第17話 帝国の剣
翌日、ノルディア家の訓練場には多くの騎士達が集まり、その中央ではレオン・ノルディアとルーカス・ヴァルハイトの二人が、木剣だけを手に向かい合っていた。
この試合で魔力の使用は認められておらず、純粋な剣技だけで勝敗を決める王国式のルールとなっている。
ルーカスは木剣を肩へ担ぐと、不思議そうにレオンへ尋ねた。
「本当に魔力なしでいいのか?」
「王国では、これが普通です」
レオンはそう答えながら、両手で握った木剣を正面へ構えた。
帝国では魔力も本人が持つ実力の一部と考えられているが、王国では純粋な剣技を見るため、試合で魔力を使用することはない。
ルーカスは少しだけ考えた後、レオンの言葉を受け入れるように頷いた。
「分かった」
ルーカスが木剣を構えた瞬間、それまで訓練場に漂っていた空気が一変し、周囲を囲んでいた騎士達が一斉に息を呑んだ。
ただ木剣を構えただけだというのに、ルーカスの全身には一切の隙がなく、まるで抜き身の剣を目の前へ突きつけられたかのような圧迫感が辺りを包み込んでいる。
試合の審判を務めるガレスが、二人の準備が整ったことを確認して静かに片手を上げた。
「始め!」
その声が響いた瞬間、ルーカスの姿がレオンの視界から消えた。
(速い!)
レオンは考えるよりも先に、身体へ染みついた感覚だけを頼りに木剣を振るった。
ガキィィンッ! と、木剣同士がぶつかったとは思えない金属のような激しい衝撃音が訓練場へ鳴り響き、受け止めたレオンの両腕へ想像を遥かに上回る重さが襲いかかる。
木剣越しに伝わってくる衝撃によって、レオンの腕は次第に痺れ始めた。
(重い……けど、止められた!)
その光景を目にした帝国兵達の間に、驚きの声が広がった。
「受けた!?」
「今の一撃をか!?」
ルーカスの翡翠色の瞳が僅かに細められた次の瞬間、右上段から二撃目が振り下ろされ、レオンは木剣を傾けることでその一撃を受け止めた。
続く三撃目は左からの鋭い横薙ぎだったが、レオンは木剣が触れる寸前に腕の力を抜き、斬撃の勢いを利用して右へ受け流す。
しかし、間髪を入れずに放たれた四撃目は、レオンの胸元を真っすぐ狙った鋭い突きだった。
レオンは咄嗟に身体を捻って避けたものの、木剣の先端が僅かに頬を掠めた。
(熱い……)
頬の皮膚が切れたらしく、傷口から流れた血がゆっくりと顎へ伝っていく。
(けど、見えている!)
レオンは恐れることなく前へ踏み込むと、反撃として下段から木剣を斬り上げた。
ルーカスはその一撃を正面から受け止めたが、試合が始まってから初めて後ろへ半歩下がった。
帝国兵達が驚愕に目を見開く中、後退させられたルーカスの口元が僅かに上がる。
「なるほど」
その声は、強敵を見つけたことを喜んでいるかのように、どこか楽しげだった。
次の瞬間、ルーカスの動く速度が一変した。
一歩、二歩、三歩と踏み込む姿は風のように速く、先ほどまで戦っていた人物とはまるで別人に思えるほどだった。
レオンの目の前まで迫ったルーカスが、再び視界から消える。
(右……違う、左……そこでもない……背後!)
気づいた瞬間にレオンは振り返ったが、ルーカスの木剣は既に目の前まで迫っていた。
ガキィッ! と激しい音が鳴り、レオンは辛うじて木剣で受け止めたものの、その一撃によって大きく体勢を崩してしまう。
その隙を逃すことなく、ルーカスは上段、横薙ぎ、突きと途切れることのない連撃を繰り出した。
レオンは息をつく暇さえ与えられず、一撃を受け止めるたびに一歩、また一歩と後退し、二人の足元からは激しく砂が舞い上がる。
度重なる衝撃によって腕は悲鳴を上げ、握っている木剣を取り落としそうになるほど痺れていた。
重く、速く、そして恐ろしいほど正確だった。
ルーカスの斬撃には一切の無駄がなく、それは敵を殺すためだけに長い年月をかけて洗練されてきた帝国式剣術そのものだった。
レオンは歯を食いしばり、このまま防ぎ続けているだけでは確実に負けると判断すると、守りを捨てて強引に前へ踏み込んだ。
連撃を受けていたレオンが突然前へ出たことで、周囲の騎士達が一斉に目を見開く。
「若様!?」
レオンはルーカスの懐へ潜り込むと、その身体へ自分の肩を強くぶつけ、僅かな距離を作り出した。
そして、全身の力を込めた一撃をルーカスの首元へ向けて振るう。
しかし、その一撃が届くよりも早く、ルーカスは半歩だけ横へずれながら木剣を振り上げた。
レオンの手から弾き飛ばされた木剣が、何度も回転しながら空中へ舞い上がる。
その直後、流れるような動きで振るわれたルーカスの木剣が、コツンとレオンの首元へ当てられていた。
「勝負あり!」
ガレスが片手を上げ、二人の試合を終わらせた。
弾き飛ばされた木剣が少し離れた地面へ落ちる音を聞きながら、レオンは悔しさを滲ませた苦笑を浮かべた。
誰が見ても分かるほどの完全敗北だった。
(悔しいな……)
それでも、不思議と負けたことには納得できていた。
ルーカスはレオンの首元から木剣を離すと、素直にその実力を評価した。
「強いな」
「負けましたけどね」
「十三歳で、俺を相手にここまで戦えるのなら十分だ」
年下であるはずのルーカスは、偽りのない言葉でレオンを称えた。
しかし、ルーカスは僅かに空を見上げると、どこか物足りなさそうに小さく息を吐いた。
「王国式だから、ここまでだ」
その言葉の意味が分からず、レオンは首を傾げながら尋ねた。
「どういう意味ですか?」
ルーカスは、それが当然のことであるかのように答えた。
「帝国では魔力も使うからな。魔力を含めた本来の試合なら、結果はもっと大きく開いていた」
レオンはその言葉を聞いて苦笑したが、ルーカスの言葉に悪意がないことは分かっていた。
ただ事実を事実として告げただけであり、それは実力を何よりも重視する帝国の皇子らしい評価だった。
「ここまでだったとは、少し残念だ」
「父上と比べられても困ります」
レオンが肩を竦めながら答えると、ルーカスは珍しく声を上げて笑った。
「確かにな」
それからルーカスは、試合前に交わした約束を思い出したように木剣を肩へ担いだ。
その姿は、レオンが前世で何度も見たゲーム内のワンシーンとよく似ていた。
「約束は約束だ。何が欲しい?」
ゲームの中でしか見たことのなかったルーカスの姿に見惚れてしまい、レオンは答えるまでに少し間が空いた。
「……大盾を十枚」
ルーカスの動きが止まった。
「……は?」
その瞬間、二人を見守っていた騎士達も含め、訓練場の空気が完全に止まった。
「大盾です」
「剣ではなく?」
「はい」
「魔剣でもなく?」
「はい」
迷うことなく頷くレオンを前に、ルーカスは本気で困惑している様子だった。
「他には?」
「大盾を扱う兵士が装備する重鎧を十領お願いします」
ルーカスは目を丸くし、先ほど以上に驚いた表情を浮かべた。
レオンの望んだ褒美は、ルーカスにとって完全に予想外のものだった。
「北の戦神の息子だから、強力な武器を求めると思っていたが……まさか盾とはな」
ルーカスが小さく呟いた言葉は、レオンの耳には届かなかった。
「本当にそれでいいのか?」
「それが欲しいです」
レオンの返答には迷いがなく、それを見たルーカスは腕を組んで考え込んだ。
(意味が分からない。だが……非常に興味が湧いた)
やがてルーカスは腕を解き、レオンの望みを受け入れるように頷いた。
「いいだろう。用意させる」
「ありがとうございます。では、代金は――」
「いらん」
今度はレオンが驚く番だった。
「は?」
「その代わりだ」
ルーカスは翡翠色の瞳を細めながら、レオンへ一つの条件を告げた。
「もう少し、この領地に滞在させてもらう」
「滞在ですか?」
「ああ」
ルーカスは楽しそうに笑った。
試合におけるレオンの実力は、ルーカスが期待していたほどではなかった。
しかし、それ以上に何かがおかしく、レオンが何を考えているのか知りたいという興味が湧いていた。
大盾を十枚と、それを扱うための重鎧を十領という褒美は、普通の貴族であれば決して欲しがらない物だった。
「お前を、もう少し見てみたい」
レオンは困惑したものの、帝国の第二皇子を相手に帰れとも言えなかった。
「……構いません」
その返答を聞いたルーカスは、満足そうに頷いた。
こうして帝国の第二皇子は当初の予定を変更し、しばらくノルディア領へ滞在することになった。
そして翌朝、その皇子が護衛を置き去りにして北の森へ向かうことを、この時のレオンはまだ知らなかった。




