第169話 消えた魚屋
翌朝昨夜まで降り続いていた雨は止み
空には澄み渡る青空が広がっていた
フェルナード伯爵邸の正門前には
レオン達を見送るため多くの人が集まっていた
レイモンド
フローラ
使用人達
そしてノルディア騎士団
共同事業が決まったとはいえ短くない滞在だった
自然と別れを惜しむ空気が流れている
レイモンドは一歩前へ出ると深く頭を下げた
「レオン様 この度は本当にありがとうございました 保温箱という素晴らしい技術を授けていただきフェルナード領を代表して感謝申し上げます」
レオンは静かに首を横へ振る
「俺一人では完成しなかった レイモンド伯爵やガング達が形にしてくれたからだ」
レイモンドは穏やかに微笑んだ
「ええ 必ず成功させてみせます フェルナードとノルディア 両領が豊かになれるよう尽力いたします」
「ああ よろしく頼む」
二人は固く握手を交わした
その様子をフローラは少し寂しそうな表情で見つめていた
やがてレオンの前へ歩み出る
「レオン様短い間でしたが本当にありがとうございました 私も楽しかったです」
レオンは自然と笑みを浮かべる
「俺もだ 街も綺麗だったし 料理も美味かった」
フローラも嬉しそうに微笑んだ
「またお越しください」
レオンは頷く
「ああ」
するとフローラは少しだけ期待するような目を向けた
「それと……冬になったら 本当にノルディアへ伺いますからね」
その言葉にレオンは笑う
「歓迎する 今度は実際の雪と氷を見ながら氷属性の続きを教えよう」
フローラの表情がぱっと明るくなる
「はい!楽しみにしています」
そのやり取りを少し離れた場所から見ていたクロエは
にっこりと微笑んでいた
優しい笑顔
そのはずだった
だがレオンは何故か背中へ冷たいものが走る
目だけが少しも笑っていない
『また女の子と約束してる』
そんな声が聞こえてきそうな笑顔だった
レオンは思わず視線を逸らす
「……?」
何か悪いことをしただろうか
結局分からなかった
その様子を見てクロエは満足そうに微笑む
「それじゃ……またね フローラ」
「はい クロエさんもお元気で」
和やかな空気が流れる
その時リックが歩み寄ってきた
「旦那 俺達は予定通り王都へ向かいます」
レオンは頷く
「ああ 気を付けて行け」
リックは少し笑う
「旦那はポートミルへ向かうのですか?」
「ああ みんなへの土産に魚を買おうと思ってな昨日食べた魚が美味かったから帰る前に買って行く」
リックも納得したように笑った
「それなら皆喜びますね それでは王都でお待ちしております」
「ああ」
リックは敬礼すると騎士達を率いて王都への街道を進み始めた
やがてその姿が見えなくなる
レオンはレイモンドへ向き直った
「それじゃ行ってくる」
「はい お気を付けて」
フローラも深く一礼する
「またお会い出来る日を楽しみにしております」
レオンは軽く手を挙げた
「ああ」
そうして レオン クロエ ブロドの三人は馬車へ乗り込み
港町ポートミルへ向かった
港町へ到着すると市場は今日も活気に満ちていた
「朝獲れだ!」
「今日は大漁だぞ!」
「新鮮なカニもあるぞ!」
威勢の良い声が港中へ響き渡る
昨日と変わらない景色
昨日と変わらない賑わい
レオンは自然と笑みを浮かべた
「やっぱり港町は朝が一番賑やかだな」
クロエも頷く
「ノルディアの宿場町と同じくらい元気だね」
ブロドが前を指差した
「魚屋はあちらです マリナさん達ならもう店を開けている頃でしょう」
三人は魚屋へ向かって歩き始めた
しかし店が見えた瞬間レオンの足が止まる
「……何だ?」
店先へ並ぶはずの魚は一匹もなく
看板は倒れ 入口の扉は半開きになっていた
昨日までの賑わいはどこにもなかった
「おかしい……」
クロエが小さく呟く
レオンは無言のまま店へ近付いた
入口の扉へそっと手を掛ける
ギィ……と鈍い音を立てて扉が開いた
店内は静まり返っている
いつもなら聞こえるはずの包丁の音も
マリナの明るい声も
カミュの笑い声も無い
代わりに目へ飛び込んできたのは荒らされた店内だった
机は倒れ 椅子は折れ 魚を入れていた木箱は床へ散乱している
割れた皿の破片があちこちへ飛び散り
壁には何かがぶつかった跡まで残っていた
レオンは静かに周囲を見渡す
「争った跡だな」
クロエの表情が曇る
「泥棒……じゃないよね」
「ああ」
レオンは首を横へ振った
「金目の物には手が付けられていない……狙いは人だ」
ブロドは奥の部屋を確認しに走る
「マリナさん!カミュさん!」
問いかけたが返事は無い
しばらくして戻ってきたブロドは険しい表情だった
「奥にも誰もいません 荷物もそのままです 逃げた様子はありません」
レオンは静かに頷く
「裏を見よう」
三人は裏口へ回る
裏口の扉は大きく開け放たれていた
外へ出ると昨夜の雨でぬかるんだ地面に深い轍が残っている
レオンはしゃがみ込み
その轍へ触れた
「馬車だ……しかも急いで出たな」
クロエも隣へしゃがむ
「まだ追える?」
レオンは轍を目で追った
「形は崩れているが方向は分かる」
レオンは立ち上がる
「行こう」
三人は轍を追い始めた
港町を抜け
街道へ出る
轍は一本道を真っ直ぐ続いていた
「急げば追い付けるかもしれません」
ブロドが足を速める
レオンも頷いた
「ああ」
三人は走った
しかし十分ほど進んだところでレオンが急に立ち止まる
「……くそ」
街道には無数の轍が刻まれていた
商人の竜車
旅人の馬車
農民の荷車
朝になってから何台もの車両が通ったのだろう
昨夜の雨で薄くなっていた轍は完全に上書きされていた
クロエも辺りを見回す
「分からない……どれだろう」
ブロドは悔しそうに唇を噛む
「ここまでは追えたのですが……」
レオンは街道を見つめたまま静かに言う
「これ以上は無理だ このまま探しても時間だけが過ぎる」
重い沈黙が流れる
マリナとカミュの顔が脳裏を過る
レオンはゆっくりと右目へ手を当てた
クロエはその動きを見て表情を変える
「まさか……」
レオンは小さく頷いた
「ああ……最後の手段だ"未来予知魔眼"を使う」
ブロドは驚く
「未来予知ですか?」
クロエも心配そうに口を開く
「だってそれは痛みがすごいし……魔力の消耗が……」
「構わない」
レオンは静かに目を閉じた
「今は一秒でも早く助ける方が先だ」
右目へ莫大な魔力が流れ込む
「っ……!」
焼けるような激痛が走る
思わず膝をつきそうになる
それでも歯を食いしばり
魔力を流し続けた
次々と映像が頭へ流れ込む
街道
森
古びた倉庫
縄で縛られたマリナとカミュ
そして 焼け焦げた死体が転がる倉庫の外
黒いマントを纏った一人の男
そこで映像が途切れる
レオンは荒い息を吐きながら右目を押さえた
「見つけた……」
クロエがすぐに肩を支える
「大丈夫?」
「ああ……だが場所は分かった」
レオンはブロドへ視線を向けた
「ブロド 伯爵へ知らせてくれ 騎士団を率いて来てもらう」
ブロドは力強く頷く
「承知しました 必ずレイモンド伯爵様をお連れします」
そう言うとブロドは馬車へ飛び乗り
来た道を全速力で引き返していった
その姿を見送るとレオンはゆっくりと剣の柄を握る
クロエも短剣を抜いた
「マリナさん達を助けに行こう」
「ああ必ず助ける」
二人は森の奥にある廃倉庫へ向かって駆け出した




