第301話 フェルナードの条件
「少し、詳しく聞かせていただけますか?」
レイモンドの言葉にレオンは頷いた。
「ああ。そのために来たんだ。何でも聞いてくれ」
レイモンドは少し考えるように視線を落とした後、ゆっくりと口を開いた。
「まず確認させていただきたいのですが、フェルナード領は大氾濫が起きた際、ノルディアの領民が最初に逃げてくる場所ではないのですね?」
「ああ、違う」
レオンははっきりと答える。
「大氾濫の兆候が確認された時点で、まず領民をノルディア南部に建設している避難都市へ移動させる。全員を一ヶ所に集めるつもりもない。教国側が受け入れてくれるなら、そっちにも分散させる」
「つまりフェルナードへ来るのは、その後ということですか」
「そうだ。魔獣を討伐して、領民が元いた町や村へ帰れるならそれで終わりだ。フェルナードには一人も来ないかもしれない」
レイモンドが僅かに眉を動かす。
「一人も?」
「ああ。俺としてはそれが一番いい」
レオンは迷うことなく答えた。
「大氾濫そのものが起きないならもっといい。準備した避難都市も、今日ここまで頼みに来たことも、全部無駄になる。それが一番だ」
「……なるほど」
レイモンドは静かに頷いた。
「ではフェルナードへ避難するのは、魔獣の討伐後も故郷へ戻れない者達だけということですね」
「ああ。町や村が壊滅して、家も仕事も失った領民を想定してる」
「その人数が最大で数万人」
「最悪の場合……ノルディアが壊滅した時はな」
「壊滅ですか……」
レイモンドは背もたれへ身体を預けた。
数万人という数字を頭の中で計算しているのだろう。少しの間を置いてから再び口を開く。
「数千人程度であれば、フェルナード領内の複数の町へ分散させることで対応出来る可能性はあります。しかし数万人となれば話は変わります」
「分かってる」
「まず食料です」
レイモンドの声が領主としてのものへ変わる。
「突然数万人の人口が増えれば、それだけで領内の食料消費量が大きく増加します。何も準備せず受け入れれば、食料価格が急騰するでしょう」
レオンは頷く。
「避難してきたノルディアの領民だけじゃなく、元々ここで暮らしてる人達にも影響が出る」
「その通りです。善意で他領の民を救った結果、フェルナードの領民が食べる物に困るようなことは避けなければなりません」
当然だった。
レイモンドはフェルナード伯爵だ。ノルディアの領民を助けるために、自分の領民を犠牲にすることなど出来ない。
「それから住居です。数万人を収容出来るだけの空き家など、当然フェルナードにはありません」
「仮設の住居を作る必要があるな」
「ええ。しかし、それにも木材や職人が必要になります。そして人が集まれば治安の問題も出てくるでしょう」
エミルが静かに口を開いた。
「避難してきた方々の中からも、治安維持に協力していただく必要がありそうですね」
「私もそう考えます」
レイモンドはエミルへ頷いた。
「フェルナードの兵だけで数万人の避難民を管理するのは現実的ではありません。ノルディアの騎士や兵士にも一定数同行していただく必要があるでしょう」
「ああ。そのつもりだ」
レオンも最初から避難させるのは領民だけとは考えていない。領民を誘導し、守る者が必要になる。大氾濫が発生したとしても、ノルディア騎士団の全員を魔獣との戦いへ投入するつもりはなかった。
レイモンドはさらに続ける。
「そして最も大きな問題の一つが仕事です」
「仕事か」
「数日や数週間であれば食料を配給するだけでも構わないでしょう。しかしレオン辺境伯のお話では、町そのものが失われた場合を想定されている」
「ああ」
「復興に一年かかるのか、二年かかるのか、それ以上になるのか。その間、数万人をただ養い続けることは出来ません」
レオンは腕を組みながら考える。
確かにその通りだった。
家を建て直すだけではない。農地が荒らされれば、再び作物を収穫出来るようになるまで時間がかかる。道路や橋が壊される可能性もある。大氾濫の規模によっては復興に何年かかるか分からない。
「避難民にも働いてもらう必要があるってことだな」
「はい。それが避難してきた方々にとっても良いと私は考えます」
レイモンドは静かに答えた。
「何もせず食料を受け取り続ける生活が何年も続けば、いずれフェルナードの領民との間に不満が生まれます。しかし仕事をして賃金を得て、自分達で生活出来るのであれば話は変わります」
「そのためにフェルナードを選んだってのもある」
レイモンドがレオンを見る。
「と、仰いますと?」
「ここなら仕事を作れると思ったからだ」
レオンは窓の向こう、港がある方角へ視線を向けた。
「フェルナードには港がある。商会も多い。倉庫もあるし、船もある。数万人全員は無理でも、物を運ぶ仕事や港での仕事なら増やせる余地があるんじゃないかと思った」
レイモンドは黙って聞いている。
「それに海から物資を運び込める。街道だけで数万人分の食料を運ぶより、船を使える方がずっといい」
「そこまでお考えでしたか」
「何も考えずに数万人よろしく、なんて言いに来たわけじゃないよ」
レオンが苦笑すると、レイモンドも僅かに笑みを浮かべた。
「失礼いたしました」
「いや、普通はそう思うだろ」
だがレイモンドの表情はすぐに真剣なものへ戻った。
「ただし、港があるからこその問題もございます」
「何?」
「フェルナードの港はフェルナード領だけのために存在しているわけではありません」
レオンは少し考え、すぐに意味を理解した。
「王都にも物を送ってるからか」
「はい。それだけではありません。フェルナードを経由して王国各地へ運ばれる品もあります。数万人の避難民を養うために船や倉庫を大量に使用すれば、現在の交易に影響が出ます」
フェルナードは王国でも有数の商業地だ。
ここで物流が滞れば、その影響はフェルナードだけでは終わらない。
「だから国王陛下にも支援してもらう」
レオンは答えた。
「俺とレイモンド伯爵だけで何とか出来る規模じゃない。それは陛下にも話した」
「どの程度の支援を?」
「まだ決まってない。そもそもレイモンド伯爵が受け入れるかも分からなかったからな」
レオンはそこで一度言葉を切った。
「でも、もし受け入れてもらえるなら、食料や資材の備蓄、避難民用の土地、住居、仕事、それに物流まで含めてこれから王国とも話を詰める」
大氾濫が起きると分かっているわけではない。
いつ起こるかも分からない。
それでもレオンには原作の知識がある。
何も知らない人間からすれば、起きるかどうかも分からない災害へ金と時間を使うことになる。それを理解してもらうためにも、今から少しずつ準備するしかなかった。
「すぐに数万人受け入れてくれって話じゃない。俺達にはまだ準備する時間がある」
「二年ほどでしたか?」
「ああ。その間に出来ることはやっておきたい」
レイモンドはしばらく何も言わなかった。
そして尋ねる。
「レオン辺境伯」
「ん?」
「もし大氾濫によってノルディアの町や村が壊滅した場合、その後はどうされるおつもりですか?」
質問の意味が分からず、レオンは首を傾げる。
「どうするって?」
「領民をフェルナードへ移住させ、そのまま新たな生活をさせるおつもりでしょうか?」
「違う」
レオンは即答した。
「ノルディアへ帰す」
レイモンドがレオンを見つめる。
「どれだけ壊されても?」
「ああ」
迷いはなかった。
「町が壊されたなら建て直す。道が壊されたなら直す。畑が駄目になったなら、また使えるようにする」
それがどれほど大変なのかは分かっている。
金もかかる。
人も必要になる。
何年かかるかも分からない。
それでもノルディアはレオンの領地だ。
そして領民達の故郷でもある。
「フェルナードに領民を押しつけたいわけじゃない」
レオンはレイモンドを真っ直ぐ見た。
「俺がノルディアを建て直すまで、領民が生きられる場所を貸してほしいんだ」
レイモンドの瞳が僅かに見開かれる。
「……場所を貸す」
「ああ」
レオンは頷いた。
「俺達が戻れるようになるまでの時間を、フェルナードに貸してほしい」
再び部屋が静かになった。
レイモンドは何も言わずレオンを見ていた。
やがてその表情が僅かに緩む。
「分かりました」
「え?」
「そのお話であれば、フェルナードとしても準備を進めましょう」
レオンは思わず身を乗り出した。
「本当にですか?」
レオンは思わず素の敬語が出てしまう。
更にレイモンドが話を進めた。
「はい。ただし、今すぐ数万人を受け入れられるとお約束することは出来ません。これから必要な土地、食料、住居、仕事、物流について調査する必要があります。王国からどの程度の支援を受けられるかも確認しなければなりません」
「ああ。それで十分だ」
今必要なのは完成した避難先ではない。
そのための準備を始めることだ。
「ありがとう、レイモンド伯爵」
レオンが頭を下げようとすると、レイモンドが小さく手を上げた。
「ですが」
「ん?」
「二つ、条件がございます」
レオンの動きが止まった。
「条件?」
「はい」
レイモンドは真っ直ぐレオンを見る。
その表情は先ほどまで以上に真剣だった。
「一つ目は、レオン辺境伯には必ず生きてお戻りいただくことです」
「…………俺?」
予想していなかった条件に、レオンは目を瞬かせた。
隣にいたエミルも少し驚いたようにレイモンドを見る。
「何でそれが条件になるんだ?」
レイモンドは静かに答える。
「レオン辺境伯には、現在お子がおられません」
「まあ……いないけど」
「もし大氾濫でレオン辺境伯が亡くなられた場合、誰がノルディアを復興するのでしょうか?」
レオンは言葉を止めた。
「後継者も定まっていない状態で当主を失えば、ノルディア辺境伯家そのものが大きく揺らぎます。領地が壊滅しているのであれば尚更です」
レイモンドの言葉は淡々としていたが、その内容は重い。
「私は数万人の領民を預かることになるかもしれません。しかし、その方々が帰るべき場所を取り戻す者がいなくなってしまえば、一時的な避難では済まなくなります」
「……確かにな」
レオンは小さく呟いた。
自分が死ぬことを考えていなかったわけではない。
大氾濫が起きれば当然、自分も戦う。
未来予知の魔眼があるからといって死なない保証などない。
だが領民を逃がす計画ばかり考え、その後の自分については深く考えていなかった。
レイモンドは続ける。
「ですから、これを条件とさせていただきます」
そして僅かに笑う。
「お預かりした領民は、レオン辺境伯ご自身で迎えに来てください」
レオンはしばらくレイモンドを見つめた。
それから小さく笑った。
「ああ」
力強く頷く。
「分かった。約束する」
「必ず生きて帰ってくる」
レイモンドも頷いた。
「そのお言葉を信じます」
隣を見ると、エミルもどこか安心したような表情を浮かべていた。
だがレオンはすぐに気づく。
「……あれ?」
「どうされました?」
「二つって言ったよな?」
「はい」
「じゃあ、もう一つは?」
レイモンドは一瞬だけ黙った。
先ほどまでとは違う沈黙だった。
何かを迷っているようにも見える。
やがてレイモンドは静かに口を開いた。
「もう一つは、その時になりましたらお願いしたいことがございます」
レオンは眉を寄せる。
「その時?」
「はい」
「今じゃ駄目なの?」
「ええ。まだお話しする時ではございません」
「…………」
何だろう。
嫌な予感しかしない。
レオンはレイモンドを疑うように見つめる。
「それは、怖いんだけど」
レイモンドは思わず小さく笑った。
「ご安心ください。無理難題を申し上げるつもりはございません」
「本当にか?」
「はい」
レオンは納得出来ないまま腕を組む。
しかし今ここで聞いたところで、レイモンドが話す気がないなら仕方がない。
「分かった。その時になったら聞くよ」
「ありがとうございます」
こうしてフェルナードは、ノルディア領民の二次避難先として準備を始めることになった。
食料も、住居も、仕事も、物流も、これから考えなければならないことは山ほどある。
それでも一つ。
大氾濫によって全てを失ったとしても、領民達が生き延びるための道が新たに出来た。
ただレオンはまだ知らない。
レイモンドが伏せた二つ目の条件が、自分自身の将来にも大きく関わるものであることを。




