第278話 勝者の願い
その日の夜、夕食と湯浴みを終えたレオンは、スルガ家の客室で一人くつろいでいた。
昼間の試合で酷使した右目には、まだ僅かな痛みが残っている。
「今日は色々ありすぎたな……」
朝には調停式。
帝国との新たな友好条約を結び。
その後はミコトとの試合。
明日には歓迎の宴まで予定されている。
レオンは布団の上へ仰向けに寝転がった。
「早めに寝るか」
そう呟いた時だった。
コンコンと静かなノックが響く。
「ん?」
こんな時間に誰だと思い、レオンは身体を起こす。
「どうぞ」
襖が静かに開いた。
そこに正座で座っていたのは。
「失礼いたします」
ミコトだった。
昼間の黒い振袖姿ではなく、落ち着いた色合いの着物へ着替えている。
「ミコト?」
「はい」
「どうしたんだ?」
尋ねながら。
レオンはミコトの後ろへ視線を向けた。
そして、固まった。
「……」
一人ではない。
ミコトの後ろには、何人もの女性が並んでいた。
全員、スルガ家の侍女だ。
しかも、若く美しい女性ばかり。
黒髪の女性。
長い髪を結い上げた女性。
小柄で可愛らしい女性。
大人びた雰囲気の女性。
明らかに、選んで連れてきている。
レオンは並ぶ侍女達と。
その先頭に立つミコトを交互に見る。
「……どうしたんだ?」
ミコトは何でもないことのように答えた。
「昼間の勝負の件でございます」
「勝負?」
「はい」
ミコトは静かに頭を下げる。
「私が負けた場合、レオン辺境伯様の仰ることを一つお聞きする。そのようなお約束でございました」
「ああ」
もちろん覚えている。
ただ、その願いについては、まだ決めていない。
だから昼間にも、思いついた時に頼む。
そう話したはずだ。
「それが、この人達と何の関係があるんだ?」
レオンが尋ねる。
ミコトは僅かに首を傾げた。
「勝った時の条件が不服となさって、言うことを一つ聞くと仰っておりましたので」
「うん」
「ですので」
ミコトは後ろへ並ぶ侍女達を見る。
「私がタイプではないのか……それとも」
一度言葉を切る。
「複数人の方がよろしいのかと思いまして」
「なんでそうなる!?」
レオンの声が客室へ響いた。
後ろに並んでいた侍女の一人が、僅かに肩を震わせる。
笑いを堪えているように見えた。
レオンは頭を抱えた。
「いやいやいや……待て、どう考えたらそういう結論になるんだよ」
「違うのでございますか?」
「違うよ!」
「では」
ミコトは真っ直ぐレオンを見る。
「私一人の方がよろしいのでしょうか?」
「そういう意味でもない!」
「……難しいですね」
「何が!?」
ミコトは本当に分からないという顔をしている。
レオンは大きく息を吐いた。
そして、並んでいる侍女達を見る。
このまま話を続ければ、余計にややこしくなる。
「とりあえず」
レオンはミコトを指差す。
「侍女の人達を下げてくれ」
「よろしいのですか?」
「いい!」
「せっかく選んで参りましたが」
「何基準で選んだんだよ……」
「容姿です」
「即答するな!」
今度こそ、後ろの侍女達から小さな笑い声が漏れた。
ミコトは振り返る。
「皆、下がってください」
「はい」
侍女達が一斉に頭を下げる。
「失礼いたしました」
一人、また一人と部屋から出ていく。
最後の侍女が襖を閉めると。
客室にはレオンとミコトの二人だけが残った。
「……」
「……」
少しの沈黙が客間に流れた。
レオンは疲れたように額へ手を当てる。
「本当に何なんだよ……」
ミコトは静かに正座する。
「申し訳ございません」
「いや、もういいけどさ」
レオンも向かいへ座った。
そして、改めてミコトを見る。
昼間から、ずっと疑問に思っていたことがある。
「ミコト」
「はい」
「一つ聞いていいか?」
「何でしょうか?」
レオンは少し考えてから尋ねる。
「俺が嫌だったとか、そういう話じゃないんだ」
「……?」
「ミコトは美人だと思うよ」
ミコトの目が僅かに見開かれた。
「それに」
レオンは続ける。
「タイプじゃないとか、そういう理由でもない」
「では……」
「だから最後まで聞けって」
「申し訳ございません」
レオンは小さく息を吐く。
「今の俺には、まだやらなきゃいけないことがある」
頭に浮かぶものはいくつもある。
これから起きるはずの出来事。
変えなければならない未来。
救わなければならない人。
まだ何一つ、終わっていない。
「だから今は」
レオンは真っ直ぐミコトを見る。
「そういうことを考えてないんだ」
ミコトはしばらく黙っていた。
そして、小さく頷く。
「そうでございましたか……」
「ああ」
「では」
ミコトは少し安心したように胸へ手を当てる。
「私で興奮するということで……安心いたしました」
「いや、興奮するとか言ってねーし!」
再び、レオンの声が客室へ響いた。
ミコトは不思議そうに首を傾げる。
「美人だと仰ってくださいましたので」
「それとこれとは別だろ!」
「難しいものなのですね」
「お前は変な方向に考えすぎなんだ……」
レオンは深いため息を吐いた。
だが、少しして表情を戻す。
「それより」
「はい」
「俺が聞きたいのは別のことだ」
ミコトの表情も静かなものへ戻る。
レオンは昼間の出来事を思い返した。
初めて会った時、ミコトは自ら帝都の案内役を申し出た。
そして、ほとんど面識もない自分へ求婚した。
夕食の時にも、クニヒロから聞いた話も覚えている。
ミコトは元々、他人と関わることが得意ではない。
そんな彼女が、なぜ?
「ミコト」
「はい」
「どうして俺に求婚したんだ?」
ミコトが僅かに目を見開く。
レオンは続ける。
「会って間もない、それにお前があまり人と関わるのが得意じゃないってことも、クニヒロさんから聞いた」
ミコトは黙って聞いている。
「なのに最初から俺には随分、積極的だった。案内役まで自分から申し出て、その後は求婚だ」
レオンは少しだけ笑う。
「さすがに一目惚れじゃないことくらいは分かる」
「……」
「だから」
表情を真剣なものへ変える。
「理由が知りたい」
ミコトの黒い瞳を真っ直ぐ見る。
「全部話してくれ」
客室に静寂が落ちた。
ミコトは何も答えない。
ただ、畳の上へ置いた自分の手を見つめている。
しばらくして。
「……分かりました」
静かな声だった。
ミコトが顔を上げる。
「では、少し長いお話になります」
「構わない」
レオンは頷いた。
ミコトは一度目を閉じる。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「英雄ハルトが、三つの国を一つにした後のお話をレオン辺境伯様は覚えておられますか?」
レオンの表情が変わった。
「ハルトの……その後?」
「はい」
ミコトは静かに頷く。
「これは」
少し間を置く。
「スルガ家にも伝わっていないお話です」
「……え?」
「私しか知りません」
レオンは眉を寄せる。
「どうして、ミコトだけが?」
ミコトは答えた。
「私が、英雄ハルトの日誌を、一人で解読しているからでございます」
レオンの目が大きく見開かれた。




