第14話 辺境伯の仕事
ブックマークの人数見るところ初めてみた
1人も居ないと思ってたけど……ありがとうございます
頑張ります
グラニウス・ノルディアの葬儀から、七日が過ぎた。
辺境伯家の執務室では、かつてグラニウスが使っていた席に、今はレオンが座っていた。重厚な造りの大きな机と、それに合わせて作られた背もたれの高い椅子は、十二歳のレオンの身体にはまだ少し大きすぎる。深く腰を掛けても足は床へ届かず、肘掛けの位置も微妙に合っていない。それでもレオンは、そこが自分の座るべき場所なのだと受け入れ、父が生前に使っていた椅子へ毎朝座り続けていた。
もっとも、レオンはまだ正式にノルディア辺境伯へ任命されたわけではない。爵位を継承するためには王都へ赴き、国王の前で正式な任命式を行う必要がある。そのため、現在の肩書きはあくまでも「辺境伯代行」だった。
年齢は、まだ十二歳。
本来であれば、家臣達に守られながら剣術や魔法、貴族としての教養を学んでいる時期だろう。しかし、父を失ったからといって、領地の営みが止まってくれるわけではない。
税収、騎士団の維持費、食料の備蓄、街道の整備、孤児院への支援、各地で発生している魔獣被害への対応。領内から届けられた報告書や嘆願書、決裁を必要とする書類が、大きな机の上へ山のように積み上げられていた。
レオンは、その中から一枚の書類を手に取った。上から下まで素早く視線を走らせ、内容を確認すると、数秒で判断を下して判を押す。次の書類には修正すべき箇所を記し、その次には備蓄量の見直しを指示する。さらに次の書類へ判を押すと、すぐに新しい一枚を手に取った。
執務室には、紙をめくる音と、ペン先が紙の上を走る音だけが途切れることなく響いていた。
書類の内容を本当に読んでいるのかと疑いたくなるほど、その処理速度は速い。レオンの傍らでその様子を見守っていたゼムは、しばらく黙っていたものの、ついに我慢できなくなったように首を傾げた。
「ぼっちゃま。本当に内容を確認しておられますか?」
レオンの手が止まった。
ゆっくりと顔を上げたレオンは、書類ではなく、ゼムの呼び方に反応した。
「おい……ゼム」
「はい。何でしょうか、ぼっちゃま」
何の問題もないと言いたげなゼムを見て、レオンは少しだけ呆れた表情になる。
「もう、ぼっちゃまはやめてくれないか?」
辺境伯を代行するようになってから一週間、レオンは同じことを何度も言っていた。しかし、ゼムには呼び方を改めるつもりなどないらしく、未だにレオンを「ぼっちゃま」と呼び続けている。
「いやいや。まだ正式な辺境伯ではなく、代行ですので、ぼっちゃまです」
「代行とはいえ、領主代理だぞ?」
「ですが、十二歳のぼっちゃまです」
「領主代理だ」
「ぼっちゃまです」
「少なくとも、仕事中くらいは若様かレオン様と呼べないのか?」
「私にとっては、いつまでもぼっちゃまですので」
「だから、今は領主の仕事をしているんだぞ?」
「存じております、ぼっちゃま」
レオンとゼムは、しばらく無言で睨み合った。
しかし、ゼムは穏やかな笑みを浮かべたまま、少しも譲る様子を見せない。先に折れたのは、やはりレオンだった。
「……もう、好きにしてくれ」
「はい。ぼっちゃま」
許可を得たゼムは、満面の笑みを浮かべた。
その嬉しそうな顔を見たレオンは、深いため息を吐く。この老人だけは、本当にどうしようもない。父であるグラニウスですら、ゼムのこうした態度を改めさせることは諦めていたのだ。十二歳のレオンが何を言ったところで、聞き入れるはずがなかった。
「それで……本当に書類を確認しているのか、だったな」
レオンは本来の話を思い出すと、先ほど判を押さずに脇へ避けていた報告書を一枚持ち上げた。
「この書類だけどな」
そう言いながら、レオンは報告書の一部を指差した。そこには、レオンが引いた赤い線が残されている。
「同じ内容が三回書かれている。言葉は少しずつ変えてあるけど、報告している内容は全部同じだ。この部分を一つにまとめれば、半分以下の長さで済む」
ゼムはレオンから報告書を受け取り、指摘された箇所を上から順番に確認した。
確かに、表現こそ僅かに異なっているが、三つの文章は全て同じ内容を説明している。文章を長くすることで、報告の中身まで多いように見せようとしていたのかもしれない。
レオンは続けて別の書類を手に取り、ゼムへ渡した。
「それから、これは昨年の収支報告と計算が合っていない。ここに記載されている収入から支出を引いても、最終的な金額にはならない。おそらく、途中で別の数字を足している」
ゼムが書類に記載されている数字を確認している間に、レオンはさらに別の一枚を差し出した。
「こっちは輸送費が二重に計上されている。同じ日付、同じ商会、同じ荷物なのに、二回分の費用が記載されている。最初は荷物を二度に分けて運んだのかと思ったけど、馬車の台数も護衛の人数も同じだ。単純な記載ミスだと思う」
ゼムは、渡された書類を一枚ずつ確認していった。
レオンの指摘は、全て正しかった。
数字の間違いだけではない。文章の重複、余分な支出、昨年の記録との食い違い。どれも、最初から間違いを探すつもりで細かく確認しなければ、簡単に見落としてしまうようなものばかりだった。
「輸送費の二重計上を修正すれば、当初の予定より予算が余る」
レオンは、机の上に置かれていた別の報告書へ視線を向けた。
「その余った予算で、孤児院の冬用毛布を追加購入する。今ある枚数だと、一人につき一枚しか配れない。古くなった毛布も多いみたいだから、冬が来る前に少しでも新しいものへ替えた方がいい」
ゼムは、すぐに言葉を返すことができなかった。
速すぎる。
そして、あまりにも正確だった。
普通であれば、複数の文官が何日もかけて確認するような内容を、レオンは僅か数秒で見抜いている。ただ間違いを指摘するだけではなく、その修正によって生まれた余剰予算を、別の問題を解決するために使おうとしていた。
「いったい、どうやっておられるのですか……?」
ゼムの口から、思わず本音が漏れた。
レオンは少し困ったように苦笑した。
前世の神谷光一は、どこにでもいる平凡な会社員だった。特別な才能があったわけでもなければ、重要な役職に就いていたわけでもない。ただ、四年以上もの間、会社で毎日のように大量の書類へ目を通していた。
報告書、稟議書、契約書、会議資料、予算書、見積書。
朝から晩まで書類に囲まれ、内容に間違いがないかを確認し、少しでも不自然な箇所があれば上司からやり直しを命じられた。数字が一つ違うだけで呼び出され、文章に重複があれば修正させられ、計算式が間違っていれば、最初から全て確認し直さなければならなかった。
数字の違和感、文章の重複、計算の間違い。
そうしたものを見つけることが、いつの間にか仕事の一部になっていた。
当時は、何の役に立つのかと思っていた。遅くまで会社に残り、終わりの見えない書類の山と向き合い続ける日々は、神谷光一にとって地獄でしかなかった。
しかし、その経験が今、十二歳で辺境伯家を継ぐことになったレオンを助けている。
「まさか、異世界で残業した経験が役に立つとは……」
レオンは、誰に聞かせるでもなく小さく呟いた。
「残業?」
聞き慣れない言葉を耳にしたゼムが、怪訝そうに首を傾げる。
「いや……何でもない」
レオンが誤魔化すように次の書類へ手を伸ばすと、ゼムはまだ気になっている様子だったが、それ以上追及することはなかった。
それからもレオンは、休むことなく書類を処理し続けた。
決裁が必要なものには判を押し、不明な点がある書類は担当者へ差し戻す。支出が多過ぎる事業については内訳を求め、必要な物資が不足している村には備蓄の一部を回すよう指示を出した。
昼過ぎになる頃には、朝まで机を埋め尽くしていた書類の山は、すでに半分以下まで減っていた。
ゼムは、その様子を傍らで見守りながら、改めて思う。
先代のグラニウスも、優秀な領主だった。
決して政務ができなかったわけではない。領民の声へ耳を傾け、必要なものを見極め、自らの責任で判断を下すことのできる立派な当主だった。
だが、目の前にいる十二歳の新しい領主は、グラニウスとは根本的に方向性が違っている。
グラニウスは、現場を見る領主だった。
自ら領内を歩き、騎士や兵士、街で暮らす領民と言葉を交わした。魔獣が現れれば誰よりも早く剣を握り、騎士団の先頭に立って戦場へ向かった。巨大な背中で領民を守り、その姿を見せることで人々を安心させる、武人としての領主だった。
だからこそ、グラニウスは多くの領民から慕われていた。
それに対して、レオンは違う。
レオンは書類に並んだ数字から問題を見つけ、限られた予算の中で改善策を考える。領民の暮らしを脅かす問題が大きくなる前に、その兆候を数字や報告の中から見つけ出そうとしている。
剣ではなく政務によって、領地と領民を守ろうとする人間だった。
もちろん、レオンも剣を握る。十二歳でありながらバルト山脈へ向かい、父を救うために命を懸けたことを、ゼムは知っている。
それでも、二人の戦い方は異なっていた。
同じノルディア辺境伯家の当主であり、同じように領民を守ろうとしている。それでも、グラニウスとレオンは、それぞれ別の方法で領主としての責務を果たそうとしていた。
グラニウスのようになる必要はない。
レオンは、レオンのやり方で領地を守ればよい。
ゼムがそんなことを考えていると、レオンの手が止まった。
次の書類を取ろうとしていた手を机の上へ置き、窓の外を見つめている。
ゼムもレオンの視線を追った。
窓の向こうに見えるのは、ノルディアの街を見下ろす小高い丘だった。その丘の上には、七日前に埋葬されたグラニウスの墓がある。
今日も、墓の周りには多くの領民が集まっていた。
老人もいれば、幼い子供を連れた母親もいる。仕事の途中で立ち寄ったらしい職人や、鍛錬を終えた騎士の姿も見えた。誰もが手に花を持ち、静かにグラニウスの墓前へ供えている。
葬儀は一週間前に終わっていた。
それでも、墓前に供えられる花は毎日増え続けている。昨日よりも今日、今日よりも明日と、丘の上には領民達が持ち寄った色とりどりの花が積み重なっていった。
それは、グラニウスがどれほど領民から慕われていたのかを示していた。
レオンは椅子へ座ったまま、窓の向こうにある父の墓を静かに見つめていた。
その横顔には、十二歳の少年らしい寂しさが僅かに浮かんでいる。
この一週間、レオンは人前で涙を見せなかった。
葬儀では辺境伯家の後継者として振る舞い、集まった領民へ言葉を掛け、父の死によって領地が混乱しないように気丈な態度を崩さなかった。その翌日からは執務室へ入り、山のように積み上がった書類を処理し続けている。
悲しむ時間すら、自分に許していないようだった。
父が亡くなってから、まだ七日しか経っていない。
十二歳の少年が父親を失った悲しみを受け入れるには、あまりにも短い時間だった。それでもレオンは、自分が立ち止まれば領地まで止まってしまうと思っているのだろう。
だから、無理にでも前へ進み続けている。
ゼムは何も言わなかった。
慰めの言葉を掛けることも、少し休むよう勧めることもしなかった。今のレオンには、どのような言葉を掛けても届かないことを分かっていたからだ。
ゼムは静かに一礼すると、茶の用意をするために執務室を後にした。
扉が閉じる音が響き、部屋にはレオン一人だけが残される。
レオンは、それでも父の墓から目を逸らさなかった。
窓の向こうでは、一人の幼い少女が母親に手を引かれながら丘を登り、グラニウスの墓前へ一輪の花を供えていた。少女は墓へ向かって小さく頭を下げると、母親と共にゆっくりと丘を下りていく。
その姿を見届けたレオンは、机の上で拳を強く握り締めた。
父と同じ領主にはなれない。
あの大きな背中へ、すぐに追いつくこともできない。
それでも、父が守り続けてきた領地と、父を慕ってくれた人々を、自分が守らなければならない。
レオンは窓から視線を戻し、机の上に残された書類を見つめた。
まだ、やるべきことは山ほど残っている。
少年の身体には大きすぎる椅子へ座り直すと、レオンは再び一枚の書類を手に取った。
執務室には、再び紙をめくる音が静かに響き始めた。
小説の文書とかもレオンに頼みたいと思いながら書いてました笑
間違えがあればごめんなさい




