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乙女ゲーの辺境伯に転生したので奴隷落ちする悪役令嬢を金貨2万枚で救おうと思います  作者: トンビが鷹を産んだトンビの方
第4章 新事業と枢機卿
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間章 公爵令嬢の日常

ローゼンベルク公爵家

朝日が屋敷の窓から差し込み、静かな寝室を優しく照らしていた


「お嬢様 朝でございます」


侍女の穏やかな声に、一人の少女がゆっくりと瞼を開く


燃えるような赤い瞳

陽の光を浴びて輝く美しい金髪

いつもなら両脇では大きく巻かれた縦巻きロールのかみはセットされておらず

腰まで届く長い髪は艶やかだった

誰もが振り返るほどの美貌

誰もが憧れる公爵令嬢 クラリス・ローゼンベルク

ローゼンベルク公爵家の一人娘だ

そして第一王子アレク・エルグランドの婚約者だった

クラリスは静かに起き上がる

侍女達が手際よく着替えを手伝い、乱れた金髪へ丁寧に櫛を通していく

一本一本、時間を掛けて縦巻きロールを整え

少しでも乱れていてはならない

公爵令嬢とはそういう存在だった

普段の一日は決まっている

使用人に起こされる

朝食

礼儀作法

家庭教師による政治学と歴史の授業

魔法

剣術

翌日の予習

息をつく暇もない毎日

だが今日は違った

今日は第一王子アレク殿下とのお茶会の日

そのため予定も少し変わっている

朝食

礼儀作法

魔法陣学

剣術

入浴

そしてお茶会へ向けた身支度


「本日は殿下とのお茶会でございます」


侍女が微笑みながら鏡を向ける

クラリスは鏡の中の自分を見つめた

美しく整えられた金髪

左右対称の縦巻きロール

真紅の瞳

淡い桃色の唇

どこから見ても完璧な公爵令嬢

それでも胸の奥は少しだけ重かった


「今日も頑張らないと……」


小さく呟き、クラリスは食堂へ向かった

広い食堂では父であるローゼンベルク公爵が既に席についていた

長いテーブルには焼きたてのパンや温かなスープ、新鮮な野菜が並んでいる


「おはようございます お父様」


「おはよう クラリス」


二人は静かに食事を始める

食事中も姿勢は崩さない

音も立てない

それが幼い頃から教え込まれた作法だった

しばらくして父が口を開く


「今日は殿下とのお茶会だったな」


「はい」


「ローゼンベルク公爵家の娘として恥じぬ振る舞いを」


「承知しておりますわ」


短いやり取り

父は厳しい

だが娘を思っていることもクラリスは知っていた

だからこそ期待に応えたい

食後は礼儀作法の授業

歩き方

座り方

紅茶の飲み方

扇の使い方

視線の向け方

笑顔の作り方

何度も何度も繰り返してきたことを今日も繰り返す


「笑顔が少し硬くなっております」


教師が優しく指摘する


「はい」


クラリスは鏡の前で何度も笑顔を作り直した

次は魔法陣学

羊皮紙へ魔法陣を書き写し、魔力の流れを学ぶ

その次は剣術

木剣を握り、護身のための型を反復する

汗を流した後は入浴

侍女達が長い金髪を丁寧に洗い、乾かし、再び美しい縦巻きロールへ整えていく

最後に淡い青色のドレスへ着替えた

王族との茶会に相応しい落ち着いた色合いだった

首元には小さな宝石

髪には白い花の髪飾り

全ての準備が整う


「お嬢様 ご出発のお時間です」


クラリスは静かに頷いた

今日も完璧な公爵令嬢でいなければならない

その思いを胸に、王城へ向かう馬車へ乗り込んだ



王城の庭園は美しかった

季節の花が咲き、白い石造りの道が奥へ続いている

中央には小さな円卓

銀の茶器

焼き菓子

色鮮やかな果物

全てが整えられていた

その席に第一王子アレク・エルグランドは座っていた

金髪碧眼の少年

幼いながらも王族らしい気品を持つ婚約者

クラリスは静かに膝を折る


「アレク殿下 本日はお招きいただきありがとうございますわ」


「よく来てくれた クラリス」


アレクも礼儀正しく微笑む

二人は向かい合って席に着いた

紅茶が注がれる

甘い香りが風に乗る


「最近の勉学はどうだ?」


「はい 魔法陣学と歴史を中心に学んでおります」


「そうか」


「殿下はいかがでしょうか?」


「私は帝王学と剣術だ」


「素晴らしいですわ」


「いや まだまだだ」


そこで会話が途切れた

クラリスは紅茶へ視線を落とす

何か話さなければならない

そう思うのに言葉が出てこない


「本日の庭園はとても美しいですね」


「ああ」


「花もよく手入れされていますわ」


「そうだな」


また沈黙が落ちる

アレクも困ったように焼き菓子へ手を伸ばした

クラリスは真面目だった

優秀で礼儀正しい

婚約者として不足はない

けれどアレクはどこか物足りなさを感じていた

何を話しても正しい返事が返ってくる

整った言葉

失礼のない態度

完璧な笑顔

だがそれだけだった

一緒にいて楽しいかと問われれば、すぐには答えられない

真面目で優秀だ

けれど少しつまらない

そう思ってしまう自分に、アレクは小さく息を吐いた

一方でクラリスも同じように悩んでいた

殿下は悪い方ではない

優秀で

礼儀正しく

王族として相応しい

けれど何を話せばいいのか分からない

どうすれば自然に笑えるのか分からない


「学園へ入学する日も近付いてきたな」


アレクが話題を変える


「はい」


「学園では互いに忙しくなるだろう」


「そうですね」


「王族としても貴族としても学ぶべきことは多い」


「はい 私も精進いたしますわ」


「……そうか」


また会話が止まった

紅茶は温かい

庭園は美しい

菓子も甘い

けれどクラリスの胸は少しも軽くならなかった

今日も失敗はしていない

失礼なことも言っていない

殿下も怒っていない

それなのに楽しくない

どうしてだろう

やがてお茶会は終わりの時間を迎えた

クラリスは立ち上がり、丁寧に礼をする


「本日はありがとうございました 殿下」


「ああ また会おう」


「はい」


形式通りの挨拶

形式通りの笑顔

最後まで二人の距離が縮まることはなかった

馬車に戻ると、クラリスはようやく小さく息を吐いた

背筋は伸ばしたまま

膝の上で手を重ねる

窓の外には王都の街並みが流れていた

今日も失敗はしなかった

けれど成功したとも思えなかった

その時 ふと一人の少年の顔が浮かんだ

レン

以前、王都で出会った平民の黒髪の少年

パン屋の前で困っていたクラリスの代わりに、焼きたてのパンを買ってきてくれた人

二人で向かったのは、噴水のある小さな広場だった

夕暮れの光が石畳を淡く染めていた

中央の噴水からは水音が響き、近くでは子供達が笑っていた

クラリスはそこで肉と野菜が挟まれた温かいパンを食べた

焼きたてのパンは香ばしく

肉は香辛料が効いていて

野菜は瑞々しかった

それだけではない

レンは楽しそうに話してくれた

今日の天気のこと

王都の街のこと

ノルディアの宿場町のこと

パンが美味しいという何でもない話

特別な話など一つもなかった

けれど不思議と楽しかった

クラリスは自然に笑っていた

礼儀作法で作った笑顔ではなく

相手に失礼がないように整えた笑顔でもなく

ただ楽しいから笑っていた

そのことに今さら気付く


「どうして……」


小さく呟く

殿下との会話ではできなかったことが、あの時はできていた

何が違ったのだろう

自分でも分からない

分からないまま、クラリスは窓の外を見つめ続けた

馬車が公爵家へ戻る途中

クラリスはふと口を開いた


「少し寄り道をしてもよろしいでしょうか」


向かいに座っていた侍女が目を瞬かせる


「お嬢様 どちらへ」


クラリスは一瞬迷った


だが胸の奥に残る噴水の音が、どうしても消えなかった


「下町の方へ 以前行ったパン屋の近くですわ」


侍女は少し驚いたが、すぐに頷いた


「承知いたしました」


馬車は進む道を変えた

王城へ続く整った大通りから離れ、少しずつ賑やかな下町へ近付いていく

馬車の外から人々の声が聞こえ始めた

商人の呼び声

子供の笑い声

焼きたてのパンの香り

貴族街とは違う空気

クラリスは胸に手を当てる

自分でも何をしているのか分からなかった

ただ、もう一度あの場所を見たかった

もう一度あのパンを食べてみたかった

もしかするともう一度、レンに会えるかもしれない

そんな淡い期待が胸の奥にあった

馬車が止まった

護衛が扉を開ける


「お嬢様 到着いたしました」


クラリスは静かに馬車を降りた

目の前には見慣れた下町の景色が広がっている

石畳の道

威勢の良い商人達の声

焼きたてのパンの香ばしい匂い

そして広場の中央には、小さな噴水

水音はあの日と変わらず優しく響いていた

クラリスは自然と噴水へ視線を向ける

あの日レンと並んで腰を掛け

肉と野菜が挟まれた焼きたてのパンを食べた場所

夕日に照らされながら

天気の話をした

王都の話をした

グランツの宿場町の話も聞かせてもらった

どれも特別な話ではない

それなのに不思議と楽しかった

思わず口元が緩む

その時だった

広場の向こう側を歩く一人の少年が目に入る

その少年は黒髪だった

年齢も同じくらい

後ろ姿までよく似ている

クラリスの鼓動が少しだけ速くなった


「レンさん……」


気付けば歩き出していた

護衛が慌てて後ろを付いてくる

少しずつ距離が縮まる

あと数歩


「レンさん」


勇気を振り絞って声を掛ける

少年が振り返った


「え……」


違う

黒髪ではあった

だが顔も瞳の色も違う

レンではなかった


「あ……」


クラリスの頬が赤く染まる


「申し訳ありませんわ人違いでしたの」


少年は少し驚きながらも優しく笑った


「気にしないでください」


「失礼いたしましたわ」


クラリスは軽く頭を下げる

少年は軽く手を振り、そのまま歩いて行った

後ろ姿が人混みに消えていく

クラリスは小さく息を吐いた


「何を期待していたのでしょう……」


たった一度会っただけの平民

また会える保証などどこにもない

それでも探してしまった

自分がおかしくて、小さく苦笑する

その時ふと視線の先にパン屋が見えた

レンが代わりにパンを買ってきてくれた店


「あ……」


少しだけ迷う

レンはいない

それは分かっている

それでも もう一度あのパンを食べてみたくなった

クラリスはゆっくりと店の扉を開ける

カランと鈴の音が店内へ響く

焼きたてのパンの香りがふわりと漂った


「いらっしゃいませ!」


明るく元気な声が響く

クラリスが顔を上げる

そこには茶色い髪の少女が立っていた

年齢は自分と同じくらい

人懐っこい笑顔が印象的だった


「ご注文はお決まりですか?」


「あの……一番人気のパンを一つお願いします」


「ありがとうございます!」


少女は笑顔で棚からパンを取り出す

香ばしく焼き上げられたパン

間には香辛料で味付けされた肉と新鮮な野菜が挟まれていた

あの日と同じパンだった


「銀貨五枚になります」


クラリスは財布を取り出す

いつもの癖で金貨へ手を伸ばした

だが指先が止まる


「あ……」


以前も同じことがあった

レンの前で金貨を出そうとしてしまい、驚かせてしまった

結局あの日はレンが代金を払ってくれた


「また同じことをするところでした」


少し恥ずかしそうに微笑み、金貨から手を離す

代わりに銀貨を五枚取り出した


「こちらでお願いしますわ」


「ありがとうございます!」


少女は嬉しそうに銀貨を受け取った

クラリスはパンを受け取り、小さく頭を下げる


「ありがとうございましたまたお越しください!」


少女は最後まで笑顔で手を振っていた

クラリスも自然と笑みを返し、店を後にする

再び馬車へ乗り込む

扉が閉まり、静かな空間が戻った

膝の上で包みを開く

焼きたての湯気が立ち上る

一口かじる


「……美味しい」


肉の旨味

野菜の瑞々しさ

焼きたてのパンの香ばしさ

やはり美味しい

けれどクラリスは少しだけ寂しそうに笑った


「でも……」


もう一口食べる


「前に食べた時の方が……美味しかった気がしますわ」


パンの味は同じ

違うのは

一緒に食べる相手だけ

噴水の音

夕日に染まる広場

隣で笑う黒髪の少年

天気の話

街の話

宿場町の話

本当に何でもない話ばかりだった

それなのに あの時間はとても楽しかった

クラリスは窓の外へ視線を向ける

遠ざかっていく噴水のある小さな広場


「レンさん……」


小さくその名を呟く


「お元気でしょうか……」


その声は誰にも届かない

馬車は静かにローゼンベルク公爵家へ向かって走り続けていた

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