第315話 機会を求める者達
翌日の朝、ノルディア邸の正門前には数台の馬車が止まっていた。
馬車から降りてくる者達の服装は、商人や職人のものではない。上質ではあるが飾り気の少ない貴族服を身につけ、腰へ剣を下げた者もいる。年齢は二十代から三十代が中心で、全員が緊張した表情でノルディア邸を見上げていた。
その数は十二人。
男爵家の次男や三男、領地を持たない準男爵など、ブロドが集めた志願者達だった。
「思ったより多いな」
二階の窓から正門を眺めていたレオンが呟く。
隣に立つクロエも、馬車から降りてくる者達を数えていた。
「本当に全員、貴族なの?」
「家名と経歴は事前に確認しております」
ゼムが書類の束を机へ置く。
「少なくとも、身分を偽っている者はおりません。ただし、いずれも王都の社交界では名を聞かない家ばかりでございます」
「僕も知らない家ばっかりだね」
クロエが一枚目の書類を手に取る。
そこには志願者の家名、年齢、学園での成績、卒業後の経歴が記されていた。
男爵家の次男として生まれ、家督を継ぐ兄の補佐をしている者。
準男爵の父から名だけを継いだものの、領地も役職も持たない者。
騎士を目指したが、装備を揃える金がなく諦めた者。
学園では優秀な成績を収めながら、後ろ盾がないため地方の役所で書類整理を続けている者。
クロエは数枚の書類へ目を通した後、不思議そうに首を傾げた。
「この人、学園の成績がかなり良いよ。計算と領地経営は、同じ学年でも五番以内に入ってる」
「それほど優秀なのに、現在は実家で帳簿係をしているようでございます」
「こっちの人も、土木と測量で首席だって」
「男爵家の三男でございます。卒業後は家を出ておりますが、貴族という身分が邪魔をして職人にもなれず、現在は小さな役所で街道の補修記録を付けております」
レオンは書類を受け取り、順番に目を通す。
能力がないわけではない。
ただ、生まれた家が弱く、家督を継げず、能力を示す機会を与えられなかった。
有力派閥に加わろうとしても、彼らには差し出せる領地も兵力も資金もない。
貴族でありながら、貴族社会から必要とされていない者達だった。
「ブロドは、どうやってこの人達を調べたんだ?」
壁際に立っていたブロドが答える。
「商人達から家族構成と経歴を聞き、学園時代の成績を調べました。その後、現在の仕事と評判を確認しております」
「そこまでしたの?」
クロエが呆れたようにブロドを見る。
「避難都市の建設を任せていただく以上、必要な人材を揃えることも私の仕事でございます」
「まだ昨日頼んだばかりだぞ?」
「情報を流したのは、それより前でございます」
レオンは目を細める。
「やっぱり最初から、このつもりだったな?」
「何のことでございましょう?」
ブロドは平然と答えた。
クロエが小さくため息を吐く。
「絶対分かってるよ」
レオンはもう一度、手元の書類を見る。
経歴だけなら悪くない。
だが、書類に書かれた能力と、実際に仕事を任せられるかは別の問題だった。
「全員と会う」
「一人ずつでございますか?」
「ああ。それと、ゼム、クロエ、ガレスにも同席してもらう」
クロエが自分を指差す。
「僕も?」
「数字と商売の話は、俺よりクロエの方が分かるだろ」
「まあ、そうだけど」
「軍事と兵站はガレス。政務と法律はゼムが見る」
ゼムは静かに頷いた。
「承知いたしました」
「家柄は関係ない。実際に仕事を任せられるかだけで決める」
こうして、志願者達との面談が始まった。
最初に執務室へ入ってきたのは、二十代半ばの細身の男だった。
緊張した面持ちで部屋の中央まで進み、深く頭を下げる。
「お初にお目にかかります。私はベイル男爵家の次男、アルノー・ベイルと申します」
「座ってくれ」
「はい」
アルノーは勧められた椅子へ腰を下ろす。
レオンは経歴書を見ながら尋ねた。
「学園では計算と領地経営を学んだと書かれている」
「はい。卒業後は実家で、税収と支出の管理を担当しております」
「領地経営を任されているのか?」
「いいえ。最終的な決定は兄が行います。私は帳簿をまとめ、意見を求められた際に答えるだけでございます」
「兄より自分の方が優秀だと思うか?」
突然の質問に、アルノーは言葉を詰まらせた。
ゼムとガレスが静かに様子を見守る。
アルノーは膝の上で拳を握った。
「……計算と財務については、私の方が優れていると考えております」
「家督を継ぎたい?」
「いいえ」
意外な答えだった。
「兄が家督を継ぐことに不満はございません。ですが、私にも自分の能力を使える仕事が欲しいのです」
レオンは机の上へ一枚の紙を置いた。
「避難民千人。用意できる食料は八百人分で七日間。次の補給は五日後に到着する予定だが、雨で街道が使えなくなる可能性がある。どうする?」
アルノーは紙を受け取り、しばらく数字を確認する。
「一日の配給量を最初から減らします」
「補給が予定どおり来るかもしれないぞ?」
「それでもです。補給が来てから配給量を戻すことはできますが、食料が尽きた後では何もできません」
クロエが尋ねる。
「子供や病人も同じ量を減らすの?」
「いいえ。必要な食事量と体力が異なります。子供、病人、作業を行う者に分けて配給量を変えます。ただし、不公平だという不満が出ないよう、理由と残りの食料を全員へ公開します」
クロエは手元の紙へ何かを書き込んだ。
レオンは続けていくつか質問をした後、アルノーを退室させる。
扉が閉まると、クロエが口を開いた。
「計算は早かったよ。食料を隠さず公開するって考えも悪くないと思う」
「感情に流されず、最悪の場合を考えられる点も評価できます」
ゼムも頷く。
「財務と物資配給の候補だな」
レオンはアルノーの書類へ印を付けた。
次に入ってきたのは、三十歳ほどの大柄な男だった。
「ローデン準男爵、マルク・ローデンと申します」
「経歴には、街道と橋の補修記録を作っていたとある」
「はい。役所では主に測量と資材の算出を担当しておりました」
「実際に工事を指揮した経験は?」
「ございません」
マルクは正直に答えた。
「意見を出したことはございますが、準男爵に現場を任せることはできないと言われました」
「準男爵も貴族だろ?」
マルクは苦笑する。
「名だけは、でございます。領地も兵士も持たない準男爵など、平民の職人から見れば、現場を知らない貴族にすぎません」
レオンは別の地図を机へ置く。
山間の村から避難都市へ続く街道と、その途中に架かる橋が描かれている。
「避難中、この橋が壊れた。対岸には三百人の領民が残っている。使える木材と人手は限られている。どうする?」
マルクは地図を見た後、橋の上流を指した。
「橋を直す前に、こちらの浅瀬を調べます」
「橋は直さないのか?」
「三百人を渡すだけなら、仮設の橋を一から架けるより、浅瀬へ縄を張り、馬車を固定して渡らせた方が早い可能性があります」
ガレスが尋ねる。
「魔獣が迫っている場合は?」
「兵士を橋の跡へ残し、魔獣の注意を引きます。その間に領民を浅瀬へ向かわせます」
「残した兵士が死ぬ可能性がある」
マルクは少し黙った。
「承知しております。ですから、橋を守る兵士には撤退の時刻を先に決めます。領民が全員渡り終えるまで、とは命じません。決めた時刻になれば、残っている者がいても兵士を退かせます」
ガレスは腕を組み、マルクを見つめる。
「領民を置き去りにするのか?」
「兵士まで全滅すれば、次の村を守れません」
執務室に沈黙が落ちた。
冷たい判断に聞こえる。
だが、誰かが決めなければならないことでもあった。
ガレスはゆっくり頷く。
「兵站と避難路の整備には使えるでしょう」
マルクが退室した後も、面談は続いた。
法律に詳しい男爵家の三男。
学園で軍略を学びながら、家に兵士がいないため一度も部隊を任されたことのない準男爵。
土魔法で基礎を作れるが、実家では長男の屋敷を修理する程度の仕事しか与えられなかった男。
一方で、爵位と領地を与えられるのが当然だと考えている者もいた。
「魔獣の氾濫を防ぐほどの功績を立てれば、最低でも男爵位は頂けるのでしょうか?」
「約束はできない」
レオンが答えると、その男は露骨に不満そうな表情を浮かべた。
「では、命を懸ける価値がございません」
「そうか。なら帰っていい。」
「えっ?」
「爵位が確約されないと働けないなら、任せる仕事はない」
男は何かを言い返そうとしたが、ゼムに退室を促され、執務室を出ていった。
別の者は、自分が貴族であることを理由に、平民の職人を指揮する役目を求めた。
「私は貴族です。避難民の名簿作りや物資の確認など、下の者へ任せればよいのでは?」
「その下の仕事ができない人間に、上の仕事は任せられない」
レオンはその場で不採用を告げた。
十二人全員との面談が終わった頃には、窓の外が夕暮れに染まり始めていた。
机の上には、採用、不採用、保留に分けられた書類が並んでいる。
採用は七人。
不採用は三人。
残る二人は、能力を確認するため、一定期間の試用とした。
「思ったより残したね」
クロエが採用者の書類を見ながら言う。
「全員使える場所が違うからな」
「しかし、最初から大きな権限を与えるべきではございません」
ゼムの言葉に、レオンは頷く。
「分かってる。最初は全員、各部門の補佐だ」
都市建設全体の責任者はブロド。
資金の流れはクロエが確認する。
政務上の最終判断はゼム。
軍事と避難路の防衛はガレス。
志願者達には、それぞれの能力に応じて実務を任せるが、単独で予算や兵士を動かす権限は与えない。
「功績を求めること自体は悪くない」
レオンは採用者の書類を見ながら呟く。
「でも、功績を急いで領民を危険に晒されたら困る。互いに確認させる仕組みにする」
「会計担当と資材担当を分ける?」
クロエが尋ねる。
「ああ。一人で金と物資の両方を動かせないようにする。街道の工事も、設計した者とは別の人間に確認させる」
「それなら、不正もしにくいね」
「避難開始の判断だけは、誰にも任せない」
レオンはゼムを見る。
「俺がいない時の最終決定は、ゼムに任せる」
ゼムの表情が僅かに変わった。
「ぼっちゃま」
「魔獣が何頭現れたら村を捨てるか、どこまで被害が広がれば領外へ避難させるか。その条件は出発前に決める。でも、実際に決断する人間は必要だ」
「クロエとガレスの意見を聞いたうえで、ゼムが決めてくれ」
ゼムはすぐには答えなかった。
長くノルディア家へ仕え、ヴァルグの時代から領地を見続けてきた男だった。
レオンの考え方も、ガレスやクロエより深く理解している。
やがてゼムは、静かに頭を下げた。
「承知いたしました」
「重い役目を任せて悪い」
「ぼっちゃまがお戻りになるまで、この老骨がノルディアをお預かりいたします」
「まだ老骨って言うほど衰えてないだろ」
「それは、ぼっちゃまの働かせ方次第でございます」
クロエが小さく笑う。
重かった執務室の空気が、少しだけ和らいだ。
ブロドは採用者達の書類をまとめると、立ち上がった。
「明日から、避難都市の候補地を調査いたします。測量、井戸、街道、資材の輸送方法を確認し、十日以内に最初の計画書を提出いたします」
「早くないか?」
「時間があるからと先延ばしにすれば、グランツ商会の時と同じ失敗を繰り返しますので」
ブロドはそう答え、書類を鞄へ入れる。
クロエが立ち上がり、自分の帳簿を一冊差し出した。
「ノルディアで取引してる商人と、商品の一覧だよ。仕入れ値と販売価格、輸送経路も書いてある」
ブロドは両手で受け取る。
「これを、私に?」
「専属商人の実務を引き継ぐんでしょ?」
「はい」
「僕が決めた値段を、そのまま使わなくてもいいからね。もっと利益が出るなら変えていい」
「承知いたしました」
「でも、勝手に変えたら怒るから、先に報告して」
「どちらでございますか?」
ブロドが真顔で聞き返す。
クロエは少し考える。
「変えてもいいけど、僕に相談してから」
「承知いたしました」
レオンは二人のやり取りを見ながら、机の上に残った地図へ目を落とす。
都市を造る者。
金と物資を管理する者。
避難路を整備する者。
軍を動かす者。
そして、自分がいない時に最終判断を下す者。
一か月前までは、ほとんど何も決まっていなかった。
だが、少しずつ形になり始めている。
父を救えなかった時には、時間も人手も準備も足りなかった。
今度は違う。
起きるかもしれない未来に対して、起きる前から備えている。
レオンは採用した七人の名前が並ぶ書類を見る。
彼らが本当に役に立つかは、まだ分からない。
功績を焦り、失敗する者もいるかもしれない。
それでも、機会を与えなければ才能があるかどうかさえ分からない。
「全員に伝えてくれ」
レオンはブロドへ告げる。
「爵位も領地も約束しない」
「はい」
「でも、立てた功績は必ず記録する。身分や家柄で無かったことにはしない」
ブロドは静かに頷いた。
「それだけで十分でございます」
家督を継げない次男。
領地を持たない準男爵。
才能を持ちながら、使う場所を与えられなかった者達。
彼らがノルディアへ集まり始めた。
魔獣の氾濫を防ぐため。
領民を守るため。
そして、自分自身の未来を変えるために。




