第297話 王都へ
翌朝、まだ日が昇り切らない時間から、ノルディア邸の前では王都へ向かう準備が進められていた。
馬車の点検、荷物の積み込み、旅の途中で必要になる食料や水、帝国で交わした文書、国王へ提出するためにまとめた共同討伐の資料、避難計画について簡単に整理した書類。
どれも忘れるわけにはいかないものばかりだった。
レオンは旅装へ着替え、邸の前へ出る。
そこではゼムが、使用人達と最後の確認をしていた。
少し離れた場所では、クロエが荷物の一覧表を見ながら、一つずつ積まれた物を確認している。
そして馬車の横には、既にエミルが立っていた。
「おはようございます、レオン君」
「ああ、おはよう」
帝都から十四日かけて帰ってきたばかりだというのに、今度は王都まで十四日。
レオンは馬車を見上げ、小さく息を吐いた。
「またこれに十四日か……」
エミルが少し笑う。
「帝都までの旅に比べれば、今度は王国内ですから、少し気楽なのではありませんか?」
「道は知ってるからな」
少なくとも帝国へ向かう時のように、国境を越えて他国へ入る緊張はない。
それでも、十四日という距離そのものが短くなるわけではない。
レオンがそう考えていると、クロエが一覧表から顔を上げた。
「全部載せ終わったよ」
「ありがとう」
「帝国から持って帰ってきた文書も?」
「こっちにある」
レオンは、自分が持っている革製の鞄を軽く持ち上げた。
今回の王都行きで、一番重要な物だ。
帝国と交わした共同討伐についての文書。
そこには、皇帝ジーカスと第一皇子ジークハルトの名がある。
さらに、教国の立会人としてエミルが内容を確認している。
これを国王へ直接見せることになる。
クロエが少し心配そうに鞄を見る。
「絶対なくさないでね」
「なくすわけないだろ」
「レオンだから心配してるんだよ」
「俺、そんなに信用ない?」
「物をなくす心配じゃなくて、途中で誰か困ってる人を見つけて、予定外の場所に寄り道する方」
「…………」
レオンは言い返せない。
隣でエミルが小さく笑っている。
「笑うなよ」
「すみません」
まったく悪びれていない。
そこへ、ゼムが歩み寄ってきた。
「準備は整いました、ぼっちゃま」
「ああ」
「王都では、くれぐれも無茶をなさらぬよう」
「何もしないよ」
「帝国へ向かわれる時も、似たようなことを仰っておられた気がいたしますが」
「今回は国王陛下に報告するだけだ」
「その後、フェルナードへ向かわれるのでしょう?」
「……そうだけど」
「では、何も起こらぬと断言するには、少々長い旅かと」
ゼムの言っていることはもっともだった。
ただ、今回に限っては本当に戦うような予定はない。
王都へ行き、国王へ報告し、共同討伐の許可を得る。
避難計画について相談する。
それが終わればフェルナードへ向かい、レイモンド様へ協力を求める。
ただ、それだけだ。
本当にそれだけで終わってほしい。
レオンはクロエを見る。
「じゃあ、留守を頼む」
「うん」
クロエは頷いた。
昨日と同じ言葉だ。
だが、今度は冗談めかした様子はなかった。
「避難都市の方は進めておくよ」
「ああ」
「それと、領内の人口と、それぞれの街や村から避難場所までの距離も調べ始める」
「頼む」
「王都で話がまとまったら、出来るだけ早く知らせて」
「分かった」
クロエは一度頷くと、少しだけレオンを見つめた。
「……ちゃんと帰ってきてね」
「何だよ、急に」
「帝国行って、帰ってきたと思ったら、三日でまた出るんだもん」
「今度は王国内だぞ」
「そういう問題じゃないよ」
少し拗ねたような声だった。
だが、レオンが何か返す前に、クロエはいつもの笑顔へ戻った。
「行ってらっしゃい」
「ああ、行ってくる」
レオンは馬車へ乗り込む。
エミルもその後に続いた。
扉が閉じられる。
やがて御者が馬を進ませると、ノルディア邸が少しずつ遠ざかっていった。
窓の外では、クロエとゼムが見送っている。
レオンはその姿が見えなくなるまで、外を見続けた。
ノルディアを出発してからの旅は、大きな問題もなく進んだ。
街道は整備されており、宿場町も多い。
帝都へ向かった時と比べれば、見慣れた景色が続く。
一日目、二日目、三日目。
馬車は南へ向かって進み続けた。
途中で立ち寄る街では、ノルディアから運ばれてきた商品を見かけることもあった。
保温箱、加工されたボア肉、ノルディアで栽培された魔力草と湧水を使ったポーション。
それを見る度、レオンは自分の領地の商品がここまで広がったのだと、改めて実感した。
「随分、広く売られているのですね」
ある街の市場を馬車の窓から見ていたエミルが、感心したように呟く。
「クロエが広げたからな」
「レオン君もでしょう?」
「俺は最初に思いついただけだよ」
商品を作るだけでは意味がない。
売る場所を作り、商人と交渉し、値段を決め、大量の注文が入っても生産が破綻しないよう調整する。
そのほとんどをクロエがやっている。
「帝国から帰ってきた時も思いましたが、クロエさんは本当に優秀なのですね」
「ああ」
レオンは即答した。
「ノルディアがここまで発展したのは、クロエがいたからだ」
「随分、信頼しておられるのですね」
「そりゃそうだろ」
何年も一緒に仕事をしている。
今ではレオンが不在でも、多くのことを任せられる。
その答えを聞いたエミルは、少しだけ黙った。
「エミル?」
「いえ」
「どうした?」
「……何でもありません」
エミルは窓の外へ顔を向けた。
何となく先程より静かになった気がしたが、レオンには理由が分からなかった。
七日目。
旅程のちょうど半分ほどまで来た頃、二人は街道沿いの宿へ入った。
夕食を終え、それぞれの部屋へ戻る前、レオンは食堂の端に置かれていた小さな机へ地図を広げていた。
エミルも、その向かいに座る。
「王都に着いたら、まずアレク殿下に会う」
「第一王子殿下ですね」
「ああ」
いきなり国王へ会わせてほしいと城へ行くより、アレクを通した方が話は早い。
今回の共同討伐は、王国にとっても大きな話だ。
帝国軍五千がノルディア領へ入る。
しかも、帝国第二皇子ルーカスが率いる。
領主であるレオンだけが了承すれば済む問題ではない。
「アレクに事情を説明して、そのまま国王陛下へ取り次いでもらう」
「私もご一緒します」
「ああ。そのために王都まで来てもらったからな」
エミルは、教国の正式な立会人だ。
レオンが帝国側とどんな内容で合意したのか、皇帝やジークハルトが本当に了承したのか。
それを第三国の人間として証明してもらえる。
「ただ、一つ問題がある」
「何でしょう?」
「避難計画の方だ」
レオンは地図上のノルディアを指す。
「共同討伐については帝国との文書がある。でも、こっちは俺が考えただけだからな」
「国王陛下がどのように判断されるか分からないと?」
「ああ」
ノルディア領内に避難都市を造るだけなら、領主であるレオンの権限で進められる。
だが、教国側を使うとなれば国境を越える。
フェルナード方面への大量避難も、他領へ大勢の人間を移すことになる。
国王の了承なしに進めるべき話ではない。
「特にフェルナードだな」
「レイモンド様の領地ですからね」
「ああ」
国王が許可しても、レイモンド様が了承しなければ成立しない。
逆にレイモンド様が了承しても、王国として認められなければ、大規模な避難計画として動かすのは難しい。
「両方に話を通さないといけない」
「レオン君なら出来ると思います」
「簡単に言うなよ」
「でも、帝国とのお話をまとめて帰ってこられました」
「今回は父上の時代からの関係があったからだよ」
グラニウスとジーカス。
二人の間にあった信頼。
それが土台にあったからこそ、今回の話も進められた。
何もないところから、帝国との協力を作ったわけではない。
「それでも、そこから今回の形まで進められたのはレオン君でしょう?」
「…………」
レオンは少し黙った。
真正面からそう言われると、返答に困る。
「エミルって、たまに恥ずかしいこと言うよな」
「え?」
「いや、何でもない」
「?」
本当に分かっていないらしい。
レオンは地図を畳んだ。
「とにかく、王都に着いてからだ」
「はい」
「そこが通らないと、次へ進めない」
レオンは窓の外を見る。
夜の街道は静かだった。
あと七日。
王都へ着けば、次の話が始まる。
さらに数日が過ぎた。
ノルディアから離れるほど、気候は少しずつ暖かくなっていく。
街道を行き交う人の数も増え、やがて大きな商隊とすれ違うことも珍しくなくなった。
王都へ近づいている証拠だった。
十四日目の昼過ぎ。
馬車の窓から、巨大な外壁が見え始める。
その向こうには、いくつもの高い塔。
さらに遠くには、王城が見えた。
エミルが窓の外を見る。
「見えてきましたね」
「ああ」
王都。
レオンにとっては、何度も訪れた場所だった。
十歳の頃、アレクの誕生を祝う宴へ参加し、そこで前世の記憶を取り戻した。
クラリスと出会い、彼女の未来を変えようと決めた場所でもある。
あれから六年、随分と色々なことがあった。
父グラニウスの死、領主就任、クロエとの商売、フローラとの出会い、セリオス、エミル、ルーカス、そして帝国。
原作では、出てこなかった自分が関わることのなかった出来事ばかりだ。
馬車はゆっくりと、王都の門へ近づいていった。
門の前には、多くの馬車と人が並んでいる。
だが、ノルディア辺境伯家の紋章を確認した兵士が、すぐに道を開けた。
「ノルディア辺境伯閣下!」
兵士達が一斉に姿勢を正す。
レオンは窓越しに軽く手を上げる。
馬車はそのまま門をくぐった。
王都の中へ入ると、一気に喧騒が広がった。
大通りを行き交う人々、店先から響く呼び込み、荷物を運ぶ商人、貴族の馬車。
帝都とは、まるで違う。
それでも、王国最大の都市らしい活気がある。
エミルが窓の外を眺めながら呟く。
「ここが王都……」
「初めてだったか?」
「はい。教国から王国へ来ることはありましたが、王都まで来る機会はありませんでした」
「じゃあ、ゆっくり見て回りたいところだけど」
「お仕事が先ですね」
「そういうこと」
今回ばかりは、観光している余裕はない。
まず、アレクに会う。
レオンは王城の方角を見る。
今頃、アレクは何をしているだろうか。
最後に会った時から、それほど長く時間が経ったわけではない。
だが、帝国で決めてきた内容を話せば、さすがに驚くだろう。
何しろ次の大規模討伐では、帝国第二皇子ルーカスが、五千の帝国兵を率いてノルディアへ入ることになる。
レオンは小さく息を吐く。
「さて……」
エミルが隣を見る。
「どうしました?」
「いや」
レオンは王城を見上げた。
「まずはアレクに説明するところからだな」
帝国との話はまとまった。
次は王国。
馬車は王都の大通りを抜け、王城へ向かって進んでいった。




