間章 静かな日々
フェルナード領へ向かう走竜車をエミルはノルディア邸の門前で見送っていた
レオン
クロエ
リック
騎士団10名
十三人を乗せた走竜車はゆっくりと遠ざかっていく
レオンは窓から顔を出し
「では行ってきます」
そう言って笑顔で手を振った
エミルも小さく手を振り返す
「行ってらっしゃいませ ぼっちゃま」
「レオン君 お気を付けて」
走竜車はやがて見えなくなった
エミルはその方向をしばらく見つめていた
「行ってしまいましたね」
隣に立っていたゼムが静かに頷く
「二か月ほど戻られません」
「少し寂しくなりますね」
エミルは小さく笑う
「そうですね」
「ですが私は教国から派遣された身です」
「ノルディア領でやるべき仕事があります」
ゼムは満足そうに頷いた
「ぼっちゃまも安心されるでしょう」
「よろしくお願いいたします」
「はい」
エミルは一礼すると邸へ戻った
静かな廊下を歩く
普段と何も変わらない景色
なのにどこか広く感じた
食堂へ入ると朝食の準備は終わっていた
騎士や使用人たちが席へ着いている
エミルも席へ腰を下ろした
ふと向かいを見る
そこには誰もいない
いつもレオンが座っていた席だった
思わず視線が止まる
ゼムが気付いたように口を開く
「ぼっちゃまの席ですね」
「はい」
「少し静かですね」
ゼムは穏やかに微笑んだ
「ぼっちゃまは食事中も領地の話ばかりですから」
「賑やかでした」
エミルも思わず笑う
「そうですね」
「料理を食べながら突然新しい事業のお話を始めたり」
「クロエ様へ相談されたり」
「私にもご意見を求められたり」
「食事なのか会議なのか分からない時もありました」
ゼムは静かに笑った
「それがぼっちゃまらしいです」
「はい」
エミルも頷く
「ですが」
「嫌ではありませんでした」
食事が終わりエミルは騎士団の訓練場へ向かった
木剣の音が響く
騎士たちは真剣な表情で剣を振っていた
エミルも木剣を手に取る
「一本お願いします」
騎士たちは驚きながらも快く応じた
午前中は訓練
昼からは孤児院へ向かう
子供たちは元気よく駆け寄って来た
「エミル先生!」
「こんにちは」
「こんにちは」
エミルは優しく微笑む
勉強を教え
読み書きを見守り
時には一緒に遊ぶ
帰り際 一人の男の子が尋ねた
「レオン様はいつ帰ってくるの?」
エミルは少しだけ空を見上げた
「二か月後ですよ」
男の子は残念そうに肩を落とす
「早く帰ってきてほしいなー 僕 新しい字が書けるようになったんだ!だから早く見てもらいたい!」
隣の女の子も頷く
「私も!いっぱい練習したの!」
エミルは優しく微笑んだ
「きっと喜ばれますよ」
孤児院を後にし今度は魔力草畑へ向かう
順調に育つ魔力草
教国から教わった製法で作られるポーション
働く孤児院の年長たちは笑顔だった
「エミル様今日も順調です!」
「ありがとうございます」
エミルは頷く
ノルディア領は今日も平和だった
皆が笑っている
皆が前を向いている
その理由をエミルはこの二か月で何度も見てきた
それは領主であるレオンが誰よりも領民を大切にしているからだった
だから領民もまたレオンを信頼している
「本当に 慕われてますね」
エミルは小さく呟き
夕日に染まるノルディアの街並みを静かに見つめていた
夕暮れ 一日の仕事を終えたエミルはノルディア邸を後にした
「少し歩きましょうか」
特に目的があったわけではない
気付けば宿場町へ向かっていた
石畳をゆっくり歩く
店じまいを始める露店
夕食の支度をする人々
楽しそうに笑う子供たち
穏やかな時間が流れていた
ふと足が止まる
目の前には見慣れた看板
【木漏れ日亭】
以前レオンと訪れた店だった
「……また来てしまいましたね」
自分でも少し可笑しくなり
小さく微笑む
カランと扉を開いた
「いらっしゃいませ」
店員が笑顔で迎える
「お一人様ですか?」
「はい」
案内されたのは窓際の席
以前レオンと座った席だった
向かいの席を見つめる
誰も座っていない
少しだけ胸が締め付けられた
席へ腰を下ろしメニューを開く
だが注文は決まっていた
「香草焼きボアステーキをお願いします」
「かしこまりました」
店員が厨房へ向かる
エミルは静かに窓の外を眺めた
やがて 香ばしい香りと共に料理が運ばれてくる
熱々の鉄板
湯気を立てるボアステーキ
以前と変わらない一皿だった
エミルはすぐには手を付けない
両手を胸の前で静かに組み目を閉じる
今日も食事をいただけることへの感謝を神へ捧げる
静かに目を開きナイフを入れた
柔らかく焼き上げられた肉を1口大に切り分け口へ運ぶ
「美味しい……」
自然と言葉が漏れる
以前と変わらない味だった
その瞬間 一人の少年の姿が頭へ浮かんだ
美味しそうにボアステーキを頬張る姿
『やっぱり木漏れ日亭は最高ですね』
心から嬉しそうに笑っていた
そして料理を味わうより先に店の話を始める
『ここの焼き加減は本当に絶妙なんです ボア肉は焼き過ぎると固くなるんですが ここの店主はそこが上手なんですよ』
少し誇らしそうに話す姿を思い出す
思わず笑みが零れた
そして気付けば 料理の話はいつも領地の話へ変わっていた
宿場町のこと
領民のこと
商人のこと
新しい事業のこと
目を輝かせながら語る姿はまるで子供のように楽しそうだった
「本当に領地がお好きなのですね」
エミルは静かに呟く
もう一口食べる
やはり美味しい
以前と変わらない味
だが以前より少しだけ物足りなく感じた
「……静かですね」
向かいの席を見る
そこには誰もいない
前回 ここへ来た時はレオンが美味しそうに料理を食べ楽しそうに領地の話をして
クロエが呆れたように相槌を打ち
自分も自然と笑っていた
賑やかな時間だった
エミルは胸へそっと手を当てる
「やはり私はレオン様のことが好きなのですね」
その言葉は驚くほど自然に口から零れた
少しだけ頬が熱くなる
「離れるのは少し寂しいのですね」
静かな店内に自分の声だけが響く
「恋というのは……辛いものなのですね……」
小さな呟きは誰にも届くことなく
夕暮れの木漏れ日亭へ静かに溶けていった
翌朝 訓練場には木剣が打ち合う乾いた音が響いていた
エミルも騎士たちと共に木剣を振るう
鋭い踏み込み 無駄のない剣筋
何人ものノルディアの騎士が挑む
だが一本を取れる者はいなかった
「ありがとうございました!」
訓練が終わると騎士たちは一斉に頭を下げる
エミルも木剣を納める
「こちらこそありがとうございました」
そこへガレスが歩み寄った
「エミル殿」
「はい」
「いつも訓練へご参加いただきありがとうございます 騎士たちにとって大変良い刺激になっております」
エミルは静かに首を横へ振る
「こちらこそです 私も皆様との稽古で多くを学ばせていただいております」
ガレスは少し驚いたように目を細めた
「エミル殿ほどのお方でもですか?」
「はい」
エミルは穏やかに微笑む
「私は聖魔法や回復魔法に助けられてきた部分も少なくありません……ですがノルディア騎士団の皆様は純粋な剣技が非常に優秀です 私にもまだ伸び代があることを実感しております」
ガレスは満足そうに頷いた
「そう言っていただけると騎士たちも励みになります これからもよろしくお願いいたします」
「こちらこそよろしくお願いいたします」
互いに一礼し エミルは訓練場を後にした
昼は孤児院で子供たちへ勉強を教え
午後は魔力草畑を見回り
ポーション工房で製造の確認を行う
忙しい日々だった
気付けばレオンたちがフェルナード領へ向かってから
二か月半が過ぎようとしていた
その日の夕方 仕事を終えたエミルは客室へ戻っていた
制服を整え 窓の外を眺めていると
コンコンと静かなノックが響く
「どうぞ」
扉が開きゼムが一礼した
「失礼いたします エミル様 ぼっちゃま方から連絡が届きました」
エミルは振り返る
「レオン君からですか?」
「はい 明日の昼頃にはノルディアへ到着されます」
その言葉を聞いた瞬間
エミルの表情がぱっと明るくなった
「本当ですか!?」
思わず一歩前へ出る
だがすぐに我へ返り少し恥ずかしそうに微笑んだ
「申し訳ありません……少し取り乱してしまいました」
ゼムは優しく微笑む
「それだけぼっちゃまのご帰還を楽しみにされていたのでしょう」
エミルは少し頬を染める
「そうですね……無事で本当に良かったです」
ゼムは静かに一礼した
「では私はこれで」
「はい わざわざありがとうございます」
客室には再び静けさが戻る
エミルは窓際まで歩き
夕焼けに染まる空を見上げた
二か月半決して短くない時間だった
一緒に食事をした時間
一緒に訓練をした時間
領地の話を楽しそうに聞かせてくれた時間
その全てが自分にとって大切な思い出になっていた事を知った
胸へそっと手を当てる
自然と笑みが浮かぶ
「レオン君……ようやくお会いできますね」
前回はレオン君がノルディアへ戻られた時
私はポーションと魔力草事業が始まったばかりで
孤児院を離れることができなかった
お迎えすることもできず
そのままお帰りを迎えてしまった
「今度こそ……ちゃんとお迎えしましょう」
明日は少し早起きをして門の前でお待ちしよう
そう心に決める
その横顔には穏やかな笑みが浮かんでいた
翌日 エミルは久しぶりのレオンを迎えるためいつもより少し早く目を覚ますのだった




