第296話 留守を任せられる人
評価ポイントが1000ポイントを超え、
ブックマークも自分が想像するより増えて、嬉しい限りです。
評価、ブックマーク、リアクション、ありがとうございます。
8章を書き終え9章のプロットが済んで、最初から文書の句読点を入れたりなどしたかったのですが……
10章辺りからメインのあの方が出てくる予定なので
早く書きたい欲が………
少しづつ誤字や句読点、あと設定のズレなんか修正していきます。
これからもよろしくお願いいたします。
ノルディアへ帰還した翌朝。
執務室には、朝早くから紙をめくる音が響いていた。
レオンは机へ向かい、帝国へ出発してから溜まっていた書類を一枚ずつ確認していく。
昨日見た時には山のように思えた書類も、実際に目を通してみれば整理されており、必要な情報には付箋まで付けられている。
収支報告、宿場町からの報告、魔力草やポーション事業、氷事業、保温箱の生産状況、騎士団の装備更新、避難都市の建設進捗。
どれも、レオンが不在だった一ヶ月近くの間に動いていたものだ。
だが、大きな問題は起きていない。
それどころか、ほとんどの案件は既に処理が終わっていた。
レオンの机へ残されていたのは、領主本人の承認が必要なものか、今後の方針を決めなければならないものばかりだった。
一枚の書類へ署名し、次を手に取る。
「……これも終わってるのか」
少し離れた机で帳簿を確認していたクロエが、顔を上げた。
「何が?」
「保温箱」
「ああ、それ?」
クロエは何でもないように答える。
「帝都に行く前に増産の話してたでしょ? 職人を増やしても一気に作らせたら品質が落ちるから、古参の職人一人につき、新人二人まで付ける形にしたよ」
「販売先は?」
「今は王国内が中心。注文はもっと来てるけど、帝国方面にはまだ広げてない」
「なんで?」
「レオンが帝国へ行ってる最中に、勝手に帝国向けの大口契約なんて結べないでしょ」
確かにそうだった。
今回の帝国訪問で両国の関係はさらに深まったとはいえ、商売まで自動的に自由になるわけではない。
クロエは帳簿へ視線を戻す。
「それに、作れる数には限界があるからね。注文があるからって全部受けて、納期を守れなくなったら信用を失う」
「なるほど」
「今の数ならちょうどいいよ。少し注文を待ってもらってるくらいの方が、値段も崩れないし」
レオンは手元の書類を見る。
販売数、生産数、職人へ支払った賃金、材料費。
全て綺麗にまとめられていた。
次に、魔力草関連の報告へ目を通す。
こちらも大きな問題はない。
栽培地は予定通り広がり、ポーションの生産量も増えている。
さらに氷事業についても、夏の間に落ち込むことを見越して、生産に使っていた人員の一部を別の仕事へ回していた。
レオンは数枚の書類を確認した後、クロエを見る。
「俺がいなくても、普通に回ってたんだな」
クロエが眉を寄せる。
「何、その言い方」
「いや、悪い意味じゃないぞ」
「僕が何年、レオンと一緒に仕事してると思ってるの?」
「それは分かってるけど」
レオンが領主となってから、クロエはずっと傍にいた。
最初は商売の相手だった。
それが今では、ノルディアで行っている事業の多くに関わり、レオンが不在でも判断出来ることは自分で処理している。
昨日、ジークハルトについて、考えていることをすぐ理解してくれる人間がいると楽だと、クロエ自身が言っていた。
だが、それならクロエも同じだった。
レオンが何を優先するのか、どこまでなら利益を求めるのか、何を絶対に譲らないのか。
長く一緒に仕事をしてきたクロエは、それをかなり正確に理解している。
「ありがとうな」
突然言われたクロエが、目を瞬く。
「何?」
「留守の間」
「……急にどうしたの?」
「別に」
レオンは再び書類へ視線を落とした。
「俺が帝国で好き勝手やれたのも、こっちを任せられたからだなって思っただけ」
「好き勝手やってた自覚はあるんだ」
「そこ?」
クロエは小さく笑った。
「でも、まあ……どういたしまして」
そう答えると、再び帳簿へ視線を落とした。
少しだけ嬉しそうに見えたのは、気のせいではないだろう。
ゼムは二人のやり取りを黙って見ていたが、やがて一枚の書類をレオンの前へ置く。
「ぼっちゃま、こちらもご確認を」
「まだあるのか」
「ございます」
「いつ終わるんだ?」
「ぼっちゃま次第でございます」
レオンはため息を吐きながら、書類を手に取った。
そこに書かれていたのは、ノルディア最南端で進めている避難都市の建設報告だった。
基礎工事、井戸、倉庫、食料の備蓄場所、領民を受け入れるための簡易住宅。
予定より僅かに遅れている部分はあるものの、全体としては順調だった。
レオンは少し表情を引き締める。
「避難都市は問題なさそうだな」
「今のところはね」
クロエも椅子を動かし、レオンの横から書類を覗き込む。
「ただ、昨日レオンが言ってた計画まで含めるなら、話は別」
「教国とフェルナードか」
「うん」
クロエは机の上に置かれていた地図を広げる。
「教国側の一次避難場所をどうするかは、向こうとの相談になるから、まだ費用も何も出せない」
「ああ」
「フェルナードの方も同じ。レイモンド様がどこまで協力してくれるのか分からない状態じゃ、僕も計算出来ないよ」
「分かってる」
「土地を借りるだけなのか、街を造るのか、既存の街を拡張するのか。それだけでも全然違うからね」
レオンは頷いた。
だからこそ、王都とフェルナードへ行かなければならない。
まだ構想しかないものを、クロエに数字へしろと言っても無理な話だ。
「だから、王都でまず国王陛下に話を通す」
「うん」
「それからフェルナードへ行って、レイモンド様に相談する」
「そこまでは昨日聞いた」
クロエは地図上のノルディアから王都へ指を動かし、さらにフェルナードへ移した。
「問題は、どれくらいの人数を想定するかだね」
「人数?」
「全領民を半分ずつってわけじゃないでしょ?」
レオンは少し考える。
確かに避難先を二方向へ分けると言っても、単純に半分ずつに分ければいいわけではない。
住んでいる場所によって、近い避難路も違う。
老人、子供、怪我人、馬車を使える家族、徒歩で移動しなければならない領民。
条件はそれぞれ違う。
「街や村ごとに避難先を決める方がいいか」
「僕もその方がいいと思う」
クロエは地図上のいくつかの場所を指す。
「大氾濫が起きそうになってから、どっちへ行くか決めてたら遅いよ」
「だな」
「最初から、この村は南、この町は教国側って決めておく。領民にも事前に知らせて、避難する道も決めておく」
レオンはクロエを見る。
昨日、自分が考えていたのは避難先までだった。
だが、実際に何万人もの領民を動かすなら、それだけでは足りない。
誰が、どこへ、どの道を通って、どれだけの日数で移動するのか。
そこまで決めて、初めて避難計画になる。
「それ、まとめられるか?」
「出来るけど……」
クロエが嫌そうな顔をする。
「また僕の仕事増やすの?」
「頼む」
「レオンもやってよ」
「王都に行かないと」
「その前に出来るところまで」
「はい」
昨日と同じやり取りになった。
ゼムが静かに口元を緩める。
クロエは小さく息を吐くと、地図の端に置かれていた紙を引き寄せた。
「じゃあ、まず領内の人口と、それぞれの街や村から避難都市までの距離を出す」
「ああ」
「馬車をどれだけ使えるかも確認する。全員分なんて絶対ないから、歩けない人を優先しないと」
「食料も必要だな」
「途中で配れる場所を作った方がいいかもね」
「街道沿いの宿場町を使えないか?」
「場所によるかな」
二人の間で、次々に必要なものが増えていく。
避難経路、食料、水、馬車、護衛、休憩場所、事前に避難を開始する判断基準、領民への周知。
レオンが最初に考えていたより、遥かに大きな計画になりそうだった。
クロエが途中で手を止める。
「これ、かなり時間かかるよ」
「二年ある」
「二年しかない、でしょ」
「……そうとも言う」
「そうとしか言わないよ」
クロエは呆れたように言ったが、手を止めることはなかった。
その様子を見ながら、エミルが静かに口を開く。
「教国側でも、同じ準備が必要になりますね」
「そうなるな」
「でしたら、セリオス様へお話しする際、避難場所の相談だけではなく、教都までの経路についても確認した方が良さそうです」
「頼めるか?」
「もちろんです」
エミルは頷いた。
「ただ、教国側にも準備する時間が必要です。出来るだけ早くお伝えした方がよいでしょう」
「王都とフェルナードが終わったらノルディアに戻って、その後すぐ教国へ帰るんだよな?」
「はい」
エミルは少しだけ間を置いて答えた。
「その予定です」
帝都まで一緒に行き、そこからノルディアへ戻り、これから王都、さらにフェルナード、そしてもう一度ノルディアまで戻る。
考えてみれば、エミルとは随分長く一緒に旅をすることになる。
最初は、教国から派遣された和平の見届け人というだけだった。
それが今では、ノルディアの避難計画にまで協力してもらっている。
「エミルも悪いな」
「何がですか?」
「色々付き合わせて」
エミルは少し驚いた後、柔らかく笑う。
「私は嫌ではありませんよ?」
「そうか?」
「はい」
即答だった。
レオンは少しだけ首を傾げたが、それ以上深く考えることはなかった。
クロエが二人をじっと見ている。
「何だ?」
「……別に」
そう答えたクロエは、再び紙へ視線を落とした。
何故か、先程より筆を走らせる音が少し強くなった気がした。
それから三日。
レオンは朝から夜まで、執務室へ籠もることになった。
帝国滞在中に溜まった仕事を処理し、王都へ持っていく資料をまとめ、共同討伐の合意内容を確認し、帝国から預かった文書を整理する。
その間にも、普段の領主としての仕事は増えていく。
三日目の夕方。
レオンは最後の書類へ署名すると、机へペンを置いた。
「終わった……」
椅子の背にもたれ掛かる。
向かい側で書類を確認していたクロエが、顔を上げる。
「本当に全部?」
「全部」
ゼムが机へ近づき、一枚ずつ確認していく。
レオンはその様子を不安そうに見つめる。
やがて、ゼムが書類を揃えた。
「問題ございません」
「よし」
ようやく解放された。
レオンが立ち上がろうとすると、ゼムが続ける。
「では、明日の王都へのご出発についてですが」
「もう仕事の話するの?」
「明日出発されるのでございますから、当然でしょう」
「少しくらい達成感に浸らせてくれよ」
クロエが笑う。
「馬車の中で浸れば?」
「また十四日、座りっぱなしか……」
帝都から十四日かけて帰ってきたばかりだ。
そして明日から、再び十四日。
今度は王都まで、馬車に揺られることになる。
だが、行かなければならない。
レオンは執務室の窓から外を見る。
夕暮れに染まったノルディアの街が見える。
ここを守るために帝国へ行った。
そして、次は王都へ行く。
国王の許可が得られなければ、帝国と決めた共同討伐も進めることは出来ない。
避難計画についても同じだ。
まだ始まったばかりだった。
「クロエ」
「何?」
「留守の間、また頼む」
クロエは一瞬だけ黙った。
それから、少し呆れたように笑う。
「今度はどれくらい?」
「王都に行って、その後フェルナードだから……」
「聞かなきゃ良かった」
「悪い」
「いいよ」
クロエは椅子から立ち上がった。
「その代わり、ちゃんと話まとめて帰ってきてね」
「ああ」
「フェルナードの避難地帯がどうなるか分からないと、こっちも計画を進められないから」
「分かってる」
クロエは小さく頷く。
「じゃあ、任された」
その言葉を聞き、レオンも頷いた。
ノルディアを長く空けることに、不安がないわけではない。
だが、今は違う。
ゼムがいる。
クロエがいる。
ガレスや騎士達もいる。
全てを自分一人で抱える必要はない。
父グラニウスのような圧倒的な力は、自分にはない。
だからこそ、頼れる人には頼ればいい。
レオンは机の上に用意された、王都行きの書類へ視線を落とした。
明日、再びノルディアを発つ。
次に向かうのは王国の中心、王都だった。




