第312話 被害規模ごとの軍事計画
机の上には、ノルディア領とバルト山脈周辺の地図が広げられていた。
赤い駒は帝国軍、青い駒はノルディア騎士団を示している。
帝国側には、ガレスが率いるノルディア騎士団を含めた二千人。ノルディア側には、ルーカス率いる帝国軍五千人とノルディア騎士団二部隊四千人。そして領内には、残る一部隊二千人を待機させる。
これは帝国との和平交渉で決めた配置だ。両国の兵士を双方の領地へ分けることで、互いの動きを監視する。どちらか一方が意図的に魔獣を追い立て、相手側へ押しつけることを防ぐためでもあった。
レオンは地図の上に置かれた駒を見つめた。
「討伐が予定どおりに進めば問題ない。だが、魔獣がノルディア領へ流れ込んだ場合、領内に残した二千人だけで対処しなければならない」
「討伐部隊をすぐに戻すことは出来ないの?」
クロエの問いに、ガレスが首を横へ振った。
「難しいでしょう。山中に入った軍は、命令を受け取るだけでも時間がかかります。魔獣と交戦中であれば、撤退にも準備が必要です。下手に退けば隊列が崩れ、追撃を受けます」
「つまり、援軍が来るまでの間は、領内の兵だけで持ち堪える必要があるということか」
「はい。それを前提に考えるべきです」
レオンは領内待機を示す青い駒を四つに分けた。一つにつき五百人。それを山脈側の集落と主要街道に近い場所へ配置する。
「待機部隊二千人は、五百人ずつ四つに分ける。ただし、完全に固定するわけじゃない。状況に応じて合流出来る距離を保つ」
ガレスが地図を確認する。
「一か所へ集めておくより、初動は早くなります。しかし、分散しているところを各個に襲われる危険もあります」
「だから被害規模ごとの行動を先に決める。現場の指揮官が、俺の命令を待たずに動けるようにするんだ」
レオンは紙の上に、小規模、中規模、大規模と書いた。
「まず小規模。魔獣が一方向から流入し、一つの部隊で食い止められる場合だ。五百人を迎撃に向かわせ、残る千五百人は集落と街道の警戒を続ける」
「魔獣の数では決めないの?」
クロエに尋ねられ、俺は頷いた。
「同じ百体でも、シルバーウルフやレッドボア、それにゴブリンじゃ被害が違う。数だけで判断するのは危険だ。種類、進行方向、集落までの距離を含めて決める」
「空を飛ぶ魔獣や、群れを統率する上位種が確認された場合は、一段階上として扱った方がよろしいでしょう」
ガレスの提案を聞き、レオンは条件を書き加えた。
「飛行種、上位種、大型種が含まれていれば、数が少なくても中規模として報告。小規模の場合、現場の指揮官には即時出撃を認める」
一つずつ命令を求めていたら、その間にも魔獣は進む。後から責任を問われることを恐れて兵が動けなくなるくらいなら、あらかじめ権限を与えておいた方がいい。
「次に中規模。魔獣が複数の方向へ分かれた場合、または一部隊では食い止められないと判断した場合だ」
レオンは二つの青い駒を山脈側へ動かした。
「千人で迎撃する。五百人は避難路と集落の防衛。残り五百人は、どちらへも増援に出せる予備隊として残す」
クロエが帳簿へ数字を書き込んでいく。
「迎撃に千人、避難路に五百人、予備が五百人。これなら二方向から来ても対応出来るね」
「対応は出来るが、長くは保たない」
ガレスの声は重かった。
「千人で守れる範囲には限界があります。突破されれば、避難路の防衛部隊も戦闘へ加わることになります」
「その前に討伐部隊へ知らせる。中規模と判断された時点で、早馬と伝令用の狼煙を同時に出す。届かなかった場合を考えて、同じ報告を複数の経路から送る」
「その時点で撤退命令を出すの?」
「いや。まずは状況確認と撤退準備の命令だ。山中で一斉に撤退すれば、討伐部隊まで崩壊する。ノルディア側にいるルーカスの帝国軍五千人と、騎士団四千人にも情報を共有する」
帝国軍だからといって、当然のように助けてもらえるとは思っていない。だが、共同討伐の最中にノルディア側の防衛線が崩れれば、帝国軍も無関係ではいられない。
レオンは最後に、大規模と書かれた部分へ線を引いた。
「そして大規模。領内待機の二千人では阻止出来ない場合。複数の集落が同時に危険へ晒されるか、上位種を含む大群が確認された場合だ」
四つの駒を、街道と集落の前へ並べる。
「この場合、討伐は中止。二千人全員を魔獣の撃破ではなく、領民を逃がすための時間稼ぎに使う」
「魔獣を倒すことを目的にしないの?」
クロエが地図を見つめながら尋ねた。
「ああ。二千人で倒し切れないと判断したから大規模なんだ。勝てない相手に正面からぶつかれば、兵士も領民も失う。防衛線を少しずつ下げながら、避難が終わるまで持ち堪える」
ガレスが腕を組んだ。
「兵士には、最も苦しい役目となりますな」
「分かっている。だから撤退地点と時間を先に決める。命令が届かなくても、一定の時刻になれば次の防衛線まで下がっていい。最後まで残れなんて命令は出さない」
戦えと命じるのは簡単だ。だが、その一言で死ぬのは自分ではない。兵士達だ。
父上なら、どう決めただろうか。そんな考えが一瞬だけ頭をよぎったが、すぐに振り払った。
今のノルディア辺境伯は自分だ。自分が決めなければならない。
「大規模と判断された場合、帝国軍と共にいる私の部隊も撤退させてよろしいのですか?」
ガレスが確認する。
「ああ。ただし、独断で帝国軍を置き去りにはするな。状況を見て、帝国側の指揮官へ事情を伝え、許可が降りれば同時に撤退を開始する。ノルディア側にいる帝国軍五千人も、ルーカスの判断で動いてもらう」
「承知しました」
「討伐で得た素材や魔鉱石は、前線ごとに参加兵数に応じて分配する。これは帝国と決めたとおりだ。ただし、大規模被害が発生した場合は、回収を放棄していい。荷物を守って兵士が死んだら意味がない。拾えなかった素材の金は後で支払えば済む、だが兵士の命は金を積んでもどうにも成らないからな」
全員が頷いた。レオンは三段階の対応を書いた紙を見直した。
小規模なら五百人で迎撃。中規模なら千人で迎撃し、五百人を避難路の防衛、残る五百人を予備隊にする。大規模なら二千人全員で領民の避難を守り、共同討伐そのものを中止する。
だが、まだ足りない。
「俺がノルディアにいる間は、最終判断を俺が下す。だが、レイン魔道国家へ向かった後は、俺の返事を待つな」
レオンはゼムを見た。
「俺が不在の場合、領内待機部隊の指揮官は、定めた条件に従って即座に動いていい。規模の変更や撤退の最終判断はゼムが行え。クロエは情報と物資の状況をまとめ、ゼムを補佐してくれ」
「かしこまりました」
「分かった。けど、ボクに軍の指揮は出来ないよ?」
「軍を動かせとは言っていない。食料、馬車、薬、金、人の流れを見て、何日持つかをゼムに伝えてくれ。その計算はお前の方が得意だろ」
クロエは少し考えた後、頷いた。
「それなら出来る」
「ガレスは出発前に、領内待機部隊の指揮官へこの計画を叩き込め。現場で迷わないよう、撤退地点まで実際に確認させる」
「お任せください」
これで軍の動きは決まった。
だが、兵士の配置を決めただけでは領民を守れない。誰を、どこへ、何人逃がすのか。移動に必要な馬車や食料、護衛の人数まで算出する必要がある。
クロエも同じことを考えたらしい。持ってきていた鞄から、何冊もの帳簿を取り出した。
「次は領民の人数だね」
机の上へ置かれたのは、集落ごとの人口、年齢、職業、保有する馬車の数が記された帳簿だった。
「教国へ向かわせる人達と、フェルナード領へ向かわせる人達。それに領内の避難都市へ移す人達を分ける必要がある」
「ああ。被害が小さい場合と、大きい場合で避難させる人数も変える」
クロエが帳簿を開く。
「かなりお金がかかるよ」
「分かっている」
「本当に分かってる?」
念を押すように聞かれ、レオンは視線を逸らした。
クロエは小さくため息を吐くと、計算用の紙を広げた。
「じゃあ、まず領民が何人いるのか。そこから確認しようか」
軍事計画の次は、領民の避難計画だった。
そして恐らく、こちらの方が遥かに難しい。




