間章 鍛えるべき力(前編)
ルーカスがノルディアへ滞在するようになってから、十日が過ぎていた。
その間、レオンは毎日、慌ただしい時間を過ごしていた。
早朝はルーカスから帝国式剣術の指導を受け、昼は辺境伯代行として政務を行う。
そして時折、夜になると再び訓練場へ向かい、ルーカスと魔術を用いた実戦形式の訓練を行っていた。
朝は訓練場で汗を流し、昼は執務室で大量の書類に埋もれる。
レオンが政務を行っている間、ルーカスは帝国使節団とノルディア騎士団の合同訓練へ参加していた。
そして、その日の夜。
二人は再び、静かな訓練場で向かい合っていた。
「行くぞ」
ルーカスが木剣を構える。
その瞬間、青白い風が木剣の刃を包み込んだ。
風属性付与。
剣に風を纏わせ、斬撃の速度と威力を高める、ルーカスが得意とする戦い方だった。
「来い」
レオンも両手で木剣を構えた。
レオンはすでに、父グラニウスから受け継いだ氷属性を使うことができる。
しかし、今はまだ氷属性を使うつもりはなかった。
それよりも、優先して身につけなければならないものがある。
次の瞬間、ルーカスが地面を蹴った。
風属性の身体強化によって、その速度は魔力を使わない時よりも格段に上がっている。
一瞬で間合いを詰められれば、普通の人間では剣を構えることすらできない。
だが、レオンには未来が見える。
右目へ魔力を流し、【未来予知の魔眼】を発動する。
脳裏に、ほんの一瞬先の光景が映し出された。
右上から迫る、ルーカスの斬撃。
「右上から……」
レオンは即座に身体強化を発動した。両脚へ魔力を流し、地面を強く蹴る。
直後、風を纏った木剣が、レオンの鼻先を通過した。
あと僅かでも反応が遅れていれば、顔へまともに受けていただろう。
「避けたか」
「危なかった……」
「今のでか?」
ルーカスが不思議そうに問い返す。
やはり、基準がおかしい。
しかし、レオンが何かを言い返す前に、ルーカスは再び踏み込んでいた。
今度は、横薙ぎの斬撃が迫る未来が映る。
レオンは左足を半歩後ろへ引き、身体を反らして回避した。
だが、完全には避けきれなかった。
風を纏った木剣が、レオンの頬を僅かに掠める。
「っ!」
鋭い痛みが走り、頬に細い傷が刻まれた。
未来は見えていた。
どこから攻撃が来るのかも分かっていた。
それでも、身体が追いつかず、完全には避けきれない。
「遅いな」
ルーカスが告げる。
「分かってる」
レオンは一度距離を取り、乱れた呼吸を整えた。
【未来予知の魔眼】は、決して万能ではない。
未来を見ることができても、その未来を変えられるとは限らない。
攻撃が来ると分かっていても、それを回避できるだけの身体能力がなければ意味がない。
だからこそ、レオンは氷属性の訓練よりも、身体強化と回避能力を鍛えることを優先していた。
「氷は使わないのか?」
不意に、ルーカスが尋ねた。
「使えるのだろう?」
レオンは頷く。
「ああ」
父から受け継いだ氷属性を、使おうと思えば使える。
「だが、まだ使わない」
「何故だ?」
レオンは少し考えた後、正直に答えた。
「優先順位の問題だ」
ルーカスは口を挟まず、レオンの話へ耳を傾ける。
「氷魔法を覚えても、死んだら意味がない」
冷たい夜風が訓練場を吹き抜け、二人の間に短い沈黙が落ちた。
未来が見えても、避けられなければ意味がない。
どれほど強力な魔法を使えても、発動させる前に殺されれば何の役にも立たない。
「魔法を覚えても、発動する前に斬られたら意味がない。だから、今は身体強化と回避を優先する」
それが、レオンの出した結論だった。
父を救えなかった。
知識も、時間も、準備も足りなかった。
だから、もう同じ失敗は繰り返さない。
まずは、生き残る力を身につける。
全ては、そこからだった。
ルーカスはしばらく黙ってレオンを見つめていたが、やがて小さく笑った。
「なるほど。お前らしいな」
帝国の人間であれば、まず攻撃するための技術を学び、敵を倒す力を求める。誰よりも強くなり、正面から相手を打ち破ることを考える。
だが、レオンは違った。
まず負けないことを考え、生き残ることを優先する。
敵を倒す力だけではなく、次の戦いへ繋げるための力を求めている。
それは、常に領地と領民を守る方法を考えているレオンらしい発想だった。
「だが――」
ルーカスは木剣を肩へ担いだ。
「その考えは嫌いじゃない」
レオンは僅かに苦笑する。
「褒め言葉として受け取っておく」
「そうしろ」
ルーカスはそう答えると、再び木剣を構えた。
青白い風が、木剣の周囲へ集まり始める。
「続けるぞ」
その様子を見たレオンは、嫌な予感を覚えた。
「待て!」
「次は風刃も使う」
「待てと言った!!」
しかし、ルーカスはレオンの言葉を聞いていなかった。
風を纏った木剣を、横へ大きく振るう。
風が鋭く唸り、木剣から放たれた青白い刃が夜空を切り裂いた。
「うおっ!?」
レオンの右目が、攻撃を受ける直前の未来を映し出す。
右へ。
さらに後ろへ。
レオンは全身へ身体強化を施し、地面を蹴って全力で飛び退いた。
直後、青白い風刃がレオンの横を通り過ぎる。
そのまま背後に置かれていた訓練用の人形へ命中し、胴体を真っ二つに切断した。
上半身を失った人形が、僅かに遅れて地面へ倒れる。
レオンは、その光景を見て顔を引きつらせた。
「危ないだろ!」
「避けられたな」
「避けられなかったら、どうするつもりだった?」
「鍛錬不足だ」
ルーカスは、当然のように答えた。
やはり、基準がおかしい。
それからも、二人の訓練は続いた。
風属性を纏い、圧倒的な速度で攻め続ける帝国の皇子。
【未来予知の魔眼】で攻撃を読み、身体強化を使って必死に避け続ける辺境伯家の少年。
夜の訓練場に、木剣がぶつかる音と、風の斬撃が空気を切り裂く音が何度も響いた。
そして、訓練を終える頃には、二人とも訓練場の端へ並んで腰を下ろしていた。
火照った身体を撫でる夜風が心地よい。
レオンが乱れた呼吸を整えていると、隣に座るルーカスが不意に名前を呼んだ。
「レオン」
「何だ?」
「明日は休みだったな」
その一言を聞いた瞬間、レオンは再び嫌な予感を覚えた。
「ああ」
ルーカスは、当然のように言った。
「ボアを狩りに行くぞ」
レオンは答える前に、夜空を見上げた。
【未来予知の魔眼】を使わなくても分かる。
断っても、どうせ無駄だ。
「分かったよ」
レオンが諦めて答えると、ルーカスは満足そうに笑った。




