第12話 あと半日
帰路は、来た時よりも速かった。
アイテムバッグを手に入れたことで、荷物の心配はなくなった。
食料も、野営の道具も、研究資料も、未来予知の魔眼のスクロールも、全てアイテムバッグへ収納している。
身軽になった分だけ、馬を飛ばすことができた。
そして何より、レオンの心には希望があった。
夜の野営地。
焚き火の前に、レオンは座っていた。
騎士達は既に眠りに就いていたが、レオンだけは起きていた。
手には、洞窟で回収した古びた革表紙の本を持っていた。
何気なく開いたページに、魔力侵食症の魔力出力と魔力量の関連について書かれていた本だ。
レオンは焚き火の明かりを頼りに、毎晩その本を読み続けていた。
そして、ノルディアから出発して四日目の野営。
遂に、そのページを見つけた。
【魔力回路侵食症 治療実験記録】
レオンは息を呑んだ。
震える手でページをめくる。
そこには。
詳細な症状
発症理由
魔力回路の構造
そして、治療方法が書かれていた。
魔法陣を用いた治療法だ。
複雑な術式で、時空間魔法を利用した治療法だった。
"時空間魔法"は失われた古代魔法。
今のレオンには、その全てを理解することはできない。
だが、魔法陣に使用する材料や書き方、起動までの手順は詳細に記されていた。
必要な魔力の込め方。
必要となる魔法陣の図。
そして、症状が改善したという実験結果。
レオンの胸が大きく高鳴る。
「あった……」
思わず声が漏れた。
「本当にあった……」
父を助けられる。
まだ間に合う。
きっと間に合う。
そう信じることができた。
皆の帰路の足取りは軽かった。
誰よりも疲れているはずの十二歳の子供が、一番軽やかな手綱さばきを見せていた。
そして、出発してから五日目の夕方。
見慣れた城壁が、視界へ飛び込んできた。
「レオン様!」
リックが叫ぶ。
「見えました!」
レオンは馬を、更に早く走らせる。
胸が熱くなる。
出発してから、まだ五日間しか経っていない。
(間に合った)
これで父を助けられる。
城門を抜け、領都へ入る。
街並みが流れていく。
だが、そこでレオンは違和感を覚えた。
静かだった。
あまりにも静かだった。
街に活気がない。
人々の表情は暗く、笑顔がない。
王都からノルディアへ帰ってきた時よりも、ずっと……。
嫌な予感がした。
胸の奥が冷えていく。
レオンは馬を飛ばした。
辺境伯邸が近付き、門が開く。
馬を降りずに、そのまま中庭へ入った。
そこには、ゼムや使用人達が全員並んでいた。
だが、誰も笑っていなかった。
レオンの鼓動が速くなる。
慌てて馬から飛び降りた。
「ゼム!」
レオンは叫んだ。
「父上は!?」
ゼムは顔を上げず、深く、深く頭を下げた。
その姿を見た瞬間、レオンは"理解し"てしまった。
ゼムの声が震える。
「申し訳ございません……」
その一言だけだった。
世界が止まった。
耳鳴りがする。
何も聞こえない。
レオンは、その場に立ち尽くした。
「……嘘だ」
誰も答えない。
「嘘だろ? なあ、ゼム。間に合ったんだ」
手から、古びた革表紙の本が零れ落ちた。
「見つけたんだ……治療法を」
誰も顔を上げない。
「見つけたんだよ……父上を助ける方法を……」
膝から力が抜け、その場へ崩れ落ちる。
石畳へ手をつく。
視界が歪み、呼吸が苦しい。
ゼムが近付き、もう一度深く頭を下げる。
「申し訳ございません」
その声は震えていた。
「私が……」
ゼムは拳を握る。
「商人を見つけられなかったばかりに……」
レオンは、ゆっくりと首を振った。
(違う。違うんだ)
ゼムのせいではない。
ガレスのせいでもない。
誰のせいでもない。
ただ、間に合わなかっただけなのだから。
レオンは地面を見つめる。
落ちた本が開かれていた。
そのページは、何度も何度も読んだために折り目がついており、落ちた拍子に開いたのだ。
開かれたページには、魔力侵食症を治療するための魔法陣が描かれていた。
その時、レオンは初めて理解した。
前世の知識。
ゲームの記憶。
攻略情報。
それらは万能ではない。
ゲームでは助かった。
ゲームでは間に合った。
ゲームでは、都合よく物語が進んだ。
だが、それは物語だったからだ。
この世界は違う。
人は普通に死ぬ。
努力しても、届かないことがある。
知っていても、救えない命がある。
そして、自分は勘違いしていた。
転生したから、特別なのではない。
未来を知っているから、英雄なのではない。
生まれ変わったレオンは、主人公でも攻略対象でもない。
ましてや、世界を動かす存在でもない。
ただ父を助けたかっただけの、十二歳の子供だった。
レオンは震える手で、本を抱き締める。
涙が一滴、本の上へ落ちた。
そして二滴、三滴と続き、止まらなくなる。
辺境伯家の跡取りとして。
領主の息子として。
必死に耐えてきた感情が、堰を切ったように溢れ出す。
「……父上」
掠れた声が漏れる。
だが、誰からも返事はない。
もう二度と、父は答えてくれない。
夕暮れの空だけが、静かに広がっていた。




