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原初の粘液で妙な気分だ

 おれには時間があり過ぎていて、この有り余った時間をどのように消化するのか、ただそれだけを考えているだけでよかった。文章を書くという行為は時間の消化の最たるものであり、こんなことをするのは暇人以外の何者でもない。その割に、なんだか時間が足りない気がするのはどうしてだろう。

 気の遠くなるような時間、時間、時間。そしてほぼすべてがかき消えてゆく、記憶、記憶、記憶。

 おれは記録をとるという行為をしない上に、現在地をいちいち確認することもあまりしないので、時系列はバラバラに砕かれ、無造作に散らばっていて、いまさらこのスクラップの山を順番通りに整理しようなどという発想は出てくるわけもなく、自然に恣意的にシャッフルされた時間の記憶をひっくり返し、無作為に手に取ったしょうもないにも程があるエピソードめいたものを、もう一度細かく念入りに砕き、砕いたニンニクとオリーヴオイルと一緒にフライパンで炒めて塩コショウすれば、なんだって食えるものになるでしょう、というわけだ。

 料理はなにしろ手際がものを言う。迷っている時間はない。時間自体は有り余っているわけだけど。

 それでも個人が持ちうる総量には限りがあるわけだけど、そんなことを考えていても埒があかないので、手際よくぱっぱとやっつけてしまいましょう。そりゃもう、やれるだけはやってあげたい。なるべくなら上手く仕上げてあげたい。気まぐれシェフに根気よく付き合ってくれる気まぐれどもの口に合うかどうかは皆目見当つきませんが、健闘はしたいと願っています。たまに出るまぐれ当たりにご期待ください。ファウルボールに御注意ください。この投手はビーンボールを躊躇いません。御注意ください。御覚悟ください。あなたはすごくダサい。御自覚ください。ご自愛ください。愛をください。嫌なこった。


 そして熱はグングンと上がっている最中だ。昨日の寒気は気のせいではなかった。なにもかもが味気なく、食欲自体もあまりなく、頭は痛く、ついには38度線を挟んで両軍が睨み合うこととなった。一触即発の空気を肌で感じながら、鳥肌はおさまることを知らなかった。寒い。これではあまりにも寒いではないか。それなのに汗が噴き出てくる不条理。生ぬるい空気にコーティングされているおれの身体だったが、心胆は寒からしめられたりなんかしちゃったりして、これはもう大変、と言う他ない。

 高熱のときに見る悪夢は洒落になっていないものが多いが、目覚めても体調が洒落になっていないので、寝ていようが起きていようが文章を書いていようが、なにも変わらん。待つこと。待ち続けること。そして時は経ち、赤ん坊は立派な青年へと成長していた。ということになるまで、物語の始まりを予感させるまで、待つのだ。

 脇の下から汗がつたう。この不愉快な感覚の中で、書くべきことなどあまりないと思っていたら、どうしてどうして、普段の倍の倍のスピードで言葉が打ちつけられていく光景を見せつけられることになろうとは、おれも夢にも思っていなかったが、そのかわりと言ってはなんだが、この文章にはスピードしか存在しないのだった。でもスピードがあるだけ有り難く思ってほしい。なにもないよりはマシってもんだろう。だがこんなもの、酔っ払いの書いた文章となにも変わらん。価値はない。どの道おれの文章には価値があったためしがないのだから、それを言ってもしょうがない。


 そう自分を卑下なさるな。思ってもいないことを口走って周囲を欺きなさるな。それを謙虚とは言わん。どちらかと言えば、どちらかと言わなくたって、そりゃ欺瞞だよ。そんなことは百も承知で書き進めているのだ、おれは。

 なにも考えなくたって、これくらいは書けるんだぜ、むしろこんなもんを書くことくらいはいつだってできるんだぜ、でもやらないんだぜ、意味がないってとっくの昔に気づいてしまったからな。でも今日は熱に浮かれてそそのかされて、そういうところを見せつけてやろうと思ってしまってな。おれにはわかっているんだ。スピードだけで書かれた文章には、人を惹きつける魅力があるってことを。

 おそらく今日の文章を発表した暁には、摩天楼の少年の評判は赤丸急上昇、まったくすげえやつが隠れているもんだぜ、噂が噂を呼び、ランキングというランキングを席巻、そして柳の下のドジョウがドジョウを呼び、スピードだけの文章に世界は支配され、のろまなやつらはこんなの小説じゃないやい、ぶうぶう文句を垂れることになるであろうこと請け合い……ではあるのだが。おれ個人としては、そうはなって欲しくない。だからそうしないでくれ。スピードの向こう側なんてものは存在しないんだ。幻の6速ギアなんてありゃしないよ。あたら若い命をガードレールに激突させて散らす、なんてことになってしまったら、おれはきみのお母さんになんと謝ったらいいんだ。お父さんにも謝らなければならなくなってしまうじゃないか。おれは他人に頭を下げるのが苦手なんだ。湿っぽいのも嫌いなんだ。土下座なんてもっての他だ。死んでも嫌だね。怒り狂っているやつに無防備のうなじを晒すなんて、殺してくれと言っているようなもんだ。死んだ方がマシだね。


 馬鹿が馬鹿を見て馬のケツを舐めまわす時代だ。馬鹿が馬鹿を担ぎ上げて馬鹿みたいに騒ぎまわる時代だ。馬鹿が体調管理を疎かにして風邪をひく時代だ。おれのこれが熱病でなければいいのだが、たぶん違うと思う。熱が出る前にまず腹にきて、そののち頭が猛烈に痛くなり、そして熱が上昇しだしたのだった。

 鼻の穴の中もなんだかカピカピしていて、揺すればヴィブーティのような乾燥したかつての鼻水がはらはらと舞い散るその光景は、かつてインドはゴアの海岸で行われたレイヴパーティーにて、LSDをキメ狂って開眼していた時代を思い起こすものがあった。虹色のタイダイシャツがぐるぐる回転し始め、トランステクノがおれを串刺しにして、何重にも重なったおれの身体が、一枚また一枚と天に昇ってゆくのと同時に、おれはすべてを識ってしまったのだったが、ものの数分あとにはすべてを忘れてしまったのだった。

 古き良き時代の話だ。時代は過ぎ去ればすべてが良くなってしまう。いつだって最悪なのは今この時、この瞬間こそが最悪なんだ。そしてどんな時にも今しかないものだから、最悪はどこまでもついてまわるってわけさ。枯れた芝生を前にして、青く瑞々しく刈り込まれていたかつての芝生をいつまでも思い描いていたって無駄ってことだ。枯れた芝生がおれたちの居場所さ。枯れた技術の水平思考さ。いまだに意味がわからないこの言葉。でもなんか枯山水っぽくてカッコイイ言葉ではある。わびさびってやつを表現しているのだろうか?


 まったく調子が悪い。だが病院になんて行きたくない。医者ってのは、あれどんな連中なんだ。おれが冗談を言うだろう? すると医者先生、クスリともせずにおれの方を爬虫類のような目つきでじっと見て、カルテになにやらサラサラっと意味不明な記号を書き込むんだ。あれはいったい何を書いているんだ。極度のせん妄状態にある、とかそういうことを書いているのか。もしやとは思うが、冗談の存在を知らないわけではあるまいな。クスリばっかりよこしてきやがって。

 まったく調子が狂う。それでもこうして書き続ける。今日はいつも以上になにを書いたのかなんて覚えちゃいない。なにが書いてあるにせよだ。おれの書いた文章だ。決して悪い出来というわけではないだろうよ。それくらいの信頼がおれにはあるんだ。おれがこの手で掴み取った信頼だ。そいつが揺らぐなんて、よっぽどじゃない限りありえることじゃないぜ?

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