間章 クロエの嫉妬 前編
朝日がノルディアの街を優しく照らしていた
澄み切った青空
宿場町には朝早くから商人や旅人の姿があり
市場では今日も威勢の良い声が響いている
パン屋からは焼きたての香りが漂い
食堂では朝食の準備が始まっていた
ノルディア騎士団は城の訓練場で汗を流し
討伐隊は今日も魔獣討伐へ向かう準備を進めている
以前と変わらぬ朝
だが領地は確実に変わり始めていた
ボア肉は王都へ流通し
回復薬事業も少しずつ形になり始めている
そして教国へ送った試作品は 今まさに効能の確認が行われていた
そんな穏やかな朝
王都でのボア肉の価格調整を終えたクロエはノルディア邸へ戻ってきた
長旅だった それでも疲れた様子はない
今回の商談は大成功だったからだ
王都でのボア肉の需要は予想以上に高く 価格も安定した
無理に安売りする必要もない 今後の販路もさらに広がるだろう
早くその報告をしたかった
荷物を部屋へ置くより先に クロエは執務室へ向かう
コンコンと軽く扉を叩いた
「レオン 戻ったよ」
「入ってくれ」
聞き慣れた声が返ってくる
クロエは扉を開けた
執務室ではレオンが机へ向かい ゼムが書類を整理していた
「ただいま」
「おかえり クロエ」
レオンは顔を上げる
「王都はどうだった?」
クロエは嬉しそうに笑った
「順調!向こうの相場も確認してきたし ボア肉の価格調整も無事終わったよ!しばらくは今の価格で問題無さそう」
「そうか」
レオンは安心したように頷く
「助かった」
その一言だけで クロエは嬉しくなる
「もっと褒めてもいいよ」
「よくやった」
「えへへ」
満足そうに笑うクロエ
ゼムは呆れたように目を細めた
「相変わらずでございますね」
「褒められる時は素直に褒められる主義なの」
クロエは胸を張る
レオンは苦笑した
「こっちも一段落した」
「ん?」
「あの魔法陣が完成した」
クロエの目が大きく見開かれる
「えっ!……本当に!?」
「ああ 試作品も作れた」
レオンは机の隅に置かれた小瓶へ視線を向ける
透明な瓶の中には無色透明の液体が入っていた
「ただ 教国の秘薬と同じ効果があるかはまだ分からない だがら今 セリオスさんへ送って効能を確認してもらっている」
クロエは小瓶を見つめる
あれが本当に秘薬と同じ効果なら
セリオスを救える可能性が少しだけ広がる
「そっか……結果待ちなんだね」
「ああ だが 魔法陣は問題なく動いた ここまで来られたのは大きい」
レオンは静かに頷いた
「エミルさんが魔法陣を修正してくれたおかげだ 俺だけじゃ完成しなかった」
クロエは感心したように頷く
「流石 教国の副団長だね」
その時だった
コンコンと再び扉が叩かれる
「失礼します」
入ってきたのはエミルだった
肩まで伸びた艶やかな赤髪
白銀を基調とした聖騎士団の制服
背筋を真っ直ぐ伸ばした立ち姿は今日も変わらない
「レオン君 頼まれていた資料をお持ちしました」
「ああ ありがとう 机へ置いておいてくれ」
「はい」
自然な会話だった
レオンもエミルもどこか距離が近い
クロエが王都へ出発する前より 明らかに打ち解けている
数日しか離れていないそれなのに自分だけ知らない時間が流れていたような気がした
その時 クロエの視線が止まる
エミルの赤髪を後ろでまとめる一本のリボン
黒を基調とした上品な布地
そこにはエメラルドグリーンの刺繍が丁寧に施されていた
派手ではない だが品があり赤い髪をより美しく引き立てている
以前は付けていなかった物だった
「そのリボン……」
クロエは思わず声を掛けた
「かわいいね どうしたの?」
エミルは少し照れたように微笑む
「これですか?」
そっとリボンへ触れる
「レオン君からいただきました 魔法陣を修正したお礼だそうです」
クロエの思考が止まった
レオンからのプレゼント
レオンは照れた様子もなく口を開く
「あのままだと完成しなかったからな 助かった礼だ」
エミルは小さく首を振る
「私は少し助言しただけですが……とても嬉しかったです」
そう言って柔らかく微笑む
黒いリボンが揺れた
エメラルドグリーンの刺繍が光を受けて小さく輝く
レオンが選んだ物
レオンが似合うと思って贈った物
それをエミルは本当に嬉しそうに身に着けていた
クロエは胸の奥が少しだけ痛んだ
「では 私は失礼します」
エミルは一礼する
「何かあれば呼んでください レオン君」
「ああ ありがとう」
レオンが頷く
エミルは静かに執務室を後にした
扉が閉まり 部屋に静けさが戻る
クロエは閉まった扉を見つめたまま動かなかった
「どうした?」
レオンは不思議そうに首を傾げた
クロエは頬を膨らませる
「……ズルい」
「ん?何がだ?」
クロエはぷいっと横を向いた
「僕……レオンから何も貰ったことない」
レオンは少し考える
「そうだったか?」
「そうだよ!」
クロエは勢いよく振り返る
「一回も無い!王都まで行ってボア肉の価格調整もしてきたし 商談だっていっぱい頑張ってるし なのにエミルさんにはプレゼント………ズルい」
レオンは困ったように頭を掻く
「いや あれは魔法陣を修正してもらった礼だ」
「僕だっていっぱい手伝ってる」
「それは………そうだな」
「そうでしょ!」
クロエは腕を組む
「僕は別に高い物が欲しいわけじゃないでも……何も無いのは寂しい……」
その言葉にレオンは少し考え込んだ
「なら今度街へ行くか 何か好きな物を買うよ」
クロエの表情がぱっと明るくなる
だがその笑顔はすぐに消えた
「……やだ」
「……え?」
「エミルさんと一緒に行った街なんてヤダ」
レオンは意味が分からず首を傾げる
「同じ街じゃ駄目なのか?」
クロエは少し俯く
「……やっぱり一緒に行ったんだ」
レオンは頷いた
「ああ 回復薬事業も始まるからな 街の視察も兼ねて案内した その時にリボンを買って渡した」
クロエは何も言わなかった
街を案内しただけ
領主として当然のこと
頭では分かっている
それでも 自分が王都へ行っている間に二人だけの時間があった
そう思うと胸が少しだけ苦しかった
レオンはそんなクロエを見て小さく息を吐く
「じゃあどこならいいんだ?」
クロエはしばらく考えた
そして顔を上げる
「王都……王都なら許してあげる」
「王都か」
レオンは苦笑する
「流石に少し遠いぞ」
その時だった ゼムが静かに口を開く
「私は良い機会かと思います」
レオンはゼムを見る
「何がだ?」
「ぼっちゃまは辺境伯を継がれ 成人も迎えられました……ですが 未だ王都で開かれる貴族の集まりへ出席されておりません 辺境という事情もあり 今までは問題ありませんでした しかし 今後も欠席を続ければノルディア家は王家を軽んじている そのように受け取る貴族が現れる可能性もございます」
レオンは嫌そうに顔をしかめた
「面倒だな」
「ですが必要です」
ゼムは即答する
「ちょうど近々 王都で夜会が開かれます 夜会の二日前に王都へ入れば お時間にも余裕がございます」
「街をご覧になることもできます」
クロエの表情が一気に明るくなる
「ほら!ゼムさんもこう言ってる!」
レオンはクロエを見る
「お前は夜会じゃなくて買い物が目的だろ」
「もちろん!!」
クロエは即答した
「夜会はレオンのお仕事 僕は買い物」
「はっきり言うな」
「だって本当だもん」
楽しそうに笑うクロエ
その笑顔を見てレオンは観念したように肩を竦めた
「分かった 夜会の二日前に王都へ向かおう」
「やった!」
クロエは満面の笑みを浮かべた
さっきまで胸にあった小さなもやもやは 少しだけ薄くなっていた
今度はレオンと二人だけの思い出を作る
そう心の中で小さく決めるのだった




