第300話 再びフェルナードへ
国王への報告を終えた翌朝、レオンとエミルは王都を出発した。目的地はフェルナード領。
王都からさらに南へ向かう馬車の中、レオンは窓の外を眺めながら小さく息を吐いた。帝国との話はまとまった。王国からも許可を得た。これでバルト山脈の大規模討伐へ向けた準備は大きく前へ進んだ。だが、まだ終わったわけではない。むしろここからが大変だった。
向かいに座るエミルが尋ねる。
「やはり気になりますか?」
「ああ。数万人を受け入れてくれって頼みに行くんだからな。簡単な話じゃない」
エミルも静かに頷いた。
「そうですね」
ノルディアで魔獣の大氾濫が発生した場合、まず領民を魔獣から逃がす。そのために現在整備しているのがノルディア南部の避難都市だ。さらにレオンはもう一つ、教国方面への避難経路も作ろうとしている。
だが、それだけでは足りない。
もし大氾濫によって町や村そのものが破壊されれば、魔獣を討伐したからといってすぐに領民を帰すことは出来ない。
家がない。仕事がない。食料を生産する土地すら荒らされている可能性がある。
その時、復興までの間、領民が生活する場所が必要になる。その候補としてレオンが選んだのがフェルナード領だった。
エミルは少し考えてから口を開く。
「ですが国王陛下も仰っていましたね。フェルナード伯爵が了承されるのであれば、王国としても支援すると」
「ああ。そこまで言ってくれただけでも助かる。でも最終的に決めるのはレイモンド伯爵だからな」
国王は命令しなかった。当然だとレオンも思っている。
数万人規模の人間を受け入れる。土地も食料も住居も仕事も必要になる。
それを王命一つで押しつければ、フェルナード領そのものが混乱しかねない。だからこそレオン自身が頼みに行かなければならなかった。
エミルはそんなレオンを見つめていたが、ふと窓の外へ顔を向けた。
「そういえば、私、フェルナード領へ来るのは初めてです」
「そうだったのか?」
「はい。海もほとんど見たことがありません」
レオンは少し驚いた。
「教国って海から遠かったっけ?」
「地域によりますが、私が長く過ごしていた場所は内陸でしたので」
「なるほどな。ならポートミルに着いたら嫌でも見られるぞ」
「そんなにですか?」
「ああ。港町だからな。大きな船もいっぱいあるし、魚も美味い」
「お魚ですか?」
エミルの表情が僅かに明るくなる。
「楽しみです」
「交渉が終わってからな」
「分かっています」
そう言いながらも、どこか楽しそうだった。レオンはそんなエミルを見て小さく笑った。
馬車は王都を離れ、さらに南へ進んでいく。日が進むにつれ、街道を行き交う荷馬車の数が目に見えて増えていった。
木材を積んだ馬車、穀物を積んだ馬車、布や陶器を載せた商人の一団。反対側からは海産物を積んでいると思われる荷馬車が次々と王都方面へ向かっていく。
エミルが窓の外を眺めながら呟く。
「随分と商人が多いですね」
「ああ。フェルナードは商業が強いからな」
街道沿いにある町へ立ち寄っても、宿だけではなく倉庫や商会の建物が目立つ。ノルディアとは明らかに違う。辺境で魔獣と隣り合わせのノルディアに対し、フェルナードは人と物が行き交うことで発展している領地だった。
さらに南へ進むと、やがて街道脇に立つ旗に三本の帆柱を持つ帆船の紋章が見え始めた。風を受け、大きく帆を広げた三本マストの船。フェルナード家の紋章だ。
レオンはそれを見て呟く。
「入ったな」
「フェルナード領ですか?」
「ああ」
そこから先はさらに人通りが増えた。街道もよく整備され、荷馬車同士がすれ違えるほど広く、道の脇には一定間隔で休憩所まで設けられていた。
エミルは興味深そうに辺りを眺める。
「領地によって本当に違うものですね」
「ノルディアとは真逆だろ?」
「はい。ですが、レオン君がフェルナード領を避難先に選んだ理由が少し分かった気がします」
レオンは頷いた。土地があるだけでは駄目だ。数万人を一時的にでも生活させるなら、大量の物資を継続的に運び込む必要がある。その点、王国でも屈指の商業地であり、海運を持つフェルナードは大きな強みを持っている。
そして数日後、馬車が丘を越えた瞬間、エミルが目を大きく見開いた。
「……あれが」
視線の先には、遥か彼方まで青い海が広がっていた。陽光を受けた海面がキラキラと輝き、その手前には巨大な港町が広がっている。
無数の建物が並び、海へ突き出した桟橋には何隻もの船が停泊していた。
大きな帆船、小型の漁船、荷を運び込む人々。遠くからでも分かるほど港全体が活気に満ちている。
「ポートミルだ」
レオンが言うと、エミルはしばらく海を見つめたまま動かなかった。
「綺麗ですね……」
「だろ?」
「はい」
馬車が町へ近づくにつれ、潮の匂いが少しずつ強くなっていく。
やがて門を通りポートミルへ入ると、通りには多くの人々が行き交っていた。
商人、船乗り、荷運びをする労働者、漁師。店先には魚が並び、威勢のいい声が飛び交っている。
「獲れたてだ!」
「今日は安いぞ!」
「北から届いた上物の酒だ!」
エミルは窓の外を見ながら忙しそうに視線を動かしていた。
「凄いですね」
「ああ。前に来た時も賑やかだったけど、相変わらずだな」
馬車は港町を抜け、フェルナード伯爵邸へ向かう。
やがて立派な門が見えてきた。
門番が馬車へ近づき、紋章を確認する。
そしてレオンの姿を確認した瞬間、表情を変えた。
「ノルディア辺境伯閣下!」
すぐに門が開かれ、馬車はそのまま敷地へ入っていった。
玄関前で馬車が止まる。
レオンが先に降り、続いてエミルが地面へ足をつけた。
そこには既に使用人達が並んでおり、その中央には一人の男性が立っている。
フェルナード伯爵、レイモンド・フェルナード。
レオンを見ると穏やかに微笑み、一礼した。
「ようこそお越しくださいました、レオン辺境伯」
「急に悪いな、レイモンド伯爵」
「いえ。レオン辺境伯でしたらいつでも歓迎いたします」
レイモンドの視線が、その隣に立つエミルへ向く。
当然だ。以前レオンがフェルナードを訪れた時にはいなかった女性であり、服装を見ればただの同行者ではないこともすぐに分かる。
レオンがエミルを紹介する。
「こちらは教国聖騎士団副団長のエミル。今回、帝国との交渉で教国側の見届け人として同行してくれてる」
エミルは姿勢を正して一礼した。
「初めまして。教国聖騎士団副団長、エミルと申します」
レイモンドも丁寧に頭を下げる。
「これはご丁寧に。フェルナード伯爵、レイモンド・フェルナードです。教国の聖騎士団副団長殿をお迎え出来るとは光栄です」
「こちらこそ突然の訪問となり申し訳ございません」
「お気になさらず」
二人が挨拶を交わす。それを見ながら、レオンはふと周囲を見回した。
「そういえばフローラは?」
レイモンドが少し笑う。
「フローラでしたら現在は王都の学園です」
「ああ、そうだった」
ここへ来たことで、以前フェルナードで会った時の感覚が戻ってしまっていた。
「元気にしてる?」
「はい。手紙を見る限りでは、学園でも随分と頑張っているようです」
「そうか」
それならよかった。
レイモンドはレオンとエミルを交互に見る。帝国へ二人で向かい、そのまま王都、さらにフェルナードまで来ている。思っていた以上に親しいように見えたが、そのことについて口にすることはなかった。
「立ち話もなんです。どうぞ中へ」
「ああ」
レオン達は案内され、邸の中へ入った。
応接室へ通され、レオンとエミルが並んでソファへ腰掛ける。向かいにはレイモンド。使用人が茶を置き、静かに退室したところでレイモンドが口を開いた。
「それで、今回は帝国からのお帰りなのですよね?」
「ああ」
レオンは懐から書類を取り出した。
「帝国との話はまとまった。バルト山脈の大規模討伐を王国と帝国で共同して行うことになった」
レイモンドの表情が僅かに変わる。
「共同討伐ですか」
「ああ。帝国側からノルディア方面へ五千人の兵を出す。指揮は第二皇子ルーカス」
「五千……」
さすがのレイモンドも驚いたようだった。
「王国側は了承されたのですか?」
「昨日、国王陛下から許可をもらった。もちろん細かい条件はこれから詰めるけどな」
レイモンドはゆっくりと頷く。
「そこまで話が進んでいたとは」
「俺も帝国へ行く前は、ここまで大きな話になると思ってなかったよ」
「ですが、レオン辺境伯が直接帝国へ赴かれた成果なのでしょう」
レオンは苦笑する。
「俺一人の成果じゃない」
隣にいるエミルを見る。
「エミルにもかなり助けてもらったしな」
「私は見届け人として同行しただけです」
「それでもだよ」
エミルは僅かに視線を逸らした。レイモンドはその様子を静かに見ていた。
そしてレオンが本題へ入る。
「ただ、今日来たのは共同討伐の報告だけじゃない」
レイモンドの顔から笑みが薄れる。
「何かございますか?」
「ああ。レイモンド伯爵に頼みたいことがある」
「私に?」
「ああ」
レオンは少し姿勢を正した。簡単に頼める話ではない。だからこそ曖昧には言いたくなかった。
「もしバルト山脈で大規模な魔獣の氾濫が起きて、ノルディアの町や村が破壊された場合、領民をフェルナードで一時的に受け入れてほしい」
レイモンドは黙った。レオンは続ける。
「最初からここへ逃がすわけじゃない。大氾濫の兆候が出た時点で領民は先にノルディア南部へ避難させる。それとは別に教国方面への避難経路も作る予定だ」
エミルも頷く。
「教国については、私が帰還後、セリオス様へ正式に相談する予定です」
レイモンドはエミルを見た後、再びレオンへ視線を戻す。
「ではフェルナードは」
「ああ。魔獣を倒した後だ。町や村が無事なら領民は帰せる。でも全部壊されてたら帰る場所がない。その時、復興が終わるまでの間だけでもフェルナードに住まわせてほしい」
レイモンドはすぐには答えなかった。そして静かに尋ねる。
「想定されている人数は?」
レオンは一瞬だけ間を置いた。
「分からない。被害の大きさ次第だ。数千人で済むかもしれない。でも最悪の場合、数万人になる」
レイモンドの表情が変わった。
数万人。それは一つの町を新たに作るような人数だ。レオンも分かっている。だから国王にも話を通した。
「国王陛下にも既に相談してある。レイモンド伯爵が受け入れてくれるなら、王国としても支援を考えてくれる。ただし、陛下はフェルナードへ命令するつもりはない」
レオンは真っ直ぐレイモンドを見る。
「決めるのはレイモンド伯爵だ」
部屋に静寂が落ちた。窓の外から、遠く港の方角から聞こえる鐘の音が僅かに響く。
レイモンドはテーブルの上へ視線を落とした。数万人の命。その一方で、フェルナードで暮らす領民達の生活も守らなければならない。すぐに答えられる話ではない。
やがてレイモンドはゆっくりと顔を上げた。
「レオン辺境伯」
「ん?」
「少し、詳しく聞かせていただけますか?」
「ああ」
レオンは頷いた。
こうして、ノルディア領民の未来を左右するフェルナードとの交渉が始まった。




