第277話 馬鹿げた魔力量
季節外れの雪が、静かに訓練場へ降り続けていた。
レオンは空を見上げ、小さく息を吐く。
「……とりあえず、これ止めないとな」
勝負はもう終わった。
いつまでも氷魔法を維持しておく必要はない。
レオンが左手を軽く上げ、周囲へ流していた魔力を止める。
すると、訓練場を満たしていた冷気が少しずつ弱まり始めた。
空中で生まれ続けていた雪も、徐々に数を減らしていく。
とはいえ、訓練場は試合前とはまるで違う姿になってい
白く霜の張った地面。
そして少し離れた場所には、先ほど落下させた巨大な氷塊が残っている。
レオンは周囲を見渡す。
「……やり過ぎたな」
思わず呟き、クニヒロを見る。
「すみません」
クニヒロが首を傾げる。
「何がでしょうか?」
「訓練場です」
レオンは巨大な氷塊を指差した。
「かなり派手にやってしまいました」
クニヒロは周囲を見渡した後、穏やかに首を横へ振る。
「お気になさらないでください」
「ですが……」
「これほど素晴らしい試合を見せていただけたのです。訓練場の修繕程度、安いものでございます」
「そう言っていただけると助かります」
レオンは苦笑する。
その隣では、コトハが両手を擦り合わせていた。
「それにしても……」
白い息を吐きながら空を見上げる。
「本当に雪を降らせてしまうなんて」
「俺もここまで冷えるとは思ってませんでした」
「そうなのですか?」
「はい」
レオンは周囲の氷壁を見る。
「ミコトの逃げ道を限定するために氷壁を作ってたんですけど、途中から思ってた以上に気温が下がってきて」
最後には雪まで降り始めた。
もちろん、原因は氷壁だけではない。
頭上で作り続けていた巨大な氷塊。
あれだけの氷を生み出せば、周囲の気温が下がるのも当然だった。
クニヒロは巨大な氷塊へ視線を向ける。
「それにしても……」
僅かに言葉を止める。
「レオン辺境伯」
「はい?」
「先ほどの試合で、どれほどの魔力を使われたのでしょうか?」
「どれほど……」
レオンは少し考える。
だが、自分の魔力量を数字で測ったことなどない。
あくまで感覚でしか分からなかった。
「結構使いましたよ」
「結構……でございますか」
「はい」
レオンは自分の手を開いたり閉じたりする。
身体に多少の疲労はある。
右目も、未来を何度も見たせいで僅かに疼いている。
それでも、魔力が尽きるような感覚はなかった。
「まだ普通に魔法は使えます」
「……」
クニヒロが黙った。
コトハも目を丸くする。
ミコトも驚いたようにレオンを見つめていた。
先ほどの試合で、レオンは何度も氷魔法を使っている。
大量の氷柱。
何枚もの巨大な氷壁。
訓練場全体を冷やし、春先にもかかわらず雪を降らせ。
最後には、あれほど巨大な氷塊まで作り出した。
それでも、まだ魔法を使える。
その時、ルーカスが静かに口を開いた。
「驚くだけ無駄だ」
レオンが振り返る。
「おい」
「なんだ」
「人を化け物みたいに言うなよ」
「化け物とは言っていない」
「似たようなもんだろ」
ルーカスは気にした様子もなく続ける。
「昔から、こいつの魔力量は馬鹿げている」
「だから言い方」
クニヒロが興味深そうにルーカスを見る。
「ルーカス様は、以前からレオン辺境伯の魔力量をご存じだったのですか?」
「いや」
ルーカスは首を横へ振る。
「正確には知らない」
「と申しますと?」
「俺には、レオンの魔力を感知できない」
クニヒロの表情が僅かに変わった。
コトハも驚いたようにルーカスを見る。
魔力感知。
魔力を持つ者であれば、自分より魔力量の少ない相手の魔力を感じ取ることができる。
逆に、自分と同等か、それ以上の魔力を持つ相手の魔力は、正確に感知することができない。
つまり、ルーカスがレオンの魔力を感知できない。
その時点で、レオンがルーカス以上の魔力を持っていることだけは分かる。
だが、どれほど多いのかまでは分からない。
「初めて会った時から分かっていた」
ルーカスはレオンを見る。
「俺より魔力量が多いとな」
レオンは少し懐かしそうに笑う。
「そうだったのか」
「ああ……だが」
ルーカスは続ける。
「最初は、ここまでとは思っていなかった」
「ここまでって……」
「お前がノルディアでやっていたことを忘れたのか?」
レオンは首を傾げる。
「何かしたっけ?」
「……」
ルーカスが僅かに目を細める。
「自覚がないのか」
「だから何がだよ」
ルーカスは小さく息を吐いた。
「俺がノルディアに滞在していた三週間」
「お前は毎日のように俺へ手合わせをしていたな?」
「ああ」
レオンは頷く。
「だってお前が無理やり訓練場まで連れて行くわ、全然勝てないわ、で最後の方は俺の方が向きになっていたな」
当時、レオンは十三歳、ルーカスは十一歳。
年下にもかかわらず。
剣を交えれば、何度挑んでもルーカスに負けた。
そしてそれは「申し込んだ」というよりも。
ルーカスの方が半ば強引に、毎日のように手合わせを組んできた結果でもあった。
逃げても捕まる。
断っても次の日には訓練場に立たされる。
気づけばそれが日課になっていた。
だから、悔しくて何度も挑んだ。
「身体強化も使ってたな」
「ああ」
「何度も使ってたな、それでも」
ルーカスはレオンを見る。
「俺は、お前が魔力切れを起こしたところを一度も見たことがない」
「……」
レオンは少し考える。
確かに記憶にない。
「そういえば、ないな」
「それだけじゃない」
ルーカスは続ける。
「俺との訓練が終わった後」
「お前は夜まで魔術の訓練をしていた」
「あー……」
レオンは少し気まずそうに頬を掻く。
それは覚えている。
早朝、何度ルーカスに付き合わされても勝てない。
だから政務が終われば、今度は夜から一人で氷魔法の練習をしていた。
「当時は、お前に勝ちたかったからな」
「知っている」
ルーカスは淡々と答える。
「だが普通なら、そこまで魔力を使えば翌朝まで多少は消耗が残る、それなのに」
ルーカスは少し間を置く。
「次の日の朝になれば、お前は何事もなかったように訓練場へ来た」
レオンは黙って聞く。
「そして、また身体強化を使う、それも訓練が終わるまで、ずっとだ」
クニヒロが驚いたようにレオンを見る。
「深夜まで魔術の訓練をなされた後、翌朝から再び身体強化を?」
「はい……」
レオンは少し困ったように笑う。
「若かったので」
「今も若い」
ルーカスが即座に返す。
「そういう意味じゃないって」
コトハが思わず口元へ手を添えて笑った。
ルーカスは気にせず続ける。
「それを三週間、一度も魔力切れを起こさなかった……だから途中から思っていた」
ルーカスは巨大な氷塊を見る。
「こいつの魔力は、いつになったら尽きるんだ?とな」
クニヒロは何も言わなかった。
改めて、訓練場を見る。
氷壁。
凍った地面。
巨大な氷塊。
そして、未だ空から僅かに舞い落ちている雪。
これだけの魔法を使って、まだ魔力に余裕がある。
「今日の試合を見て確信した」
ルーカスが言う。
「昔から思っていたが」
レオンを見る。
「やはり、お前の魔力量は馬鹿げている」
「だから、その言い方やめろって!」
レオンの声が訓練場へ響いた。
コトハが楽しそうに笑う。
クニヒロも僅かに口元を緩めた。
その中で、ミコトだけは静かにレオンを見つめていた。
「……これほどとは思っておりませんでした」
レオンがミコトを見る。
「何が?」
「レオン辺境伯様のお力です」
ミコトは素直に答える。
「魔力量もそうですが」
少し間を置く。
「それ以上に、戦い方が」
「戦い方?」
「はい」
ミコトは訓練場に残る氷壁を見る。
「私は途中まで、自分がレオン辺境伯様を追い詰めていると思っておりました」
「そう思ってくれたなら成功だな」
レオンは小さく笑う。
ミコトも僅かに微笑んだ。
「ですが、実際に追い込まれていたのは私でした」
何気なく作っているように見えた氷壁。
右を塞がれれば左へ。
正面を塞がれれば横へ。
自分は、レオンを追うために開いている場所を選んでいた。
だが、その道を作ったのはレオンだった。
そして最後、巨大な氷塊から逃れるために飛び込んだ唯一の道。
そこに、レオンが待っていた。
さらに、自分が最も得意とする抜刀術すら。
木剣の鍔で起点を押さえられ。
抜くことさえできなかった。
「完敗でございます」
ミコトは木刀を両手で持ち、深く頭を下げた。
レオンは少し慌てる。
「そんなに頭下げなくてもいいって」
「いいえ」
ミコトは顔を上げる。
その表情には悔しさよりも、どこか満足そうな笑みが浮かんでいた。
「これほど全力で戦えたのは久しぶりでございました」
「そうなのか?」
「はい」
ミコトはルーカスへ視線を向ける。
「以前は、ルーカス様が何度も何度も試合を申し込んでくださいましたので」
ルーカスの眉が僅かに動いた。
「その話はもういい」
「事実ではございませんか?」
「……」
レオンは思わず笑う。
「本当に何回も申し込んでたんだな」
「ああ」
ルーカスは悪びれる様子もなく答える。
「ミコトは強かったからな」
「そこは一貫してるんだな……」
ミコトも小さく笑った。
そして、再びレオンを見る。
「ですので、本日の勝負はとても楽しいものでございました」
「そっか」
レオンも笑う。
「俺も楽しかったよ」
少し間を置き。
「負けたら結婚って条件さえなければ、もっと気楽に戦えたけどな」
ミコトは少し残念そうに目を伏せる。
「あと一歩でしたのに」
「いや」
レオンは即座に返す。
「その一歩を止めたから俺が勝ったんだよ」
「では」
ミコトが静かに首を傾げる。
「次回は勝てばよろしいのですね?」
「次回!?」
レオンが思わず声を上げた。
「再戦です」
「賭けは一回で終わり!」
「そうなのですか?」
「そうだよ!」
コトハが楽しそうに笑う。
クニヒロは困ったように娘を見る。
「ミコト」
「はい、お父様」
「レオン辺境伯を困らせるものではない」
「申し訳ございません」
ミコトは素直に頭を下げる。
だが、その表情を見る限り本当に諦めたのかは怪しかった。
レオンは苦笑しながら、借りていた木剣をクニヒロへ差し出す。
「ありがとうございました」
クニヒロは両手で受け取った。
「こちらこそ、素晴らしい試合を拝見させていただきました」
ミコトも木刀を使用人へ預ける。
ようやく試合の緊張が解けていく。
レオンは大きく伸びをした。
「これで本当に今日の予定は終わりだな」
「ああ」
ルーカスが頷く。
「俺は皇城へ戻る」
「そうか」
レオンはルーカスを見る。
「今日はありがとな」
「俺は立会人をしただけだ」
「それでもだよ」
ルーカスは一瞬だけ黙り。
小さく頷いた。
「ああ」
そして、クニヒロとコトハへ向き直る。
「世話になった」
クニヒロが丁寧に一礼する。
「とんでもございません」
コトハも頭を下げた。
「お気をつけてお帰りくださいませ」
ルーカスは最後にレオンを見る。
「明日は歓迎の宴だ」
「ああ」
「寝坊するなよ」
「しないって」
「お前なら分からない」
「どんな評価なんだよ」
ルーカスは僅かに口元を緩める。
そして、皇城へ戻るため、屋敷の方へ歩いていった。
レオンはその背中を見送る。
「さて……」
今度こそ、本当に休める。
そう思い、大きく息を吐いた。
だが、その日の夜。
レオンの客室を訪れるミコトが一人ではないことを。
この時のレオンはまだ知らなかった。




