第167話 波風亭
レオンとフローラは並んで波風亭の扉を開けた
カランと軽やかな鐘の音が店内へ響く
「いらっしゃいませ!」
元気な声と共に一人の女性店員が顔を上げる
だがフローラの姿を見ると表情がぱっと明るくなった
「フローラお嬢様!ようこそお越しくださいました!」
フローラは優しく微笑む
「こんにちは 今日は二人です」
店員はレオンへ視線を向ける
「こちらは……」
フローラは一歩前へ出た
「ノルディア辺境伯のレオン様です」
店員は目を丸くした
「辺境伯様でしたか!」
慌てて深く頭を下げる
「失礼いたしました!」
レオンは苦笑しながら首を振る
「気にしないでくれ 今日はただ食事をしに来ただけだ」
その言葉に店員もほっとしたように笑う
「ありがとうございます ではこちらへどうぞ」
案内されたのは二階の窓際だった
窓からはポートミルの港が一望出来る
夕日に照らされた海
港へ戻る漁船
家路を急ぐ人々
穏やかな景色が広がっていた
「良い席だな」
レオンが呟く
フローラは嬉しそうに頷いた
「私もこの席が一番好きなんです 港が全部見えますから」
二人が席へ座ると
店員が水を運んできた
「本日のおすすめは焼き魚定食になります それと魚介たっぷりのスープです」
レオンはフローラを見る
「おすすめで頼もうか」
「はい 私はそれが好きです」
注文を終えると
店内を見渡した
仕事帰りの漁師達
家族連れ
旅人らしい客
皆楽しそうに料理を囲んでいる
レオンは自然と笑みを浮かべた
「良い店だ……雰囲気が好きだな」
フローラも頷く
「私もです 料理だけじゃなく皆さん温かいんですよ」
しばらくすると湯気を立てた料理が運ばれてきた
こんがりと焼かれた白身魚
香草の香りが漂う魚介スープ
揚げたての海老フライ
焼きたてのパン
どれも食欲をそそる香りだった
「お待たせしました どうぞごゆっくり」
店員が下がると
レオンは焼き魚を一口食べた
外は香ばしく
中は驚くほど柔らかい
噛むたびに旨味が口いっぱいへ広がる
「……美味い」
思わず声が漏れた
フローラは嬉しそうに笑う
「良かったです お気に召していただけましたか?」
「ああ これは人気があるのも納得だ」
レオンは魚介スープも口に運ぶ
魚介の旨味が溶け込み
優しい味わいが身体へ染み渡る
「これも美味しい」
フローラは小さく笑う
「こちらのお店のお魚は ほとんどマリナさんのお店から仕入れているんです」
レオンは少し驚いた
「そうだったのか」
「前に会った時に卸してる魚にも自信があるって言っていたが……本当だったんだな」
「はい 港でも一番評判のお店なんですよ カミュさんも毎朝市場で競りもしていますし ご夫婦で切り盛りされているんです」
その時 近くを通った店主が会話を聞いて笑った
「マリナ達の話ですか?」
フローラは微笑む
「ええ」
店主は嬉しそうに頷いた
「あそこの魚は間違いありません 港一番と言ってもいいくらいですよ 毎朝一番に仕入れに行かないと すぐ売り切れてしまいますからね」
レオンは納得したように笑った
「それだけ人気なら帰る前に土産も必ず買っていこう 皆喜びそうだ」
店主も笑顔で頷く
「それがいいですよ きっと喜ばれます」
店主が厨房へ戻るとレオンはもう一口焼き魚を口へ運んだ
「やっぱり美味いな」
フローラも嬉しそうに微笑む
「このお店は素材を生かした料理が評判なんです 港で水揚げされた魚を その日のうちに調理していますから」
レオンは窓の外へ目を向けた
夕日に照らされた港では漁師達が最後の荷下ろしをしている
魚を積んだ荷車が何台も街へ向かって走っていく
その光景を眺めながら静かに呟いた
「保温箱が普及すれば この魚ももっと遠くまで運べるな」
フローラも港へ視線を向ける
「夏でも王都まで……ですか?」
「ああ」
レオンは頷いた
「今は鮮度が落ちるから運べない魚も多い でも保温箱があれば違う 王都だけじゃない 冬は教国や魔導王国へも運べるかもしれない」
フローラは少し驚いたように目を見開く
そこまで考えていたのかと
共同事業と言っていた意味が少し分かった気がした
レオンは続ける
「魚だけじゃない ノルディアのボア肉もココに運べる 今までより美味しい状態で届けられる……フェルナードは魚を売れる そしてノルディアは氷を売れる お互い利益になるだろう だから今回の共同事業は成功させたい」
フローラは静かに頷いた
「レオン様は……本当に領地のことばかり考えているんですね」
レオンは少し笑う
「領主だからな 領民が豊かになれば俺も嬉しい」
その言葉にフローラは思わず笑みを浮かべた
この人は変わっている
剣も強い
魔法も使える
商売まで考えられる
それなのに自分の利益より
領民の笑顔を優先している
だから自然と人が集まるのだろう
「……やっぱり敵いませんね」
小さく呟く
「ん?」
「何でもありません」
フローラは慌てて首を振った
食事を終える頃には窓の外はすっかり夕焼けに染まっていた
レオンは満足そうに息を吐く
「ごちそうさま 本当に美味しかった」
フローラも嬉しそうに微笑む
「気に入っていただけて良かったです」
二人は席を立つ
店主が笑顔で見送った
「ありがとうございました!またポートミルへお越しの際はぜひ!」
レオンも笑顔で頷く
「ああ また寄らせてもらう」
店を出ると夕暮れの潮風が頬を撫でた
空は茜色から少しずつ群青色へ変わり始めている
港では漁師達が片付けを終え
家族の待つ家へ帰っていく姿が見えた
フローラはその景色を見つめながら微笑む
「今日一日ありがとうございました 私も楽しかったです」
レオンも港を眺めながら答えた
「こちらこそ 本当に良い街だった また来たいと思える場所だ」
その言葉を聞いたフローラはどこか嬉しそうに微笑んだ
「冬になったら今度は私がノルディアへ伺いますね」
レオンは笑って頷く
「ああ 歓迎する」
二人は並んで伯爵邸への帰り道を歩き始める
穏やかな潮風が吹く港町
その静かな時間が翌日に起こる悲劇をまだ誰も知らなかった




