間章 北の戦神 前半
外は雪が降っていた
ノルディア辺境伯家の屋敷
執務室には暖炉の火が揺れている
その中でヴァルグ・ノルディアは机へ向かっていた
正確には向かっているだけだった
机の上には大量の書類
だが手は止まっている
そして数秒後、机へ突っ伏した
「……飽きた」
即座に扉が開いた
「駄目です」
ヴァルグが固まる
入って来たのはリリスだった
銀色の髪
冷たい視線
手には新しい書類まで抱えている
ヴァルグの顔が引きつった
「まだ半分しか終わっていません」
「明日で良いだろう」
「良くありません」
即答だった
「辺境伯だぞ俺は」
「知っています」
「偉いぞ」
「知っています」
「なら少し休んでも」
「駄目です!」
再び即答
ヴァルグは天井を見上げた
助けを求めるように
だが誰も助けてくれない
執務室の隅に黒髪青眼の少年が本を読んでいた
グラニウス・ノルディア
十歳だった
その様子を見て肩を震わせている
笑いを堪えているのだ
ヴァルグは視線を向けた
「グラニウス」
「何でしょう」
「笑うな」
「まだ笑っていません」
「今から笑う顔だ」
グラニウスが吹き出した
リリスもため息を吐く
ヴァルグは最後の抵抗を試みた
「ゼム」
「はい」
執務室の入口近くに立つ青年が返事をする
「助けろ」
ゼムは即答した
「無理です」
ヴァルグが絶句する
「お前までか」
「奥様が正しいので」
「裏切り者め」
ゼムは何も答えない
完全に見捨てられていた
リリスが書類を机へ置く
「終わるまで外出禁止です」
「子供か俺は」
「似たようなものです」
ヴァルグが頭を抱えた
グラニウスはとうとう声を出して笑う
そんな息子を見て
ヴァルグも苦笑した
そして呟く
「本当に勝てんな」
リリスが眉を上げる
「何がですか」
「昔からだ」
ヴァルグは肩を竦めた
「お前には勝てん」
リリスが少しだけ目を丸くする
グラニウスも驚いた顔をした
だがヴァルグは平然としている
「昔からそうだった……勝手にグレイムベアを狩りに行った時も怒られた
北の山脈へ入った時も怒られた
訓練場を壊した時も怒られた」
ゼムが頷く
「全て事実ですね」
「黙れ」
即答だった
執務室に笑いが広がる
平和な時間だった
戦争は終わっている
帝国との関係も落ち着いている
ノルディアには穏やかな日々が戻っていた
それから五年が過ぎた
グラニウスは十五歳になった
王都学園へ入学する事になる
出発の日屋敷の前には
ヴァルグ
リリス
ゼムの姿があった
荷物を積み込む使用人達
グラニウスは少し緊張していた
初めての王都
初めての学園だった
ヴァルグはそんな息子を見る
そして口を開いた
「喧嘩するなよ」
グラニウスが固まる
「父上」
「何だ?」
「最初に言う事がそれですか」
「重要だろう」
ヴァルグは真顔だった
リリスが呆れる
「貴方が言わないで下さい」
「何故だ?」
「一番説得力がありません」
即答だった
ゼムも深く頷く
ヴァルグは視線を逸らした
グラニウスは思わず笑う
緊張が少しだけ和らいだ
ヴァルグは咳払いをして、そして真面目な顔になった
「学園では色々学べ」
「はい」
「剣だけではない戦術も政治も人との付き合い方もだ」
グラニウスは頷く
ヴァルグは続けた
「強いだけでは領主は務まらん」
その言葉には重みがあった
グラニウスも真剣な表情になる
「分かっています」
ヴァルグは満足そうに頷いた
リリスは息子の服を整える
「体調には気を付けるのですよ」
「はい」
「食事もちゃんと食べる事」
「はい」
「夜更かしも駄目です」
「はい」
次々と増えていく
ゼムが苦笑した
「奥様……坊ちゃんが出発出来なくなります」
リリスは我に返る
そして優しく笑った
「そうですね」
少し寂しそうだった
グラニウスは静かに頭を下げる
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
リリスが微笑む
ヴァルグも頷いた
「胸を張って来い」
グラニウスは馬車へ乗り込む
そして出発した
遠ざかる屋敷
小さくなる家族の姿
グラニウスは最後まで見つめていた
王都学園入学初日
グラニウスは剣術試験で首席となった
二位に大差を付ける圧倒的な結果
教師達も驚いた
辺境から来た少年
それが最初の印象だった
だが数日も経たない内に評価は変わる
剣術
戦術
魔法
どれも優秀だった
特に剣は群を抜いていた
一年目誰も勝てなかった
二年目それは変わらない
教師達も将来を期待する
次代の辺境伯 グラニウス・ノルディア
だが十七歳の冬、一通の手紙が届く
その日、グラニウスの運命は変わった




