第352話 分からない感情
その日の夜。
リーヴァ村に一つしかない宿には、《蒼天の戦乙女》の五人と、レオン、ミラが泊まることになった。
宿へ戻ったアストリッドは、二階へ上がろうとするレオンへ声をかけた。
「レン」
レオンが足を止める。
「村の者達が食事を用意してくれた。これから皆で食べるが、お前も来ないか?」
「いや」
レオンは振り返らなかった。
「今は一人で休みたい」
その声には、僅かに疲れが滲んでいた。
アストリッドは船着き場で見たレオンの姿を思い出す。
震える右手。
二度も剣を鞘へ戻せなかった少年。
無理に誘うべきではないと判断した。
「分かった。食事は後で部屋へ運ばせよう」
「すまない」
レオンは短く答え、二階へ上がっていった。
アストリッドは、その背中が見えなくなるまで階段を見つめていた。
「アストリッド」
仲間に呼ばれ、食堂へ入る。
そこには、いくつもの机を埋め尽くすほどの料理が並んでいた。
海魚の香草焼き。
川魚の揚げ物。
貝の蒸し焼き。
焼いた肉。
葉野菜と根菜の煮込み。
魚介と野菜を使った河口鍋。
焼きたてのパン。
果物。
《蒼天の戦乙女》の五人では、到底食べ切れない量だった。
「これは……」
アストリッドが思わず呟く。
宿の主人が笑顔で近づいてきた。
「村の皆からです」
「私達だけで、この量を?」
「娘を助けていただいたパルマ村長からも、村を守っていただいた漁師や農家からも届きました。皆さん、直接お礼を言いたがっていましたが、お疲れでしょうから、せめて料理だけでもと」
「そうか。ありがたくいただこう」
アストリッド達が席へ着く。
食事を始めると、村人達が次々と宿を訪れた。
「ありがとうございました」
「あなた方が来てくださらなければ、この村はどうなっていたか……」
「畑も家畜小屋も直せます。でも、失った命だけは戻りませんから」
村人達は何度も頭を下げた。
中には涙を流している者もいた。
盗賊達によって、畑や家畜小屋、倉庫の一部が焼かれた。
だが、村人に死者は出ていない。
レオンが全員を集会所へ避難させ、巨大な氷壁で守ったためだ。
アストリッド達が守ったのは、人の命だけではない。
船着き場。
倉庫。
水門。
交易船から徴収する通行料。
盗賊団に村を奪われていれば、周辺一帯の物流にまで影響が出ていただろう。
全ての村人が帰った後、食堂には《蒼天の戦乙女》の五人だけが残った。
机には、まだ多くの料理が並んでいる。
「さすがに多過ぎませんか?」
弓使いの女が苦笑する。
「気持ちはありがたいが、明日の朝まで食べ続けてもなくならないな」
大盾を扱う女戦士が、空になった皿を机の端へ寄せた。
「余った料理は、村の皆で分けてもらいましょう」
回復術師の言葉に、全員が頷く。
アストリッドは河口鍋の具材を取り分けながら、食堂の階段へ視線を向けた。
「レンは来なかったのですね」
斥候役の女が言う。
「ああ。断られた」
「仕方ありません。あの様子では、食事どころではないでしょう」
「ミラもいないな」
「リナを家へ送った後、こちらへ来るそうです」
弓使いの女が答えた。
アストリッドは小さく頷き、視線を料理へ戻した。
食事が進み、一通り空腹が満たされた頃。
アストリッドは腰につけていた革袋から、数枚の書類を取り出した。
「食事中にする話ではないが、全員に伝えておく」
四人の表情が変わる。
机へ置かれたのは、古い船着き場の倉庫から発見した書類だった。
盗賊団がリーヴァ村を乗っ取るために立てた計画。
各地から運び込まれた武器や食料の受領書。
川と海を利用して運ぶ盗品の一覧。
捕らえた者を奴隷として売却した際の利益配分。
そして、盗賊団へ金銭を送った者との書簡。
「やはり、ただの盗賊団ではありませんでしたか」
弓使いの女が書類を見る。
「ああ。この人数と装備を盗賊行為だけで維持するのは難しい。支援者がいるとは考えていたが、予想より大きな組織らしい」
アストリッドは一枚の受領書を指で示した。
そこには、王国で発行された金貨の枚数が記されている。
別の書簡には、王国貴族が使う形式の紋章も押されていた。
蝋が潰れているため、どの貴族家のものかまでは判別出来ない。
「王国貴族が、盗賊団へ資金を流していたのですか?」
大盾の女戦士が尋ねる。
「その可能性が高い。使われていた貨幣も、届けられた武器も王国の物だ」
「王国から奪われた物という可能性は?」
「ないとは言えない。だが、決まった時期に金と武器が送られている。盗品だけで、これほど安定した支援を続けるのは難しい」
アストリッドは次の書類を広げた。
王国から届いた荷物を、川や海を使って別の土地へ運ぶ計画も記されている。
盗賊団がリーヴァ村を欲しがった理由は明らかだった。
豊富な食料。
荷物を隠せる倉庫。
川と海の両方へ船を出せる立地。
そして、交易船から徴収する通行料。
村を奪えば、自分達で金を得ながら、王国と魔道国家の間で人や物を密かに運べる。
「私達は、この組織の計画を潰したことになりますね」
回復術師が言う。
「そうなる」
「背後にいる王国貴族から、恨みを買った可能性もあります」
「ああ」
アストリッドは頷いた。
「盗賊団の頭を協会へ引き渡せば、支援者も自分達とのつながりを隠そうとする。口封じを狙う可能性は高い」
「頭だけならともかく、私達も消そうとするかもしれませんね」
「そのつもりで警戒する」
アストリッドは四人を見回す。
誰の表情にも恐れはない。
《蒼天の戦乙女》はS級パーティーだ。
王国貴族から恨まれるのは面倒だが、それだけで活動を止めるような者達ではなかった。
「協会本部へ提出する前に、全ての書類の写しを取る。証拠が奪われる可能性も考え、別々の経路で運ばせる」
「盗賊団の頭は?」
「私達がミストレアまで護送する。途中で襲撃される可能性も考えて、交代で見張れ」
「分かりました」
盗賊団についての話が終わる。
アストリッドは書類を革袋へ戻した。
しかし、四人は席を立たなかった。
誰もが、ほかに話すべきことがあると考えている。
最初に口を開いたのは、弓使いの女だった。
「それで……レンについては、どうしますか?」
食堂に短い沈黙が落ちる。
アストリッドは腕を組み、椅子の背へ身体を預けた。
「何のことだ?」
「分かっているでしょう。集会所を氷壁で囲んだ時の魔法です」
その場にいた五人全員が目撃していた。
村人を集会所へ避難させた直後、レンは村の四方へ巨大な氷壁を作り出した。
北。
南。
東。
西。
四方向へ、ほとんど同時に氷壁が現れた。
魔法陣を起動した形跡はない。
指輪も光っていなかった。
詠唱も聞こえなかった。
杖すら使っていない。
「あれは無詠唱魔術だ」
アストリッドが答える。
「やはり……」
「だが、魔道国家で稀に使われる無詠唱とは規模が違う」
レイン魔導国家では、魔力を持つ者の割合がほかの国より圧倒的に多い。
属性を持つ者も珍しくない。
魔法陣や魔法具が生活の隅々まで普及しているのも、そのためだった。
しかし、一人が持つ魔力量だけを比べれば、帝国貴族には及ばない者が多い。
帝国では、強い魔力を持つ血筋を長く維持してきた。
特に皇族や大貴族の魔力量は、魔道国家の上級貴族を大きく上回る。
そして、王国貴族は帝国貴族よりも、さらに多くの魔力を持つといわれている。
王国は長い歴史の中で、魔力量の多い者同士が婚姻を繰り返してきた。
その中でも大貴族と呼ばれる家の者は、レイン魔導国家の王族に匹敵するほどの魔力を持つという。
「無詠唱魔術は、帝国や王国の一部の貴族が使う魔法だ」
アストリッドが説明する。
「膨大な魔力と、長年の訓練が必要になる。魔法陣に頼らず、自分の中だけで魔法を組み上げなければならないからだ」
「ですが、レンは十六歳です」
「それだけではない」
アストリッドは、氷壁が生まれた瞬間を思い出す。
一つずつ作ったのではない。
四方向へ同時に発動した。
集会所を完全に守れる高さと厚さ。
盗賊程度では壊せないほど巨大な氷壁。
それを、ほとんど一瞬で作り出した。
焦っていたため、力を隠す余裕がなかったのだろう。
「あれは王国の王族級の魔法だ」
「王族……」
「あの規模の魔法を無詠唱で瞬時に放つには、それだけの魔力量が必要になる」
大盾の女戦士が眉を寄せる。
「レンは王族ということですか?」
「そこまでは分からない。ただし、平民ではないだろう」
剣の扱い。
立ち居振る舞い。
戦場での判断力。
村の地図を見て、盗賊団の目的を見抜いた知識。
食事の作法も、同年代の冒険者とは明らかに違っていた。
何より、あの魔力。
王族ではないとしても、王国の大貴族と関わりがある可能性は高い。
「協会へ報告しますか?」
斥候役の女が尋ねる。
「しない」
アストリッドは迷わず答えた。
四人が僅かに目を見開く。
「討伐数と村を守った功績は報告する。だが、無詠唱魔術を使ったことは記録へ残さない」
「理由を聞いても?」
「レンが正体を隠しているからだ」
レンという名前さえ、本名ではない可能性がある。
王国貴族でありながら、何らかの理由で魔道国家の冒険者になった。
本人が素性を隠している以上、それを勝手に暴くつもりはなかった。
それに、協会へ報告すれば情報は必ず広がる。
王国貴族とつながる盗賊団の証拠を見つけた直後に、レンが王国の大貴族かもしれないという情報を残すのは危険だった。
「異論はあるか?」
アストリッドが四人を見る。
誰も反対しなかった。
「ありません」
「私も賛成です」
「レンが話したくなった時に、自分で話せばいいでしょう」
「決まりだな」
そこで話は終わった。
ちょうどその時、食堂の扉が開いた。
入ってきたのはミラだった。
「遅くなってごめん。リナを家へ送ってたので」
「食事なら、まだ十分過ぎるほど残っているぞ」
大盾の女戦士が笑う。
「本当に多いね……」
ミラは並んだ料理を見て苦笑した。
それから階段へ視線を向ける。
「レンは?」
「部屋にいる。食事には来ないそうだ」
アストリッドが答えた。
「そう……」
ミラの表情が僅かに曇る。
少し考えた後、空いていた盆へ料理を載せ始めた。
焼いた魚。
野菜の煮込み。
パン。
温かいスープ。
「部屋へ持っていくのか?」
アストリッドが尋ねる。
「はい。食べないかもしれないけど、このまま放っておけないから」
「そうか」
ミラは料理を載せた盆を持ち、二階へ上がっていった。
アストリッドは何も言わず、その背中を見送った。
食べ切れなかった料理を宿の主人へ任せ、五人は自分達の部屋へ戻った。
村に宿は一つしかない。
部屋数も多くないため、《蒼天の戦乙女》の五人は二部屋に分かれて泊まることになっていた。
アストリッドは身体についた埃と血の臭いを落とし、寝間着へ着替えた。
だが、寝台へ入る気にはなれなかった。
脳裏に浮かぶのは、古い船着き場で最後に見たレンの顔だった。
四十六人を僅かな時間で倒した。
鎧も武器もまとめて斬り裂く剣。
離れた敵の急所を正確に貫く氷魔法。
四十六人に囲まれながら、傷一つ負わなかった。
戦いだけを見れば、完成された冒険者に思える。
だが、戦いが終わった後。
レンは剣を鞘へ戻すことさえ出来なかった。
右手が震えていた。
顔から血の気が失われていた。
まだ十六歳。
冒険者になってから、二か月も経っていない。
恐らく、元は王国貴族だ。
魔物と戦った経験はあっても、人を殺したのは初めてだったのだろう。
アストリッドは、これまで何人もの新人冒険者を見てきた。
初めて盗賊を殺した夜、酒を浴びるように飲む者。
何度も吐く者。
泣き続ける者。
翌朝まで剣を握ったまま眠れなくなる者。
男の冒険者が、初めて盗賊を討伐した夜に女を抱くことも珍しくない。
娼館へ行く者もいれば、同じパーティーの女へ縋る者もいる。
肌から伝わる体温が、自分はまだ生きているのだと安心させてくれる。
奪った命のことを、一時的に忘れさせてくれる。
それが正しい慰め方なのか、アストリッドには分からない。
だが、気を紛らわせ、心を癒やすことは知っていた。
アストリッドは自分の右手を見る。
魔道国家では、魔力量と属性への適性が人の価値を決める。
強い魔力を持つ者は尊ばれ、複数の属性を持つ者は将来を期待される。
自分もそうだった。
火と風。
二つの属性を持って生まれたため、幼い頃から将来を期待されてきた。
貴族令嬢として家へ残る道もあった。
政略結婚をして、優れた魔力を持つ子供を残すよう求められたこともある。
だが、アストリッドはその道を選ばなかった。
自分の才能が最も生きる場所は、貴族家ではなく冒険者だと考えたからだ。
これまで出会った男の中に、その男との間に子供が出来ても構わないと思える者はいなかった。
強い男はいた。
高い地位を持つ男もいた。
美しい容姿の男もいた。
それでも、誰かと家庭を築きたいと思ったことはない。
レンと出会うまでは。
アストリッドは、レンの魔力を感知出来なかった。
魔力感知は、自分より魔力量の少ない者を探る技術だ。
相手の魔力量が自分を大きく上回っている場合、その魔力を正確に捉えることが出来ない。
アストリッドが相手の魔力をまったく感知出来なかったのは、これまでの人生で三度だけだった。
一人目は、魔道国家の王女カノン。
まだ幼かった彼女と、王宮の行事で顔を合わせた時。
魔力を持っていることだけは分かるのに、その底がどこにあるのか感じ取れなかった。
二人目は、その弟であるカイン王子。
彼も幼い頃から、姉と同じほど異常な魔力を持っていた。
そして三人目。
レンと名乗る、王国出身の少年。
王家に匹敵する魔力量。
巨大な氷壁を一瞬で作る魔法。
四十六人を相手にしても揺るがない剣の腕。
それだけの力を持ちながら、人を殺したことへ苦しめる心。
自分より強い魔力を持つ相手との間に子供が出来れば、どれほど優れた魔力を受け継ぐのか。
最初は、そんな魔道国家の貴族らしい考えだった。
だが、今はそれだけではない。
放っておけない。
一人にしてはいけない。
アストリッドは、寝間着の上へ薄い上着を羽織った。
身体の線が分かるほど薄い服装だった。
何故、このような格好を選んだのか。
自分でも分からないふりをした。
ただ様子を見に行くだけなのか。
話を聞くためなのか。
それとも、ほかの男の冒険者が初めて人を殺した夜に求めるものを、自分が与えようとしているのか。
答えを出さないまま、仲間達には見つからないよう、音を立てずに部屋を出た。
廊下には誰もいない。
レンの部屋は、一番奥にある。
近づくにつれ、アストリッドの胸の鼓動が僅かに速くなっていく。
レンの部屋の前へ着く。
扉を叩こうと、右手を上げた。
その時だった。
部屋の中から、女の声が聞こえた。
「レンが助けてくれたから、私もリナも生きてるの」
ミラの声だった。
扉越しのため、全ての会話までは聞き取れない。
それでも、ミラがレンの傍にいることは分かった。
アストリッドは上げていた手を止める。
少しの間、その場に立ち尽くした。
やがて、甘い声が聞こえ、アストリッドは小さく息を吐く。
「……少し遅かったか」
自分でも、何故その言葉が出たのか分からなかった。
レンを慰める者がいる。
一人で苦しんでいない。
それなら、安心するべきだった。
だが、胸の奥に小さな痛みが生まれている。
不快とも違う。
怒りとも違う。
これまで感じたことのない、不思議な感覚だった。
アストリッドは閉じられた扉を見つめる。
その向こうにミラがいると思うと、胸の奥が僅かにざわついた。
それが嫉妬だと気づくまでには、もう少し時間が必要だった。




