第274話 印
「そうみたいだな」
レオンは木剣を握り直した。
目の前では、ミコトが再び木刀を腰へ引き付けている。
静かな構えで、殺気はほとんど感じない。
だが、その静けさの中から放たれる一撃が、恐ろしく速い。
先ほどは魔眼で未来を見ていたから防ぐことができた。
もし何も知らずに踏み込んでいれば、最初の一撃で勝負が決まっていただろう。
(まともに近距離でやり合うのは危険だな)
レオンはそう判断すると、ゆっくりと後ろへ下がった。
一歩、二歩とミコトとの距離を広げていく。
ミコトはレオンを追わない。
木刀を腰へ構えたまま、レオンの動きを静かに見つめている。
レオンは十分な距離を取ると、左手を前へ向けた。
レオンは手に魔力を注ぐ。
周囲の空気が僅かに冷えた、次の瞬間。
レオンの周囲に、いくつもの氷柱が生み出された。
「行け!」
氷柱が一斉にミコトへ飛んでいく。
その瞬間だった。
ミコトが木刀から手を離した。
両手が胸の前へ動き指を組んでは離し、また別の形へ変える。
見たことのない動き。
レオンは眉を寄せた。
(なんだ……?)
次々と変わる手の形。
それが何を意味するのか分からない。
最後の形を作った瞬間、ミコトが大きく息を吸った。
「ふっ!」
そして、口から炎が放たれた。
「なっ!?」
レオンが目を見開く。
炎が迫る氷柱を飲み込む。
ジュウウウッ!!
白い蒸気が一気に広がった。
氷柱が次々と溶け、訓練場へ大量の水が降り注ぐ。
レオンは思わず呟いた。
「火属性……」
ミコトは炎を止めると、再び木刀を握った。
何事もなかったかのように腰へ構える。
レオンは先ほどの動きを思い返す。
あの奇妙な手の形。
魔法を使う直前に必ず行っていた。
(魔法を発動させるための動作か?)
少なくとも、ただの癖ではない。
だが、今はそれよりも問題がある。
(火か……)
自分が最も得意とするのは氷。
対して、ミコトは火。
単純な相性だけを考えれば、面倒な相手だった。
レオンは再び氷柱を作る。
今度は先ほどより数を倍に増やした。
正面だけではない。
左右へ大きく広げる。
「これならどうだ!」
氷柱を一斉に放つ。
ミコトの両手が再び動いた。
先ほどとは違う形で手を組み替えていく。
レオンは、その違いに気付いた。
(さっきと違う……?)
次の瞬間、ミコトが片手を地面へ向けた。
ドンッ!!
地面が隆起した。
土が一気に盛り上がり、ミコトの前に分厚い壁を作る。
氷柱が次々と突き刺さった。
ガガガガッ!!
氷が砕け散る。
だが、土壁は崩れない。
レオンは目を見開いた。
「土だと……?」
火ではない、今度は明らかに土属性の魔法だった。
(どういうことだ?)
レオンの視線がミコトへ向く。
ミコトは土壁の横から飛び出すと、一気に距離を詰めてきた。
「っ!」
ミコトら身体強化でレオンの懐に入ろうとする。
レオンは咄嗟に後ろへ飛んだ。
だが、ミコトは逃がさない。
腰へ引き付けた木刀。
レオンの右目が疼く。
未来の映像が流れ、自分の左肩へ木刀が叩き込まれる。
レオンは未来に従い、身体を右へ捻った。
ブンッ!!
木刀が肩のすぐ横を通過する。
そのまま木剣を振るう。
だが、ミコトは既に後ろへ下がっていた。
「ちっ……」
レオンは追わず、再び距離を取る。
ミコトも無理には追わず、木刀を腰へ戻した。
再び静寂が流れた。
レオンは木剣を構えながら考える。
火、そして土。
(複数属性持ちか……?)
非常に珍しい。
だが、存在しないわけではない。
レオンが知っている中にも、複数の属性を扱える人間はいる。
なら、ミコトもその一人なのだろう。
(問題は、あの手の動きだな)
魔法を使う直前、必ず行っている。
しかも、使う属性によって形が違う。
あれを見れば、次に何を使うのか判断できるかもしれない。
レオンはそう考えた。
その時、ミコトが再び木刀から左手を離した。
今度は片手だけ、指が素早く動く。
レオンは集中する。
(来る)
地面か……炎か。
だが、そのどちらでもなかった。
ミコトの周囲に風が巻き起こる。
「なっ……」
次の瞬間、鋭い風の刃が飛んできた。
レオンは咄嗟に木剣を振るう。
同時に、目の前へ氷の壁を作った。
ガンッ!!
風の刃が氷壁へ叩き込まれる。
氷の壁に亀裂が走る。
「風属性まで……!?」
また、ミコトの手が動く、さらに別の形。
地面に残っていた、先ほどレオンが溶かされた氷の水。
その水が持ち上がった。
「今度は水かよ!」
水が鞭のようにしなり、レオンへ襲いかかる。
レオンは横へ飛ぶ。
バシンッ!!
水の鞭が地面を叩いた。
レオンは着地すると、そのまま大きく後ろへ下がる。
ミコトから距離を取る。
火、土、風、水。
レオンは思わずミコトを見る。
「お前……」
ミコトは答えない、静かに木刀を構えている。
レオンは目を細めた。
(まさか……本当に複数属性?)
そんな言葉では足りない。
少なくとも、今見せただけで四属性。
(全属性持ちなのか……?)
レオンが知る限り、そんな人間は聞いたことがない。
だが、実際に目の前で使っている。
その様子を見守っていたクニヒロは、何も言わない。
コトハも静かに試合を見つめている。
そしてルーカスも、驚いた様子はなかった。
つまり、この三人は知っている。
知らなかったのは、自分だけ。
レオンは小さく息を吐く。
「なるほどな……」
木剣を握り直す。
「ルーカスが負けたっていうのも、納得だ」
「俺の時より強くなっている」
ルーカスが静かに答えた。
「マジかよ……」
レオンは苦笑する。
近付けば抜刀術、離れれば複数の属性魔法。
しかも、そのどれもが十分に実戦で使える威力を持っている。
普通に考えれば、かなり厄介な相手だ。
だが、レオンの口元に、僅かな笑みが浮かんだ。
「だったら……」
木剣を構え直す。
「付き合ってやるよ」
レオンは地面を蹴った。
ただし、ミコトへ向かってではない。
横へ大きく回り込む。
ミコトの視線がレオンを追う。
また、その手が動き風の刃がレオンを襲う。
レオンは走りながら左手を向ける。
目の前に氷壁が生まれた。
ガンッ!!
風の刃が氷壁へ激突する。
レオンは壁の陰へ入ると、そのまま反対側から飛び出した。
ミコトが次の印を結び、炎を口から吐く
レオンはさらに走る。
「逃がしません」
レオンに炎が迫る。
だが、レオンは左手を地面へ向けた。
再び氷壁を作り出した。
ジュウウウッ!!
炎と氷がぶつかり、白い蒸気が広がった。
レオンはその蒸気へ紛れ、さらに場所を変える。
そして、また氷壁を作る。
一枚、二枚、三枚と、訓練場の各所に、次々と氷の壁が作られていく。
ミコトは印を結びながら、その間を追う。
土
風
炎
水
次々と魔法が放たれる。
レオンは木剣で弾き、避け、時には氷壁で受け止める。
傍から見れば、完全な防戦だった。
コトハが心配そうに試合を見つめる。
「レオン辺境伯様……押されていますね」
クニヒロも静かに頷く。
「ミコトの間合いには入れず、距離を取れば印がある……相性が悪いのだろう」
だが、ルーカスだけは答えなかった。
じっとレオンを見る。
氷壁をまた一枚作り出す。
レオンはミコトの攻撃を避けながら、訓練場を大きく回っている。
一見すれば、追われているのだが。
「……いや」
ルーカスが小さく呟いた。
クニヒロが視線を向ける。
「ルーカス様?」
ルーカスは答えない。
ただ、訓練場に立ち並び始めた氷壁を見ていた。
その配置を、レオンが走っている方向を、そしてミコトが追っている道を。
「……レオン」
ルーカスが僅かに目を細める。
その時だった、ひらりと白いものがルーカスの目の前を横切った。
「……?」
コトハが手を伸ばす。
掌へ、小さな白い結晶が落ち、触れた瞬間に静かに溶けた。
コトハが空を見上げる。
「雪……?」
もう一つ。
また一つ。
春を迎えようとしていた帝都の空から、白い雪が舞い始めていた。




