第29話 一年三ヶ月ぶりの王都
グランツの宿場町を出発してから、六日が過ぎた。
レオン達を乗せた馬車が緩やかな坂を上っていくと、やがて街道の先に巨大な城壁が見えてきた。
王都エルグランド。
エルグランド王国最大の都市であり、政治と経済の中心地でもある。
レオンは馬車の窓から、少しずつ近づいてくる王都の姿を眺めた。
「久しぶりだな」
初めて見る景色ではない。
一年三ヶ月前、レオンはアレク王子の誕生祭へ出席するため、父の代理として王都を訪れていた。
あの時は、ノルディア辺境伯家の嫡男としてこの城門をくぐった。
しかし、今日は違う。
正式なノルディア辺境伯となるために、この場所へ来ている。
「感慨深そうですな」
向かいの席に座るゼムが、レオンの表情を見ながら言った。
「まあな」
レオンは僅かに苦笑し、再び窓の外へ目を向けた。
馬車は王都の城門を通り抜け、整備された石畳の道を進んでいく。
大通りには多くの人々が行き交い、道の両側には様々な店が立ち並んでいた。
王都へ商品を運び込む荷馬車や竜車の数は、グランツの宿場町よりもさらに多い。
商人の呼び声や、荷物を運ぶ者達の声。馬車の車輪が石畳を踏む音が、至るところから聞こえてくる。
一年三ヶ月前と変わらない賑わいだった。
やがて馬車は、ノルディア家が王都に所有する屋敷へ到着した。
ノルディア領を出発してから十二日。
長旅の疲れも残っていたため、レオンは明日の任命式に備え、その日は早めに休むことにした。
翌日。
王城の謁見の間には、玉座へ向かって真っ直ぐに赤い絨毯が敷かれていた。
その左右には、王国の重臣や高位貴族、近衛騎士達が並んでいる。誰も言葉を発さず、広い謁見の間は張り詰めた静寂に包まれていた。
レオンは赤い絨毯の上を進みながら、その先にある玉座へ目を向けた。
そこへ座る男の姿を見た瞬間、思わず息を呑む。
アーサー・エルグランド。
エルグランド王国第二十四代国王。
年齢は四十五歳。
王家の血を象徴するような美しい金髪と、澄み渡るような蒼い瞳を持っている。整った顔立ちは、息子であるアレクによく似ていた。
しかし、その身に纏う雰囲気は、まだ少年であるアレクとはまるで違う。
王として積み重ねてきた年月。
国を動かし、幾つもの決断を下してきた責任の重さ。
それらが自然な威厳となって、アーサーの全身から感じられた。
レオンは玉座の前まで進むと、赤い絨毯の上へ跪いた。
「ノルディア辺境伯家当主、レオン・ノルディア、参上いたしました」
レオンの声が、静かな謁見の間へ響く。
再び静寂が広がる中、国王は玉座からレオンを見つめていた。
レオンは、まだ十三歳である。
周囲に並ぶ貴族達と比べれば、身体にも顔立ちにも少年らしさが残っている。
それでも、その瞳に迷いはなかった。
しばらくレオンを見つめた後、国王が静かに口を開く。
「顔を上げよ」
「はっ」
レオンが顔を上げると、国王は僅かに頷いた。
「久しいな。以前に会った時は、まだ幼かった」
レオンは、その時のことを明確には覚えていなかった。
幼い頃、父グラニウスと共に王都を訪れ、国王へ挨拶したことがある。
父の横に立ち、言われたとおりに頭を下げた。その光景が、記憶の中に僅かに残っているだけだった。
「はい。僅かではございますが、覚えております」
その答えを聞き、国王は少しだけ笑った。
「そうか」
しかし、すぐにその表情が真剣なものへ変わる。
「まずは、グラニウスの件だ」
国王が父の名前を口にした瞬間、謁見の間の空気が変わった。
「余も、惜しい男を失った。グラニウスは王国の盾であり、王国最強の騎士の一人でもあった。心より冥福を祈る」
レオンは、深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
国王は静かに頷くと、玉座から立ち上がった。
その瞬間、左右に並んでいた貴族達の間から、小さなどよめきが起こる。
国王自ら玉座を離れる。
それだけでも、異例のことだった。
国王は貴族達の反応を気にすることなく、赤い絨毯の上を歩き、レオンの前までやって来た。
そして、腰に下げていた儀礼用の剣をゆっくりと抜く。
謁見の間に緊張が走った。
しかし、近衛騎士達は誰一人として動かない。
それが爵位を授ける際に行われる、叙任の作法だと知っているからだ。
国王は剣の平らな部分を、跪くレオンの肩へ静かに置いた。
「レオン・ノルディア。其方を、ノルディア辺境伯に任ずる」
「はっ!」
「北方の守護を担い、王国の民を守ることを命じる」
国王が自ら玉座を離れ、レオンの肩へ剣を置いたことは異例だった。
だが、最後に告げられた言葉は、歴代のノルディア辺境伯へ伝えられてきたものと同じだった。
北方の守護。
それは、グラニウスが背負い続けてきた責務である。
そして今、その責務が父から息子へ受け継がれようとしていた。
レオンは驚きを表情へ出さないようにしながら、真っ直ぐ前を見た。
国王から与えられる言葉は重い。
その意味も、背負うことになる責任も、この一年間で十分に理解していた。
「謹んで、拝命いたします」
声に迷いはなかった。
国王はレオンの返答を聞き、満足そうに頷いた。
「よい目だ」
そして、レオンにだけ聞こえるほどの小さな声で続ける。
「グラニウスも、同じ目をしていた」
レオンの目が、僅かに見開かれた。
国王は穏やかに微笑む。
「だが、忘れるな。お前はグラニウスではない。レオン・ノルディアだ」
その言葉は、国王からの激励だった。
父の背中を追うだけではなく、自分の道を歩め。
そう告げているのだと、レオンには分かった。
「はい」
レオンが静かに答えると、国王は剣を鞘へ収め、再び玉座へ戻った。
そして、謁見の間に集まった全員へ聞こえるように、高らかに宣言する。
「ここに、レオン・ノルディアを正式なノルディア辺境伯として認める!」
大広間に、盛大な拍手が響き渡った。
新たな辺境伯の誕生。
それは、レオン・ノルディアという十三歳の少年が、正式に北方を守る領主となった瞬間だった。
任命式を終え、集まっていた貴族達への挨拶も一通り済ませた頃だった。
「久しぶりだな」
背後から、聞き覚えのある声が飛んでくる。
レオンが振り返ると、金色の髪と青い瞳を持つ少年が立っていた。
アレク・エルグランド。
エルグランド王国第一王子であり、一年三ヶ月前の誕生祭でレオンが出会った相手だ。
レオンはすぐに姿勢を正し、頭を下げた。
「お久しぶりです、殿下」
そして、挨拶に続けて口を開く。
「まずは、お詫びを申し上げます」
アレクが不思議そうに首を傾げた。
「お詫び?」
「はい」
レオンは顔を上げ、真っ直ぐにアレクを見た。
「あの日の誕生祭を途中で退席した件です。父の容体が急変し、失礼を承知で退出いたしました。しかし、本来であれば、後日改めて謝罪へ伺うべきでした」
アレクは一瞬きょとんとした後、気にする必要はないと言うように苦笑した。
「そんなことか」
「ですが――」
「気にしていない。事情は父上から聞いていた。むしろ、あのような状況で誕生祭へ来てくれただけでも十分だ」
アレクはそう言うと、軽く手を振った。
レオンは、その言葉を聞いて少しだけ肩の力を抜いた。
「ありがとうございます」
アレクは改めて、正装を身につけたレオンの姿を見る。
「正式な辺境伯への就任、おめでとう」
「ありがとうございます」
「大変だろうが、頑張れ」
「はい」
交わしたのは短い言葉だけだった。
それでも、一年三ヶ月前と変わらないアレクの気さくな態度に、レオンは少し安心した。
アレクは笑みを浮かべる。
「また、時間がある時に話そう」
そう言い残すと、他の貴族達が集まる人混みの中へ戻っていった。
任命式は無事に終わった。
これで、レオンが王都へ来た最大の目的は果たされた。
しかし、レオンにはもう一つ、王都で確かめたいことがあった。
ノルディア家の王都屋敷へ戻る馬車の中で、レオンは向かい側に座るゼムへ声をかけた。
「ゼム」
「はい」
「怪しい商人について、現在分かっている情報をもう一度聞かせてくれ」
ゼムはすぐに頷いた。
「現在判明している情報は、四つでございます。若い男であること。各地を転々としていること。貴族との取引記録が確認されていないこと。そして、最後の目撃情報が南部のフェルナード伯爵領であることです」
レオンは腕を組み、ゼムから聞いた情報を頭の中で整理した。
若い男。
各地を転々としている。
そこまでは、レオンがゲームで知っている情報と一致していた。
「南か……」
しかし、怪しい商人がフェルナード伯爵領へ向かったという話は知らなかった。
ゲームの中では、怪しい商人は何の前触れもなく主人公の前へ現れ、取引が終わると突然姿を消していた。どこから来て、どこへ向かっていたのかまでは描かれていない。
「南へ向かった理由は分かるか?」
「不明でございます」
ゼムは首を横へ振った。
レオンは少し考えたが、すぐに一つの結論へ至った。
「まあ、各地を回っている商人なら、南にいても不思議ではないか」
「私も、そう思います」
ゼムも同意した。
商人である以上、商品を仕入れ、売るために各地を移動するのは当然だ。
最後に目撃された場所が南部だからといって、そこに特別な意味があるとは限らない。
むしろ、レオンが気になっていたのは別の情報だった。
「貴族との取引記録がないんだよな?」
「確認できませんでした」
「商人を相手にした取引は?」
「多数確認されております」
レオンは目を閉じ、前世で遊んだ乙女ゲームの記憶を辿った。
乙女ゲーム。
怪しい商人。
主人公と、攻略対象となる少年達。
思い返してみれば、ゲームの中で怪しい商人と直接取引をしていたのは、ほとんど主人公だけだった。
少なくとも、怪しい商人が貴族と取引している場面は、レオンの記憶にはない。
商人、冒険者、平民。
怪しい商人が相手にしていたのは、そのような者達ばかりだったように思える。
「貴族嫌いなのかもしれないな」
レオンが何気なく呟くと、ゼムも少し考え込んだ。
「その可能性はありますな。商売だけを考えるならば、裕福な貴族を相手にした方が儲かります。それでも避けているのであれば、何か理由があるのでしょう」
レオンは馬車の窓から、王都の街並みを眺めた。
ゲームの中で、怪しい商人が最も頻繁に姿を現した場所。
それが、この王都だった。
最後の目撃情報では南部へ向かったことになっているが、すでに王都へ戻ってきている可能性も十分にある。
「探してみるか」
「探されますか?」
「ああ」
レオンは頷いた。
しかし、すぐに別の問題へ思い至る。
もし、本当に怪しい商人が貴族を嫌っているのなら、辺境伯の正装で近づいても警戒されるだけだろう。
場合によっては、話しかける前に逃げられるかもしれない。
「ゼム」
「はい」
「平民の服を用意してくれ」
ゼムが僅かに目を見開き、その後、苦笑した。
「平民の服ですか?」
「貴族嫌いなら、貴族の格好で会いに行っても意味がないだろう」
「確かに、そのとおりですな」
「明日、王都の街を回る」
こうしてレオンは、正式に辺境伯となった翌日、平民の格好で王都を散策することを決めたのだった。




