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退屈、退屈、退屈だ

 大人になったら何になりたいですか? まだまだちっちゃい子どもの頃、そんなことを訊かれた。男は大体、警察官とか消防士とか、バスの運転手なんてやつもいた。女はケーキ屋さんとか花屋さんとか。お嫁さんとかね。ませてやがんな。おれはと言うとためらいがちに、コックさん……そう答えたのだった。

 警察官や消防士なんて死んでもなりたくなかった。マッチョな感じは苦手だったんだ。車にも電車にも興味がなかったし、どっちかと言うとイソギンチャクとかナメクジとかクラゲとかウミウシとか、そういう不定形でヌメッとした有機的なものに興味があった。でもだからと言って、その興味が何になりたいかに繋がったりはしないよな。

 コックになりたいなんて一度も思ったことはない。むしろ絶対になりたくはない。でもなにか具体的な答えを出さなければいけないような気がした。そういう雰囲気があった。適当でもいいから答えなさい。そんな圧力がおれの腹を痛くした。なんだか泣きたくなった。謂われのない責めを受けているように思った。そんなわけでコックさんなんて心にもない答えをひり出したってわけだ。

 そんなことをいまだに憶えているってことは、当時のおれがどれだけショックを受けたのかを物語っている。社会に生きる一員としてのプレッシャー。おれはプレスされて、出荷されようとしていた。そのことがおれにとてつもない嫌悪を与えた。勘弁してくれ、そう思った。それからはずっと、勘弁してくれ、だった。成長するにつれ、勘弁してくれ、の数が加速度的に増え続けていった。おれはまったくついていけなかった。いつしか、ついていこうとすら思わなくなった。

 そしておれは大人になり、不定形にヌメッと這いずって生きている。ある意味、おれは夢を叶えたとも言える。


 なにもしたくない、そう言うと怒られる。そんな甘いもんじゃない、なんて言われる。みんなそうだよ、とかね。まず怒られる理由がわからない。甘いも辛いもこっちは知ったこっちゃないんだ。みんながそうなら、それでいいじゃないか。なぜそうしないんだ。それじゃ世の中が回らないでしょう。知ったことかよ。そんなもん、勝手に回るだろう。おれの疑問は、なぜ過剰に回そうとするのか? そういうことだ。なぜやりたくもないことをやらなければならないのか? なぜ苦しんでまで生きなければならないのか? そういうことだ。こんなに人間がたくさんいて、なぜ個人の苦しみは薄まらないのか? テクノロジーは進化しているのに、なぜ大半の人間がいまだにヒイヒイ喘いでいなければならないのか? なぜまだ殺し合っているのか? 憎しみ合っているのか? 馬鹿じゃないのか。あまりにも馬鹿らしくて、話になりゃしないよ。おれが信じていないなにかを、ほとんどの人間が頭っから信じ込んでいる。疑う素振りすらもない。その挙げ句に、いっつも息切れしてやがる。

 おれだってみんなが幸せなら嬉しい。でもそんな場面は一度だってお目にかかったことがない。誰かが馬鹿笑いをしている横では、誰かがみじめな思いをしている。おれの目が、みじめな思いをしているやつを捉える。それでもう、すべてがおじゃんだ。一日が台無しになる。おれは馬鹿笑いしているやつ、みじめな思いをしているやつ、その両方を憎む。嫌な気分だ、憎むってのは。だからせめて、こんな文章を書いて憂さを晴らす。おれ、間違っているかい?


 いつだっておれは間違っていた。おれが正解を導いたことなどは一度もない。きっとおれは間違えるのが好きなんだ。正解でない方を選ぶのが好きなんだ。そんなおれを逆張りなんていう軽い言葉で評して欲しくはない。別に大穴を狙っているわけではないんだ。好きでやっているんだ。単純な話だ。

 それでもたまには正解を選ぼうとする。本気で正解を狙う。それでも結局は間違えてしまう。書くことなんてその最たるものだ。おれはかなり真面目に正解を狙っている。あわよくばの賞賛。尊敬。畏怖。驚嘆。そんなようなものを奪い取ってやろうと思っている。だが一向にそんな気配はないのだった。

 ないならないで、それはまあ仕方ない。おれの狙いが出鱈目だったというだけの話だ。だが本当にそうなのだろうか? しつこく食い下がるおれだ。こんなにもおれは自身満々なのに、おれの価値観と摩天楼の少年を読んだ人間の価値観が、そこまでかけ離れるなんてことがあり得るのだろうか。それほどの隔たりがあると言うのだろうか。おれとあんたの間には?

 確かにそれを物語るような事例はいくつもある。おれの目からすりゃ、へっぽこも良いとこ、問題外、クソつまらない上に、書いているやつの人間性を疑ってしまうような、そんな文章がそれなりにウケていたりする。だから、おれは楽勝だと思った。カモがネギ背負って首を差し出して待っている。そんなふうに見えた。こんな代物がウケるのなら、おれの書くものだったらフィーバー間違いないでしょう。連中、びっくりするぜ。目ん玉飛び出しちまうんじゃないか。賞賛に備えなければ。勘違いしないように、クールにいこう。惑わされるなよ。自分を見失うんじゃないぞ。おれが褒められるなんて当たり前のことなんだから。そんなふうな心構えだってバッチリできていた。

 だがそうはならなかった。肩透かしをくらって派手にすっ転んだ。なにかの間違いだと思った。嘘でしょう? 信じられなかった。いまでもそう。信じられない。おれは肩透かしをくらい続けていた。何度も何度も同じ手に引っ掛かっていた。おれは突っ込むことしかできない猪武者だった。


 いまだに信じられはしないが、理解はできた。はいはいそういうことね、っていう感じだ。つまりは今までと一緒ってことだ。おれは間違っているけど、決して間違っちゃいないってことだ。ドブ臭い領域ではおれは徹底して間違えている。アホだ。間抜けだ。笑いものだ。だが文章領域においてはおれはなにも間違っちゃいない。そこのところをちゃんとわかっている人間の数が、おれの予想を遙かに下回っていたということ。それだけのこと。

 考えてみりゃ当たり前の話だ。だってあんたら、その辺にいくらでもいる退屈な連中なんだろう。テレビをみて、笑って、泣いて。ベストセラーを読んで、感心して。ひどいニュースをみて、嘆いて、憤慨して。ガイドブックの教えにならって観光して。行列に並んでワクワクして。写真を撮って。それでなにもかも忘れちまうんだ。通り過ぎて行ってしまうんだ。いったん立ち止まってみることなんてできやしないんだ。勝手に焦ってあわくって、目まぐるしく、慌ただしく、ゼンマイ人形みたいにくるくる回って、目を回している。

 おれももう少し工夫をしなくっちゃな。こういう連中を釣り上げなければならないってことだ。おれはなにも芸術作品を作ろうとしているわけではないのだから。そんな柄じゃない。

 だがこいつは難問だ。難問中の難問だ。決して近づきたくはない連中を、正当な手段でおびき寄せる。不細工な真似はしたくない。不愉快なこともしたくない。なにもしたくない。それじゃ話にならない。怒られちまう。でもどうすればいいのか取っかかりが見つからない。それでも悪い気分ってわけじゃない。むしろ良い気分。なぜかはわからない。これがやり甲斐ってやつなのかも。そうではないのかも。ま、どうでもいい。どうでもいいが、このまま放っておくわけにはいかん。おれが我慢ならん。

 あんなクソどもに、このおれが負けているって? そんなことがあっていいはずがないじゃないか。

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