巨大ナマズがのたうちまわる
なにかの確信を得たように、力強く立ち上がり、そしてまた力無く座り込んだ。そんなようなことをずっと繰り返している。疲れ果てて眠りにつくまで、そんなようなことをずっと。
目隠しに覆われた、巨大な塔の建設現場では日中ずっと、カーン、カーン、と虚ろに響いていた。人の声はせず、中に人がいるかすらもわからなかった。噂によると、底が見えないほどの大穴が口を開けているらしい。作業員はひとり残らずその中へと下りていったという話だ。
どこもかしこも再開発だ。地元やくざとのトラブルが長引き、耐久年数はとっくに過ぎ、あとは地震で崩れ去るのみと思われた場所も、突然思い出したように再開発だ。いつの間にか超高層のクレーンが屹立していた。いつ見ても微動だにしていないあのクレーンはいつ動いているのだろう。
何年かのち、この工事が終わった暁、真っ白な街ができあがるに違いない。巨大な枠に填められた硝子が光を反射しまくるものだから、サングラスなしでは日中歩けないということになるだろう。日中はそれでいい。だが夜になるとサングラスを持て余す人々が急増することになる。この問題への対策はしっかりと考えられているのだろうか。一体なにが起こっているのか。その街は、人々のためにあるのだろうか。塔を所望しているのは誰なのか。
摩天楼の少年がついにきみの街にも来るということだ。塔から塔へと飛び回り、ヘリポートでひとり、青いシャツをはためかす。無邪気にも皮肉的にも見える少年の笑顔、逆光の向こう側、細めたきみのその両目で、しっかりと確かめよ。
寒気がしてきた。寒いはずないってのに。曇っちゃいるが今日だってきっちり夏日だ。睡眠時間はばっちり。酒だって飲んじゃいない。調子が悪くなるような心当たりはまったくない。でもなんとなく億劫だ。なにをするのも億劫で、やる気が出ない。憂鬱というわけではないが、実感がない気がする。おれの周りが浮ついていて、なんだかすべてが嘘っぱちに思える。
乖離。隔離。そんな感じだ。弾かれてしまったような、追い出されてしまったような、そんな感じ。日常生活に滞りはないが、文章を書くような精神状態にはないようだ。それでも書くのだ、おれは。
ここまで辿り着くのだって簡単なことではなかった。ようやく重い腰を上げた。ここから先だって大したことにはならんだろう。それでも書くのだから、ただその一点のみをもってして、おれはおれを評価してやろうじゃないか。クソッタレどもの評価などあてにしていない。連中の言うことはいつだって的外れで、おれをがっくりさせるようなことばかりだ。本当にわからなくなってきた。冗談でなくなってきた。連中が信じられないほどの馬鹿なのか、それともおれが狂っているのか。
仮におれが狂人であるとしたって、おれにはどうすることもできない。だっておれは自分が狂っていないと、心の底からそう確信しているから。実際、おれほどまともなやつも珍しいもんだ。どこを向いても、キチガイばっかりだ。
それでもなんとなく回っている。その回転の中におれはいないが。入りたくもないが。だがまあ、生まれてしまったもんでね。いつかは入っていかざるを得ないだろうよ。おれは耐えることができるだろうか。キチガイの群れの中で、おれを保つことができるだろうか。正直、自信はない。だが、図々しくやってやろうと考えている。舐めたやつはやっつけてやる。気に喰わないやつは無視だ。退屈な話には相槌も打たない。家に帰りたくなったら帰る。
これでもまた駄目なら、おれも潔く諦めよう。おれには人間が向いていなかったんだ。それを認めた上で、その後を考えてみよう。
日中にあっては光の中の闇を見る。夜中にあっては闇の中の光を見る。現実の中にあっては欺瞞を、虚構の中にあっては真実を、それぞれ見ているのだった。それはつまり、浮き上がるもの、立ち上がってくるもの、表出するもの。それ以外に見るべきものなどはないということだ。
答えなどはない。眼前に拡がる風景があるのみだった。雲の向こうで東の空の太陽は休息に成長しつつあり、魔力を湛えた霊波のような熱気が、濡れて冷えた大地に蜃気楼を立ちのぼらせた。おれはこれから、歩いてそこに向かうのだ。もはやこんな退屈な風景には用はないというわけだ。これ以上の我慢をする必要などはまるでない、そういうわけだ。
そしておれが考え、おれの授かった啓示と、言葉との決定的な差。話すことと書くことの差、言葉にまつわるあらゆる差異が、すべてを破壊してしまうように思えてしょうがないのだった。おれは言語を使ってものを考えているはずなのに、いざ外に出してみると、原型を留めていない、なんとも情けない代物に、おれは何度がっくりと肩を落としたことだろう。
いつだって蜃気楼の中で彷徨っている。手応えなど感じたこともない。手応えの幻なら何度でも。一晩と持続しない幻であるならば。
もはやおれが文章を書く行為にこだわる理由などはとっくに無くなっていたのだった。おれが書いているのは断片のみであり、断片を書く名人だってちゃんといるのだからね。ボルヘスとか。おれが名前を出す作家は外国人ばかりだ。それはもうしょうがない。おれの中では小説ってそういうものだから。もちろん日本にだって好きな作家はたくさんいるさ。いちいち言及しないだけで。と言うか、いちいち作家名とか小説名とか出すのはうざったいからやめよう。たったこれしきのことで衒学的とか思われてしまってはかなわん。
意外に思うかもしれないが、こんな文章にもちゃんと読者はいるのさ。おれの予想では軽くもう百倍は読まれているはずなんだけど、なかなか思いどおりにはいかないもんだ。もちろん数字が思いどおりに伸びたとしたって、それが文章を書く理由には繋がらないのだった。
言葉で遊んでいたはずだった。楽しいお遊びだったのだ。それがいつの間にやら真剣勝負だ。真剣になればなるほど遮られてしまう。遊び心は失っていないつもりだが、なにかは見失ってしまったようだ。
ま、いいでしょう。見失ったり見つけたり、そんなようなことをずっと繰り返している。文章を書いていようが書いてなかろうが、それは変わらない。同じような日々をトレースして、言いようのないストレスを抱えながら、生きてゆくしか道はないのだろう。そうなんだろう?
違うと言ってくれよ、ベイビー。そのような事実は確認されておりません。そう言ってくれよ。一般論はもう聞き飽きたんだ。あなたの言葉で語ってくれよ。それともあなたは一般論で構成されているのでしょうか。抑えつけられたものはどこでとぐろを巻いているいるんだ? ほつれた糸を引っ張って、どこまでもどこまでも伸びてゆく、途切れることもなく、たった一本の糸に解体されるまで、それまでじっと耐えていろって、そう言うのかい。
それならそれで、やってやろうじゃないか。やってみようじゃないか。やがて骨になり、煙に変わる。刻一刻と迫るその時まで、誰のものかもわからない言葉を吐き出し続けてやる。おれができることなんてそれくらいのものだぜ。
なにしろ集中力を欠かさないことだ。一点を見つめ続けることだ。目標地点を見定めて、ひたすら歩いてゆくだけだ。建設中の巨大な塔、新たに生まれるおれたちのアジト。穴だらけにしてやろうぜ。空気の通りをよくして、悪意で肥え太る連中をいてこましてやろう。おまえたちがはしゃぐことのできる時代など長続きするわけがないんだ。吠え面をかくなよ。泣かせてやるぜ。笑ってやるぜ。




