、少しの沈黙を置く。
「それは査定ではありません」
「なら、何だ?」
「その人間を、いずれ奴隷として売るつもりの者が作った資料でしょう」
ハーゼンは焚き火へ小枝を投げ入れた。
小さな火の粉が夜空へ舞い上がる。
「捕らえた時に、誰を優先して売るべきか。どこへ運べば、どれほどの利益が出るのか。それを決めるための資料です」
「そのような人間は、どこへ売られる?」
「正規の市場には出せません」
ハーゼンは周囲を確認してから、さらに声を落とした。
「偽造した書類を用意し、犯罪奴隷に見せかけることもあるでしょう。それが難しければ、身元を隠して闇の競売へ流します」
「闇の競売」
「魔導国家にも、そのような取引を行う者達がいると聞いたことがあります」
ハーゼン自身が見たわけではない。
商人同士の噂として耳にしただけだという。
それでも、複数の町で似た話を聞いたことがある。
「まだ奴隷ではない者へ先に値段をつけ、手に入った時に売る場所まで決めておくそうです」
「国内で売るのか?」
「身分の低い者であれば、偽造した書類で売ることも出来るでしょう。ですが、貴族や有名な商人の家族では難しい」
「顔を知られているからか」
「それもあります。捜索されれば、どこから流れてきたのか調べられる可能性もあります」
「なら、どうする?」
「国外へ運びます」
ハーゼンは迷わず答えた。
「名前を変え、身元を示す物を全て捨てさせる。川や海を使って遠い国へ送り、そこで別の奴隷商人へ売るそうです」
国境を一つ越えるだけでも、追跡は難しくなる。
言葉も制度も異なる国へ運ばれれば、元の身分を証明することはさらに困難になる。
特に幼い子供なら、数年後には容姿も変わる。
髪の色を魔法具で変えることも出来る。
本人が出身を訴えても、奴隷が自由を得るために嘘をついていると判断されることも多い。
「どうして、そのようなことを聞くのですか?」
ハーゼンが尋ねる。
レオンは僅かに考えた。
クラリスの名前。
公爵令嬢という身分。
全属性への高い適性。
その全てを話すつもりはない。
「リーヴァ村にいた盗賊団が、奴隷取引に関わっていた」
嘘ではない範囲で答える。
「まだ奴隷ではない者の価値まで調べていた形跡がある。それが普通のことなのか、確かめたかった」
「そういうことでしたか」
ハーゼンは納得したように頷いた。
「リーヴァ村は川と海の両方を利用出来る場所だと聞いています」
「ああ」
「もし盗賊達が人を国外へ運ぼうとしていたのであれば、都合のよい場所だったのでしょう。川を使って村へ運び、そこから船を替えて海へ出られますから」
盗賊団がリーヴァ村を乗っ取ろうとした理由。
川を通る船から通行料を取るため。
盗品を運ぶため。
そして、捕らえた人間を国外へ売るため。
全てが一つにつながっていく。
「知りたいことは分かった。助かった」
「お役に立てたのであれば何よりです」
ハーゼンはそう答えた後、少し心配そうにレオンを見る。
「しかし、深入りはなさらない方がよろしいかもしれません」
「どうしてだ?」
「人を国境の外へ売るには、多くの者の協力が必要です。奴隷商人だけでは出来ません」
偽造書類を作る者。
検問を通す者。
輸送を担当する者。
取引相手を探す者。
身分の高い者を攫うのであれば、その者が罪へ問われたり、家を離れたりする時期を知らせる者も必要になる。
裏には、複数の商会や役人、貴族が関わっている可能性がある。
「盗賊を倒しただけで終わる話ではありません」
「ああ。分かっている」
レオンは立ち上がった。
危険であることは最初から理解している。
それでも、調べないという選択肢はない。
クラリスの名が記された資料は、単なる奴隷の査定書ではなかった。
まだ自由に暮らしている人間を、将来売るために値踏みした資料。
その可能性が、さらに高くなった。
翌日、商隊は再び街道を進んだ。
それから大きな襲撃を受けることはなく、五日目の夕方には目的地である交易都市へ到着した。
都市の門前で荷馬車を止め、ハーゼンが積み荷と同行者を確認する。
失われた荷物は一つもない。
怪我人もいなかった。
「レンさん。ありがとうございました」
ハーゼンが依頼完了の書類へ署名する。
「貴方に護衛を頼むことが出来て、本当によかった」
「依頼を終えただけだ」
「商人にとっては、それが何より大切なのです」
ハーゼンは署名した書類をレオンへ渡す。
評価欄には、護衛対象を優先し、適切な判断で商隊を守ったと記されていた。
「帰路もよろしくお願いいたします」
「ああ」
交易都市で二日間滞在し、新たな荷物を積んだ後、商隊はミストレアへ引き返した。
帰り道では、小型の魔獣が何度か姿を現した。
レオンは必要な個体だけを倒し、商隊から離れることはなかった。
ミストレアへ戻ったのは、出発から十二日後だった。
レオンは冒険者協会本部へ向かい、依頼完了の書類を提出する。
冒険者証には、新たに商隊護衛の実績が記録された。
戦闘だけではない。
依頼主を守り、荷物を目的地まで届けたという記録。
A級へ近づくための、小さな一歩だった。
だが、今回得たものはそれだけではない。
まだ罪を犯していない人間へ、奴隷としての値段をつける者達。
偽造された書類。
闇の競売。
川と海を利用した国外への輸送。
クラリスが奴隷へ落とされる未来の裏には、レオンが考えていた以上に大きな組織が存在する可能性がある。
その全てを、魔導国家にいる間に突き止めることは難しい。
それでも、知ることが出来た。
あの査定表は、クラリスが罪を犯した後に作られたものではない。
彼女がまだ公爵令嬢として暮らしている今から、商品として狙われている。
レオンは冒険者証を受け取り、協会本部を出た。
クラリスが奴隷となるまで、原作ではまだ四年以上ある。
だが、その未来へ向けた準備は既に始まっていた。




