第170話 黒いマント
森の中をレオンとクロエは全力で駆けていた
木々の隙間を縫うように走る
枝が肩を掠め
足元の草を踏みしめる音だけが静かな森へ響く
クロエは息を整えながら口を開いた
「あとどれくらい?」
レオンは右目を押さえたまま前を見据える
「もうすぐだ……森を抜けた先にある古い倉庫だ」
クロエは頷く
「急ごう」
二人はさらに速度を上げた
やがて木々の向こうに一棟の建物が見えてくる
長年使われていない木造倉庫
壁は朽ち 屋根の一部は崩れ落ちていた
人の気配はない
風に揺れる木々の音だけが耳に届く
レオンは右手を上げる
「止まれ」
二人は木陰へ身を隠した
レオンは倉庫を静かに見つめる
「ここだ」
クロエも周囲へ視線を向けた
「誰もいないね」
見張りもいない
馬車も止まっていない
静か過ぎる
レオンは眉をひそめた
「……おかしい」
魔眼で見た時にはここにマリナとカミュがいた
それなら見張りがいても不思議ではない
慎重に倉庫へ近付く
その時だったレオンの足が止まる
「これは……」
地面が黒く焼け焦げていた
周囲の草木まで炭のように変色し
土は熱で抉れたように黒く固まっている
クロエも焼け跡を見つめた
「凄い熱……」
レオンはしゃがみ込み
焼けた地面へ手を触れる
焦げた臭いが微かに残っていた
「火魔法だ……しかもかなり高火力だな」
クロエは辺りを見回す
「でも……誰もいない」
レオンは静かに立ち上がった
「昨日魚屋を見た時は最低でも四人はいたはずだ」
クロエは頷く
「うん マリナさん達を攫うには それくらい必要だよね なのに……」
レオンは周囲を見渡す
「誰もいない 死体も血痕も武器一つ落ちていない」
クロエの表情が強張る
「まさか……」
レオンは焼け跡を見つめたまま答えた
「この焼け跡を見る限り ここで高火力の炎魔法が使われた そして人だけが跡形もなく消えている」
少しの沈黙の後 レオンは低く呟く
「口封じだな 攫った連中まで始末したのか……」
クロエは思わず息を呑む
「仲間まで……?」
「ああ 最初から生かして帰す気は無かったんだろう」
静かな風が吹き抜ける
焼け焦げた地面の灰が舞い上がった
レオンはゆっくりと剣の柄へ手を添える
「こんな相手は初めてだ 今まで以上に気を付けよう」
クロエも真剣な表情で短剣を抜く
「うん マリナさん達を助けよう」
レオンは小さく頷く
二人は音を立てないよう倉庫の入口へ近付く
古びた木の扉へ手を掛けた
ギィ……っと軋む音が静かな森へ響く
レオンはゆっくりと扉を押し開けた
薄暗い倉庫の中は静まり返っていた
窓から差し込む僅かな光だけが
床をぼんやりと照らしている
レオンは剣へ手を添えたまま慎重に中へ足を踏み入れた
クロエも音を立てないよう後へ続く
奥へ進むと一本の柱へ縛られた二人の姿が見えた
「……!」
マリナとカミュだった
二人とも柱へ縄で縛られ 口には布を噛まされている
服は少し汚れていたが目立った外傷は見当たらない
マリナがレオン達へ気付く
「んー!んっ!」
必死に身体を揺らし何かを伝えようとしていた
レオンは小さく頷く
「安心してください 今助けます」
レオンは剣を納め
二人の元へ歩み寄る
クロエも後に続いた
まずマリナの口を塞いでいた布を外す
「ぷはっ……!」
大きく息を吸ったマリナは安堵したようにレオンを見る
まだレオンが辺境伯だとは知らない
昨日魚を買いに来た優しい平民の青年だと思っていた
「来ちゃ駄目だよ!早く逃げな!相手はあんた達じゃ勝てない!」
涙声で必死に叫ぶ
レオンは何も答えず
縄へ手を掛けた
その時だった
コツ……
静かな足音が倉庫の奥から響く
レオンの手が止まる
コツ……
コツ……
ゆっくりと近付いてくる足音
倉庫の空気が張り詰める
レオンはゆっくり立ち上がり
クロエも反射的に短剣を構えた
暗闇の奥から一人の男が姿を現す
全身を黒いマントで覆い
深く被ったフードが顔を隠している
ただ その身体から放たれる魔力だけが異常なまでの存在感を放っていた
男は数歩進むと立ち止まる
「随分と早かったな」
低く響く声
感情は感じられない
レオンはゆっくりと剣を抜く
本能が告げていた
目の前の男は今まで戦ってきた誰よりも危険だと
黒マントの男は静かにレオンを見つめる
「レオン・ノルディア……待っていたぞ」
その一言で倉庫の空気が一変した
レオンは剣先を男へ向ける
戦いの幕が静かに上がろうとしていた




