第324話 アルカナ迷宮
翌朝。
まだ朝日が昇り切らない時間に、レオンは宿を出た。
腰には、アルマによって無属性の魔法陣が刻まれた剣。
左手には、氷属性の魔石が取りつけられた指輪。
食料や水、回復薬、野営に必要な道具は、全てアイテムバッグへ収めてある。
外から見れば、普段と変わらない軽装だった。
レオンはミストレア北東部へ向かう乗合竜車へ乗り込んだ。
早朝ということもあり、乗客は多くない。
アルカナ迷宮へ向かう冒険者らしい者もいたが、そのほとんどが四人以上の集団だった。
鎧を着た前衛。
杖を持つ魔法使い。
回復魔法陣の刻まれた魔法具を身につけた治療役。
それぞれが役割を分けていることが、装備を見るだけで分かる。
一人で乗っている冒険者は、レオンだけだった。
竜車に揺られること半日。
窓の向こうに、巨大な石造りの建物が見えてきた。
周囲には木々が生い茂っている。
その森の中央に、黒い石を積み上げた巨大な建造物が立っていた。
正面にある入口は、人が数人並んで通れるほど大きい。
壁には古びた魔法陣が幾重にも刻まれ、その一部は今も淡い紫色の光を放っている。
アルカナ迷宮。
かつて古代の魔法使い達が使用していた研究施設。
長い年月の中で内部へ魔力が溜まり、魔物を生み出すダンジョンへ変化した場所だった。
竜車を降りたレオンは、入口近くに建てられた管理所へ向かった。
管理所の前には複数の冒険者が集まっている。
装備を確かめる者。
地図を広げて進む道を確認する者。
魔法具が正常に動くか試す者。
B級ダンジョンへ入る前だからか、誰もが真剣な表情をしていた。
レオンが管理所へ入ると、机の奥に座っていた男が顔を上げた。
年齢は四十歳ほどだろう。
冒険者協会の紋章がついた灰色の制服を着ている。
「アルカナ迷宮へ入るのか?」
「ああ」
レオンは冒険者登録証と、昨日受け取った挑戦許可証を差し出した。
男は最初に許可証を確認し、続いて登録証へ目を向ける。
そこに刻まれたCの文字を見て、僅かに眉を寄せた。
「C級か」
「ああ」
「仲間は?」
「いない」
男はレオンの後ろへ視線を向けた。
誰も入ってこないことを確認すると、再びレオンを見る。
「一人で入るつもりか?」
「そのための許可証だ」
「許可がある以上、止めることは出来ないが……アルカナ迷宮はB級だぞ」
「知っている」
「内部では通路が変化する。入ってきた道を戻れば外へ出られるとは限らない」
「それも聞いている」
「最深部へ着くまで、数日かかることもある」
「食料と水は用意してある」
男はレオンの荷物を見る。
腰の剣と、小さな革袋しか見当たらない。
「どこにある?」
「魔法具の中だ」
レオンは腰へ提げた小さな革袋を軽く叩いた。
男はそれを収納用の魔法具だと判断したらしく、それ以上は尋ねなかった。
「帰還用の魔法具は?」
レオンは革袋から、昨日購入した小さな灰色の石を取り出した。
表面には、転移用の魔法陣が刻まれている。
迷宮内で砕けば、入口近くに設置された帰還地点まで転移出来る魔法具だった。
ただし、魔力の流れが乱れている場所や、ボス部屋の中では使用出来ない。
男は帰還石を確認して頷いた。
「準備はしてあるようだな」
「ああ」
男は机の上に置かれた魔法具へ、レオンの登録証を差し込んだ。
魔法具の中央には、透明な板が取りつけられている。
男が側面の魔石へ触れると、透明な板に文字が浮かび上がった。
レン。
冒険者等級C級。
水属性。
氷属性への派生を確認。
アルカナ迷宮への入場許可。
「これで入場記録が残った。最深部の守護者を倒して、討伐の確認出来る物を協会に持っていけば、登録証へ完全攻略の記録が刻まれる」
男は登録証を抜き、レオンへ返した。
「完全攻略を目指すのは勝手だが、命より優先するものじゃない。危険だと思ったら帰還石を使え」
「分かった」
「本当に分かってるのか?」
「ああ」
レオンは登録証と帰還石を革袋へ戻し、管理所を出た。
入口へ向かう途中、近くで準備をしていた冒険者達がレオンを見る。
一人で入口へ向かっているため、奇妙に思われているのだろう。
その中の一人が声をかけてきた。
「おい、そっちはアルカナ迷宮の入口だぞ」
「ああ」
「採取依頼なら、周辺の森だ。中へ入る必要はない」
レオンは足を止める。
声をかけてきたのは、大きな盾を背負った男だった。
年齢は三十歳ほど。
胸元にはB級冒険者であることを示す登録証を下げている。
男の後ろには、剣士と魔法使い、それに杖を持った女性が立っていた。
四人で迷宮へ入るらしい。
「俺も中へ入る」
レオンが答えると、男は驚いたように目を見開いた。
「一人でか?」
「ああ」
「等級は?」
「C級だ」
「やめておけ」
男は即答した。
「入口付近の魔導人形ならC級でも倒せる。だが、奥へ進めば複数の魔導人形が同時に出てくる。罠もある。一人で入る場所じゃない」
「忠告は感謝する」
「なら――」
「それでも行く」
男は何か言おうとしたが、レオンが既に許可証を持っていることに気づき、口を閉じた。
許可証がある以上、冒険者協会がレオンの入場を認めたということになる。
「死ぬなよ」
「ああ」
レオンは短く答え、アルカナ迷宮の入口へ向かった。
巨大な石門の内側には、淡い光を放つ薄い膜が張られている。
ダンジョンの内部と外部を隔てる結界だった。
腰の剣へ手を添え、その膜を通り抜ける。
瞬間、周囲の空気が変わった。
外の音が完全に消える。
森を揺らしていた風も、鳥の鳴き声も聞こえない。
代わりに聞こえてきたのは、どこか遠くで魔法具が動く低い音だった。
迷宮の内部は、外から見た建物より遥かに広い。
黒い石で作られた通路が、真っ直ぐ奥へ続いている。
壁と床には複雑な魔法陣が刻まれ、一定の間隔で埋め込まれた紫色の魔石が周囲を照らしていた。
窓はない。
それでも、歩くのに困らない程度の明るさが保たれている。
レオンは入口近くに立ち、記憶にある光景と見比べた。
原作のアルカナ迷宮も、最初は真っ直ぐな通路から始まっていた。
だが、画面を通して見ていた時よりも通路は広く、天井も高い。
壁一面へ刻まれた魔法陣も、記憶にあるものより遥かに複雑だった。
ここから先では、時間の経過や特定の魔法陣を踏むことで通路が変化する。
正しい道を知らなければ、同じ場所を何度も歩かされることになる。
レオンが通路を進み始める。
十数歩ほど歩いた時だった。
前方の壁へ埋め込まれた魔法陣が光った。
ガコン。
重い音と共に、壁の一部が開く。
その奥から、一体の人影が姿を現した。
人間ではない。
全身が黒い金属で作られた魔導人形だった。
高さは大人の男性と同じくらい。
顔に目や口はなく、中央へ青い魔石が一つ埋め込まれている。
右手には金属製の剣。
左腕には小型の盾が取りつけられていた。
魔導人形の顔にある魔石が赤く変わる。
同時に右手の剣を構えた。
レオンも腰の剣を抜く。
銀色の刀身が、紫色の光を反射した。
魔導人形が床を蹴る。
金属で作られているとは思えない速さで距離を詰め、剣を振り下ろしてきた。
レオンは半歩横へ動く。
剣が目の前を通り過ぎ、床へ叩きつけられた。
硬い石の床に細かな亀裂が走る。
魔導人形が剣を持ち上げようとする。
その前に、レオンは踏み込んだ。
まずは魔力を流さず、剣を横へ振るう。
甲高い金属音が響いた。
レオンの剣が、魔導人形の胴体へ食い込む。
だが、刃は半ばで止まった。
レオンは一度距離を取り、刀身を確認する。
傷はない。
魔導人形の装甲は硬いが、普通に斬ってもある程度は刃が通る。
「次は、魔法陣か」
レオンは剣へ僅かに魔力を流した。
刀身の根元へ刻まれた無属性の魔法陣が白く輝く。
そこから細い光が刃全体へ伸びていった。
魔導人形が再び剣を振り上げる。
レオンは正面から踏み込んだ。
振り下ろされた剣を避け、その胴体へ銀色の刃を走らせる。
手応えは、ほとんどなかった。
剣は魔導人形の装甲を通り抜ける。
次の瞬間、上半身と下半身がずれた。
重い音を立て、二つに分かれた魔導人形が床へ崩れ落ちる。
それでも勢いは止まらない。
振り抜いた剣の先が、通路の壁へ僅かに触れた。
斜めに細い線が走る。
直後、壁の表面が音を立てて滑り落ちた。
レオンは剣を止め、切断された壁を見る。
流した魔力は、ほんの僅かだった。
それにもかかわらず、魔導人形だけでなく、迷宮の壁まで斬れている。
「……少し流しすぎたか」
アルマには、魔力を流した分だけ切れ味が増すと聞いていた。
だが、自分が僅かだと思っている量と、一般的な魔法具が想定する量には大きな差があるらしい。
これまでの剣なら、今の魔力を流しただけでも耐えられなかった可能性がある。
しかし、手の中の剣には傷一つない。
魔法陣にも異常はなかった。
レオンは改めて銀色の刀身を見る。
ガレオンが打ち、アルマが魔法陣を刻んだ剣。
二人の職人が手を加えたことで、この剣はレオンの魔力を受け止められる魔剣となった。
これなら、今までよりも遥かに少ない力で魔物を倒せる。
問題があるとすれば、力を抑える方だった。
「慣れる必要があるな」
レオンは剣へ流す魔力をさらに減らす。
魔法陣の光が弱まり、刃を覆っていた白い光も薄くなった。
その時だった。
倒した魔導人形の胸部から、小さな音が聞こえた。
埋め込まれていた魔石が砕ける。
その瞬間、通路の壁と床に刻まれた魔法陣が一斉に光った。
ゴゴゴゴゴゴッ。
迷宮全体が揺れ始める。
レオンの後方で、巨大な石壁が床からせり上がった。
入口へ続いていた道が塞がれる。
同時に左右の壁が動き、それまで存在しなかった二つの通路が現れた。
一つは紫色の光に照らされた通路。
もう一つは、先の見えない暗い通路。
魔導人形を倒したことで、最初の仕掛けが動いたのだ。
レオンは二つの道を見比べる。
原作では、ここで明るい道を選べば入口近くへ戻される。
最深部へ続いているのは、何も見えない暗い通路だった。
知らなければ、安全に見える方を選ぶだろう。
それこそが、この迷宮に仕掛けられた最初の罠だった。
レオンは迷うことなく、暗い通路へ足を向ける。
アルカナ迷宮の攻略は、まだ始まったばかりだった。




