暗くなる前に帰っておいで
内から外。外から外。そこここどこからそこかしこ。確かなものと不確かなもの。かすかな音をかき消す音。不安定な状態のまま安定した常態がいまここ。日常を蝕む常習性が確認されており、恒久的な常用の結果、高揚した文体とは逆に落ち窪む正体。もうやめたい。いつやめたらいい。今すぐにでも、その先にでも。見送ればボール、振り遅れのファウル、狙い球を絞る、肩に力が入る。
夏の暑さで追い込まれてアルコールの中に隠れようと考えた。素面の頭はまるで侘しく物静かな凪の海。遠くの方で魚が跳ねた。あいつらなんで跳ねるんだ。ウミウにカモメ、ウミネコ、ペリカン、プテラノドン、おまえを狙っているやつは大勢いると言うのに、自分で自分をさらけ出してどうするんだ。
チキツ、チキツ、チキツ、チキツ、チキツッツ、チキツッツ、チキチキチキチキ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ。おれはすっかりスカ気分でルードボーイ気取りさ。早く夜にならないかな。昼間なんてこの世からなくなっちまえばいいんだ。踊っていられりゃそれだけでゴキゲンなんだ。そんな季節だ。
しきりに空っ鼻を啜っているやつがいた。あいつ、多分コカインをやってるって思われたいんだ。それってどういう願望なんだ。やりたいならやればいい。やりたくなければやらなければいい。やってるからって特別に尊敬されないしモテたりもしない。やってないからって侮られたりナメられたりもしない。そもそもおまえ、金持ってるのかい?
まあ悪いことは言わないぜ、空っ鼻を啜り続けるのだけはやめときな。そういうのって見ちゃいらんないよ。おまえはおまえのままでいいじゃないか。強がる必要も必要以上に胸を張る必要もない。必要ならおれに声を掛けてくれよ。ただし、小さい声で頼むぜ。おまえはなんだか声だけはデカそうだ。しきりに言い触らしそうな顔をしている。それって困っちゃうんだよな。おまえはおまえのままで。それでヨロシク頼むよ。
このままどうにかやり過ごそうとした。当然のように見逃してはもらえなかった。捕捉され捕獲され、とやかく言われるうっとうしい毎日が始まろうとしていた。
こっちの領域では好き勝手振る舞っているおれも、物質世界じゃ丸腰で及び腰、取り越し苦労の絶えない一匹の蟻んこだ。どうしようか決めかねている。噛みついて潰されるか、それとも兵隊蟻としての一生を全うするか。
一歩ずつ噛み締めるように登った十三階段。何事にもキリのいい終わりがあり、そしてその先がある。その先は滅多に語られることはない。たった一言、触れられるか触れられもしないか。嵐の過ぎ去った後のことは誰も興味をそそられやしないのだ。たとえそれが一番大切なことであったとしてもだ。
嫌になってしまう。殺されてしまう。メカニズム、システム、構造に巻き込まれて儚い一生を終える。正体不明のものに身を捧げる覚悟、自らの死でもって抗議する時代錯誤、そんなものが許されていいはずがない。だがまあ、しばしば見受けられることだ。美談にすらなりかねん。
誰かが叫んだ。ライオット! 誰しもが、またか、そう思った。叫び声の主は近所の名物的なキチガイジジイだったからだ。ジジイは未来のおれだった。
おれは将来的にここまで他人の目が気にならなくなるんだ。おれは感動で身を震わせた。つまり、おれの生き方は間違っていなかったと、そういうことなんだね? おれは未来のおれの肩を掴んでガクガク揺らしながら、涙を流した。
ガクガク揺れながら、未来のおれはおれを見ているのやら、その先の方を見ているのやら、よくわからない目つきをしていた。さすがおれだ。
ほう、つまり……あんたは過去のおれってことか。未来からくる自分はよくあることだが、その逆はあまりないケースだ。だが、珍しいってほどじゃない。むしろありきたりと言ってもいいくらいだ。しかし、酷い時代にきたものだな。今、ここらは大暴動の真っ最中。圧政に耐えかねた民衆の怒りが、ひとつの炎の拳となって全てを燃やし尽くそうとしている。近ごろはだいたいそんな感じだ。そっちの調子はどんなもんだい?
ああ、相変わらずだ。なにかが確かに進行中ではあるのだろうけど、詳しいことはさっぱりだ。フォローする範囲が広がり過ぎている。この場所にいながらして、世界中で起きているすべてのことを知っている気になっちまっている連中が山ほどいやがる。とてつもなく馬鹿らしいことばかりだ。少なくともこの捻れた両目で見ている範囲ではね。
しかし、ずいぶんとのどかな暴動だこと。煙ひとつ、怒号ひとつ上がっていやしないじゃないか。まあ、それが未来のスタイルってやつなんだろうな。表面はのどかに見えても水面下ではバチバチってわけだ。知る人ぞ知るってやつ。こっちの時代にもそういうやつがいるよ。いまは戦時中だとか、おれはデジタルソルジャーだとか喚いている。やっぱりそういうのっておれはにわかに信じられないな。イッちゃってるって思っちゃう。見たところ、あんたとその手合いの明確な違いがおれには見出せないのだけど、それでもおれはあんたを信じよう。あんたは他ならぬ未来のおれなんだもの。おれがおれを信じてやらなくてどうする? おれくらいはおれのことを信じてあげなくっちゃおれの立つ瀬がないってもんだぜ。
そして夕焼けは、いつの時代も夕焼けだった。なぜだか郷愁の思いに駆られてしまうのだった。まるで自分が生まれる前の世界を見ているような。通り過ぎる誰もが過去の幻として、かつて確かにあった風景として、二度と戻ってこない瞬間を演じているように大袈裟な影を伸ばしている……。
個人的には夕焼けは橋の上がいちばん似合うと思っている。向こうの方で列車が鉄橋を渡ってゆく。音も聞こえないくらい向こうの方で。水面には複雑な色合いの暖かい光の道がおぼろに揺れながら波打ったり途切れたり、その上を大きな鳥がすごいスピードで横切っていったり、溶けてゆく太陽が塔のシルエットを震わせていたりしていた。
すぐ近くで自転車のベルが鳴っていた。すこし錆び付いた音だった。油を差した方がいい。そうすれば、もっと遠くまで聞こえると思うよ。耳障りも良くなると思うよ。でも今はこれでいい。このままでいいのだと思う。この瞬間だけはね。
もうすぐ暗くなっちまう。おれはルードボーイ気分で、三つボタンのイタリアンスーツに細身のタイ。頭にはポークパイハット。この川を渡って踊りに行くんだ。一晩中だって踊ってやるつもりさ。だって昼間は辛いことが多すぎる。一日すべてが夜ならいいのに。汚らしいものだって夜が隠してくれるのだからね。綺麗なものは夜が際立たせてくれるのだからね。昼間はすべてがぼやけてしまう。涙ですべてがぼやけてしまう。だから、おれは夜にサングラスを掛けるくらいがちょうどいいと思うんだ。それくらいが一番素敵に見えると思うんだ。
オルガンの音、オートバイの音、テナーサックスの音、どこかでなにかが割れる音。どんな音でだって踊ってやるって心に決めていた。強烈なオフビートに合わせてステップを踏んでやるのさ。
だってやっぱり昼間は悲しいことが多すぎる。せめて夜の間くらいはなにもかも忘れていたいじゃないか。昼間は眠っていたいじゃないか。アーガイルのソックス。ピカピカのウイングチップ。倉庫街を抜けて海沿いを歩く。浮き立つ心で光りの溢れる方角へ。夜はまだ始まっちゃいない。だってまだあっちの方が明るいもの。




