第354話 ミストレアへの帰還
リーヴァ村を出発する準備が整ったのは、朝食を終えてから一時間ほど後だった。
集会所の前には、二台の馬車が止められている。
一台はレオンとミラが乗ってきた馬車。
もう一台は、リーヴァ村で荷物の運搬に使われていた頑丈な荷馬車だった。
荷台には、盗賊団の頭であるカンダタが乗せられている。
両手には魔力の流れを妨げる拘束具。
足首には太い鎖が巻かれ、荷台へ固定されていた。
その両脇には、《蒼天の戦乙女》の二人が座っている。
カンダタが拘束を外せたとしても、二人を相手に逃げることは難しい。
荷馬車には、盗賊達から回収した武器や装備品も積まれていた。
王国金貨。
武器の受領書。
船の運航予定。
奴隷用の首輪と鎖。
捕らえた者達の査定書。
王国貴族とのつながりを示す可能性がある書類は、アストリッドが革袋へ入れ、自ら管理している。
古い船着き場に残された盗賊達の遺体は、村外れの倉庫へ運ばれていた。
人数。
人相。
所持品。
身体的な特徴。
それらは一人ずつ記録されている。
ミストレアから派遣される協会職員が確認した後、手配書との照合や遺体の処理が行われる予定だった。
「本当に、もう出発されるのですか?」
パルマがアストリッドへ尋ねた。
集会所の前には、見送りに来た村人達が集まっている。
「もう少し村へ滞在していただいても構いませんが……」
「村の周辺は、昨日のうちに調べた」
アストリッドが答える。
「逃げた盗賊はいない。カンダタからも、近くに別の拠点はないと聞き出している」
カンダタは荷馬車の上で俯いたまま、何も言わない。
「それに、ミストレアから調査のための職員が来る。私達が残るより、カンダタと証拠を本部へ届けた方がいい」
「そうですか……」
パルマは荷馬車へ視線を向けた。
盗賊団は壊滅した。
攫われたリナも無事に戻ってきた。
それでも、全てが終わったわけではない。
盗賊達へ武器や金を渡していた者。
捕らえた人間を買い取っていた者。
王国から指示を出していた可能性のある貴族。
調べなければならないことは、まだ多く残されている。
「レン殿」
パルマがレオンへ向き直る。
「村を守ってくださったこと、改めてお礼を申し上げます」
「ああ」
「レン殿が村人達を集会所へ避難させてくださらなければ、大勢が巻き込まれていたでしょう。リナを助けてくださったことも、本当に感謝しております」
パルマが深く頭を下げた。
それに続き、集まっていた村人達も頭を下げる。
レオンは、すぐに言葉を返せなかった。
感謝されるだけのことをした。
それは分かっている。
村人の中に、死者は一人も出ていない。
ミラもリナも無事だった。
だが、村人達から向けられる感謝を素直に受け取ることは、まだ出来なかった。
昨夜の光景が頭へ浮かぶ。
暗い部屋。
自分の冷えた手を包んだ、ミラの温もり。
『この温かさは、レンが助けてくれたから残ってるの』
奪った命だけを見て、守った命まで否定する必要はない。
すぐに割り切ることは出来ない。
それでも、守ることが出来た事実から目を逸らしてはならない。
「俺一人で守ったわけではない」
レオンはパルマへ答えた。
「ミラも、アストリッド達もいた。それに村人達が俺の指示に従い、集会所へ避難してくれたから被害を抑えられた」
「それでも、レン殿がいなければ守れませんでした」
パルマは顔を上げた。
「ですから、ありがとうございます」
僅かな沈黙の後、レオンは頷いた。
「……ああ」
村人達の間から、小さな少女が歩いてくる。
リナだった。
後ろには母親らしい女性が付き添っている。
リナはレオンの前まで来ると、両手に抱えていた小さな籠を差し出した。
中には、布で包まれたパンや燻製の魚、赤や黄色の果実が入っている。
「これ、持っていって」
「俺にか?」
「うん。お母さんと一緒に用意したの」
レオンが籠を受け取る。
「ありがとう」
「お兄ちゃんも、ありがとう」
リナはそう言うと、少しだけ迷ってからレオンへ近づいた。
そして、空いている左手を握る。
小さな手だった。
昨夜のミラとは違う。
それでも、確かな温かさがあった。
「お兄ちゃんが来てくれたから、帰ってこられたの」
レオンは握られた手を見下ろした。
「怖くなかったのか?」
「怖かったよ」
リナは素直に答えた。
「でも、ミラお姉ちゃんが来てくれた。その後に、お兄ちゃんも来てくれたから」
レオンは屈み、リナと視線の高さを合わせた。
「もう一人で村の外へ行くなよ」
「昨日も一人で行ったんじゃないもん」
「そうだったな」
「今度は遊びに来てね」
「機会があればな」
曖昧な返事だったが、リナは嬉しそうに笑った。
レオンが立ち上がると、入れ替わるようにミラがリナの前へ屈む。
「リナ、次に来るまで元気でね」
「ミラお姉ちゃんも、また来てくれる?」
「もちろん。今度は依頼じゃなくて、遊びに来るから」
「絶対だよ?」
「約束する」
ミラが小指を差し出す。
リナも小さな小指を絡めた。
その様子を見ていたパルマが笑う。
「ミラは昔から、子供の相手だけは上手かったからな」
「『だけ』は余計でしょ」
「レン殿のお相手も上手そうだが」
「パルマさん!」
顔を赤くしたミラが声を上げる。
レオンは二人を見た後、荷物を積んだ馬車へ向かった。
「ちょっと、レン。何か言いなさいよ」
「何を言えばいい?」
「否定するとかあるでしょ!」
「俺が否定しても、パルマは聞かないだろう」
「よく分かってきたな」
「納得しないで!」
村人達の間から笑い声が上がる。
昨夜まで村を包んでいた不安が、僅かに薄れたように見えた。
やがて、アストリッドが走竜へ跨がった。
「そろそろ出るぞ」
《蒼天の戦乙女》の仲間達も、それぞれの走竜に乗る。
二人は馬車の前後を守り、アストリッドはカンダタが乗る荷馬車の横についた。
レオンとミラは、リーヴァ村まで乗ってきた馬車へ乗り込む。
御者が手綱を握り、馬車がゆっくりと動き始めた。
「皆様、本当にありがとうございました!」
パルマが深く頭を下げる。
それに続き、村人達も手を振った。
リナは両手を大きく振っている。
ミラが窓から身を乗り出した。
「また来るから!」
レオンも窓の外へ視線を向ける。
小さな河口の村が、少しずつ遠ざかっていく。
川には漁船が浮かび、その向こうには穏やかな海が広がっていた。
村の周囲を囲んでいた氷壁は、出発前に全て消している。
畑や家畜小屋の一部には被害が残っている。
それでも村人達は、今日から元の暮らしへ戻っていく。
その姿が見えなくなるまで、レオンは窓の外を見続けていた。
ミストレアまでの帰路には、四日かかる。
最初の二日間、カンダタはほとんど口を開かなかった。
食事を渡されても無言で受け取り、休憩中も拘束されたまま地面へ座っている。
逃げる様子はない。
《蒼天の戦乙女》に囲まれた状態で、逃げ切れるとは考えていないのだろう。
三日目の昼。
一行は川沿いの街道から離れ、小さな森の中で休憩を取った。
カンダタを見張る二人を残し、ほかの者達は簡単な食事を取る。
リナから渡されたパンと燻製の魚も、皆で分けることになった。
「美味しい」
ミラが燻製を口に運びながら呟く。
「この魚、村の近くで捕れたものだと思う」
「海の魚か?」
「多分ね。川魚なら、もう少し香草を使うから」
レオンも一口食べる。
塩気は少し強いが、保存食として作られたものなら、この程度が丁度いい。
「そういえば、レン」
アストリッドが向かい側から声を掛ける。
「何だ?」
「身体の調子はどうだ?」
「問題ない」
「昨夜は眠れたのか?」
「……眠れた」
答えるまでに、僅かな間が空いた。
その理由を知っているミラが、パンを喉へ詰まらせる。
「ミラ?」
隣に座っていた《蒼天の戦乙女》の一人が、ミラの背中を叩く。
「だ、大丈夫!」
ミラは水を飲み、何度か咳をした。
アストリッドはその様子を見た後、レオンへ視線を戻す。
「それならいい」
それ以上は何も聞かなかった。
レオンも食事を続ける。
向かいに座るアストリッドが、どこか意味ありげに笑っているように見えたが、気のせいだと思うことにした。
その日の夕方、一行は街道沿いの宿場町へ到着した。
カンダタを連れているため、普通の宿へ泊まるわけにはいかない。
アストリッドが町の冒険者協会へ事情を伝え、地下にある拘置所を借りることになった。
協会職員はカンダタの顔を見ると、すぐに一冊の手配書を持ってきた。
「間違いありません。商隊殺しのカンダタです」
手配書に描かれた人相は、拘束されている男と一致していた。
カンダタは三年前から手配されていた。
複数の商隊を襲い、護衛の冒険者や商人を殺害している。
これまでは十人ほどの盗賊団を率いていると考えられていた。
実際には、その五倍近い人数を集めていたことになる。
「身柄を、こちらでお預かりすることも出来ますが」
職員が尋ねる。
「いや、ミストレアまで連れていく」
アストリッドは断った。
「こいつが持っている情報は多過ぎる。ここへ置けば、口封じをされる可能性がある」
王国貴族とのつながり。
奴隷売買。
船を利用した盗品の運搬。
背後に大きな組織が存在する以上、安全な場所まで直接護送した方がいい。
その夜は交代で見張りを立てたが、襲撃はなかった。
四日目の夕方。
街道の先に、ミストレアの城壁が見えた。
「やっと戻ってきた……」
ミラが馬車の中で大きく息を吐く。
「行きも四日だったが、帰りの方が長く感じたな」
「帰りはカンダタを連れてたからでしょ。ずっと警戒してたし」
「そうかもしれない」
城門には、多くの馬車や旅人が並んでいる。
だが、アストリッドが冒険者証と協会から発行された護送書を見せると、別の通路へ案内された。
荷馬車に拘束された男が乗っていることに気づき、周囲の者達がざわめく。
「捕まった男、カンダタじゃないか?」
「商隊殺しの?」
「《蒼天の戦乙女》が捕らえたらしいぞ」
そんな声が聞こえてくる。
その中に、レオンの名前はなかった。
今回の依頼で、目立ちたいとは思わない。
誰にも知られずに終わるのであれば、その方がよかった。
冒険者協会本部へ到着すると、既に連絡を受けていた職員達が待っていた。
カンダタは地下の拘置所へ運ばれる。
回収した武器や装備品も、職員によって一つずつ荷馬車から降ろされた。
アストリッドは証拠の入った革袋を受付へ置く。
「リーヴァ村周辺に住み着いていた盗賊団を壊滅させた。カンダタは生きたまま捕らえている」
「報告では、五十人近い盗賊がいたと伺っております」
「ああ。死亡四十六名、生存一名だ」
職員の手が止まる。
「四十六名……」
アストリッドはレオンへ視線を向けなかった。
誰が倒したのかについても、この場では口にしない。
「遺体はリーヴァ村の倉庫へ運び、記録を残してある。職員を派遣して確認してくれ」
「承知いたしました」
「それから、盗賊の拠点で王国金貨と取引記録が見つかった。王国貴族が関わっている可能性もある」
受付周辺の空気が変わった。
職員はすぐに上司を呼び、証拠を受け取るための手続きを始める。
書類の枚数。
武器の数。
金貨の種類と金額。
拘束具や奴隷用の首輪。
一つずつ確認され、受領書へ記録されていった。
全てを渡し終えるまでに、一時間近くかかった。
最後に、担当職員が仮の受領書をアストリッドとミラへ差し出す。
「本日は、証拠品を受領したことのみを証明する書類となります」
ミラが首を傾げた。
「依頼の完了にはならないの?」
「現時点では、仮の完了処理です」
職員は集められた書類へ視線を向ける。
「依頼は、リーヴァ村の護衛及び盗賊団の偵察でした。しかし、実際には大規模な盗賊団の討伐と、指名手配犯の捕縛まで行われています」
当初の依頼内容を大きく超えている。
報酬の増額。
参加者ごとの功績。
討伐数。
救出した人質。
守った村人の人数。
発見した証拠品。
それらを確認しなければ、正式な評価を決めることは出来ない。
「リーヴァ村へ職員を派遣し、パルマ村長や村人達からも話を伺います。遺体と所持品の確認、カンダタへの取り調べも必要です」
「どれくらいかかる?」
ミラが尋ねる。
「少なくとも三日ほどはお待ちください。王国との関係が疑われる書類については、さらに時間が必要となる可能性があります」
レオンは黙って聞いていた。
三日。
その間に出来ることはある。
奴隷の査定書。
クラリスの名前。
四年以上先に起こるはずだった出来事。
自分が原作とは異なる行動を取ったことで、その時期が早まっている可能性もある。
正式な調査結果を待っているだけでは遅い。
「レン?」
ミラが顔を覗き込む。
「どうしたの?」
「いや」
レオンは首を横へ振った。
「少し考えていただけだ」
「また一人で何か調べるつもり?」
「そのつもりだ」
「やっぱり……」
ミラが呆れたように息を吐く。
「戻ってきたばかりなんだから、今日は休みなさいよ」
「まだ夕方だ」
「四日も護送を続けたでしょ」
「馬車に乗っていただけだ」
「そういう問題じゃないの!」
二人の会話を聞いていたアストリッドが、小さく笑った。
「ミラの言う通りだ。調べ物なら明日からにしろ」
「アストリッドまで何を――」
「身体だけでなく、頭を休ませることも冒険者には必要だ」
反論しようとしたレオンだったが、二人から同時に見られて口を閉じる。
「……分かった」
「最初から素直に聞きなさいよ」
手続きを終え、一行は冒険者協会本部を出た。
日は既に傾き、ミストレアの街へ魔法灯が灯り始めている。
リーヴァ村を出発してから四日。
レオン達は、ようやくミストレアへ戻ってきた。
だが、依頼はまだ正式には終わっていない。
盗賊団を倒したことが、どのような評価になるのか。
王国貴族との関係が、どこまで明らかになるのか。
そして、クラリスの名が記された査定書が、何を意味しているのか。
答えが出るまでには、もう少し時間が必要だった。




