表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
87/101

ゴーレムの証言

 終末の予感だけが、ただそれだけが蔓延していた。でもその一方で、結局はなにも変わらないだろう、最後には何もかもが元通りになるのだろうし、その頃にはすべての違和感は消えているに違いない、そんな気持ちもあった。

 週末には予定が詰まっていた。それが何週も続いていた。こんなことは最近じゃ記憶にないことだ。最近と言っても一年や二年の話ではない。もっと長いスパンで捉えた最近だった。

 ようやく何かが動き始めたのか、ロウソクが燃え尽きる前の最後の輝きか、はたまた単なる偶然の連続か。ただ、長い間忘れ去られていたはずのおれに、テンポよく舞い込む誘いには少なからず困惑を隠せなかった。そのすべてを承諾したことについては何も思うところはない。おれは元々そういうやつだ。誘いを断ったことなどはない。黙って途中で帰ったりするようなやつでもない。人付き合いはメチャクチャ良い方だ。自分の方から誘ったりはしないだけだ。そもそも、他人を誘ってまでしたいことなんてありゃしない。誰かがおれを誘わない限り、おれは日々のルーティーンを外れるような真似はしない。

 自分で設定したルーティーンをなぞるのは、まさに快感だった。これが生きるってことだ。そう思えて清々しい気持ちになった。だが、そのルーティーンには生きるために必要なものがまったく不足していた。つまりはそれが金だった。

 そしてまた、他世界からの介入によって、おれ独自のルーティーンは粉々に打ち砕かれようとしていた。もう二度と戻ってこないだろう。少なくともしばらくの間は。おれはおれの都合で生きることを、おれ自身の手によって潰さなければならなくなった。一瞬、本気で死にたくなった。

 列車に揺られる日々。駅のホームの列に並ぶ日々。早くもおれのなかにひびが入り始めている。誰でもいいから誰か威張っているやつをぶん殴ってやりたい。もちろん八つ当たりだ。

 後ろにいるやつの声が大きいという理由だけで、振り返って睨みつけた。大学生くらいか。自分より若い人間の歳の頃ってよくわからん。それにしても声が大きい。笑い方もなんだか気に喰わん。その乾燥ワカメみたいな髪の毛を思いっ切り掴んで左右に振りまわしてやろうかって気分になっている自分にうーむって感じだ。こんなんでこの先やっていけるのかしら。明らかにおれはふて腐れている。なんだか破れかぶれだ。

 取りあえずのところは変なことをしない自信はあるが、酒とか飲んだらヤバいかもしれない。今さら留置場に放り込まれるなんてごめんだ。アルコールの勢いを借りた半端な暴行事件。まったく。なんてこった。クソッタレ。


 おれのこの脅えの正体を探るのは止めた。とにかく流れるままに任せて、面倒なことにはなるべく関わらないようにしよう。なにしろ失うわけにはいかない。書くことを。

 大したことじゃない。どんなぼんくらだって務まるようなことだよ。そう簡単に言うけどね、物事が誰にだって簡単ってわけじゃない。おれたちは繰り返しふるいにかけられて落とされて、どこかで適当に引っ掛かってくれるだろうと楽観的に考えている間も落とされ続けて、もはや一番最初にどこにいたのかなんてことはすっかり忘れてしまった。

 忘れ去られたことはあまりにも多いし、覚えていると勘違いされていることもまた多い。過ぎ去りし日々のほぼすべてが忘却の運命を辿っていった。おれはなんだか最初っからこうしているような気すらしている。ずっと延々と、こんな風に文章を書き続けているような、そんな気すら。何年も何十年も変わらずにずっと。それが勘違いだったと理解できるのは、途切れた時だけだ。引っ繰り返り、ルールが変わり、当たり前が当たり前では無くなった時に始めて、ひとりの生の不安定さにようやく気づくのだった。気づかされるのだった。

 あらゆることがファストでわかりやすく、チャチで安っぽく、新しいようで半端に古臭く、なんだか馬鹿にされているみたいだ。ずっと同じようなことが目の前では繰り返されている。退屈と退廃と荒廃の交配だ。入れ子の中身はどんどん小さくなってゆく。どこまで続けるつもりなのか。はっきり言うが、みんな馬鹿になっちまった。なにかが決定的に間違っちまった。2008年頃か、その少し前のことだと思う。病気がばらまかれたのはね。


 もう手遅れだ。そんな気分で進んでゆくことにしよう。道なりにしばらく進んで、角を曲がって、いつかこの道にだって慣れるだろう。当たり前の風景、なにも語ることない風景へと変わっていってしまう。今日この瞬間の怒りや脅え、光の反射に目を刺されたこの瞬間さえ、なんでもないことへと陳腐化してゆくんだ。

 アスファルトの上で揺らめく陽炎の中、あんなに揺らいでいるのに、あそこにだってちゃんと人がいる。どこに行ったって、人、人、人。人ばかりだ。あっちから見れば、おれだって揺らぎの中なんだ。存在するかどうかも怪しい存在。印象になんて残りやしない。すべて忘れ去られちまう。

 人が、街が、道が、消えてゆく。砂と錆びに埋もれて、割れて削れて風化し続ける。もはや面影などなかった。かつて東京と呼ばれた場所。だれも消えた街を悼んでなどいなかった。あるべき姿、こうだと信じられていた姿、すべては砂の中だ。こんなエリア、もう誰も足を踏み入れたいとは思わない。


 具体的なことはなにも語れやしなかった。だっておれはもう殆どのことを忘れているのだから。鮮明でない記憶を辿っても、一瞬なにもかもを解った気にさせられるだけで、言葉にしようとすると途端にイメージはばらばらになり、こりゃ無理だって気分になる。本当は完璧にわかっているはずなのにだ。そこが不思議なところなんだ。

 人通りが日増しに減っているように感じられた。みんな家の中で過ごす幸せに目覚めたのかもしれない。引っ越してしまったのかもしれない。至るところで古い建物はぶち壊され、すぐに代わりの建物が建った。それでも、人は減っているように思えてならなかった。

 酷いことはすべて遠いよく知らない場所での出来事だ。そういった勘違いに、いよいよ多くの人が気づき始めていた。その瞬間から、その人たちの人生は健康で朗らかなものから、悲惨で耐えがたいものへと変わってしまったのだった。

 生じたギャップを埋め合わせる術を誰も持ち合わせていなかった。それが悲劇の始まりだった。本当はもっと前から起こっていたことだったけど、あくまで目につくようになってからが悲劇の始まりであるのだった。それで、みんな疑心暗鬼になってしまった。隣人同士で醜く争い始めた。殺し合い手前まで発展することもしばしばだった。殺された人だってもちろんいたとも。いないわけがない。


 おれだってもうどこか遠くに離れてしまいたいさ。こんなところにいたって良いことなど何もない。それでも覚悟は決まらなかった。消えゆく街と心中する覚悟などはないが、その経過を見続けていたい気持ちは確かにあった。塔の上の方に青いシャツがくくりつけてあった。時たま風に揺れていた。あんな高いところになぜ? 誰も疑問に思いやしなかった。そんなところを見ているのはおれくらいのものだったからだ。他にいたとしても、どうとも思いやしないだろう。そういうものなんだろう。だってそうなんだから、そうなんじゃないか。それ以外にどう言えばいいんだ? そんな風なことを怒ったように言うに違いない。あいつら、すぐに納得しちまうんだ。それですべてが丸く収まるって、本気でそう思っているんだ。いつかちゃんと元通りになるんだって。誰が元通りにすると思っているんだろう?

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ