間章 お転婆聖女の恋愛戦略 後編
まだ空が白み始めたばかりの早朝
フローラは勢いよく目を覚ました
「よし!作戦開始!」
昨夜考えた作戦を思い出しながら 素早く着替えを済ませる
髪を整え 身だしなみを確認すると 足早に厨房へ向かった
厨房では料理人達が朝食の準備を始めていた
「おはようございます」
「おはようございます フローラ様」
料理人達が笑顔で頭を下げる
フローラも笑顔で一礼した
「朝食を少し作ってもよろしいでしょうか?」
「もちろんです 何かお手伝いしましょうか?」
「いえ 大丈夫です お気遣いありがとうございます」
料理人達は少し驚いたような表情を浮かべる
貴族の令嬢が厨房へ立つことは珍しい
だがフェルナード領では違った
ポートミルで育ったフローラは 小さな頃からマリナの手伝いをしてきた
魚を捌き スープを作り パンを焼く
それは特別なことではなく 日常だった
フローラは慣れた手つきで魚介の出汁を鍋へ入れる
刻んだ野菜を加え ゆっくりと火に掛ける
優しい香りが厨房へ広がっていく
その間に焼きたてのパンを籠へ並べる
「いい感じですね」
最後に味を確認する
魚介の旨味がしっかりと出ていた
料理人の一人が感心したように笑う
「とても美味しそうですね」
「ありがとうございます フェルナード領では毎日のように作ってましたので……」
照れくさそうに笑う
料理を籠へ入れ 片付けを済ませ 軽く頭を下げた
「厨房を使わせて頂きありがとうございます」
料理人も頭を下げフローラを見送った
厨房を出ると 朝の冷たい空気が頬を撫でた
吐く息は白い
フローラは籠を大切に抱えながら訓練場へ向かう
近付くにつれ 乾いた木剣の音が聞こえてきた
ガンッ!
ガンッ!
「もう始まってる」
訓練場へ着くと 二人の姿が目に入る
「レオン様とエミルさん……」
フローラは思わず足を止めた
朝日に照らされたエミルの姿が目に映る
肩まで伸びた艶やかな赤髪
透き通るような蒼い瞳
白銀を基調とした聖騎士団の制服
その姿はまるで一枚の絵画のようだった
「綺麗……」
フローラは思わず見惚れる
同性の自分でも目を奪われるほどの美しさだった
その美しい姿のまま エミルは身体強化だけで細身の剣を振るう
無駄のない踏み込みそして流れるような剣筋
一つ一つの動作に無駄がなく 細身の剣が朝日に照らされ 美しく輝いていた
「剣まで綺麗なんだ……」
一方のレオンも真剣な表情で剣を振るっていた
何度も打ち合い
何度も距離を詰める
互いに一歩も譲らない
それでも二人の間には不思議な信頼が感じられた
しばらくして ゼムの声が響く
「そこまでです」
二人は同時に木剣を下ろした
息を整えながら自然と向き合う
「レオン君 今の踏み込み 良かったです」
エミルが柔らかく微笑む
レオンも笑って頷いた
「ありがとう でも最後は読まれてたな」
「はい 肩が少しだけ動いていました」
「なるほど そこは意識してみるよ」
「私は受け方をもう少し工夫してみます」
自然に反省点を話し合う二人
どちらかが教えるのではなく
互いに高め合っている
その姿は長年一緒に訓練を続けてきた相棒のようだった
「仲良いなぁ……」
フローラは小さく呟く
そして気付く エミルがレオンへ向ける優しい視線
自然と零れる笑顔
少し近い距離感
同じ女性だからこそ分かる
「あ……エミルさんはレオン様のこと好きなんだ」
証拠なんてない それでも確信した
女性の勘がそう告げていた
「これは……強敵だなぁ……」
思わず苦笑いが漏れる
その時だった レオンがフローラへ気付く
「フローラ!おはよう」
いつもの優しい笑顔だった
フローラも慌てて笑顔を作る
「おはようございますレオン様」
そう返事をしながら
籠を抱える手へ自然と力が入った
「朝食をお持ちしました」
そう言って籠を持ち上げる
レオンは少し驚いたように目を丸くした
「フローラが作ってくれたのか?」
「はい 訓練の後でしたら お腹も空いていると思いまして」
その言葉にレオンは嬉しそうに笑った
「ありがとう ちょうど腹減ってたんだ」
その笑顔を見たフローラも自然と微笑む
「お口に合えば嬉しいです」
ゼムも静かに頷いた
「ぼっちゃま よろしければ少し休憩になさってください」
「そうだな」
レオンは木剣を置き フローラから籠を受け取る
「いただきます」
焼きたてのパンを一口食べる
続いて魚介のスープを口に運んだ
身体の芯まで温まる優しい味だった
「美味い」
その一言でフローラの表情がぱっと明るくなる
「本当ですか?」
「ああ 魚介の出汁がしっかり出て パンとの相性もいいな」
「良かったです」
胸を撫で下ろし 小さく笑う
その横でエミルもスープを一口飲んだ
「とても美味しいです 朝から身体が温まります」
「ありがとうございます」
フローラは嬉しそうに頭を下げた
朝食を食べ終えると レオンは立ち上がる
「それじゃあ仕事してくる また夜な」
「は今夜から魔法のご教授よろしくお願いいたします」
レオンは笑顔で頷く
「ああ」
レオンが訓練場を後にすると エミルも一礼した
「私も失礼します」
「はい」
「とても美味しかったです ありがとうございました」
エミルも歩き去り
訓練場にはゼムとフローラだけが残った
ゼムは静かに微笑む
「ぼっちゃまも喜んでおられました 朝から良い笑顔でございました」
「そうでしょうか?」
フローラは少し照れたように笑う
「はい ぼっちゃまは料理を褒めることはあっても あそこまで嬉しそうな顔はあまりなさいません」
「そう聞くと嬉しいです」
フローラはゼムに一礼すると 訓練場を後にした
廊下を歩き始める
周囲に誰もいないことを確認すると
ふっと表情が緩んだ
「よしゃあっ!」
思わず小さく拳を握る
「第一作戦成功!」
朝ご飯は大成功だった
ちゃんと喜んでもらえた
あの笑顔を思い出すだけで自然と頬が緩む
「次はお昼だ」
昼頃フローラは温かい紅茶を用意し 執務室へ向かった
「少しお話しできるといいな」
そんな期待を胸に 扉を軽くノックする
「失礼いたします」
「どうぞ」
レオンの声が聞こえ 扉を開ける
すると執務室ではレオンとクロエが机を挟んで向かい合っていた
机の上には大量の書類
地図
帳簿
そして商会から届いた書類が並んでいる
「保温箱はフェルナード領に追加受注で十箱申請しよう」
「そうだね 輸送はブロドにお願いしていい?」
「ああ その方が早そうだ」
二人は次々と仕事を進めていく
言葉を交わさなくても互いの考えが分かるような息の合い方だった
フローラは思わず立ち止まる
(クロエ……)
ポートミルで女子会をした夜を思い出す
『……はい……好き……です』
あの真っ直ぐな言葉
今の二人は恋人ではない
それでも 長い時間を共に過ごしてきた者だけが持つ信頼がそこにはあった
家族のような 相棒のような 温かい空気が流れている
(いいなぁ……)
心の中で小さく呟く
エミルは剣で支え
クロエは商業で支える
(強敵しかいないじゃん……)
思わず苦笑いが漏れた
その時 クロエがこちらへ気付く
「あっ フローラ!どうしたの?」
フローラは慌てて笑顔を作る
「紅茶をお持ちしました もしお時間がありましたら ご一緒にと思いまして」
レオンは申し訳なさそうに頭を掻いた
「ごめん もう少しで終わると思うんだけど 今ちょっと手が離せなくて」
「……そうでしたか それでは お仕事が終わりましたら またお声掛けください」
「分かった」
レオンは笑顔で頷いた
「ありがとう」
フローラも微笑み返し 一礼する
「失礼いたします」
静かに扉を閉める
廊下へ出ると 誰もいないことを確認して小さく息を吐いた
「エミルさんもクロエも本当に手強いな……」
それでも負けるつもりはなかった
「絶対に振り向かせてみせる」
そう小さく呟き フローラは夜の氷魔法の訓練へ思いを馳せた
夜 夕食を終えたレオンとフローラはレオンの自室へ向かっていた
冬の夜風が静かに吹き抜ける 吐く息は白く
空には満天の星が広がっていた
レオンは木剣を壁へ立て掛ける
「じゃあ始めようか」
「はい」
フローラは頷く
レオンは地面へ小さな氷を作りながら説明を始めた
「水属性は形を作るのは得意だけど 氷は一度固めるから魔力の流れが少し違う まずは魔力を止める感覚を覚えるといい」
「分かりました」
フローラは目を閉じる
魔力を掌へ集め ゆっくりと水を生み出す
そこからレオンに教えられた通り 魔力の流れを止めるように意識する
パキッ
小さな音と共に水が凍った
「出来ました!」
嬉しそうに振り返る
レオンも笑顔で頷いた
「やっぱり雪や氷を見るのが一番良かったな 一回目で出来れば十分だ さすが回復魔法を使えるだけあるな」
「ありがとうございます」
褒められて思わず頬が緩む
それから何度も練習を繰り返した
氷の大きさや硬さそして形
レオンは一つ一つ丁寧に教えてくれる
時間はあっという間に過ぎていった
「今日はこのくらいにしよう」
レオンがそう言って手を止める
「ありがとうございました」
フローラは深く頭を下げた
そのまま並んで歩き始める
邸へ戻るまでの短い道
フローラは少しだけ勇気を出した
「あの……もう少しだけ お話ししませんか?」
「お話?」
「はい レオン様のお話を聞いてみたくて」
レオンは少し考えた後 苦笑いを浮かべた
「ああ ごめん 今日は無理そうだ」
そう言うと 部屋の隅へ置いてあった木剣を手に取る
「これからゼムとの夜稽古なんだ」
「毎日ですか?」
「ああ 昼は仕事があるから 夜しか時間がなくてさ……まだまだ強くならないといけないし」
そう笑うレオンの表情に迷いはなかった
フローラは思わず固まる
朝はエミルと訓練
昼は政務やクロエと商談
夜は自分に氷魔法を教えて
その後はゼムとの夜稽古
(この人……休んでないじゃん……)
レオンは木剣を肩へ担ぐ
「それじゃあ また明日 おやすみフローラ」
「お おやすみなさい」
フローラは笑顔で見送る
レオンはそのまま訓練場へ歩いて行った
その背中が見えなくなるまで見つめる
そして一人になると 小さく息を吐いた
「この人……恋愛とか興味ねぇーのかよ……仕事と訓練ばっかりじゃん……」
思わず肩を落とす
エミルという強敵がいて
クロエという強敵もいる
それなのに 当の本人は恋愛より仕事と鍛錬を優先している
「一番の強敵はレオン様本人じゃん……」
フローラから苦笑いが漏れた
だが その真っ直ぐな生き方だからこそ
惹かれてしまったのだ
フローラは夜空を見上げる
冬の星空はどこまでも澄んでいた
「負けないからな クロエにもエミルさんにもそして レオン様にも」
そう呟くと 小さく笑う
恋愛戦略はまだ始まったばかりだった




