間章 ノルディアの悪魔 後半
静かな部屋だった
窓の外では雪が降っている
暖炉の火だけが揺れていた
ヴァルグ・ノルディアは椅子へ座っていた
机の上には一枚の報告書
何度読んだか分からない
だが内容は変わらない
国境砦陥落
ローラン死亡
リオン死亡
それだけだった
コンコンと扉が叩かれる
返事は無いのだが扉は開いた
入って来たのはリリスだった
銀色の髪
疲れ切った顔
数日前からほとんど眠っていない
それはヴァルグも同じだった
リリスは食事を机へ置く
「食べて下さい」
返事は無い
「ヴァルグ様」
それでも返事は無かった
リリスは唇を噛む
そして震える声で言った
「申し訳ありません」
執務室に静寂が流れた
暖炉の火だけが揺れる
リリスは拳を握った
本来なら帝国へ情報を流す立場だった
だが流さなかった
ローランを裏切りたくなかった
ノルディアを裏切りたくなかった
だから帝国側の動きも知らない
何故砦が襲われたのかも分からない
それでも自分が帝国の人間だった事実は消えない
「私が……」
低い声が響く
「違う」
リリスが顔を上げる
ヴァルグは窓の外を見ていた
「責任は俺にある」
「ですが……」
「俺が守れなかった」
それだけだった
怒りも責任転嫁も無い
だからこそ苦しかった
リリスは何も言えなくなる
ヴァルグは静かに立ち上がった
壁に掛けられた剣を見る
ローランとの思い出
リオンの未来
全て失った
だが辺境伯として止まる事は許されない
「始まるな」
その一言だった
数日後、王国と帝国は正式に開戦した
ノルディア領は最前線となり戦争は続いた
冬
春
夏
秋
そして再び冬
一年間戦争は終わらなかった
ヴァルグの指揮は完璧だった
帝国軍を退ける
何度も退ける
だが決定打にならない
帝国は大国だった
兵士も物資も王国より多い
一つ勝っても次が来る
そしてまた次が来る
戦場には死体だけが増えていった
ある夜、ヴァルグは一人で酒を飲んでいた
机の上には一枚の絵
ローラン
リオン
まだ平和だった頃の家族の絵だった
ヴァルグはそれを見つめる
「……どうすれば……良かった」
答える者はいない
だがローランの言葉だけは覚えていた
『私は人の争いは嫌いです』
『誰かが悲しむ結末はもっと嫌いです』
優しい奴だった
だからこそ守れなかった事が悔しかった
ヴァルグは酒を飲み干す
そして静かに立ち上がった
「………終わらせる」
翌日ノルディア軍は後退を始めた
帝国軍は歓喜する
勝ったと思った
押し切ったと思った
だがそれはヴァルグの策だった
帝国軍は追撃する
さらに追撃する
気付けばノルディア領奥深くまで入り込んでいた
雪原へ帝国軍四万人が集まる
帝国軍将軍が笑った
「ようやく終わりだ」
その時だった
吹雪の向こうから一人の男が現れる
黒髪
青い瞳
巨大な剣
たった一人のヴァルグ・ノルディアだった
帝国軍は困惑する
将軍が叫ぶ
「降伏か!」
だがヴァルグからの返事は無い
ヴァルグは静かに剣を構えた
空気が変わり吹雪が集まる
そして雪が舞う
兵士達の本能が警鐘を鳴らした
逃げろと
だが遅かった
ヴァルグは大剣を振る
そして世界が白く染まった
その一撃は【冬の巨人の斬撃】
ヴァルグの使用できる最大魔法だった
雪原に轟音が響く
雪原が裂ける
大地が凍る
吹雪が全てを飲み込む
悲鳴と絶叫そしてその後には静寂が流れた
残ったのは凍て付く大地だけだった
【帝国軍四万人】その大半が消えていた
生き残った者は僅か
彼らは震えながらその姿を見る
雪原の中央に立つ男
ヴァルグ・ノルディア
生き残りの兵の誰かが呟く
「悪魔だ……」
別の兵士も震える
「ノルディアの悪魔だ……」
その言葉はやがて帝国全土へ広がる
ヴァルグ・ノルディア
後に帝国が最も恐れた男
【ノルディアの悪魔】
その異名が生まれた瞬間だった
だがヴァルグは勝利を喜ばなかった
静かに雪原を見つめる
そこには無数の亡骸があった
そして小さく呟く
「俺は………」
吹雪だけが答える
その日からヴァルグはその罪を背負い続ける事になる
後に息子へ語る事になる言葉を胸に刻みながら
ノルディアの悪魔は雪原を後にした




