間章 ノルディアの悪魔 前半
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ノルディア辺境伯領は雪が降っていた
帝国との国境近くに築かれた砦は
その日は珍しく穏やかな一日だった
砦の兵士達にも緊張は無い
今日は辺境伯家の視察だったからだ
砦の中庭に一人の少年が木剣を振っていた
黒髪
青い瞳
年齢は十歳
リオン・ノルディア
ヴァルグ・ノルディアの一人息子だった
年齢を考えれば十分過ぎる剣筋
兵士達も思わず目を奪われる
「そこまでです」
優しい声が響いた
リオンが振り返る
そこには一人の女性が立っていた
金色の髪
穏やかな笑み
気品のある女性
ローラン・ノルディア
リオンの母だった
「母上」
リオンは木剣を下ろした
ローランは苦笑する
「リオン、今は視察中ですよ、兵士の皆さんのお仕事を邪魔してはいけません」
「申し訳ありません」
素直に頭を下げる
その様子に兵士達が笑った
「若様は真面目ですな」
「辺境伯様とは大違いです」
「おい」
別の兵士が苦笑する
「聞かれたら怒られるぞ」
「事実でしょう」
砦に笑いが広がった
ローランも思わず笑う
「確かに昔のヴァルグ様は大変でしたね」
リオンが首を傾げる
「父上がですか?」
「ええ」
ローランは懐かしそうに目を細めた
「十三歳の頃には騎士団の訓練場を壊しました
十五歳の頃には森の主だったグレイムベアを一人で狩りに行きました
十六歳の頃には北の山脈へ勝手に入って大騒ぎになりました」
兵士達が一斉に頷く
「あれは酷かった」
「先代辺境伯様が半泣きで探していましたからな」
「帰って来た時には大怪我でしたし」
リオンは目を瞬かせる
信じられなかった
今の父は冷静沈着だ
そんな無茶をするようには見えない
ローランは苦笑した
「今でも本質は変わっていませんよ」
「そうなのですか?」
「ええ」
即答だった
「リリスを置いてきましたが……私が居ないとあの人何をしでかすか分かりませんもの」
周囲から苦笑が漏れる
リオンも思わず笑った
「父上ですからね」
「その通りです」
ローランは即答した
兵士達も深く頷く
誰一人否定しない辺りが全てを物語っていた
ローランは空を見上げる
灰色の空、雪雲が広がっていた
「さて、そろそろ帰りましょうか」
リオンは少し残念そうな顔をした
「もうですか?」
「ええ」
ローランは頷く
「帰ったらお父様へ報告するのでしょう?」
「はい」
「なら十分です」
リオンは素直に頷いた
その時、鐘が鳴り響いた
ガン
ガン
ガン
砦中へ緊張が走る
兵士達の顔色が変わった
「敵襲!」
誰かが叫ぶ
リオンが目を見開く
ローランも表情を変えた
兵士が駆け込んでくる
「奥様!」
「帝国軍です!」
空気が凍った
ローランは聞き返す
「帝国軍?」
「はい!」
「数は!?」
「確認中です!」
嫌な予感がした
戦争の兆候など無かった
ヴァルグからも何も聞いていない
なのに何故?
ローランはリオンの肩へ手を置く
「リオン」
「はい」
「絶対に私から離れてはいけません」
その声は厳しかった
リオンも頷く
「分かりました」
だが次の瞬間だった
轟音が鳴り響いた
砦が大きく揺れた
それは魔法だった
兵士達が吹き飛び悲鳴が響く
「魔法部隊だ!」
「迎撃しろ!」
怒号が飛び交う
ローランは息を呑んだ
帝国軍は本気だった
威嚇ではない
交渉でもない
最初から砦を落とすつもりで来ている
「何故……?」
思わず呟く
心当たりが無かった
ヴァルグは戦争を望んでいない
王国国王、つまりローランの父も同じ
それなのに帝国軍は攻めて来た
兵士が叫ぶ
「西門突破されました!」
「東門も持ちません!」
早過ぎた
砦の兵だけでは防ぎ切れない
ローランは目を閉じる
そして決断した
「リオン」
「母上?」
「走りなさい」
リオンが固まる
「嫌です」
即答だった
ローランは悲しそうに笑った
「良い子ですね……ですが聞いて下さい」
「嫌です」
リオンは首を振る
「一緒に帰ります、父上の所へ帰ります」
ローランは何も言えなかった
嬉しかったからだ
だが現実は残酷だった
再び轟音が鳴り響く
石壁が崩れ帝国兵達が雪崩れ込んできた
「辺境伯家だ!」
「捕らえろ!」
兵士達が剣を抜く
砦兵達も迎え撃つ
次々とノルディアの騎士が倒れていく
ローランはリオンを抱き締めた
強く
強く
そして最後に微笑む
「愛しています」
リオンの瞳が見開かれる
その瞬間、帝国兵達が二人へ迫った
雪は降り続けていた
冷たい風が吹いている
その日、国境砦は陥落した
ローラン・ノルディア
リオン・ノルディア
二人は帰らなかった
そして数日後、その報せがノルディアへ届く
後に王国と帝国の長い戦争へ繋がる全ての始まりの日だった




