第310話 次なる目的地
帝国から帰還してしばらく経ったある日。
ノルディア邸の執務室では、いつものようにレオンが大量の書類と向き合っていた。
帝国との共同討伐。王国との調整。南部で建設を進めている避難都市。そしてフェルナードへの二次避難計画。以前よりも机へ積まれる書類は確実に増えている。
「……多いな」
思わず本音が漏れた。
「誰のせいだと思ってるの?」
すぐ近くから声が返ってくる。
クロエだった。
別の机に座り、商会から届いた報告書へ目を通している。
「僕だって忙しいんだからね?」
「分かってる」
「分かってる人は仕事を増やす度に僕へ持ってこないと思うけど」
「頼りにしてるんだよ」
「そう言えば僕が断らないと思ってるでしょ」
図星だった。レオンが黙っていると、クロエは呆れたようにため息を吐いた。
少し離れた場所ではゼムが書類を整理している。
そんな、いつも通りの執務室に扉を叩く音が響いた。
「入れ」
扉が開き、一人の使用人が入ってくる。
「レオン辺境伯様。教国よりお手紙が届いております」
「教国?」
レオンは顔を上げた。思い当たる人物は一人しかいない。
「エミルからか?」
「はい。エミル様からでございます」
使用人から封筒を受け取る。
「ありがとう」
「失礼いたします」
使用人が退室すると、クロエも仕事の手を止めた。
「エミルから?」
「ああ」
エミルが教国へ戻った最大の理由は、ノルディア領民の避難先として教国に協力してもらえるか確認するためだった。
もし断られていれば、避難計画そのものを見直さなければならない。
レオンはすぐに封を開き、中から数枚の便箋を取り出した。見覚えのある丁寧な文字を最初から順番に追っていく。
そして……。
「……よし」
思わず声が漏れた。
クロエがすぐに尋ねる。
「どうだった?」
「許可が下りた」
「本当?」
「ああ」
レオンはもう一度手紙へ目を落とした。教皇フランシス・セレスティアから、ノルディア領民の受け入れについて許可を得たと書かれている。
もちろん、これで全てが終わったわけではない。実際の受け入れ人数。避難民を滞在させる場所。食料。警備。輸送。教国側との連絡方法。これから決めなければならないことはいくらでもある。エミルもしばらく教国に残り、その調整に関わるらしい。
それでも最も大きな問題だった、教国そのものの許可は得られた。
「これで教国側にも領民を逃がせる」
レオンは椅子の背へ身体を預け、大きく息を吐いた。
これまで考え続けてきた避難計画。魔獣の大氾濫が起こる兆候を確認した段階で、領民を事前に避難させる。一つは南。ノルディア最南部で建設を進めている避難都市。そしてもう一つが教国方面。
さらに実際に大氾濫が起こり、町や村が破壊され、すぐにノルディアへ戻れなくなった場合。南へ避難した領民については、その先にあるフェルナード領へ移すことが出来る。レイモンド伯爵からも既に協力を取り付けている。
「ようやくですね」
ゼムが静かに言った。
「ああ」
レオンは頷く。
帝国との共同討伐で魔獣の数を減らす。可能ならば、大氾濫そのものを防ぐ。だが絶対に成功する保証などない。
だからこそ、勝つための準備だけでは足りない。負けた時の準備もする。
王都でアーサー国王へ話した言葉を思い出す。
『私が勝つことと、領民が生きることは別です。』
今でも考えは変わらない。自分が勝つ。騎士団も勝つ。町も村も守る。誰一人として故郷を失わない。それが一番いい。
だが領主である以上、理想だけを前提にするわけにはいかない。
俺が負けても。騎士団が押し切られても。町が破壊されても。領民だけは生き残れる。
そこまで準備して初めて、大氾濫へ備えたと言える。
「……ん?」
手紙の続きを読んでいたレオンの目が止まった。
「どうしたの?」
クロエが尋ねる。
「いや……条件があるらしい」
「まあ、そうだよね」
クロエは特に驚かなかった。数万人規模の人間を受け入れる可能性がある。無条件で受け入れてくれると考える方がおかしい。フェルナードでも条件を提示された。
問題はその内容だった。
『ただし、避難民の受け入れにあたり、教国より一つ条件を提示されました。条件の詳細につきましては、私がノルディアへ戻った際に、レオン君へ直接お話ししたいと思います』
「…………」
そこで終わっている。
レオンは便箋を裏返した。何もない。もう一度表を見るが、やはり続きはなかった。
「……何で?」
「何が?」
「条件が書いてない」
「え?」
クロエが近づいてくる。レオンが手紙を渡すと、クロエも目を通し、同じ場所で止まった。
「本当だ」
「何で直接なんだ?」
「僕に聞かれても分からないよ」
ゼムが二人を見ながら口を開く。
「書面に残しにくい条件なのではありませんか?」
「書面に残しにくい条件……」
レオンは腕を組む。
金銭。物資。土地。人員。魔力草。ポーション事業。いくつか思い浮かぶものはある。だが、その程度なら手紙にも書ける。わざわざエミル本人が戻ってきてから話す必要があるのだろうか。
「……まあいいか」
レオンは考えるのをやめた。
「いいの?」
「ああ。エミルが戻ったら直接話すって言ってるんだ。それまで待てばいい」
許可そのものは下りた。ならば今は、避難経路を作れるようになったことの方が重要だ。
レオンは手紙を丁寧に畳み、封筒へ戻した。
「エミルはしばらく教国に残るみたいだ」
「じゃあ、帰ってくるのはまだ先なんだ」
「ああ。いつになるかまでは書いてない」
クロエは小さく頷き、自分の机へ戻った。
レオンも再び目の前の書類を見る。これで一つ、大きな懸念が減った。
帝国とは共同討伐を行う。王国からは帝国兵五千人をノルディアへ入れる許可を得た。
南には避難都市を作る。その先にはフェルナードという二次避難先を確保した。そして教国側にも領民を逃がす道が出来る。
細かな問題はいくらでも残っている。だが大きな道筋は作れた。
なら――次だ。
レオンは机の引き出しへ手を伸ばし、奥から一冊の冊子を取り出した。
クロエが不思議そうに見る。
「何それ?」
「前から調べてた資料」
机の上へ置く。表紙には一つの国の名前が記されていた。
【魔導国家】
魔法研究において大陸でも突出した国。属性魔法を何よりも重視し、魔法の才能がそのまま人間の価値にすら結びつく国。
そして、数多くのダンジョンを抱える国でもある。
「魔導国家?」
クロエが表紙を読む。
「ああ」
レオンは冊子を開いた。
いくつものダンジョン。それぞれの場所。確認されている階層。出現する魔物。冒険者制度。以前から少しずつ情報を集めていた。
ゼムがレオンを見る。
「ぼっちゃま。まさかとは思いますが」
「ああ」
レオンはあるページで手を止めた。そこには、一つのダンジョンについて記されている。
俺はこの場所を知っている。
この世界で調べて知っただけではない。前世で『ノルドレア・ロワイヤル』と言うゲームをした、人間として知っている。
ゲームの中にも存在したダンジョン。
そしてその奥には、あるアイテムが存在する。
これから先を考えれば、どうしても手に入れておきたい物だった。
ゲームなら条件さえ満たせば取りに行けた。だが現実となったこの世界では違う。好き勝手にダンジョンへ入り、目的の階層まで進めるわけではない。
魔導国家には魔導国家の制度がある。冒険者としての実績。資格。ダンジョンへ挑戦するための条件。
調べれば調べるほど分かった。
欲しい物だけ取って、数日で帰ってくる。そんな都合のいい話にはならない。
「どれくらい掛かりそうなの?」
クロエが尋ねる。
レオンは少し考えた。
「……一年くらいは見た方がいいと思う」
「一年!?」
クロエが声を上げた。ゼムも僅かに眉を動かす。
「ぼっちゃま」
「ああ。分かってる」
一年。辺境伯が領地を離れるには、あまりにも長い。
だから今まで動けなかった。父上が亡くなった直後なら不可能だった。領内は不安定。金もない。事業もない。自分がいなければ決められないことばかりだった。
だが今は違う。
レオンはクロエを見る。
「俺がいなくても、しばらくは回せるだろ?」
クロエは目を瞬かせ、それから腰へ手を当てた。
「誰に言ってるの? 今のノルディアなら、僕とゼムさんで何とかするよ」
「頼もしいな」
「でも」
クロエは人差し指を立てた。
「一つ言っておくけど、来年には僕は学園だからね?」
「…………あ」
レオンの声が止まった。
クロエの目が細くなる。
「忘れてたでしょ?」
「いや……」
「忘れてたよね?」
「…………」
否定出来ない。
クロエは呆れたようにため息を吐いた。
「今は僕がいるからいいけど、来年になったら王都の学園へ通わないといけないんだからね?」
「そうだったな……」
「そうだったな、じゃないよ。だから一年も魔導国家に行くなら、そのつもりでちゃんと準備して」
今のように何かあればクロエへ任せればいい。そんな体制をいつまでも続けることは出来ない。クロエが学園へ入れば、これまでのように毎日ノルディア邸で政務を手伝うことも出来なくなる。
「僕が学園へ行った途端、仕事が回らなくなりましたなんて絶対に駄目だからね?」
「ああ。それまでに俺がいなくても回るようにする」
「違うよ」
「え?」
「レオンがいても、僕がいなくても、でしょ?」
レオンは少しだけ目を見開いた。
確かにそうだ。
自分が戻ってくることを前提にしてはいけない。クロエがいることを前提にしてもいけない。誰か一人が欠けただけで止まる領地では駄目だ。
「……そうだな」
「まったく」
クロエは呆れながらも小さく笑った。
「一年くらいなら何とかする。でも手紙はちゃんと送って」
「分かった」
「何かあったら帰ってきて」
「分かった」
「危ないこともしないで」
「それは約束出来ない」
「レオン!」
思わず笑ってしまう。
その横でゼムが深いため息を吐いた。
「まずは、ぼっちゃまがお戻りにならなくとも政務が滞らず、さらにクロエ様が学園へ入られた後も維持出来る体制を作るところからですね」
「……仕事が増えたな」
「一年も領地を離れようとしている方が何を言っているのですか」
「はい」
反論出来なかった。
ゼムは淡々と続ける。
「魔導国家へ入国する方法。滞在場所。身分をどこまで明かすのか。護衛。ダンジョンの制度。領地を離れている間の決裁方法。それらも全て決めていただきます」
「……もっと増えた」
「当然です」
レオンはため息を吐きながら、もう一度資料へ目を落とした。
魔導国家。
これまで名前なら何度も聞いてきた。そして、エミルが生まれた国でもある。
属性を持たない者には価値がない。そんな考えが根付いている国。王国とも帝国とも教国とも違う、これから、向かおうとしている場所。
辺境伯として視察へ行くわけではない。外交のためでもない。
目的のアイテムを手に入れるためには、ダンジョンへ潜らなければならない。
そのために必要なら冒険者になる。
依頼を受け、魔物を倒し、ダンジョンへ潜り、実績を積む。
どれだけ時間が掛かっても、必要な物を手に入れる。
「冒険者か……」
レオンは思わず呟く。
前世でも当然なったことなどない。この世界でも騎士ではなく、最初から貴族として生きてきた。
それがこれから一年近く、一人の冒険者として活動することになる。
クロエが呆れたように笑う。
「今度は何を始めるつもりなのさ」
「必要なことだよ」
「レオンはいつもそう言うよね」
「そうだったか?」
「そうだよ」
レオンは苦笑し、窓の外へ目を向けた。
ノルディアの街が広がっている。父上から受け継いだ領地。ここを長期間離れる。不安がないわけではない。
だが、いつまでも自分一人がいなければ動かない領地では駄目だ。
それでは父上と同じだ。
自分が前に立ち、自分が戦い、自分が全てを背負う。父上はそれで多くの人を救った。何度も成功した。だからこそ英雄になった。
だが俺は、別のやり方を選ぶ。
自分がいなくても領地は動く。自分が負けても領民は生きる。クロエが学園へ行っても、誰か一人が欠けても、ノルディアは止まらない。
そのための形を作る。
そうすれば、俺自身も次へ進める。
レオンは机の上の資料を閉じた。その隣にはエミルから届いた手紙がある。
教国から提示された、まだ知らない条件。それを聞くのは、もう少し先になりそうだった。
そして『ノルドレア・ロワイヤル』でクラリスの運命が大きく動き始める時も、少しずつ近づいている。
時間は止まってくれない。
だからこそ、今のうちに取れるものは全て取る。使えるものは全て使う。
未来を変えるために。
レオンは椅子から立ち上がった。
「よし」
クロエが首を傾げる。
「何?」
レオンは机の上に置かれた魔導国家の資料へ手を置いた。
「準備を始めよう」
次の目的地は魔導国家。
そこで、ノルディア辺境伯ではなく、一人の冒険者としてダンジョンへ挑む。
これから約一年にも及ぶ長い冒険が、静かに始まろうとしていた。
第8章が終わりました。
体調を、崩したり。
家族が全員病気にかかったり。
毎日投稿出来たのは、皆様の評価やリアクションのお陰です。
本当にありがとうございます。
間章は少しネタが、入ってますが……すみません。
個人的に本編とは関係を持たせるつもりは無いです笑
リアクションが多ければまた本編に出すか考えます。
これからもよろしくお願いいたします




