第210話 最後の質問
応接室には静かな空気が流れていた
ジークハルトは机の上に置かれたままの羊皮紙へ一度視線を向ける
まだ丸められたままの
新たな和平条約
だがその羊皮紙へ手を伸ばすことなく 真っ直ぐレオンを見た
「レオン殿 最後に一つだけ 質問してもよろしいでしょうか?」
レオンは静かに頷く
「構いません」
ジークハルトは僅かに目を細めた
「ボア肉事業 ポーション事業 教国との貿易 保温箱の開発 ポートミルから流れてくる魔導国家の品々
街道の整備」
一つ一つこれまでレオンが進めてきた事業を挙げていく
「そして……」
少し間を置く
「砦や外壁の強化」
応接室の空気が僅かに張り詰めた
クロエとゼムも黙ってジークハルトを見る
「一つ一つを見れば どれも領地を豊かにするための事業 あるいは辺境を守るための防衛強化です……ですが」
ジークハルトは静かに続けた
「防衛は辺境伯として必要となるものを ですがレオン殿はこの二年間であまりにも早い速度で整えておられます」
レオンは何も答えない
ジークハルトの翡翠色の瞳は
真っ直ぐレオンへ向けられている
「まるで……近い将来 何か大きな災厄が訪れることを 最初から何かを知っていたかのように」
静かな声が応接室へ響く
「レオン殿 貴方は一体何をそこまで急いでおられるのですか?」
応接室は静まり返った
窓の外から聞こえる風の音だけが室内へ微かに届く
レオンは少し俯く
これまで誰にも全てを話してこなかった
ゼムにもクロエにも
未来へ備えなければならないとは伝えていた
だが自分が何を見たのかまでは話していない
しかし目の前にいるジークハルトは
領内を僅かに見ただけで
レオンの行動に隠された焦りへ気付いた
適当な説明では納得しないだろう
それどころか下手な嘘を口にすれば
すぐに見抜かれる
レオンは一度だけ目を閉じた
そして覚悟を決める
「……お話しする前に一つだけ約束してください」
ジークハルトは静かに頷く
「何でしょうか」
レオンは真剣な表情で見つめ返した
「これからお話しすることを他言しないと約束してください 信じるかどうかは ジークハルト殿下にお任せします ……ですが 誰かに知られれば大きな問題になる可能性があります」
ジークハルトは僅かにも迷わなかった
「分かりました この場でお聞きしたことは 私の胸の内だけに留めると誓いましょう」
「ありがとうございます」
レオンは静かに頷いた
そして 右目へそっと手を添える
その目に変化はない
いつもと同じ青い瞳だった
「私は以前 ある遺跡で賢者が遺した一枚のスクロールを見つけました そこには 特殊な魔法が記されていました」
ジークハルトは何も言わず
レオンの続きを待つ
「その魔法を使ったことで 私の右目には一つの力が宿りました」
少し間を置きレオンがジークハルトを見る
「未来を見る魔眼です」
クロエが僅かに目を見開く
ゼムも表情を引き締めた
二人ともレオンの右目に特別な力があることは知っている
だが
改めてその力を口にするレオンの声には
これまでとは違う重さがあった
ジークハルトは驚きを見せながらも
すぐに冷静な表情へ戻る
「未来を見る……魔眼……」
「はい」
レオンは右目から手を離した
「この魔眼へ魔力を流すと これから起こる未来を見ることができます 流す魔力が少なければ見えるのは僅かに先の未来だけです ですが魔力を注げば注ぐほど さらに先の未来を見ることができます」
ジークハルトは静かに問いかける
「どこまでも先を見ることができるのですか?」
レオンは首を横に振った
「分かりません」
「見たい未来を自由に選ぶこともできません それに【代償】があります」
「代償ですか?」
「はい」
レオンは右目の奥に残る感覚を思い出す
「魔眼を使うと右目から頭の奥まで激しい痛みに襲われます 流した魔力が多ければ多いほど痛みも強くなります」
クロエの表情が曇る
レオンはクロエへ僅かに視線を向けたが
何も答えなかった
この力を手に入れた当初
レオンは未来を見る魔眼だとは思っていなかった
この世界は 自分が転生する前にやっていた乙女ゲームの世界だ
だから最初はゲームの進行を助けるナビのようなものだと思っていた
次に向かうべき場所
会うべき人物
これから起こる出来事
そうしたものを教えてくれる
便利な案内機能
その程度に考えていた
だが実際に見えたものは違った
僅かに先で落ちる物
次に開く扉
数瞬後に相手が振るう剣
魔眼に映った光景は"その後"現実で同じように起きた
偶然だと思った
だから最初は何度も確かめた
小さな未来を見て現実と照らし合わせる
何度繰り返しても魔眼が映した光景は現実となった
その結果 レオンは理解した
これは行き先を教えるだけの力ではない
これから現実に起こる未来を映し出す力なのだと
そしてその事実を知ったレオンは考えた
僅かな魔力で近い未来が見えるのなら
"全ての魔力"を注げば
どれほど先を見ることができるのか
ゲームでは 数多くの破滅が待っていた
王国と帝国の戦争
王都を襲う侵攻
民衆による大規模な暴動
龍脈の異変
そしてクラリスの断罪と奴隷落ち
どのルートがこの現実で起こるのかは分からない
一つの未来を変えれば全てが終わる保証もない
逆に複数の出来事が同時に起こる可能性すらあった
だからこそ レオンは未来を知らなければならないと考えた
あの日右目へ全力の魔力を注いだ
その瞬間 目の奥を抉られるような激痛が走った
頭が割れるように痛み
意識を失いそうになった
嘔吐をしながら這いつくばった
それでも魔力を止めなかった
痛みの向こう側に一つの光景が映し出されたからだ
レオンは静かに拳を握る
「あの日 私は一度だけこの魔眼へ全ての魔力を流しました」
応接室の空気が張り詰める
ジークハルトもクロエもゼムも
黙ったままレオンの言葉を待つ
レオンはゆっくりと目を閉じた
今でも鮮明に覚えている
崩れ落ちた建物
焼け焦げた大地
瓦礫に埋もれた街
人の声すら聞こえない
かつてノルディアだった場所
「あの魔眼に映し出されたのは……」
レオンは目を開く
「あまりにも酷い未来でした」
レオンは少しだけ声が震える
「壊滅した ノルディアです」
その一言にクロエの肩が大きく震えた
「そ……そんな……」
震える声だけが静かな部屋へ響いた
青ざめた顔でレオンを見つめる
クロエにとって 初めて聞く未来だった
応接室は静まり返っていた
クロエは青ざめた表情のまま
レオンを見つめてい
ゼムも拳を握り締める
レオンが何かを見ていることは知っていた
だからこそ
領地改革を急ぎ 騎士団を鍛え 事業を次々と立ち上げていたのだと思っていた
だが まさかそこまで絶望的な未来だったとは想像もしていなかった
レオンは静かに続ける
「街は崩れ 建物は焼け落ち 領民の姿はほとんどありませんでした 生き残った方々も絶望した表情で瓦礫の中を歩いていました」
重苦しい沈黙が流れる
レオンは拳を握ったまま
ゆっくりと言葉を紡ぐ
「ですが 私にも分からないことがあります」
ジークハルトは静かに耳を傾ける
「戦争なのか 魔獣の氾濫なのか それとも全く別の何かなのか そこまでは映りませんでした 私が見たのは"壊滅したノルディア"という結果だけです」
レオンは一度息を吐く
「だから私は最悪を想定して備えています 食料も物流も医療も 防衛も 全てです………未来は 一つではありません 一つの災厄を防いでも別の災厄が起こるかもしれない だから私は全てが起こる前提で準備しています」
応接室は静まり返る
ジークハルトはゆっくりと目を閉じた
その一言で全てが繋がった
ボア肉事業
ポーション事業
教国との貿易
保温箱
街道整備
砦と外壁の強化
どれも利益だけを求めたものではない
来るべき災厄へ備えるため
全てが一本の線で繋がっていた
クロエも静かにレオンを見つめる
これまで なぜそこまで急ぐのか
なぜそこまで事業を増やすのか
疑問だった
だが ようやく理解した
ノルディアを救うため
その未来を変えるため
レオンは誰にも言わず
一人で戦っていたのだ
ゼムも静かに目を閉じる
レオンがここまで焦っていた理由をようやく理解することができた
長い沈黙が流れた
やがてジークハルトは静かに口を開く
「レオン殿 その未来のお話を聞き 私にも一つ思い当たることがございます」
レオンは顔を上げる
「思い当たることですか?」
「はい」
ジークハルトは静かに頷いた
「帝国南部 バルト山脈の麓で ここ数年魔獣による被害が少しずつ増え始めております」
レオンの表情が変わる
ジークハルトは続ける
「最初はただの偶然だと思っておりました……ですが レオン殿のお話を聞いた今 偶然では済まされないのではないか そう考えるようになりました」
応接室は再び静まり返る
ジークハルトは真っ直ぐレオンを見据えた
「もしかすると 王国と帝国で起きている異変は同じ原因なのかもしれません」
レオンは僅かに目を見開く
「同じ原因……」
ジークハルトは静かに頷いた
「そのことについては私が十数年前に父から聞いた話をしましょう」




