第346話 さすらいの剣士、再び
翌朝、レオンは冒険者協会本部を訪れていた。
《魔脈大坑道グランヴァン》を攻略した実績は認められたが、A級へ昇格するには、まだ協会への貢献度が足りない。
ダンジョン攻略だけでなく、護衛、魔獣駆除、採取、捜索など、様々な依頼を達成する必要がある。
そのため、レオンは掲示板に並べられた依頼書を一枚ずつ確認していた。
商隊の護衛。
山岳地帯に出没する魔獣の駆除。
薬草の採取。
行方不明になった冒険者の捜索。
どれも協会への貢献度を得られる依頼だった。
「レン」
背後から名前を呼ばれ、レオンは振り返った。
そこにはミラが立っていた。
「おはよう」
「ああ。おはよう」
ミラはレオンの隣へ並び、掲示板を見上げた。
「依頼を探してるの?」
「A級へ上がるには、ダンジョン以外の依頼も受ける必要があるらしい」
「そうなんだ。でも、レンならすぐ上がれそうだね」
「最低でも三か月以上はかかる」
「グランヴァンを一人で攻略しても?」
「攻略したのは一つのA級ダンジョンだけだ。依頼の達成数が少なすぎると言われた」
「相変わらず、昇格条件は厳しいんだね」
ミラはそう言いながら、レオンの横顔を見た。
口元が、わずかに緩んでいる。
「何だ?」
「何でもないわよ」
「なら、どうして笑っている?」
「もう聞いた?」
「何をだ?」
ミラは周囲へ視線を向けた。
掲示板の近くにいた女性冒険者達が、レオンを見ながら何かを話している。
レオンがそちらを見ると、女性達は慌てて顔を逸らした。
「レンの二つ名」
「俺に二つ名がついたのか?」
「うん。《氷壁》だって」
「氷魔法を使うからか?」
「それもあるけど、女の人に誘われても、氷の壁みたいに冷たく断るからだって」
レオンは昨日のことを思い出した。
《蒼天の戦乙女》をはじめ、いくつものパーティーから勧誘を受けた。
その後も女性冒険者達から相方にならないかと声をかけられたが、全て断っている。
「俺は普通に断っただけだ」
「アストリッドさんまで断ったから、余計に広まったみたい」
「パーティーを組むつもりはないからな」
「相方も?」
「作るつもりはない」
「どうして?」
レオンは少し考えてから答えた。
「さすらいの剣士は、女を作らないんだ」
ミラが無言でレオンを見る。
「……何よ、それ」
「何がだ?」
「その、もっともらしい顔」
「事実を述べただけだ」
「さすらいの剣士と、女を作らないことに何の関係があるの?」
「そういうものだ」
「絶対、今考えたよね?」
「……」
「黙るってことは、認めたってことね」
レオンは答えず、掲示板へ視線を戻した。
ミラはしばらく笑っていたが、やがて声を落とした。
「ねえ、レン」
先ほどまでとは違う声音だった。
レオンが横を見ると、ミラは一枚の依頼書を手にしている。
「一つ、頼みがあるんだけど」
「相方なら作らないぞ」
「そこから離れてよ。依頼を一緒に受けてほしいの」
「パーティーを組むつもりもない」
「正式なパーティーじゃなくて、今回だけ。一時的に二人で受けるのは?」
「依頼の内容は?」
ミラは依頼書を差し出した。
レオンは受け取り、内容へ目を通す。
依頼先は、魔道国家南東部にあるリーヴァ村。
川が海へ流れ込む場所に作られた、小さな交易集落だった。
依頼内容は、村の周辺に現れた盗賊の偵察と、討伐隊が編成されるまでの村の護衛。
確認されている盗賊は五、六人。
畑の作物や家畜が何度か盗まれているが、今のところ村人に被害は出ていない。
盗賊が今後も人数を増やす可能性があるため、B級以上の冒険者を一人含む、複数人での受注が条件となっていた。
「盗賊の討伐ではないのか?」
「うん。今分かっているのは、盗賊が何人か住み着いたことだけ。討伐隊を出すほどの規模なのか、調べる必要があるんだって」
「村を守りながら、盗賊の人数と拠点を調べる」
「そういうこと」
レオンは依頼書から顔を上げた。
「何故、ミラがこの依頼を受けたい?」
ミラはすぐには答えなかった。
依頼書に記された村の名前を見つめ、静かに口を開く。
「リーヴァ村は、お母さんの故郷なの」
「ミラの?」
「私も小さい頃、何度か連れていってもらったことがあるの」
ミラは懐かしそうに目を細めた。
「海と川が近くて、魚も野菜も美味しいの。村の人達も、よくしてくれた」
「今も親戚が住んでいるのか?」
「いるよ。村長さんも、お母さんの従兄だから」
そこでミラは、わずかに視線を落とした。
「依頼が出ているって聞いて、どうにか私が行けないかと思ったんだけど……一人じゃ受注条件を満たせなくて」
B級以上の冒険者を含む複数人。
条件を満たす冒険者に声をかけても、首都から四日もかかる小さな村の護衛を引き受けてくれるとは限らない。
報酬も、危険性に比べれば高くなかった。
「《蒼天の戦乙女》には頼まなかったのか?」
「頼めるわけないでしょ。S級パーティーが受ける依頼じゃないし、私が一方的に憧れてるだけで、個人的に話したこともないんだから」
「ほかのB級冒険者は?」
「何人かに聞いた。でも、断られた」
ミラは笑ってみせた。
「だから、レンにも断られたら諦めるつもりだったんだ」
「そうか」
「……それだけ?」
「何がだ?」
「もう少し、こう……気の利いたことを言うとか」
「必要か?」
「必要よ。普通は『大変だったな』とか、『俺が行く』とか言うところでしょ」
「俺が行く」
「今?」
「今、言った」
ミラは一瞬きょとんとした後、吹き出した。
「順番が逆なのよ!」
「だが、意味は伝わっただろう」
「伝わったけど……もう少し早く言ってよ」
ミラは笑っていた。
しかし、その表情には僅かに悔しさが滲んでいた。
母親が生まれた村が危険に晒されている。
それでも、自分一人では依頼を受けることすら出来ない。
レオンには、その気持ちが少しだけ分かった。
ノルディアに何かが起きた時、自分が何も出来なければどう思うか。
考える必要もなかった。
「分かった」
ミラが顔を上げる。
「一緒に行く」
「本当に?」
「ああ」
「でも、さっきパーティーは組まないって」
「今回だけだ。パーティーを組むわけではない」
「分かってる」
「現地では俺の指示に従ってもらう。盗賊を見つけても、一人で追うな」
「それも分かってるよ」
ミラの返事が少し早かった。
レオンは目を細める。
「本当に分かっているのか?」
「分かってるって」
「前にも聞いた気がするな」
「今回は大丈夫」
「前回もそう言っていた」
「……レン、意外と根に持つのね」
「覚えているだけだ」
「それを根に持つって言うのよ」
「なら、忘れないようにしておく」
「どうしてそうなるの!」
ミラは呆れたように叫んだ。
レオンは依頼書を見下ろしたまま、淡々と続ける。
「危険な場所では、俺の近くにいろ」
「……それ、指示?」
「ああ」
「本当に?」
「聞こえなかったか?」
「聞こえたけど……」
ミラは少しだけ頬を緩めた。
「分かった。ちゃんと近くにいる」
「ならいい」
ミラは依頼書を受け取りながら、嬉しそうに笑った。
「さすらいの剣士なのに、故郷には弱いのね」
「さすらいの剣士は、故郷を大事にするんだ」
「故郷を離れて旅して回るのが、さすらいの剣士じゃないの?」
「帰る場所があるから、さすらえるんだ」
ミラが目を瞬かせる。
「……何なのよ、その『さすらえる』って!」
「受付へ行くぞ」
「あっ、逃げた!」
レオンが歩き出すと、ミラは笑いながらその後を追った。
二人で受付へ向かい、依頼書を提出する。
受付嬢は内容を確認してから、レオンとミラを交互に見た。
「リーヴァ村の護衛依頼ですね」
「ああ」
「今回の依頼では、盗賊との積極的な戦闘は求められておりません。村を守りながら人数と拠点を確認し、危険だと判断した場合は協会へ報告してください」
「盗賊が村を襲った場合は?」
「村人を守るための戦闘は認められます。ただし、確認されている人数より多い可能性もあります。深追いはしないでください」
「分かった」
受付嬢は必要な書類を用意した。
「リーヴァ村までは、乗合馬車を使って四日ほどです。明日の朝、南門から出発する便があります」
「それに乗る」
「では、こちらが村長へ渡す依頼受領書です」
レオンは封筒を受け取った。
隣では、ミラが出発時刻を確認している。
「明日の朝、南門で待ち合わせでいい?」
「ああ。遅れるなよ」
「レンこそ」
「俺は時間より早く行く」
「私だって早く行くよ」
「なら、遅れた方が朝食を奢る」
ミラが振り返った。
「それ、私が遅れると思ってる?」
「念のためだ」
「いいわ。絶対に遅れないから」
「そうしてくれ」
「レンが遅れたら?」
「俺が奢る」
「じゃあ、レンが遅れるように祈っておくね」
「無駄だ」
「どうして?」
「俺は遅れない」
「そういうところが腹立つのよ!」
二人は依頼の手続きを終え、冒険者協会を出た。
明日から四日間の馬車旅になる。
食料。
水。
野営道具。
護衛依頼ではないが、道中で何が起きるか分からない。
必要な物を揃えるため、二人は大通りで別れた。
別れ際、ミラが振り返る。
「レン」
「何だ?」
「ありがとう」
レオンは少しだけ間を置いた。
「依頼を受けただけだ」
「それでも、ありがとう」
「……礼なら、村に着いてからでいい」
「どうして?」
「まだ何もしていない」
「でも、一緒に行ってくれるって決めてくれた」
「それは……」
レオンは言葉を探した。
ミラが首を傾げる。
「それは?」
「困っているなら、助けるのが普通だ」
「誰にでも?」
「……」
「レン?」
「ミラだからだ」
言ってから、レオンはわずかに目を逸らした。
ミラは目を丸くする。
「え?」
「聞こえなかったなら、忘れろ」
「聞こえたわよ!」
ミラの頬が、少し赤くなった。
「今の、ちゃんと覚えておくからね」
「好きにしろ」
「うん。そうする」
ミラはそう言って笑うと、人混みの中へ消えていった。
レオンはその背中を見送ってから、手元に残った依頼の控えへ視線を落とす。
魔道国家南東部、リーヴァ村。
確認されている盗賊は五、六人。
村の護衛と、周辺の偵察。
依頼書だけを読めば、それほど危険な仕事には見えない。
しかしレオンは、村の近くへ住み着きながら、家畜と作物だけを盗み、人を襲っていないという部分が僅かに気になった。
食料が目的なら、村人に見つからないよう一度に多く奪うはずだ。
それを何度も繰り返している。
まるで村の反応を確かめているように思えた。
さらに、依頼書の隅に記された小さな注記が目に留まった。
盗まれた家畜の一部は、村の外れにある古い水路の近くで見つかっている。
だが、足跡は水路の手前で途切れていたという。
盗賊が川を渡ったのか。
それとも、水路の中へ入ったのか。
レオンは依頼書を折り、懐へしまう。
考えすぎかもしれない。
まだ現地を見てもいない。
だが、ただの盗賊だと決めつけるつもりもなかった。
翌朝。
レオンが南門へ着くと、ミラは既に乗合馬車の前で待っていた。
大きな鞄を足元へ置き、レオンの姿を見つけると手を上げる。
「おはよう、レン」
「ああ。早かったな」
「遅れるなって言われたからね」
「朝食を奢りたくなかっただけだろう」
「それもあるけど、レンを待たせたくなかったの」
ミラは何気なく言った。
レオンは一瞬、返事を忘れた。
「……そうか」
「何、その反応?」
「別に」
「顔、少し赤くない?」
「朝日だ」
「今日は曇ってるけど?」
「気のせいだ」
「ふーん?」
ミラが楽しそうに笑う。
レオンは視線を逸らし、荷物へ手を伸ばした。
「それを貸せ」
「え?」
「重そうだ」
「自分で持てるよ」
「知っている」
「じゃあ、どうして?」
「俺が持つ」
「……それって、優しさ?」
「荷物を運ぶだけだ」
「はいはい。さすらいの剣士は、荷物も運ぶんだね」
「故郷へ帰る旅だからな」
「それ、私の故郷よ」
「なら、なおさらだ」
ミラは一瞬黙り、それから小さく笑った。
「本当に、そういうところよね」
「何がだ?」
「何でもない。お願いするわ」
二人は荷物を馬車へ積み込んだ。
その時、レオンは馬車の車輪に付着した黒い泥へ目を留めた。
街道の土とは色も匂いも違う。
湿った鉄のような臭いが、僅かに混じっていた。
「どうしたの?」
ミラが尋ねる。
「いや」
レオンは泥を指先で確かめた。
「この馬車は、昨日どこを走ってきた?」
御者は少し考えてから答えた。
「南東方面から戻ってきた便だ。リーヴァ村の手前にある分岐路まで行っていた」
「そうか」
御者は不思議そうにレオンを見たが、すぐに乗客の人数を確認し始めた。
レオンは車輪から視線を離した。
リーヴァ村へ続く街道。
盗賊が現れた村。
そして、古い水路の近くで途切れた足跡。
偶然にしては、気になることが多すぎる。
御者が手綱を握る。
やがて馬車はゆっくりと動き出した。
魔法都市ミストレアの南門を抜け、南東へ延びる街道を進んでいく。
目指すのは、海と川が交わる交易集落。
ミラの母親が生まれた故郷、リーヴァ村だ。
その村の地下で、何かが静かに息づいていることを、二人はまだ知らなかった。




