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乙女ゲーの辺境伯に転生したので奴隷落ちする悪役令嬢を金貨2万枚で救おうと思います(編集中)  作者: トンビが鷹を産んだトンビの方
第8章 帝国の大和撫子と英雄の末裔

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第286話 領民を守るために

「先に、領民を逃がす準備をします」


レオンの言葉に、ジークハルトの翡翠色の瞳が僅かに細くなった。

ルーカスも腕を組んだままレオンを見る。クニヒロとラメセスも何も言わず、その続きを待っていた。

最初に口を開いたのはジークハルトだった。


「避難計画を作るということか?」


「はい」


レオンは頷く。


「大規模討伐そのものには、俺も賛成です。このまま魔獣の活性化を放置するつもりはありません。ただ、討伐を始める前に、最悪の事態が起きた時の準備をしておきたいと考えています」


「最悪の事態……」


ルーカスが小さく呟く。

レオンは机の上に広げられた地図へ視線を落とした。


「討伐によって山の中にいる魔獣を刺激し、それが原因で大規模な氾濫が起きる可能性があります。もちろん、何も起こらないかもしれません。ですが、起きてから考えたのでは遅い」


ラメセスが腕を組む。


「確かにな。数千の兵を山へ入れるとなれば、魔獣の動きがどう変わるかまでは予測できん」


「はい。ですから、討伐軍を編成するのと同時に、ノルディアでは避難計画を進めるつもりです」


「具体的には?」


ジークハルトに尋ねられ、レオンは地図のノルディア側へ指を置いた。


「まず、バルド山脈から離れた場所に大規模な避難場所を作ります。それから、領内の各村や町から避難場所へ向かう街道を整備します。食料や水、薬、毛布なども備蓄しておくつもりです」


クニヒロが静かに頷く。


「民を移動させるための馬車も必要になりますな」


「はい。ですが、馬車だけでは足りないでしょう。老人や子供、怪我人を優先して乗せ、歩ける者には徒歩で移動してもらうことになると思います」


「相当な数になるぞ」


ルーカスが言った。


「ああ」


レオンはルーカスに頷く。

ノルディア領に暮らす領民全員を動かす。

口で言うほど簡単なことではない。

避難経路、輸送手段、食料、水、薬、護衛。

何より、魔獣が押し寄せている状況で混乱する人々をどう動かすのか。

準備なしでは到底不可能だった。


「避難場所を一つ作れば終わりではありません。各地に一時的な避難拠点も必要になります。領民にも事前に、何かあった時にどこへ逃げればいいのか知らせておきたいと考えています」


「訓練もするつもりか?」


ジークハルトが尋ねる。


「はい、そのつもりです。実際に一度も避難したことがない人間に、魔獣が迫っている状況で冷静に動けと言っても無理があります。最低でも村や町ごとに避難経路を決め、責任者を置きます」


ジークハルトは何も言わず、地図を見ながらレオンの話を聞いていた。


「それだけではございませんな」


クニヒロが口を開く。


「避難させた後の生活もございます」


「はい。俺もそこは考えています」


一日や二日なら、食料を配ればいい。

だが、大氾濫によって村が壊滅すれば、一ヶ月、半年、場合によっては何年も戻れない可能性がある。


「ですから、ただの避難所にはしません」


「というと?」


「最初から人が住めるようにします」


ラメセスが眉を上げた。


「新しい町でも造るつもりか?」


「それに近いものを考えています」


レオンは頷く。


「まだ場所は決めていませんが、バルド山脈から十分離れた場所に土地を確保します。井戸を掘り、家を建て、畑も作る。倉庫も用意して、食料を備蓄します」


最初は避難場所として使う。

何も起こらなければ、そのまま新しい開拓地として使えばいい。

金も人手も無駄にはならない。

レオンがそう説明すると、ジークハルトが納得したように頷いた。


「なるほどな。何も起こらなければ新たな町として発展させ、氾濫が起きれば避難先として使うわけか」


「はい」


「悪くない」


ラメセスも地図を見ながら頷く。


「それなら避難施設の維持だけに金を使い続ける必要もないな」


「はい。そのつもりです」


だが、それでも足りない。

レオンの脳裏に、以前見た未来の光景が蘇る。

バルド山脈から溢れ出す無数の魔獣。

それがどれほどの規模になるのか。

レオン自身にも分からない。

原作では大氾濫として描かれていた。

ならば、一つの避難場所だけで全員を守れる保証などない。


「ただ」


レオンは続ける。


「それでも駄目だった場合も考えています」


「……まだあるのか?」


ルーカスが尋ねる。


「ああ」


レオンは地図を見る。

ノルディア領。

その境界の、さらに南にある王国の他領へ視線を移す。


「避難場所でも領民を守れないと判断した場合、領外へ逃がすつもりだ」


ルーカスが僅かに目を見開いた。


そして、ジークハルト、クニヒロ、ラメセスの視線もレオンへ集まる。

会議室が静まり返った。

ジークハルトがゆっくりと口を開く。


「今、何と言った?」


レオンはジークハルトへ視線を戻した。


「ノルディア領内だけで安全を確保できない場合は、領民を他領へ避難させます」


「領民全員をか?」


「必要であれば、そのつもりです」


「……」


ジークハルトが黙った。

ルーカスも少し驚いたようにレオンを見る。

クニヒロとラメセスも同じだった。

レオンは四人の反応に僅かに眉を寄せた。


「何か問題があるのでしょうか?」


「問題というより……」


ジークハルトは少し言葉を選んだ。


「レオン辺境伯。お前は、それが何を意味するのか理解しているのか?」


「はい」


「本当にか?」


ジークハルトの声が僅かに低くなる。


「領地から民を出すということは、税を納める者を自ら手放すということだぞ」


レオンは一瞬、何を言われているのか分からなかった。


「……それが、何か問題なのでしょうか?」


その返答に、今度こそジークハルトが言葉を失った。

王国でも帝国でも、貴族にとって領地とは自らの権力と財産の基盤だ。

土地があり。


そこに人が住み。


作物を育て。


商売をし。


税を納める。


だからこそ、領地には価値がある。


領民を他領へ逃がす。


しかも大規模な避難ともなれば、一度出ていった領民がそのまま避難先へ定住する可能性もある。

まして、故郷の村や町が魔獣によって破壊されれば、戻る場所そのものがなくなる。

ジークハルトはレオンを真っ直ぐ見た。


「もし、ノルディアが壊滅したらどうする」


「……」


「村が壊され、町が失われ、畑も使えなくなる。その状態で領民を他領へ出せば、帰ってくる保証などないぞ」


「はい。それは分かっています」


「それでも逃がすのか?」


「もちろんです」


レオンは迷わず答えた。

ジークハルトの眉が僅かに動く。


「戻ってこなくても?」


「はい」


「……」


レオンは少し考えた後、静かに続ける。


「戻ってこなくても構いません」


その言葉に。

ジークハルトだけではなく、ルーカスも、クニヒロも、ラメセスも、一瞬何も言えなくなった。

レオンはそんな四人を見回す。


「そんなにおかしいでしょうか?」


「おかしいというより……」


ジークハルトは僅かに息を吐く。


「お前は、自分が何を言っているのか本当に分かっているのか?」


「分かっています」


レオンは地図に描かれたノルディア領へ視線を落とした。


「土地なら、また開拓すればいいんです」


静かな声が会議室へ響く。


「畑も、また作ればいい。家も建て直せます。街だって時間を掛ければ、また作れます」


そして顔を上げる。


「金だって、また稼げばいいんです」


クロエなら。

また呆れながら、どうやって稼ぐか一緒に考えてくれるだろう。


ゼムも。


ガレスも。


騎士達も。


そして領民達も。

生きてさえいれば。

もう一度始められる。


「ですが」


レオンの声が僅かに変わった。


「死んだ人間は戻りません」


父を救えなかった。

あと半日、たった半日、間に合わなかった。

どれだけ金があっても。


どれだけ魔力があっても。


どれだけ後悔しても。


死んだ父は戻ってこなかった。

だから、レオンにとって答えは最初から決まっている。


「ノルディアがなくなったとしても」


レオンは静かに言った。


「領民が生きているなら、それでいいんです」


誰も答えなかった。

会議室に静寂が落ちる。

ジークハルトは、目の前に座る少年を見つめていた。

十六歳、自分より年下の辺境伯。

ノルディア領を僅か数年で大きく発展させた男。

商売に長け、新しい技術を生み、他国とすら平然と交渉する。

だからこれまでは、領地を豊かにすることに異常なほど執着する人間なのだと思っていた。

だが、それは違った。


「……そういうことか」


ジークハルトが小さく呟いた。


「何でしょうか?」


「いや」


ジークハルトは僅かに笑う。


「ようやく分かっただけだ」


ノルディアが豊かになった理由。

レオンは、領地を豊かにするために領民を使ったのではない。

領民の暮らしを豊かにしようとした。

その結果として、領地そのものが豊かになった。

だから。

土地と民の、どちらか一方しか守れない状況になれば、レオンは迷わず民を選ぶ。


「お前は、本当に変わった領主だな」


「そうでしょうか?」


「ああ」


ジークハルトは頷く。


「褒めている」


「それなら、ありがとうございます」


レオンは少しだけ笑った。

その様子を見ていたルーカスが口を開く。


「それで?」


「ああ」


レオンがルーカスを見る。


「避難計画を作るのは分かった」


ルーカスは机の地図を見る。


「どれくらい掛かる?」


「……」


レオンは考える。

避難場所の建設。

街道の整備。

物資の備蓄。

輸送手段の確保。

各村の避難経路。

領民への周知。

避難訓練。

騎士団の配置。

さらに、大規模討伐そのものの準備。

帝国軍との連携も必要になる。


「一年……」


レオンが呟く。

一年あれば、最低限の形には出来るかもしれない。

だが、本当にそれで十分なのか?

原作通りなら、大氾濫まではまだ四年ある。

なら、焦って一年で形だけ整える必要はない。

使える時間があるのなら、可能な限り準備に使った方がいい。


「……いや」


レオンは首を横へ振った。

そしてジークハルトを見る。


「ジークハルト第一皇子殿下」


「何だ?」


「一年……いや」


レオンは少し間を置いた。


「二年、猶予をいただけないでしょうか?」


ジークハルトは何も言わず、レオンを見つめる。


「その二年で、ノルディアの避難計画を完成させます。大規模討伐を始めても、何が起きても、領民を逃がせるようにします」


ジークハルトは腕を組んだ。


「二年間、魔獣の活性化を放置するわけではないな?」


「もちろんです。今まで通り、麓へ降りてきた魔獣は討伐します。調査も続けます」


レオンは地図に描かれたバルド山脈を見る。


「ただ、山奥へ大軍を入れる大規模討伐だけは待っていただきたいのです」


ジークハルトは地図へ視線を落とした。

原作を知らない彼にとって、二年という時間は短くない。

その間にも魔獣の数は増えるかもしれない。

だが、レオンの懸念にも理がある。

準備もなく大軍を山へ入れ、それが原因で氾濫を引き起こせば。

被害を受けるのは兵士だけではない。

山の麓で暮らす、帝国とノルディア双方の民だ。

やがてジークハルトは顔を上げた。


「分かった」


「……よろしいのですか?」


「ああ」


ジークハルトは頷く。


「二年だ」


レオンの表情が僅かに緩んだ。


「ありがとうございます」


「ただし」


ジークハルトは続ける。


「その二年を、ノルディアだけの準備期間にするつもりはない」


「と、言いますと?」


「帝国側でも避難経路を整える」


ジークハルトは帝国側の山麓を指差した。


「食料を備蓄し、街道を確認する。魔獣の生息域についても、今まで以上に詳しく調査させる」


クニヒロが頷く。


「軍の編成も進めておきましょう」


ラメセスも続く。


「二年後に軍を集め始めるのでは遅いからな。必要な兵数も事前に決めておくべきだ」


「ああ」


ジークハルトは頷いた。


「二年間、両国で準備する。そして二年後、大規模討伐を行う」


「はい」


レオンも頷く。

ジークハルトは僅かに笑った。


「今日結んだ条約を、早速使うことになりそうだな」


「そうですね」


今日結んだ友好条約。

その第二条。


両国において有事の際、領民の生命を脅かす事態が発生した場合、双方は可能な限り援軍を送り、互いに支援する。


ただ紙の上に書かれただけの言葉ではない。

二年後、その意味が試される。

ジークハルトは地図の中央に描かれたバルド山脈へ手を置いた。


「二年後」


そして、静かに告げる。


「帝国も共に、民を守ろう」


レオンはその言葉を聞き、力強く頷いた。


「はい」

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