第27話 王都への出発
グラニウス・ノルディアが亡くなってから、一年三ヶ月が過ぎた。
その間に、ノルディア領は少しずつ変わり始めていた。
レオンが進めた騎士団改革は軌道に乗り、レッドボア討伐による死者の数は大幅に減った。
後方から戦場を経験させるようになった新人兵達も着実に成長し、今では槍を持って中衛へ加わる者も現れている。
父を失った直後には沈んでいた領内にも、以前のような活気が戻り始めていた。
そして、ノルディア領だけではなく、レオン自身もまた、この一年で大きく変わっていた。
ノルディア邸の自室では、喪が明けたレオンが、王都へ向かうための正装へ着替えていた。
最後に上着の襟元を整え、ふと部屋に置かれた姿見へ目を向ける。
鏡に映った自分の姿を見て、レオンは少しだけ驚いた。
一年前と比べて、手足が明らかに長くなっている。背も伸び、幼さを残していた身体つきも少しずつ変わり始めていた。
毎朝欠かさず続けてきた鍛錬と、騎士団の兵士達との訓練。
そして、実戦経験を積むために参加してきた魔獣討伐。
その積み重ねによって身体は引き締まり、細身ではあるものの、腕や胸元にはしっかりと筋肉がついている。
十三歳としては、恵まれた体格なのだろう。
だが、父とはまったく違った。
グラニウス・ノルディア。
北の戦神。
見上げるほど大きな身体に、分厚い肩と岩のように太い腕を持つ男だった。
何も言わずに立っているだけで周囲を圧倒し、歴戦の騎士でさえ、その前では自然と背筋を伸ばした。
武人という言葉が、そのまま人の形を得たような男だった。
対して、レオンの身体は細身だ。
同じ鎧を身につけたとしても、父のような迫力は出ないだろう。黙って立っていれば、武人というよりも、何不自由なく育った貴族の御曹司に見えるかもしれない。
それでも、レオンは構わなかった。
自分は父のようにはなれない。
そのことは、一年前から分かり切っていた。
父のように、圧倒的な剣の力だけで全てを守ることはできない。
ならば、自分にしかできない方法で領地を守ればいい。
騎士団の仕組みを変え、兵士達を育て、死なずに帰れる戦い方を作る。
領民一人一人の暮らしを知り、必要な場所へ必要なものを届ける。
それが、レオンの選んだ領主としての戦い方だった。
コンコンと扉を叩く音が、静かな部屋へ響いた。
「ぼっちゃま」
声と共に扉を開け、自室へ入ってきたのはゼムだった。
ノルディア家に三代にわたって仕える老執事は、正装を身につけたレオンの姿を確認すると、満足そうに僅かに頷いた。
「馬車の準備が整いました」
「ああ」
レオンは短く答えると、ゼムと共に部屋を出た。
しかし、向かった先は正門ではなかった。
王都へ出発する前に、一つだけ立ち寄らなければならない場所がある。
ノルディア家の墓所。
父、グラニウス・ノルディアが眠る場所だった。
レオンはゼムと共に邸を出ると、丘へ続く緩やかな道を歩いた。
見慣れた景色。
見慣れた空。
それでも、この道を歩くたびに、あの日の記憶が蘇る。
一年前、治療法を手に入れてノルディアへ帰ってきた時には、すでに全てが終わっていた。
あと半日。たった半日。
その僅かな差によって、レオンは生きている父と再び会うことができなかった。
今でも、時折その日の夢を見る。
もし、あと少し早く洞窟へ到着していれば。
もし、もっと早く治療法を見つけていれば。
もし、迷うことなくノルディアへ戻れていれば。
父を救うことができたのではないか。
そんな、今さら答えの出ない「もし」を、何度も想像してしまう。
だが、どれほど願っても現実は変わらない。
やがて、丘の上にある墓所が見えてきた。
石造りの墓碑の周囲には、数え切れないほどの花が供えられている。
グラニウスが亡くなってから一年以上が経った今も、領民達は変わらず墓所を訪れ、新しい花を手向けていた。
レオンは父の墓碑の前まで歩くと、静かに足を止めた。
「……相変わらずだな」
目の前の光景を見て、思わず呟く。
墓碑の周囲を埋め尽くす花は、ほとんど枯れていなかった。
もちろん、その中には領民達が新しく供えた花もある。
だが、それだけではない。
一年前、グラニウスの葬儀が行われた日に供えられた花の一部が、今も瑞々しさを保っていた。
鮮やかな色を残した花弁。
青々とした茎と葉。
まるで、つい先ほど摘み取られたばかりのようだった。
普通ではあり得ない。
この一年の間に、何度も雨が降った。雪に覆われた日もあった。冬が終わり、春が訪れ、季節は確かに巡っている。
それにもかかわらず、墓前へ供えられた花のほとんどが枯れずに残り続けていた。
レオンの後ろまで歩いてきたゼムも、花々を見つめながら静かに口を開く。
「不思議ですね」
「ああ」
レオンも小さく頷いた。
「領民達は、北の戦神様が今もノルディアを見守っておられるのだと言っています」
ゼムが僅かに苦笑すると、レオンも思わず笑った。
グラニウスを【グラニウス様】ではなく、【北の戦神】と呼び始めていた。
それをノルディア領内へ広めたのは、ルーカス率いる帝国使節団だった。
帝国軍の兵士達が敬意を込めて口にした二つ名は、いつの間にかノルディアの領民達にも広まっていた。
父がその話を聞いたら、きっと困ったような顔をするだろう。
グラニウスは、自分が英雄として扱われることを好む人間ではなかった。
ただ領民を守るために戦っていただけであり、その功績を自ら語ることもほとんどなかった。
それなのに、亡くなった後には帝国から【北の戦神】という二つ名まで持ち込まれてしまった。
「父上らしいな」
レオンは小さく呟いた。
持ってきた花束を墓前へ供え、墓石へ手を置く。
石の冷たい感触が、掌へ伝わってきた。
「父上」
レオンは墓碑の前で静かに目を閉じた。
当然、返事はない。
それでも、言葉は自然と零れた。
「行って参ります」
エルグランド王国では、現当主が亡くなれば一年間の喪に服し、その期間を終えた後、子息が正式に爵位を継承することになっている。
今回、レオンが王都へ向かう目的は、ノルディア辺境伯としての任命式へ臨むためだった。
これまでのレオンは、あくまでも辺境伯代行として領地を治めていた。
王都で国王から正式に爵位を与えられれば、その日からレオンはノルディア家の正式な当主となる。
そして、これから向かう王都は、乙女ゲームの物語における中心地でもあった。
未来の攻略対象となる少年達。
乙女ゲームの主人公。
そして、悪役令嬢と呼ばれ、最後には奴隷へ落とされるクラリス・ローゼンベルク。
物語に関わる者達が集まる場所だ。
レオンにとって今回の旅は、単に辺境伯の爵位を受け継ぐためだけのものではない。
クラリスを救い、知っている未来を変えるための、新たな一歩でもあった。
「まだ、未熟ですが……」
レオンは、墓石へ触れたまま小さく笑った。
「領地は守ってみせます」
その言葉に応えるように、一陣の風が丘の上を吹き抜けた。
墓前に供えられた色とりどりの花が、風を受けて静かに揺れる。
まるで、父が返事をしてくれたようだった。
レオンは墓石から手を離すと、ゆっくりと踵を返した。
丘を下る道の先には、ノルディア邸が見える。
守るべき領地。
守るべき人々。
そして、これから向かう王都には、新たな運命が待っている。
レオンは一度だけ父の墓を振り返った後、王都へ向けて静かに歩き出した。




