④ 内紛と第二次征伐
信長勢の撤兵後、孫一は信長方へ内通した三ヶ郷への怒りを爆発させます。
もともと境界争いなどで争いの絶えなかった彼らです。
しかも今回は、雑賀荘・十ヶ郷側にしてみれば三ヶ郷は宿敵・信長を引き入れた裏切り者で、三ヶ郷側に言わせれば孫一らは本願寺に肩入れすることによって無用に紀州に乱をもたらした張本人。わだかまりが解けるはずもありません。
前述した宗派の違いも問題をややこしくしている一因です。真言宗を信仰する三ヶ郷にとって、一向一揆だの石山合戦だのは対岸の火事でしかないわけですから。
骨肉相食む争いは、孫一派優位に進みます。
信長としては親本願寺派の孫一が勝っては困るわけで、三ヶ郷を助けるため佐久間信盛親子に兵を預けて第二次征伐に向かわせますが、失敗します。
どの資料にも詳しいことは書いていないので(「信長公記」には記述なし)、どうもまったく目立った動きを見せられないうちに追い返されたようです。8万も軍勢を繰り出したのに……
孫一は同年8月16日に井ノ松原の合戦で三ヶ郷勢を破り、次いで日方城を落としてひとまず内戦を制します。10月にはようやく本願寺の応援に本腰を入れられるようになりました。
この月には松永久秀が信長に反旗を翻して信貴山城に籠城し、また上杉謙信が能登(石川県北部)の七尾城を落城させています。
四囲の状況は風雲急を告げていました。




