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乙女ゲーの辺境伯に転生したので奴隷落ちする悪役令嬢を金貨2万枚で救おうと思います(編集中)  作者: トンビが鷹を産んだトンビの方
第8章 帝国の大和撫子と英雄の末裔

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間章 兄 ヒロト・スルガ

帝国東部の島国、ヤマト地方。

帝都から戻ってきたクニヒロとミコトを乗せた馬車が、スルガ家の屋敷へ到着した。

二人が帝都を離れていた期間は決して短くない。

帝国と王国の今後にも関わる話し合いが行われ、クニヒロは将軍家当主として帝都に残る必要があった。

その間、当然ながらスルガ領の政務を誰かが預からなければならない。

その役目を任されていたのが、スルガ家の嫡男だった。


馬車が止まると、屋敷の前で待っていた一人の青年が歩み寄ってくる。

整った顔立ちに、落ち着いた雰囲気。姿勢は真っ直ぐで、腰にはヤマト地方特有の刀を差している。

まだ若いが、その立ち姿には既に次期当主としての風格があった。


ヒロト・スルガ。


クニヒロの息子にして、ミコトの実兄である。


「父上、お帰りなさいませ」


「ああ。留守を任せたな」


「特に大きな問題はありません。急を要する案件はこちらで処理いたしました。判断を仰ぎたいものについては、既に書斎へまとめてあります」


「分かった。後で確認しよう」


クニヒロは満足そうに頷いた。

ヒロトに領地を任せることへの不安は最初からなかった。


頭の回転は非常に速い。政治、軍略、領地経営のいずれにも優れ、その頭脳は帝国第一皇子ジークハルトと比較されることすらある。


武芸においても同じだった。

剣の才能だけなら、帝国第二皇子ルーカスを上回ると評する者さえいる。


次期スルガ家当主として申し分ない。

それどころか、持って生まれた才覚だけを見れば、帝国の頂点すら目指せる男だった。


だがヒロト本人には皇帝の座などに興味がない。

そして、その理由をクニヒロは誰よりもよく知っていた。


「それで――」


ヒロトの視線がクニヒロの隣へ向いた。

先ほどまで次期当主らしい落ち着いた表情をしていた青年の顔が、一瞬にして明るくなる。


「ミコト!」


「ただいま戻りました、兄さん」


「お帰り!」


ヒロトはすぐにミコトへ歩み寄った。


「長旅で疲れただろう? 体調は悪くないか? 帝都の食事は口に合ったか? ちゃんと眠れていたか? 何か困ったことはなかったか?」


「大丈夫です」


「本当か? 少し痩せたんじゃないか?」


「変わっておりません」


「いや、兄さんには分かる。ほんの少し頬が――」


「ヒロト」


クニヒロが低い声で遮った。


「道を空けろ。いつまで玄関先で話すつもりだ」


「……父上には聞いておりません」


「お前な……」


クニヒロはため息を吐く。


ヒロト・スルガ。


帝国屈指の頭脳を持つ男。


剣にも恵まれた男。


そして……。

救いようがないほどの"シスコン"だった。

幼い頃からミコトを溺愛し、妹のためならば何でもする。

皇帝候補として名前が挙がったこともある。しかし本人は全く興味を示さなかった。

皇帝になれば帝都を離れられなくなる。

スルガ領へ戻る機会も減る。つまりミコトと過ごす時間が減る。

本人にとっては、それだけで皇帝になる理由がなくなった。

その才能を知る者達からすれば、あまりにも勿体ない話だった。

だがヒロト本人にとっては、帝国の頂点より妹の方が重要なのである。






その日の夕刻。

久しぶりに家族全員が揃った食卓には、コトハが用意させた料理が並んでいた。

帝都での出来事を聞きながら、ヒロトは穏やかな表情で食事を進めている。


「それでは帝国軍とノルディア軍による共同討伐は、予定通り進められるのですね」


「ああ。細部はこれからだが、大枠は決まった」


クニヒロが答える。


「王国側も帝国兵を受け入れると?」


「国王から許可は出たそうだ」


「なるほど」


ヒロトは僅かに考える。


「面白い判断ですね。帝国軍を王国内へ入れるだけなら警戒される。しかしノルディア側だけでなく帝国側にも王国兵を加えることで、お互いが監視役になる。片方だけが国境を越えて動く形にしなかったわけですか」


クニヒロが僅かに笑う。


「相変わらず理解が早いな」


「それほど難しい話ではありません」


ヒロトは平然と答える。


「それを考えたのが例のレオン・ノルディアですか?」


「ああ」


「十六歳でしたね」


「そうだ」


「若いですね」


ヒロトは少しだけ興味を示した。


「報告書は読んでいましたが、随分と頭の切れる人物のようですね。ノルディアの発展も偶然ではなさそうだ」


「実際に会えば分かる。変わった男だ」


「父上が他人をそのように評価するのは珍しいですね」


ヒロトはそれ以上深く聞かなかった。

王国の若い辺境伯。

現時点での認識は、それだけだった。


そしてレオンの話題が出た時、ミコトの表情が僅かに柔らかくなったことにも。

この時のヒロトは気づかなかった。


食事が進み、帝都での堅苦しい話も一通り終わった頃だった。

コトハが嬉しそうにミコトを見る。


「でも今回、帝都へ行って本当によかったわね」


「はい?」


ミコトが首を傾げる。


「だってミコトに想い人が出来たんですもの」


ピシッ。


小さな音がした。

クニヒロの視線が横へ動く。

ヒロトが持っている湯呑みに亀裂が入っていた。

しかし、本人は笑っている。


「…………想い人?」


「ええ」


コトハは楽しそうに頷いた。


「この子、今まで殿方に全然興味を示さなかったでしょう? 母親として少し心配していたの。でも帝都で素敵な方と出会えたみたいで」


「そう……ですか」


ヒロトは笑顔のままミコトを見る。


ゴォッ――!!


次の瞬間、部屋の空気が変わった。

凄まじい魔力がヒロトの身体から溢れ出す。

障子が震え、食卓に並べられた器がカタカタと音を立てる。

廊下に控えていた使用人達まで何事かと部屋の方を振り返った。


「ヒロト」


クニヒロが低い声で言う。


「魔力を抑えろ」


「何のことでしょう、父上?」


ヒロトは笑顔だった。


「私は至って冷静ですが?」


ゴゴゴゴゴ……。


「部屋が揺れている」


「風では?」


「お前の魔力だ」


「気のせいでしょう」


「いいから抑えろ」


クニヒロが額を押さえる。

ヒロトは笑顔のままミコトへ尋ねた。


「それでミコト」


「はい?」


「その……想い人というのは?」


「レオン様です」


魔力がさらに膨れ上がった。

ヒロトの笑顔だけは崩れない。


「レオン……」


「レオン・ノルディア様です」


「…………なるほど」


先ほどまで話していた王国の辺境伯。

十六歳にしてノルディアを治め、領地を急速に発展させた男。

帝国との共同討伐を考え、皇帝や"あの"腹黒ジークハルトとも交渉した人物。

ヒロトは一度目を閉じる。

人物として考えれば優秀だ。

年齢を考えれば驚異的と言ってもいい。

ミコトが興味を持った理由も、理屈では理解出来る。

ヒロトはゆっくり目を開いた。


「……そうか」


魔力が少しだけ収まる。

クニヒロは意外そうに息子を見る。

まさか納得したのか。


「ミコトが選んだ相手なら、一度会ってみる必要があるな」


「兄さん」


「何だ?」


ミコトはいつもと変わらない表情で言った。


「少し違います」


「何がだ?」


「私から求婚したのです、兄さん」


「…………」


ヒロトが止まった。

完全に止まった。


「…………今、何と?」


「私からレオン様へ求婚いたしました」


「ミコトから?」


「はい」


「レオン・ノルディアに?」


「はい」


「…………」


ヒロトはゆっくりと湯呑みを置いた。

先ほどまで溢れていた魔力も消えている。

静かだった。

あまりにも静かだった。


クニヒロは逆に嫌な予感がした。


「ヒロト」


「それで?」


ヒロトは父を無視してミコトを見る。


「返事は?」


「断られました」


「…………」


再び沈黙が落ちる。

次の瞬間。


ゴォオオオオオオッ!!


先ほどとは比較にならないほど巨大な魔力が爆発した。


「ヒロト!!」


クニヒロが立ち上がる。

障子が激しく震え、食器が跳ねる。

それまで笑顔だったヒロトの額に青筋が浮かんだ。


「俺の……」


「ヒロト、落ち着け」


「俺のミコトの求婚を断りやがって!!」


ヒロトが勢いよく立ち上がった。


「万死に値する!!」


「待て!!」


クニヒロが即座にヒロトの肩を掴んだ。


「何故そうなる!」


「離してください父上!」


「離せるか!」


「ミコトですよ!?」


「見れば分かる!」


「俺の可愛いミコトが! 生まれて初めて自分から男に求婚したんですよ!?」


「ああ!」


「それを断った!!」


「事情がある!」


「知るか!!」


「知れ!!」


ヒロトはクニヒロの腕を振り解こうとする。


「王国の辺境伯だろうが何だろうが関係ない! ミコトから求婚されて断るなど、男として許されると思っているのか!!」


「本人の自由だろうが!」


「父上はその場にいたのでしょう!?」


「いた!」


「何故斬らなかったのです!!」


「斬るわけがないだろう!!」


「娘が恥をかかされたのですよ!?」


「お前が、今、一番ミコトに恥をかかせている!!」


父と息子の怒声が屋敷に響き渡る。

コトハは頬へ手を添えながら困ったように笑っていた。


「あらあら」


一方のミコトは平然としている。

昔から何度も見てきた光景だった。


「兄さん」


「安心しろミコト!」


ヒロトが即座に振り返る。


「兄さんがお前の無念を晴らしてくる!」


「無念ではありません」


「気丈に振る舞わなくていい!」


「振る舞っておりません」


「俺には分かる!」


「分かっておりません」


ミコトが淡々と否定する。

しかしヒロトの耳には届かない。


「待っていろ、レオン・ノルディア……!」


「待てヒロト」


「父上、離してください!」


「お前、何をするつもりだ!」


「決まっているでしょう!」


ヒロトは大きく息を吸った。

そして屋敷中へ響き渡るほどの声で叫ぶ。


「誰か!! 武具を用意しろ!!」


廊下にいた使用人達が一斉に身体を震わせる。


「ヒロト!!」


「止めないでください父上!」


「止めるに決まっているだろう!」


「俺は行く!!」


「どこへだ!!」


ヒロトの瞳に炎が宿る。


「ノルディアへ!!」


「馬鹿者!!」


クニヒロが必死に押さえる。

だがヒロトは止まらない。


妹の想い人。


妹が生まれて初めて求婚した男。


そして、その求婚を断った男。


もはやヒロトの中から、帝国屈指と評される冷静な頭脳は完全に消え去っていた。


「離してください父上!!」


「まず頭を冷やせ!!」


「俺は冷静です!!」


「どこがだ!!」


ヒロトは父に押さえられながら天井を仰ぐ。

そして高らかに宣言した。


「我、修羅に入る!!」


「入るな!!」


クニヒロの怒声が屋敷中に響き渡った。

ミコトはそんな兄を見ながら、静かに茶を口へ運ぶ。


「兄さんは相変わらずですね」


「あら、ミコトのことが大好きなのよ」


「知っております」


「お前達も少しは止めろ!!」


再びクニヒロの怒声が響いた。


帝国第一皇子ジークハルトにも匹敵すると評される頭脳。

帝国第二皇子ルーカス以上とも言われる剣の才能。

政治、軍略、領地経営、武芸。そのどれを取っても一流であり、才能だけならば皇帝の座すら目指せる男。

それでもヒロト・スルガが皇帝を目指すことはない。


帝国の頂点よりも。


権力よりも。


名誉よりも。


彼にとっては、妹のミコトの方が遥かに大切だからである。



そしてこの日。

レオン・ノルディアは本人の知らないところで、帝国でも屈指の才能を持つ男から一方的に敵認定されていた。

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