第343話 魔脈を追う理由
ガーディアンクリスタルアントが、二本の長い角をレオンへ向けた。
次の瞬間、六本の脚が地面を蹴る。
巨大な身体からは想像出来ないほど速い。
レオンは右目で未来を見る。
角に貫かれる直前、身体を横へ投げ出した。
ガーディアンクリスタルアントがすぐ横を通り過ぎ、そのまま岩壁へ激突する。
轟音が響き、壁から岩の欠片が降り注いだ。
だが、頭部を覆う結晶には傷一つついていない。
魔物はすぐに向きを変えた。
「硬いな」
レオンは剣を構え直す。
正面から結晶を砕くのは難しい。
狙うなら、硬い結晶に覆われていない関節だ。
再びガーディアンクリスタルアントが突進してくる。
レオンは今度も直前まで動かなかった。
二本の角が迫る。
レオンは右へ踏み込み、角を避けながら前脚の関節へ剣を振り下ろした。
金属同士がぶつかったような音が響く。
刃は関節へ届いたが、切断するまでには至らなかった。
ガーディアンクリスタルアントが身体を回転させる。
巨大な腹部がレオンへ迫った。
レオンは地面を蹴り、後方へ飛ぶ。
僅かに遅れて、腹部が地面を薙ぎ払った。
普通のクリスタルアントとは、関節の硬さまで違う。
「レン、左からも来るよ!」
カイルの声が響く。
横穴から、二体のクリスタルアントが姿を現していた。
ガーディアンクリスタルアントが顎を鳴らしたことで、近くにいた個体が集まってきたらしい。
「そこから動くな」
レオンはカイルへ告げると、先に二体のクリスタルアントへ向かった。
横から噛みつこうとした一体の頭部をかわし、首の付け根へ剣を突き立てる。
もう一体が背後から迫る。
レオンは振り返らず、左手だけを地面に付けた。
「貫け」
地面から伸びた氷の槍が、クリスタルアントの腹部を貫いた。
二体が倒れた直後、ガーディアンクリスタルアントが突進してくる。
レオンの右目に、直後の未来が映る。
横へ避けた先を、角で薙ぎ払われる未来だった。
レオンは横へ逃げず、その場に屈み込んだ。
二本の角が頭上を通り過ぎる。
そのまま巨体の下へ潜り込み、腹部を見上げた。
腹部も大部分が結晶に覆われている。
しかし、胸部と腹部の境目にだけ、僅かな隙間があった。
レオンはその隙間へ剣を突き立てる。
ガーディアンクリスタルアントが激しく身体を揺らした。
レオンは剣から手を離し、転がるように巨体の下から抜け出す。
魔物が身体を振るたび、突き刺さった剣が傷口を広げていく。
「凍れ」
レオンが左手を向ける。
剣の周囲から氷が広がり、結晶の内側へ入り込んだ。
ガーディアンクリスタルアントの動きが僅かに鈍る。
レオンは魔物の背後へ回り込み、突き刺さった剣の柄を掴んだ。
さらに強く押し込む。
氷と剣が、身体の内側にある部分を同時に貫いた。
ガーディアンクリスタルアントの脚から力が抜ける。
巨大な身体が地面へ倒れ、周囲の岩が揺れた。
レオンは剣を引き抜き、距離を取る。
しばらく待っても、魔物が再び動くことはなかった。
「終わったぞ」
レオンが声をかけると、カイルが通路から出てくる。
倒れたガーディアンクリスタルアントを見上げ、感心したように息を吐いた。
「これも一人で倒すんだね」
「一人で攻略すると決めたからな」
「分かってるよ。僕は見ていただけだからね」
カイルは魔物の腹部を覗き込んだ。
「それにしても、よくあんな小さな隙間を見つけたね」
「結晶で覆われていても、身体を動かす部分まで塞ぐことは出来ない」
「なるほど。動くために必要な隙間を狙ったんだ」
カイルは納得したように頷いた。
レオンは剣についた汚れを拭い、鞘へ収める。
それから背負い袋を拾い、ガーディアンクリスタルアントが守っていた通路へ向かった。
「先へ進むぞ」
「待って。少しだけ結晶を採ってもいい?」
「少しだけだ」
「ありがとう」
カイルは傷ついた腹部から小さな結晶を一つ採取した。
布で包んで背負い袋へ入れると、すぐにレオンの後を追う。
ガーディアンクリスタルアントが守っていた通路の先は、急な下り坂になっていた。
坂を下りると、第八層を示す石柱が立っている。
第八層は、それまでの階層よりも静かだった。
魔物が岩を削る音も聞こえない。
その代わり、空気の中に含まれる魔力は明らかに濃くなっていた。
「すごい……」
カイルが周囲を見回す。
「何かあるのか?」
「この辺りは、どこを見ても魔力で満たされてる。太い魔脈が近くを通っているんだと思う」
レオンには違いが分からなかった。
魔力を探ろうとしても、自分の魔力に邪魔されて周囲の魔力を感じ取れない。
「進む方向は?」
「少し待って」
カイルは目を閉じ、周囲へ意識を集中させた。
しばらくして、一つの通路を指す。
「あっちだよ。奥から特に強い魔力を感じる」
「分かった」
レオンが先頭を歩き、カイルが後へ続く。
第八層にも多くの分かれ道があった。
行き止まり。
別の道へ繋がる横穴。
上下へ複雑に伸びる坂道。
地図がなければ、同じ場所を何度も歩くことになっただろう。
しかし、カイルは迷わなかった。
立ち止まるたびに周囲の魔力を調べ、より強い魔力を感じる方向を選んでいく。
途中でクリスタルアントやクリスタルバットに遭遇したが、全てレオンが倒した。
それから長い坂道を下り、二人は第九層へ到着した。
レオンは持っていた時計を取り出す。
坑道へ入ってから、既にかなりの時間が経っていた。
「今日はここまでにする」
「まだ進めるよ?」
「お前は歩きながら何度も欠伸をしていた」
「……見てたんだ」
「足元もふらついている」
カイルは自分の足へ視線を落とした。
「少しだけ眠いかもしれない」
「休める場所を探すぞ」
二人は第九層を進み、やがて小さな空間を見つけた。
奥へ続く通路と、今通ってきた通路。
出入口は二か所だけだ。
魔物が潜んでいないことを確認すると、レオンは片方の通路へ左手を向けた。
「何をするの?」
「入口を塞ぐ」
氷が地面から伸び、通路を塞ぐ壁を作る。
完全には塞がず、上部には空気を通すための僅かな隙間を残した。
続いて、反対側の通路にも同じ氷壁を作る。
これで魔物が入ってくれば、氷が砕ける音で気づくことが出来る。
「便利だね、氷魔法」
「その分、冷えるがな」
「確かに少し寒くなったよ」
二人は氷壁から離れた中央へ背負い袋を置いた。
外套を敷き、残っていたパンと干し肉を取り出す。
カイルは食事を口へ運びながら、第九層の岩壁へ視線を向けていた。
「採るなよ」
「まだ何も言ってないよ」
「顔を見れば分かる」
「一つくらいなら駄目?」
「休むと決めただろう」
「分かったよ。採るのは起きてからにする」
カイルは諦めて壁から目を逸らした。
レオンは水を飲んでから、カイルが並べていた魔鉱石を見る。
第四層、第五層、第七層。
さらに、アルカナ迷宮で採った物もある。
「前から気になっていたが、カイルはどうしてそこまで魔脈を調べているんだ?」
カイルの手が止まった。
「魔鉱石が好きだから、というだけではなさそうだ」
「……そうだね」
カイルは手にしていたパンを置いた。
少し考えてから、岩壁へ視線を向ける。
「レンは、王国では魔脈のことを何と呼ぶか知ってる?」
「知らないな。王都には龍脈があるらしいが」
「うん。同じ物だよ」
「名前が違うだけなのか?」
「そう。大地の下を流れる魔力を、王国では龍脈、魔道国家では魔脈と呼んでる」
カイルは地面を指でなぞった。
「王国では、地下を流れる巨大な魔力を龍の通り道に見立てた。だから龍脈と呼ばれるようになったらしいよ」
「魔道国家では?」
「もっと単純だよ。魔力の流れだから魔脈。昔から研究の対象だったから、現象をそのまま表す名前が使われてる」
呼び方が違うだけで、指している物は同じ。
大地の下を流れ、周囲の魔鉱石や魔物、土地そのものへ影響を与える巨大な魔力の流れ。
「それを調べて、何をするつもりだ?」
レオンが尋ねる。
カイルはすぐには答えなかった。
地面を見つめながら、何かを迷っている。
やがて、小さく息を吐いた。
「僕には、四つ年上の姉がいたんだ」
レオンは黙って続きを待った。
「姉さんは、いつも僕と遊んでくれた。いろんな魔法を魔法陣陣を使って見せてくれたんだ」
カイルの表情が僅かに和らぐ。
「水の魔法陣で作った魚を、空中で泳がせてくれた。土の魔法陣で作った人形を踊らせたり、火の魔法陣で小さな花火を作ったりもした」
カイルの声は懐かしそうな声だった。
「風の魔法陣で僕の声を変えたこともあった。僕が変な声で話すたび、姉さんが笑うんだ。僕も面白くて、何度もやってもらった」
「その姉には、火、水、土、風の属性があったのか?」
レオンが尋ねると、カイルの表情が僅かに曇った。
「ないよ」
「ない?」
「姉さんには、基本属性が一つもなかった」
レオンは眉を寄せた。
水の魚。
土の人形。
火の花火。
風によって変えられた声。
その全てが、異なる属性の魔法だ。
「それなら、どうやって属性の魔法陣を起動した?」
属性を持たない者にも、無属性の魔力はある。
しかし、無属性の魔力を火や水へ変えることは出来ない。
魔法陣を使ったとしても、本人が持たない属性の魔法は発動しない。
それが、この世界における魔法の常識だった。
「分からない」
カイルは悔しそうに首を横へ振った。
「当時の僕は六歳だった。魔法陣がどう描かれているかなんて見てなかったんだ」
幼いカイルが見ていたのは、空中を泳ぐ水の魚だった。
楽しそうに踊る土の人形。
夜空へ咲く小さな花火。
自分の口から出る、普段とは違う声。
目の前で起きる不思議な現象に夢中になり、その現象を起こしていた魔法陣へ目を向けていなかった。
「姉さんが死んでから、何度も思い出そうとしたよ。でも、魔法陣の形だけは思い出せなかった」
「魔石や魔法具を使っていた可能性は?」
「分からない。姉さん自身が魔法陣へ魔力を流していたことは覚えてる。でも、その周りに何が置かれていたのかまでは覚えてないんだ」
カイルは膝の上で手を握った。
「だから僕は、今も調べてるんだ。属性を持たなかった姉さんが、どうして四つの属性魔法を使えたのか」
レオンは黙って考える。
属性を持たない者が、複数の属性魔法を発動させる。
それが事実なら、カイルの姉は現在使われている物とは異なる魔法陣を使っていたことになる。
「姉が使っていた魔法陣を再現したいのか?」
「うん。あの魔法陣の仕組みが分かれば、属性を持たない人でも魔法を使えるようになるかもしれない」
カイルはそこで言葉を止めた。
僅かに浮かんでいた笑みが消える。
「だけど、僕が六歳の頃、姉さんには属性がないことが分かった。それから姉さんとは会えなくなったんだ」
「会えなくなった?」
「姉さんの部屋へ行っても、中へ入れてもらえなかった」
カイルは膝の上で手を握る。
「僕は毎日、姉さんの部屋へ行った。でも、扉の前で呼んでも、姉さんは答えてくれなかった」
一日。
二日。
それが一週間続いた。
「一週間後、姉さんは病気で死んだと言われた」
カイルの声は静かだった。
「葬儀には出たよ。でも、姉さんの棺は最初から閉じられていた」
「姿は見なかったのか?」
「見せてもらえなかった。最後まで棺を開けることも許されなかったんだ」
幼いカイルが何度頼んでも、父も周囲の者達も聞き入れなかった。
姉は病気で死んだ。
それだけを繰り返し告げられ、顔を見ることも、別れの言葉を伝えることも出来なかった。
「棺の中に、本当に姉さんがいたのかも分からない」
レオンは何も答えなかった。
カイルはそのまま続ける。
「それから三年経って、僕は九歳になった。書庫へ入れるようになってから、姉さんを死なせた病気について調べたんだ」
一週間で人を死なせる病。
突然発症し、家族との面会すら許されなくなる病。
カイルは考えられる全ての病気を調べた。
「でも、姉さんに当てはまる病気は一つもなかった」
「だから、病気ではなかったと思っているのか?」
「うん」
カイルは緑色の髪へ触れた。
「父が姉さんを殺したんだと思ってる。属性がなかったから」
「証拠はあるのか?」
「ないよ。ただ、姉さんが死んだと聞かされた時、父は悲しんでいなかった」
それだけでは証拠にならない。
カイル自身も分かっているのだろう。
それでも疑いを捨てられない理由があった。
「姉さんの病気を調べたすぐ後に、母も処刑された」
「処刑?」
「反逆罪だよ。国を裏切ったと言われて、処刑された」
カイルは俯いた。
「母が何をしたのか、僕には教えてもらえなかった。母とも最後に話すことは出来なかったよ」
姉に続き、母まで失った。
そのどちらにも別れを告げることが出来なかった。
「だから僕は、父が姉さんを殺したことに、母が気づいたんじゃないかと思ってる」
「それで母親も殺されたと?」
「僕が勝手に考えているだけだよ」
カイルは自嘲するように笑った。
「姉さんは病気で死んで、母は本当に国を裏切ったのかもしれない。だけど、僕にはそう思えないんだ」
レオンは黙ってカイルの話を聞いていた。
前世で遊んだ乙女ゲームでは、カインの姉や母について詳しく語られていなかった。
姉と母を父親に奪われたと思っていたこと。
それが、カインの研究に繋がっていたことも知らなかった。
「それが、誰でも魔法を使えるようにする研究と関係しているのか?」
「うん」
カイルは顔を上げた。
「姉さんは属性を持っていなかった。でも、魔法陣を使って僕にいろんな魔法を見せてくれた」
空中を泳ぐ水の魚。
踊る土の人形。
小さな花火。
変わった声。
その全てを、幼いカイルは純粋に楽しんでいた。
「属性がないから価値がないなんて、僕は思わない」
カイルの声に、これまでとは違う強さが宿る。
「魔力や属性に関係なく、誰でも好きな魔法を使えるようになれば、姉さんのような人が価値を否定されることもなくなる」
そのために、魔法陣を研究している。
属性を持たない者でも使える魔法。
魔力を持たない者でも、魔鉱石に蓄えられた力を利用して発動出来る魔法具の魔法。
だが、魔法具の性能は未だ、火を起こしたり、水を少量出したりと低いままだ。
それを魔法と同じ様にさせるには、魔力がどのように流れ、別の属性へ変わるのかを理解しなければならない。
「魔脈は、巨大な魔力の流れだよ。魔脈の周囲では、土や鉱石が魔力を取り込んで変化する。そこを調べれば、無属性の魔力を別の属性へ変える仕組みも分かるかもしれない」
「そのために各地のダンジョンへ入っているのか」
「うん。ダンジョンによって魔脈の太さや、魔鉱石へ与える影響が違うからね」
カイルは並べた魔鉱石へ目を向けた。
「僕は、姉さんが見せてくれた魔法を、誰でも使えるようにしたいんだ」
それがカイルの目的だった。
魔道国家では、魔力や属性の高さによって人の価値が決まる。
もし誰でも、どのような魔法でも使える技術が完成すれば、その価値観は根底から崩れる。
王族や貴族が持つ権威にも影響するだろう。
魔道国家の王子であるカイル自身が、現在の国の仕組みを壊しかねない研究を進めている。
だから、原作のカインは王国へ行き、実験を続けていたのかもしれない。
原作では、王国の貴族から、カインの研究へ資金が流れていた描写があった。
あの貴族は改革派の残党なのだろう。
改革派からしてもカイルの研究は魅力的なはずだ。
誰でも魔法を使えるようになる技術は、魔道国家では受け入れられない。
それに対して王国の改革派にとっては、国を大きく変える力になる。
双方の思惑が一致していたのだろう。
「僕も、姉さんやお母様のような髪の色がよかった」
カイルが緑色の前髪を摘まみ、小さく呟いた。
「この髪を見るたび、父と同じだと思い知らされるから」
レオンは、原作のカインを思い出した。
乙女ゲームには、主人公がカインの緑色の髪を褒める選択肢があった。
一見すれば正しい選択肢に思える。
しかし、それを選ぶとカインの好感度は下がった。
理由は、ゲームの中では明かされていなかった。
父親と同じ髪の色を、カインは嫌っていたのだ。
「そうか」
レオンは、それだけ答えた。
安易に慰めることも、髪を褒めることもしなかった。
カイルは少し意外そうにレオンを見る。
「何も言わないんだね」
「何を言えばいい?」
「普通は、似合っているとか言うんじゃない?」
「嫌いだと言っている物を褒めても仕方がないだろう」
カイルは目を瞬かせた後、小さく笑った。
「レンは変なところで真面目だね」
それから、何かを思い出したようにレオンを見る。
「そういえば……」
「なんだ?」
「いや、姉さんもレンと一緒で、魔力を感じ取るのが苦手だったなって思って」
レオンが僅かに眉を寄せる。
「魔法陣を扱えたのに、魔力を感じられなかったのか?」
「うん。近くに魔力を持つ人がいても、姉さんはほとんど気づかなかった。相手の魔力量も分からなかったみたい」
「理由は?」
「それも分からないよ。姉さん自身が、どうして皆には分かるのか不思議がってたから」
カイルは並べられた魔鉱石の一つを手に取った。
「レンは、これだけ強い魔脈の近くにいても何も感じないんでしょ?」
「ああ」
「そこは姉さんと同じだね」
カイルは何気なく口にした。
だが、その話はレオンの記憶に残った。
属性を持たず、複数の属性魔法を使う魔法陣を扱い、魔力を感じ取ることが出来なかった姉。
分からないことが多すぎる。
それでも今は、これ以上確かめる方法がなかった。
「休むぞ」
「また話を終わらせた」
「先に寝ろ。俺が見張っている」
「氷の壁があるのに?」
「壊されないとは限らない」
「分かったよ」
カイルは外套の上へ横になった。
身体を丸め、背負い袋を枕にする。
しばらくすると、規則正しい寝息が聞こえ始めた。
レオンは氷壁の前へ座り、剣を手元へ置く。
眠るカイルの近くには、普通の背負い袋が置かれている。
レオンも同じ物を使っていた。
食料も水も回復薬も、全て背負い袋へ入れて運んでいる。
レオンはアイテムバッグを持っている。
それを使えば、重い荷物を背負う必要などない。
それでも、カイルの前で使うつもりはなかった。
原作では、主人公のエリシアが魔力侵食症を発症する。
エリシアを救うため、カイン達はあるダンジョンへ向かった。
そこで手に入れたのが、レオンの持つ物と同じアイテムバッグだった。
レオンは、父グラニウスが危篤になった時にその場所へ向かい、既にアイテムバッグを手に入れている。
原作のカインは、アイテムバッグに刻まれた魔法陣を解析した。
内部に広がる空間。
物を出し入れするための接続。
その構造を理解したことで、カインは時空間魔法へ辿り着いた。
そして、その技術を龍脈へ応用する。
王国では龍脈と呼ばれる巨大な魔力の流れを動かし、王都へ通したのだ。
その結果、北竜が王都を襲うことになる。
原作通りなら、王都は大きな被害を受ける。
カイルに悪意があったわけではない。
誰でも魔法を使えるようにするという目的のため、必要な魔力を王都へ集めようとしただけだ。
だが、その結果まで同じになる可能性はある
そう決めていた。
数時間後、レオンはカイルを起こした。
「交代だ」
「……もうそんなに経った?」
「ああ」
カイルは目を擦りながら起き上がった。
「何も来なかった?」
「今のところはな」
「分かった。次は僕が見張るよ」
レオンは外套の上へ横になる。
剣はすぐに抜ける位置へ置いた。
目を閉じてからも、しばらくはカイルが紙へ何かを書き込む音が聞こえていた。
「見張りをしろ」
「してるよ」
「なら、手を止めろ」
「書いてる方が眠くならないんだけどな……」
不満そうな声の後、紙をしまう音が聞こえた。
レオンはようやく意識を休ませた。
次に目を開けた時、カイルは氷壁の前に座り、奥の通路へ意識を向けていた。
「起きた?」
「ああ」
「魔物は来なかったよ」
二人は簡単な食事を取り、荷物をまとめた。
カイルは第九層の岩壁から魔鉱石を一つだけ採取する。
その間に、レオンは二か所の氷壁を解除した。
「どちらへ進む?」
カイルは採取した魔鉱石を袋へ収めると、目を閉じた。
「奥の通路。かなり強い魔力を感じる」
「最下層か?」
「たぶんね。今までとは比べものにならないよ」
二人は第九層の奥へ進んだ。
道を進むほど、岩壁から露出する結晶が大きくなっていく。
やがて通路の先に、下へ続く大きな坂道が現れた。
その入口には、古びた石柱が立っている。
刻まれていたのは、十を示す数字だった。
「この先が最下層だね」
「ああ」
レオンは剣の柄へ手を置いた。
坂道を下りると、広大な空間へ出る。
天井は高く、壁一面を巨大な結晶が覆っていた。
空間の中央には、山のように積み上げられた結晶がある。
カイルが足を止めた。
「レン」
「ああ。分かってる」
結晶の山が動いた。
大地が揺れ、積み重なっていた結晶が左右へ崩れ落ちる。
その中から、巨大な頭部が持ち上がった。
長い触角。
巨大な顎。
分厚い結晶に覆われた胴体。
これまで遭遇したどのクリスタルアントよりも大きい。
最下層の主《魔脈女王クリスタルアント》。
女王が顎を開き、坑道全体を震わせる咆哮を上げた。




