第168話 港町の闇
その日の夜 ポートミルには雨が降っていた
昼間はあれほど賑わっていた港町も今は静まり返っている
港に並ぶ船は黒い影となり
波に揺られて軋む音だけを響かせていた
雨粒が屋根を叩く
石畳を濡らす
路地の端を流れる雨水が小さな川のように港へ向かっていく
船着場近くの魚屋もすでに明かりを落としていた
昼前にレオン達が話していた店
マリナとカミュの店だった
その裏口の前に数人の男達が立っていた
粗末な外套
腰の剣
顔には布を巻いている
彼等は傭兵だった
一人が裏口へ近付き
音を立てないように扉へ手を掛ける
鍵はすでに壊されていた
男達は慣れた動きで店内へ侵入する
中では片付けを終えたマリナが帳簿を閉じていた
カミュは奥で明日の仕込みを確認している
「……誰だい?」
マリナが異変に気付いた瞬間
男が背後から口を塞いだ
「んっ……!」
マリナは必死にもがく
だが腕を押さえ込まれ 声を上げることも出来ない
奥から物音に気付いたカミュが飛び出してくる
「マリナ!」
しかし その前に別の男が腹を殴った
「ぐっ……!」
カミュは膝をつき それでも立ち上がろうとする
だが 背後からもう一人に押さえ付けられた
店内の机が倒れ皿が割れる
魚を並べる木箱が床へ転がる
激しい物音が雨音に紛れて外へ漏れた
「暴れるな」
「殺しはしねぇよ」
男は低く笑う
「今はな」
マリナとカミュは縄で縛られ
口に布を噛まされる
二人は馬車へ押し込まれた
雨に濡れた馬車の車輪がぬかるんだ路地へ深い轍を残す
馬車は港町の外へ向かって走り出した
港から少し離れた裏路地に一台の馬車が止まっていた
先程の傭兵達が戻ってくる
その前には"黒いマント"を深く被った人物が立っていた
雨に濡れても その男は微動だにしない
顔はフードに隠れ表情は見えない
ただ闇の中で冷たい気配だけが漂っていた
傭兵の頭が前へ出る
「依頼は終わった 女と男は指定通り運ばせた」
黒マントの人物は何も言わない
懐から革袋を取り出すと傭兵の足元へ放った
ジャラッっと重い音が雨の中へ響く
傭兵の頭は袋を拾い上げ
中を確認した
皮袋の中に入っているのは金貨だった
しかも約束していた額より多い
男の口元が歪む
「へぇ……随分と気前がいいじゃねぇか」
黒マントの人物は静かに答える
「口止め料も含めてある」
傭兵達は顔を見合わせ
にやりと笑った
「なるほどな……余計なことは喋るなってことか 安心しろ俺達は金さえ貰えりゃ何も聞かねぇ」
傭兵の一人が馬車へ向かおうとする
「じゃあ俺達はこれで―」
その時だった
黒マントの人物が静かに口を開く
「待て」
傭兵達の足が止まり頭の男が振り返る
「まだ何かあるのか?」
黒マントの人物は雨の中でゆっくりと顔を上げた
フードの奥に赤く燃えるような瞳が一瞬だけ覗く
「もう一つ仕事がある」
傭兵の頭は笑った
「追加の仕事か……まぁ金次第だな」
黒マントの人物は淡々と告げる
「消してもらいたい人物がいる」
頭の男は肩をすくめた
「誰です?」
一瞬だけ雨音だけが響いた
黒マントの人物は右手を上げる
「お前達だ」
「……は?」
傭兵の頭が言葉を失う
次の瞬間 黒マントの足元から赤い魔力が噴き上がった
空気が歪む
雨粒が蒸発する
周囲の温度が一気に跳ね上がる
「なっ……!」
男達が剣へ手を伸ばす
だが遅い
ゴォォォォッ!!
爆炎が路地を飲み込んだ
雨音をかき消す轟音
赤い炎が夜を照らす
傭兵達の悲鳴が上がる
だが それも一瞬だった
炎は人の形を奪い 声を奪い
そこにあったすべてを焼き尽くしていく
数秒後 炎は嘘のように消えた
残されたのは黒く焦げた石畳
焼け落ちた荷箱
そして雨に打たれる灰だけだった
黒マントの人物は それを感情のない目で見下ろす
「口の軽い駒は必要ない」
雨が再び降り注ぎ燃えた跡を冷ます
灰を流し 血の匂いも炎の痕跡も少しずつ消していく
黒マントの人物は港の方へ視線を向けた
遠くには静かな船着場が見える
その先にはフェルナード領の明かりが揺れていた
「……これで革新派も終わるな」
小さく呟く
その声は雨音に溶けた
黒いマントが翻る
次の瞬間 その人物は夜の闇へ消えていった
雨だけが何事も無かったかのように港町ポートミルへ降り続いていた




