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蛇の卵の物語

 小さな灯。この期に及んで今さら言うべき言葉は大してない。せめて、凜々しき態度を保ち、雄々しき諦念でもって事に当たるのみ、と言ったところか。行き先になにか心当たりは……つまりは、すべてがすっかり済んでからの……もちろん、心当たりなんてものはないわけで、こういった状況において、おれのような者の身に一体なにが起こるのか、まったく見当もつかないし憶えてもいないときたもんだ。

 たまに考えていたことがあるのだが、おれはひょっとすると……世界の一部になるのかもしれない。つまり――川、とかね。川を流れる水の一部。その内側に潜む気配のようなもの。意識だって、ほら、流れてゆくだろう。誰にも知られることなく流れて流れ去ってゆくものだろう。おれが捉えているものなんて、その中の極々一部に過ぎないわけで、大半は意識的にせよ無意識的にせよ素通りして、そのまんま行き先も知れず、永遠にサヨウナラってわけだ。

 浜辺に無数に打ち上げられた貝殻、すなわち無数の抜け殻、あるいは主を失した廃屋、その欠片。日常の中の無常を想像し、その行く末を占ってみる。いずれは朽ちて果ててゆく。どこへ転がっていっても出てくる答えは同じだ。前にも後ろにも誰もいない真っ直ぐな道を、行こう、のんびりジッタリン・ジンでも聴きながら。


 結局は思い込みだ。自分が、社会が、なにがしかの精神状態にあると思い込んでしまえば、実際にそうなってしまうものだし、こうだと思い込むと病気にすらなってしまう。どんな状態であろうと、思い込みにより自由自在、おれたちはすんなりと自分の思い込みにはまってしまって、なにものによっても、外部のなにかですらも、その思い込みを正すことはできやしないのだった。

 おれが自分を最低最悪だと思い込めば当然にそうなるし、その逆、まあこれを思い込むのは至難の業ではあるけれど、自分が人類の歴史上における最高の天才だと、そう思い込んでしまえばもちろんそうなってしまうというわけだ。

 思い込ませるのだった。あの手この手を使って、追い詰めて脅かして、あるいは甘い言葉で誘惑して、どうにかして思い込ませようとしてくるのだった。自己啓発なんかにハマるタイプは、もう自分から進んで思い込まされようとしている、ハエ取り紙に引っ掛かる哀れで愚かなハエのようなもので、思い込みの粘着物に足をとられてもポケーッと涎を垂らして幸せそうな顔をして、周囲をやきもきさせるのだ。

 なにもかもが嘘だし、思い込みであるし、それはもう絶対なのだけど、それでも必要不可欠なものなのだった。それなしでは生きてゆくことができない。なにかを信じていないと、とてもじゃないが生きてゆくことに耐えられやしない。そういう生き物だ、人間って。瞬発力が働いていない。回りくどいルートを辿り、一度クッションを経由しないと、自分が生きていることにすら納得できやしないのだった。

 この無常感、虚しさ、意味のなさ、これっぽっちのことが耐えられないのだ。最短ルートで突っ切ってしまうと、そこにあるのは無意味でしかない。そして無意味が意味することに一度気づいてしまうと、もう後戻りはできやしない。自分のために生きる。崩れ去る。なにもない。なにもないのに生きている。それってどんな拷問ですか?


 戦うことだ。戦わなければ呑み込まれるのみだ。戦ってさえいれば、余計なことを考えなくて済む。暴力性に火をつけ、野蛮に、野生を剥き出しにして争うことでしか、存在を続けられやしないんだ。だがもう、おれは戦うなんて馬鹿らしいことはしたくない。いつまでもこんな風に出鱈目なことを書き綴っていたいよ。だけど出鱈目にだって限りがある。立て板に水のようにじゃぶじゃぶ出鱈目が流れてくるなら、おれだってなにもこんな苦労はしていないという話だ。

 もっと馬鹿馬鹿しく出鱈目に、ぶっ飛んじまうようなことを書かなければ、死んでしまう。殺されてしまう。おれは殺されるのだけはごめんなんだ。それだけはまっぴらだ。だからこうやって足掻いてはいるが、枯れる予兆を見せ始めている泉を眺めているのは、なかなか辛いものがある。

 既にいつぶっ壊れてしまってもおかしくはない。メンテすらしないでフル稼働って無茶にもほどがある。そんなことをずっと言い続けているってのに、不思議なことになぜだかぶっ壊れないのだから、不思議なこともあるもんだ。

 もはや動いている方が不可解なことであると言うのに。それでもおれは書き続けているんだ。なんなんだコイツは。気持ち悪い。なにを燃料にして動いているのかわからん。底の底の方にちょびっとだけ残ったそれで、たったそれだけで、身を震わせてブンブン唸っていると言うのか? 自分がなにを書いているのかすらよくわからないまま、さして気にも留めないまま、書き散らして書き飛ばして、それでよく平気な顔をしていられる。意味がわからない。なにもわからない。


 薄まったり、濁ったり。澱んだり、弱まったり。それでもまだ出るには出る。ひょっとして運命の神をごまかせればと、つとめて自信ありげに振る舞ってきた甲斐があったのかもしれない。最上級の、それがどうした? を言い続けていたからかもしれない。可能性は無限大だ。いずれたったひとつに収束してゆくものだとしてもだ。

 蛇みたいな笑い方をする女。おれはぞっとした。とにかく蛇は苦手なんだ。毒の有り無し関係ない。とにかく怖くてたまらないんだ。猿と言うより蛇の方に近い女。美人ではある。首がいやに長い。頭が宙に浮いているみたいだ。もう少しだけ顔が小さけりゃ蛇そのものだ。休みの日にはダチョウの卵を丸呑みにしているに違いない。おれだってわからんぞ。こいつにとっちゃ、おれだってエサなのかもしれない。いきなりガバッと顎が外れて、どぎついピンク色の口の中、頭からゆっくりと呑み込まれてゆくんだ。

 時々不思議に思うんだが、蛇に呑まれるやつはどこらへんまで意識があるのだろうか。蛇は獲物を呑んじまう前に、ちゃんとトドメを刺しておいてくれるのだろうか。そう願いたい。せめてもの慈悲ってやつだ。

 そして、おれは蛇の一部になって、そして、どうなるのかな。おれの思ったとおり、世界の一部になるのだろうか。風とか。波とか。砂とか。花の香りとかも良いかもしれない。大いなる循環の一部になって、そこで初めて、おれはようやく納得できるのではないかな。

 なにしろ納得できないことばかりだ。納得できないことしかないと言ってもいい。おれの納得などは待ってくれるはずもなく、すべてが先へ先へと急いで行ってしまう。目まぐるしく移り変わり、それでも本当は何も変わっちゃいない。勝手に変わった気になって浮かれているだけだ。ルールは一度も書き換えられたことはない。自分がルールチェンジャーであると思い込んでいる連中が多いようだけど。

 蛇のような女。と言うか、こいつは蛇だ! 蛇そのものじゃないか。どうりで、蛇みたいだと思うはずだ。流れるように、泳ぐように、滑らかに這い寄ってくる。おお、なんと恐ろしい。でも優雅だ。とても綺麗だ。

「これからどうなるんだい?」

 おれの鼻先を蛇の舌が高速で突っついた。なるほど。それが答えってわけか。ガバッと顎が外れて、途方もなく虚ろな穴が広がった。おれの目の前で。

 小さな灯。この期に及んで今さら言うべき言葉は大してない。せめて、凜々しき態度を保ち、雄々しき諦念でもって事に当たるのみ、と言ったところか。さて、どうしようか、これから。とりあえずは、あの小さな灯を目指すとして、それから先はどうしようか。そういう面倒なことは行ってみてから考えるとして、前にも後ろにも誰もいない真っ直ぐな道を、行こう、のんびりジッタリン・ジンでも聴きながら。

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