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乙女ゲーの辺境伯に転生したので奴隷落ちする悪役令嬢を金貨2万枚で救おうと思います  作者: 蛙の子はお玉杓子
第3章 宿場町と怪しい商人

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第32話 怪しい商人

「だから、金を出せって言っているだろ!」


「その荷物も置いていけ!」


 王都の裏路地から、男達の荒々しい怒鳴り声が響いた。

 レオンは足を止める。

 明らかな面倒事だった。

 普通であれば、関わらずに立ち去るところだ。

 しかし、路地の奥へ目を向けた瞬間、レオンの目が大きく見開かれた。

 三人の男に囲まれている、小柄な人物。


 灰色の髪。


 背負っている大きな荷袋。


 そして、身体を覆う迷彩柄のフード付きマント。


 前世で何度も見た、乙女ゲームの立ち絵と同じ姿だった。


「本当にいたのか……」


 レオンは思わず呟いた。


 "怪しい商人"


 ゲームの中で、希少な魔法具や回復薬など、通常の店では手に入らない品を扱っていた重要人物だ。


 もし一年前に出会えていれば、父を救うことができたかもしれない。

 レオンが王都まで探しに来た相手が、今まさに目の前にいた。


 しかも、三人の男に絡まれている。

 レオンは迷うことなく、裏路地へ足を踏み入れた。


「おい」


 声をかけると、三人の男が一斉に振り返った。


「あ?」


「その辺でやめておけ」


 男達の顔が険しくなる。


「何だ、てめえ?」


「お前には関係ねえだろ」


「いや、ある」


 レオンは男達へ向かって一歩踏み出した。


「迷惑そうにしている」


「格好つけやがって!」


 男の一人が怒鳴り、レオンへ殴りかかった。

 しかし、その動きは大振りで遅い。


 ルーカスとの訓練で、風属性の身体強化を受けた斬撃を毎日のように避けていたレオンにとって、簡単に見切れる攻撃だった。

 上体を僅かに逸らして拳を躱し、そのまま相手の足を払う。


「うわっ!?」


 男は勢いを止められず、路地の地面へ派手に転がった。

 その光景を見て、残る二人の顔色が変わる。

 レオンは倒れた男を見下ろした後、残る二人へ静かに視線を向けた。


「まだやるか?」


 三人の男達は互いの顔を見合わせた。

 やがて、倒れた男が慌てて立ち上がる。


「ちっ!」


 三人はそれ以上何も言わず、裏路地の奥へ逃げていった。

 騒がしい足音が遠ざかると、路地裏には静寂が戻った。


 レオンが振り返ると、灰色の髪をした小柄な人物が、警戒するようにこちらを見ていた。

 見た目は少年にしか見えない。


「助かったよ」


 聞こえてきた声も、少年そのものだった。


「怪我は?」


「ないよ」


 短い返事だった。

 助けられたことには感謝しているようだが、まだレオンを信用してはいない。

 その警戒心が、表情や声から伝わってくる。

 レオンは僅かに苦笑した。


「そんなに警戒するなよ」


「商人だからね」


 即答だった。

 各地を転々としながら一人で商売をしているのなら、警戒心が強くなるのも当然なのだろう。

 しばらく沈黙が流れた後、怪しい商人が口を開く。


「君は?」


「レン」


 レオンは偽名を名乗った。

 先ほどクラリスへ名乗ったばかりだったため、今度は迷わず口にすることができた。


 怪しい商人は貴族との取引を避けているらしい。

 正式に辺境伯へ任命されたことを明かせば、話を聞いてもらえない可能性がある。

 今は正体を隠した方がよかった。


「レンか」


 怪しい商人は一度頷く。

 そして、ゲームの中で何度も聞いたものと同じ言葉を口にした。


「僕は、怪しい商人」


 名乗るつもりはないらしい。

 レオンは内心で苦笑した。


「そうか。怪しい商人か……それなら、商売の話をしないか?」


 怪しい商人は疑うような目を向けたが、しばらく考えた後、小さく頷いた。



 二人は裏路地を出ると、近くにあった食堂へ移動した。

 夕食には少し早い時間だったため、店内に客は少ない。

 周囲に話を聞かれにくい奥の席へ腰を下ろすと、レオンは早速本題を切り出した。


「俺は北方で仕事をしている」


 ノルディア辺境伯本人であることは伏せた。

 しかし、ノルディア領で仕事をしていること自体は嘘ではない。


「そこで獲れるレッドボアの肉を、王都で売りたいと思っている」


 怪しい商人は、少し興味を持ったようだった。


「レッドボア?」


「王都では高級品として扱われているだろう?」


「そうだね。味はいいけど、普通はあまり流通しない」


 怪しい商人は素直に頷いた。


「魔獣だからか?」


「それもあるけど、一番の問題は輸送だよ」


 そう言いながら、人差し指を一本立てる。


「輸送か」


「うん」


 怪しい商人は、テーブルの上へ地図を描くように指を動かした。


「北方から王都まで、馬車なら十日くらい?」


「そのくらいだな」


「それだけ時間がかかると、生肉のまま運ぶのは難しいよ。王都へ着く前に傷んじゃう」


 レオンも頷いた。

 それは、グランツの宿場町でレッドボアの肉を見つけた時から分かっていた。

 だからこそ、保存方法だけではなく、王都で売るための販路も探していたのだ。


「燻製や塩漬けにするのは?」


 怪しい商人は首を横へ振った。


「レッドボアの肉は、燻製や塩漬けにすると臭みが強くなるんだ。食べられないわけじゃないけど、生肉ほど高くは売れないよ」


「やっぱりか」


 レオンは苦笑した。


 ノルディア領では、すでに知られていることだった。

 王都を中心に商売をする者も、同じ結論へ至っているらしい。

 怪しい商人は腕を組み、少し考えた後で口を開いた。


「まあ、魔法を使うなら運べるかもしれないけどね」


「魔法?」


「うん。ノルディアの領主が昔、魔法で特別な氷を作っていたみたいなんだ。それを使って、王都の祭りに合わせてレッドボアの肉を届けていたらしいよ」


 レオンは、前ノルディア辺境伯である父グラニウスを思い出した。

 ゼムから聞いた話と同じだ。

 レオン自身も少し前まで知らなかったことを、怪しい商人は把握していた。

 やはり、各地の商売に関する情報をかなり集めているらしい。


「その時のレッドボアは、一頭につき金貨三枚で取引されたとか、されていないとか」


「一頭で金貨三枚!?」


 予想を超える金額に、レオンは思わず声を上げた。


「まあ、辺境伯が関わっている商売なら、そのくらいが妥当だと思うけどね」


 確かに、辺境伯という爵位は、王国貴族の中でも決して低いものではない。

 その当主が自ら氷を作り、王都まで運ばせた品であれば、希少価値だけでなく、ノルディア辺境伯家の名にも値段がつく。

 安過ぎる金額で売れば、かえって箔がつかないのだろう。


 レオンは少し考えてから、口を開いた。


「魔法を使うなら、何とかなるかもしれない」


「どうして?」


「知り合いに、魔法陣を研究している奴がいる。そいつに頼めば、長い間溶けない氷を作れるかもしれない」


 レオンはゼムの顔を思い浮かべた。

 夜になると、ゼムと共に魔法陣や古代魔法の研究を続けている。

 父が使っていた氷を再現するには時間が必要だろうが、試してみる価値はある。


「それなら、後は量だね。最初は少なくていいと思うよ」


 怪しい商人は、すぐに次の話へ進んだ。


「むしろ、最初は少ない方が高く売れる」


 レオンは感心した。

 大量の商品を市場へ流せば、希少価値が失われて値段が下がる。

 最初は供給量を絞り、王都でしか食べられない高級品として扱わせる。

 商売の基本だ。


「なるほど」


「ただし、もう一つ問題がある」


「受け渡し場所か?」


「そう」


 怪しい商人は頷いた。


「北方まで商品を受け取りに行く商人は少ない。魔獣が多くて危険だからね」


 レオンは納得した。

 ノルディア領では見慣れた光景であっても、他領の商人から見れば、いつ魔獣に襲われるか分からない危険地帯だ。

 レッドボアの肉を安く仕入れられたとしても、輸送中に命を落とせば意味がない。


 怪しい商人は、頭の中で地図を思い浮かべるように視線を上げた。


「グランツの宿場町がいいと思う」


「グランツ?」


「王都と北方の中間地点。そこで商品を受け渡すんだ」


 レオンは少し考えた。

 ノルディアからグランツの宿場町までは馬車で六日。王都側の商人も多く集まり、商品の積み替えも盛んに行われている。


 悪くない。

 むしろ、かなりよい場所だった。


「確かに、ちょうどいいな」


「でしょ?」


 怪しい商人は、少し得意そうに笑った。


「僕も、そこなら寄りやすいから」


 本当は、ノルディア領へ近づきたくないという理由もあった。

 しかし、レオンがそれを知るはずもない。


「分かった」


 レオンは頷いた。


「最初は、試験的に少ない量で始めよう」


「うん」


「それで利益が出るようなら、取引を続ける」


「それがいいと思う」


 怪しい商人も頷いた。

 こうして、最初の商談はまとまった。

 もっと時間がかかると思っていたが、話は予想以上に早く進んだ。


 レオンは食堂で出された茶を飲みながら、目の前に座る怪しい商人を見る。

 やはり、有能だ。

 ゲームの中では、何を考えているのか分からない怪しい人物として描かれていた。

 しかし、実際に話してみれば印象は違う。


 輸送にかかる時間。


 商品の販路。


 王都における需要。


 希少価値を保つための供給量。


 利益を得るために必要なことを、全て理解している。

 レオンが欲しかったのは、まさにこのような人材だった。


 怪しい商人は、そんなレオンの視線には気づかず、カップを口元へ運んだ。

 そして、小さく呟く。


「レンって、北方で商売をしている割には詳しいね」


「まあな」


 レオンは曖昧に笑った。

 ノルディア辺境伯として、領地経営をしているとは言えない。

 適当に誤魔化すしかなかった。

 怪しい商人も、それ以上深くは追及しなかった。

 二人はまだ、互いの素性を探り合っている段階だった。


 商談を終えて食堂の外へ出ると、通りに一台の竜車が停まっていた。

 荷車を引いているのは、二頭の走竜だ。よく鍛えられた脚と艶のある鱗を持つ、立派な個体だった。

 レオンは、思わずその姿へ目を向けた。


「走竜か……」


 怪しい商人が振り返る。


「欲しいの?」


「まあな」


 レオンは苦笑した。


「便利そうだ」


 ノルディアからグランツの宿場町までは、普通の馬車で六日ほどかかる。

 しかし、走竜が引く竜車であれば、二日ほどで到着できる。

 今後、グランツの宿場町で定期的に取引を行うのであれば、ノルディアにも竜車が欲しい。


 すると、怪しい商人の目が僅かに輝いた。


「知り合いがいるんだけど……」


「知り合い?」


「僕が最初に取引した商人。走竜も扱っているんだ」


 レオンは少し驚いた。


「紹介してくれるのか?」


「うん」


 怪しい商人は頷いた。


「さっき助けてもらったお礼」


 だが、本当はそれだけではなかった。

 本人もまだ気づいていないが、もう一度レオンと会う理由が欲しかったのだ。


「ありがとう」


 レオンは素直に頭を下げた。


「助かる」


 すると、怪しい商人は少しだけ笑った。


「それじゃあ……グランツの宿場町で、ご飯を奢ってね」


「それだけでいいのか?」


「うん」


「分かった」


「約束だよ」


「ああ、約束する」


 話がまとまり、レオンはその場を離れようとした。


「今日はいい話ができた。ありがとう、怪しい商人」


 そう告げ、背を向けようとした時だった。


「待って」


 後ろから呼び止められ、レオンは振り返った。

 怪しい商人は、何かを言おうとして迷っていた。

 視線を僅かに逸らし、それでも意を決したようにレオンを見る。


「クロエ」


「ん?」


「僕の名前」


 レオンは少し驚いた。

 先ほどまでは、怪しい商人としか名乗らなかった。

 何度尋ねても本名を答えないのは、原作でも同じだった。レオンも、その名前を知らなかった。


「クロエっていうんだ」


 レオンは、教えられた名前を一度心の中で繰り返した。

 そして、笑顔を浮かべる。


「そうか……よろしく、クロエ」


 クロエも、少しだけ嬉しそうに笑った。


「うん」


 傾いた夕陽が、王都の街並みを橙色に染めていた。

 こうして、レオンは怪しい商人――クロエと出会った。

 そして二人は、数ヶ月後、グランツの宿場町で再会する約束を交わしたのだった。

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