第284話 歓迎の宴へ
「やばっ!」
レオンは布団から飛び出すと、慌てて窓の外を確認した。
朝には高く昇っていた太陽はすでに西へ傾き、帝都の街並みを赤く染め始めている。どう考えても、少し眠るつもりだった時間ではない。
「何で起こしてくれなかったんだよ!」
髪を整えながらミコトを見ると、彼女は同じ布団の上で何事もなかったように座っていた。
「私も眠ってしまいましたので」
「一緒に寝てた奴が言うことじゃないだろ!」
「とても心地よくございました」
「そういう問題じゃない!」
ミコトは楽しそうに小さく笑っている。
レオンはため息を吐きながら立ち上がり、宴へ向かうため着替えようとして動きを止めた。
「……ミコト」
「はい」
「着替えるんだけど」
「どうぞ」
「出てってくれ」
「お手伝いいたします」
「いいから出てってくれ!」
「残念でございます」
本当に残念そうな顔をしながら、ミコトは立ち上がる。
「では、私も宴の支度をしてまいります」
「ああ」
襖の前まで歩いたミコトが、ふと足を止めた。
「レオン様」
「何だ?」
「先ほどのことは、ご内密にお願いいたします」
「当たり前だろ。俺だって変な誤解されたくない」
「私としては、誤解していただいても構わないのですが」
「俺が困るんだよ!」
「ふふっ」
ミコトは楽しそうに笑いながら襖を閉めた。
一人になったレオンは大きく息を吐く。
「……本当に調子狂うな」
だが、ゆっくりしている時間はない。
急いで宴用の正装へ着替え、乱れた髪を整える。顔を洗って眠気を飛ばし、鏡の前で最低限の身だしなみを確認した。
「よし」
何とか間に合いそうだ。
その時だった。
コンコンと襖が叩かれる。
「レオン様」
聞こえてきたのはスルガ家の侍女の声だった。
「ジークハルト第一皇子殿下がお見えになられました」
「もう来たのか!?」
「はい。玄関にてお待ちでございます」
「すぐ行く!」
レオンは上着を整えると、急いで客室を出た。
スルガ邸の玄関へ向かう途中、廊下の先から一人の少女が歩いてきた。
レオンの足が自然と止まる。
「……」
ミコトだった。
だが、先ほどまでとは装いが違う。
漆黒の振袖には金と赤の糸で美しい花々が刺繍され、歩くたびに夕日を受けて静かに輝いている。深紅の帯が細い腰を引き締め、艶やかな黒髪は美しく結い上げられていた。そこには一本の金色の簪が差され、歩くたびに僅かに揺れている。
昨日見た白を基調とした着物姿とは、また違った印象だった。
「お待たせいたしました、レオン様」
「ああ……」
レオンは思わずミコトを見る。
「どうかなさいましたか?」
「いや」
少し迷ってから、素直に口にする。
「綺麗だなと思って」
「……」
ミコトが止まった。
先ほどまでの余裕のある表情が一瞬だけ消える。
「……ありがとうございます」
僅かに頬を赤くしながら頭を下げた。
その反応を見て、今度はレオンが少し意外そうな顔をする。
「何だよ。普通に照れるんだな」
「私も乙女でございますので」
「さっきまで俺と同じ布団で寝てた奴の台詞とは思えないな」
「ただ隣で眠っていただけでございます」
「起きた時に『激しゅうございましたね』とか言ったのは誰だよ」
「冗談でございます」
「真顔で言われたこっちは本気で焦ったんだぞ」
「ふふっ」
ミコトが楽しそうに笑う。
「まあいい。急ごう。ジークハルト第一皇子殿下を待たせてる」
「はい」
二人は並んで玄関へ向かった。
玄関へ到着すると、既にジークハルトが待っていた。
その傍らには数名の近衛兵が控えている。
当然ながら、昨日私的に話していた時とは空気が違った。
ジークハルトも宴へ出席するため、帝国皇族としての正装に身を包んでいる。整えられた銀髪に、翡翠色の瞳。そこにいるのは、次期皇帝と目される帝国第一皇子だった。
レオンも足を止め、姿勢を正す。
二人は既に、私的な場では「ジーク」「レオン」と呼び合うことを許し合っている。
とはいえ、それも昨日、別れ際に交わしたばかりの話だ。
まして今は近衛兵やスルガ家の者達がいる正式な場。
二人とも自然と互いの立場に合わせた話し方へ戻る。
「お待たせいたしました、ジークハルト第一皇子殿下」
レオンが頭を下げる。
「いや、こちらも少し早く到着した。気にする必要はない、レオン・ノルディア辺境伯」
そう答えたジークハルトが、レオンの顔をじっと見る。
「……」
「何でしょうか?」
「いや」
ジークハルトの翡翠色の瞳が僅かに細くなる。
「随分とよく眠れたようだな」
「……」
レオンの表情が固まった。
隣にいるミコトが僅かに顔を伏せる。
肩が震えていた。
笑ってやがる。
「……おかげさまで」
「そうか」
ジークハルトの口元が僅かに緩む。
「ルーカスの予想通りだったようだな」
「……殿下」
「何だ?」
「ルーカス第二皇子殿下には、その件をお伝えにならないでいただけますか?」
「何故だ?」
「一生言われ続ける気がいたしますので」
「それは無理だろう」
即答だった。
「何でですか!」
「俺が言わなくとも、お前の顔を見ればルーカスなら気づく」
「そんなに分かりやすいですか!?」
「少なくとも、今の反応を見れば確信するだろうな」
レオンは額へ手を当てる。
もう駄目かもしれない。
皇城へ着いた瞬間、ルーカスから何を言われるのか容易に想像できた。
ジークハルトは小さく笑うと、すぐに第一皇子としての表情へ戻った。
「では、そろそろ向かおう。父上を始め、帝国の重臣達も既に集まり始めている」
「はい」
レオンも頷く。
だが、歩き始めようとしたジークハルトへ声を掛けた。
「ジークハルト第一皇子殿下」
「何だ?」
「宴の前に、少しお時間をいただけませんでしょうか」
ジークハルトの足が止まった。
先ほどまで浮かんでいた僅かな笑みが消える。
わざわざ宴へ向かう直前に時間を求めた。
ただの雑談ではないことを理解したのだろう。
「重要な話か?」
「はい」
レオンは頷いた。
「先日お話しした、バルド山脈の魔獣の活性化についての話です」
「……あの件か」
ジークハルトの翡翠色の瞳が僅かに細くなる。
以前、ジークハルト本人から聞いた話だった。
帝国側のバルド山脈でも、ここ最近、魔獣の動きがおかしくなっている。
山奥にいるはずの魔獣が麓へ姿を現すようになり、縄張り争いも増えている。討伐しても別の群れが現れ、以前とは明らかに様子が違う。
そして、同じ異変がノルディア側でも起きている。
「今後の対応について、帝国側と話しておきたいことがあります」
「なるほどな」
ジークハルトは少し考え、静かに頷いた。
「分かった」
「ありがとうございます」
「だが、立ち話で済ませる内容ではなさそうだな」
「はい」
ジークハルトは近衛兵の一人へ視線を向ける。
「皇城へ戻り次第、会議室を用意させろ」
「はっ!」
近衛兵が頭を下げる。
「それと、ルーカスを呼べ」
「承知いたしました」
さらにジークハルトは少し考える。
バルド山脈で大規模な異変が起きている以上、皇族だけで決められる話ではない。
今後、大規模な討伐が必要になれば、実際に帝国軍を動かす者達の意見も必要になる。
「スルガ将軍にも出席してもらう」
その言葉に、ミコトが僅かに目を見開いた。
「父上もでございますか?」
「ああ」
ジークハルトは頷く。
「それと、アメラン将軍にも声を掛ける」
帝国を代表する二つの将軍家。
スルガ家とアメラン家。
その両方の当主を呼ぶ。
それだけで、ジークハルトがこの話をどれほど重く受け止めているのかが分かった。
「宴の開始まで、それほど時間はない」
ジークハルトはレオンを見る。
「簡単な話では済まないかもしれんぞ?」
「承知しております」
レオンは真っ直ぐ答える。
むしろ、そのために帝国まで来たのだ。
和平条約を結ぶ。
それだけでは足りない。
未来に起こるバルド山脈の大氾濫。
原作『ノルドレア・ロワイヤル』では、主人公エリシアが学園三年生の時に発生する大災害だった。
今の時間軸から考えれば、まだ約四年ある。
原作通りなら、まだ時間はある。
だが、レオンは既に原作にはなかった出来事をいくつも起こしている。
怪しい商人、クロエを専属商人にし、ノルディアを発展させ。
教国やフェルナード領との繋がりを作り。
そして今日、帝国との新たな友好条約まで結んだ。
この世界はもう、レオンが知るゲームと同じ道を歩んでいるとは限らない。
まして、魔獣の活性化という前兆は既に始まっている。
原作通り四年後に起こる。
そんな保証はどこにもない。
だからこそ、今から動かなければならない。
レオンは小さく息を吐く。
「行きましょう」
「ああ」
ジークハルトが頷いた。
三人はスルガ邸を出る。
外には、帝国皇室の紋章が刻まれた馬車が待っていた。
夕暮れに染まり始めた帝都。
その先には白亜の皇城が聳えている。
今夜、そこでレオンを歓迎する宴が開かれる。
だが、その前に話さなければならないことがあった。
バルド山脈で起こり始めている異変。
そして、その先に待っているかもしれない、大氾濫についてだった。




