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孫一物語  作者: 水沢佑
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⑤ 山陽道の攻防戦

 1578(天正6)年3月、上杉謙信の急死によりようやく東の脅威から解放された信長は、いよいよ西の平定に集中しはじめます。中国からは毛利輝元の上洛作戦が本格化しており、摂津・播磨は彼らの格好の草刈り場となりました。

 顕如の要請に応じて上坂した孫一らは、急迫した戦局に追われて石山に籠る暇もなく各地に転戦します。まあ、忙しいのは傭兵団としてはいいことなんでしょうけど。

 3月に顕如の要請により淡路島へ渡り、毛利方の護る岩屋城の警護に就きます。

 5月には毛利軍主力に従って尼子勝久、山中鹿之助が籠る播磨・上月(こうづき)城(兵庫県佐用郡)の攻撃に参加。城を落とし合戦で羽柴秀吉勢を撃破しています。

 信長に反旗を翻した三木城主・別所長治を援護するため7月に高砂城(高砂市)へ向かい、10月には同じく謀反を起こした荒木村重に加勢して摂津・有岡城(伊丹市)へ入城。

 翌年4月には摂津・花隈城(神戸市)、明石を経て海路石山に戻ります。一方、9月の時点で三木城(三木市)にも雑賀衆の部将が在城しているのが別所氏の記録に残っており、雑賀衆は摂津・播磨・淡路など広範囲にわたって展開・移動していたことがわかります。



 いわば信長包囲網最後の反攻期にあたるこの時期は、本願寺にとっても生き残りをかけた最後のチャンスでした。

 毛利主力の進出まで摂津の混乱を長引かせることができれば、石山の包囲も解かれるはずなのです。

 しかし孫一らの奮戦も空しく、致命的な事件が海上で発生します。

 第二次木津川口海戦の敗北です。

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